5 テオフラストゥスとプローヴァト村



 突然襲ってきた嵐のせいで、村は混乱していた。

 嵐による建物などの被害はなかったものの、たまたま村に来ていた〈テオフラストゥス〉の研究者四人と、村長、それから最後まで身元のわからなかった少女の計六人が行方不明になり、負傷者も一人出てしまった。

 しかもその負傷者は、嵐に巻き込まれたショックでここ数日の記憶を失っている……。



 レノは、ひとまずは孤児院の子供たちに被害がなかったことに胸をなでおろした。仕方のないことなのだ。なにせ、嵐なんて自然現象、いつ起こるかなんて誰にもわからないのだから。

 行方不明になった人も、負傷してしまったタピールも、ただただ運が悪かっただけ。

 ただ、負傷したタピールことで一つ、気がかりなことがあった。


 あれだけ懐かれていたというのに、タピールはすっかり少女のことを忘れてしまっていたのだ。

 もちろん、だからといってタピールが薄情者だなんて言えない。仕方のないことではないか。あんなに扱いにくい子供を押し付けられて、ようやく然るべき相手に引き渡して通常業務に戻れると思った矢先、嵐に巻き込まれ、怪我までしてしまって。

 タピールは被害者だ。

 だから、彼女があの嵐のあった時のことを全く覚えていなくたって、仕方のないこと。


 ……でも、もしほんの少しでも覚えてくれていたら、行方不明者を見つける手掛かりになったかもしれないのだけれども。

 記憶の一部が無くなってしまったというのに、タピールは全く気にするそぶりも見せず、むしろ怪我が治るまで仕事を免除されて嬉しそうだった。レノはこっそりとため息を吐く。


 私がしっかりしなきゃ。



 嵐が去ったあと、数時間ののちに村長がいないことと研究者たちが施設に戻っていないことが判明する。そこで〈テオフラストゥス〉が調査と行方不明者の捜索に村へやって来た。

 しかし嵐の原因も、行方不明者の発見もできず、数週間で調査も捜索も打ち切りになる。


 〈テオフラストゥス〉の調査・捜索者に対応するため、プローヴァト村では副長二人が村長の代理に立てられていた。そして、ほどなくして二人はそのまま村長の座に就くことになる。


 負傷者の数日分の記憶はついぞ戻らなかった……。



 村長のラータは、同じく村長であり妹でもあるラトンと額を合わせて相談をしていた。

「ラトン、困ったな」

「ラータ、困ったわね」

 双子の村長が、まるで鏡合わせのように同じタイミングで天を仰ぐ。

「村長は一体、どこへ行ってしまったんだ、ラトン?」

「嵐を理由に、逃げ出してしまったのかもしれないわ、ラータ?」

 まるで芝居のように互いの名を呼び合いながら交互に喋る双子は、今までの仕事は据え置きで、村長の分の仕事も増えてしまい、雪だるまのように日々膨れていく仕事量にがっくりと肩を落とした。



 嵐という異常気象とそれによる行方不明者が出たのにも関わらず、森に異常が見られなかったのと子供たちの魔力の蓄積具合がよかったため、プローヴァト村にはさらに多くの子供たちが預けられることになった……。



「ナナー、また新しい子だよー」

 二つ前に並ぶイツツが後ろを向いて訴えてきた。

「いつまでも緊張してないで、いい加減慣れろよ、先輩?」

 一つ前に並ぶロクがからかうように答え、

「こら、そこ、静かにしてろ」

 カバージョがイツツとロクを注意する。

 レノがみんなの前に、緊張して顔の強張った子供を連れてきた。

 新しい子は引きつった笑顔で自己紹介すると、ぎくしゃくとおじぎする。


 頭を下げた新しい子に、みんなからあたたかな拍手が送られた。うん、あの子は大丈夫。あの子ならきっと、ここでなんとかやっていけそうだ。ナナは内心ほっとしながら、みんなと一緒になって新しくきた子供に拍手を送る。



 増え続ける子供に対して不満のある村人が、しょっちゅう二人の村長の元を訪れ、ひっきりなしに文句を言うようになった。

 しまいには不満の大元である子供たちからガミガミおじさんとあだ名まで付けられ、それがまた村人の神経を逆なでする。


 二人の村長は頭を抱えた……。



 昔はこうではなかったのだがと思いながら、ハバリーはまとわりついてくる子供たちを睨みつける。

 全身目が痛くなるような真っ白な服を着た子供たちは、ハバリーに睨まれて歓声をあげた。

「うわー、ガミガミおじさんのガミガミ攻撃が始まるぞー!」

「うわっ! ガミガミじじいが怒ったぞー!」

「逃げろー! 逃げろー!」


 失礼でうるさいことこの上ない。

 世話係の奴らは一体何をやっているのだ。まったく、教育というもんがなっとらん!

「じじいー!」

「バーカバーカ!」

「バカとはなんだこの馬鹿者が!」



 プローヴァト村の長閑な日々はこうして過ぎていった。



※※※



 リッシュが部下と共に件の村で嵐に巻き込まれて消えた。

 一応捜索はされたが、リッシュはもともとあまり人望のある方ではなかった。というより、消えてほしいと積極的に望まれていた節がある。

 必然、捜索は形だけのものになり、早々に打ち切られた。

 リッシュがいたおかげでなんとかもみ消せていたあれそれが明るみに出て、ついでのようにドロールもD棟研究所から消えた。


 ホムンクルスの在庫が尽き、賢者の石の販売は中止になった。しかし、処分を命じていた人間と処分を命じられていた人間が消えたことで、フラスコの中の小人の処遇は保留になった。


「よかったな、命拾いして」

 フラスコの中の小人の保管室で、リアンはシチに言う。

 シチはホムンクルス化していたが、リアン以外の人間の前では決して喋らず、うまくホムンクルスであることを隠し通した。おかげで賢者の石として出荷されることなく、こうして他のフラスコの中の小人たちと同じ部屋に収まっている。

『リアン、命拾い?』

「いや、命拾いしたのはシチだろ?」

『シチ、命拾い。リアンも、命拾い?』

「……あー、そうか。まあ、そうなるのかもな」

 シチがフラスコの中で、得意げに目を細めた。

 もしもドロールやリッシュが消えなければ、フラスコの中の小人の処分は実行されていただろう。そうなれば、アンプレッセからシチを託されたリアンは、どれほど面倒なことをこなさなくてはならなかったものか。


『リアン、夢、見る?』

「夢? 寝てる時に見るあれか? そういや最近見てないなあ……」

『シチ、見る』

「へえ? すげえな。ホムンクルスはどんな夢を見るんだ?」

『アンプレッセ』

「アンプレッセ? アンプレッセが出てくる夢ってことか?」

『夢の中、アンプレッセ、言う。アンプレッセ、喋る、シチ、聴く』

「ふむふむ、アンプレッセはシチに何て言うんだ?」

『アンプレッセ、言う。シチ、リアン、頼む。シチ、頼まれる。リアン、頼まれる』

「いや、アンプレッセからシチを頼まれてのはこっちだぞ?」

『リアン、頼まれた。シチも、リアン、頼まれた』

 ふと、リアンは床にこびり付いた血の跡を見つけて何とも言えない気持ちになる。

「……参ったな」

 フラスコの中でシチは得意げにニカリと笑った。



※※※



『ずいぶん軽くなったわねん。栄養不足かしら?』

 シルフィードは大きな岩を風で吹き上げて運んでいた。

 幸いというべきか、テネルが開いた傷の修復直後で、嵐が来たと勘違いした村人や孤児院の人間は外の様子を警戒して室内に籠っていたため、岩が空を飛ぶというかなり奇怪な場面を目撃した者はいない。

『どこかの気まぐれな風が厄介を連れてきたせいなんじゃがのう』

 岩がプローヴァト村の村長の声で口をきき、深々とため息を吐く。

『あらあら、それは大変だったわねん?』

『……もう終わったことじゃ。気にはしとらん』

『いい心がけだわ』

『どのみちあの餌場はもう駄目だった。ここいらでひと眠りするのも悪くないじゃろう』

『水たまりにちょうどいいものを捨てておいたわん。きっとアナタのお昼寝に役立つんじゃなあい?』

『昼寝か……そういえば、昼寝なぞいつぶりだったか。久方ぶりにゆっくり眠らせてもらうとするかのう』

『それがいいわ。ゆっくりお休みなさい』


 石は……地の精霊ノームは、この森に来た最初のニンゲンのことを思い出す。あのニンゲンがこの村の始まりだった。

 プローヴァト村。魔力という名の毛を刈り取られる哀れな羊たちの村。ノームの餌場。

 あのころは本当によかった。






 もともとこの森は、魔力に乏しかった。

 この村最初の村長になったニンゲンは、魔法使い同士の諍いに疲れ果て、一人の時間を求めてこの森へやって来た。

 ノームははじめ、このニンゲンのことを追い出したかった。ただでさえ貧しい大地を、これ以上荒らされてはたまらない、と。

 しかしそれを止めたのがシルフィードだった。

『あんなにおもしろそうなニンゲンは滅多にいないわん』

 そう言って、追い出すのではなくいっそ契約してみたらどうかというのだ。

 最初は猛反発したノームだが、確かにニンゲンの持つ魔力は魅力的だった。

 ものは試しと、小さな契約をいくつかしてしてみると、なかなかどうして、悪くない。簡単な作業を手伝ってやるだけで、良質な魔力をたくさん喰わせてもらえた。しかもこのニンゲンはおとなしく、森を荒らすような真似はしない。

 ノームはすっかりこのニンゲンのことを気に入った。

 しばらくはニンゲンと良好な関係を築けていたノームだが、このニンゲンの所にほかのニンゲンが集い始めてから狂い始めた。

 集まってくるニンゲンはノームや森に魔力を分けてくれるわけでもなく、ただ地を踏み荒らすだけだった。

 しだいに数を増やしていくニンゲンたちに、ノームのいら立ちが募る。最初のニンゲンに免じて目をつぶってきたが、もう我慢ならない。なんとかして追い出してやろうとノームが考え始めたころ、またもやシルフィードから待ったがかかった。

『こんなにたくさんニンゲンがいて、森に魔力が集中してるのよん? おもしろいことができそうじゃなあい? 追い出すなんてもったいないわん!』

 そう言って、ニンゲンたちから少しずつ魔力をもらってしまってはどうかと提案してきた。

 これには、集まってくる他のニンゲンたちにうんざりしていた最初のニンゲンも賛成して、計画が練られる。

 

 魔力をもらうには、なにか適当な理由が必要だった。

 そこでまず、シルフィードが森に雲を呼びよせ、雨を降らせた。

『気持ちいいでしょ? 気分転換よん』

 確かにノームは雨が好きだった。シルフィードが火を好むように、ノームは水が好きだったから。水を得たノームが生き生きとし出したのに引っ張られ、森にも生き生きと活力が満ちる。

 最初のニンゲンはそれを、他のニンゲンたちに浄化の魔法を行ったのだと説明した。間違いではない、地の精霊ノームのうっ憤を浄化した、という意味では。

 さらに、魔力の澱みなどというデタラメをでっち上げ、毎日石に触れて魔力を清めることを約束させた。


 それから最初のニンゲンはノームに、ニンゲンたちから少しずつ魔力を喰う代わりに、この地に根付くことを許してほしい、と頼んだ。

 ノームは最初のニンゲンの申し出を了承した。

 


 最初のニンゲンが死ぬまでの間、ノームは朝と夜だけ動かずにいて、ニンゲンが魔力を喰われるために触れてくるのを待っていた。

 最初のニンゲンが死んだあとは、ノームが最初のニンゲンの姿をかたどり、村長としてこの村に居座った。

 そして最初のニンゲンの申し出を村のニンゲンが忘れぬよう、何度も何度も繰り返し、おとぎ話の形に変えて語って聞かせた。忘れられさえしなければ、契約は継続させられるからだ。この地に根付くことを許してほしいのであれば、ニンゲンは魔力の浄化という名目で、ノームに魔力を喰わせなければならない、という契約が。

 この森に、ノームの地にいる限り、契約が続く限りは、触れずともノームはニンゲンから魔力を喰うことができた。


 

 最初のニンゲンがいた、あのころは本当によかった。

 世代が移るにつれて、人間たちの持つ魔力はどんどん減っていった。

 若者はこの土地を去り、しまいにはほとんど魔力を持たない村人が数人しか残っていない。

 おまけに村人ではない居候まで抱え込んでしまい……。





 

 ……だがまあ、もうじゅうぶんだろう。

 村長の役も楽ではなかった。

 やっとニンゲンの真似事から解放されると思うと、ほっとする。

『ついたわよん』

 シルフィードの声がしたが、ノームは半分眠り始めていた。


 どぷん、水の跳ねる音と水に沈んでいく感覚が、ノームを安心させる。

 ああ、いい気分じゃわい……。


 ノームは湖の底まで沈み込み、ゆったりと眠りに落ちた。

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