5 プローヴァト村と小人

 結論から言おう。

 俺は失敗した。それも大失敗だ。

 あの時、選択肢は三つあった。


 一つ目は製作者とは全く無関係の、最善の選択。

 二つ目は製作者と関りがあるが、三つの中で一番身体能力が高い、次善の選択。

 三つ目は製作者と関りがあり、かつ身体能力は最低で、保有する情報量も少なく、最低の選択。

 時間がなかった、のんきに選んでいる余裕はなかった、これが一番成功率が高かった……。言い訳ならいくらでも出てくるが、とにかく俺は失敗した。


 おまけに、俺は今、返す当てのない負債まで抱えている。

『あらあらー? いつになったら小人さんの脱走劇、見せてもらえるのかしらん』

 たぶんニヤニヤ笑っているであろう嫌な奴は、俺の頭の上でくつろぎながら、状況を十分に理解した上でネチネチとこんなことを言ってくる。

『楽しみねぇん。特等席で待ってるのよん? ねえ、面白い見世物はまだ始まらないのかしらん?』

 うるせーな黙ってろよ、と胸の内で呟いてこっそりとため息を吐く。なんでこう面倒なことになっちまうんだか。

 最善の選択だったものが、俺に手を握られてじっとしている。なぜかは知らないが、この少女は俺が棄てた体の側で見つかり、本当になぜなんだか、俺が新たに乗っ取ったタピールとかいう女に懐いていた。



※※※



 そもそもが不可抗力だったんだ。

 あの夜、俺は施設の外でこの村の明かりを見つけ、体を乗り換えることを思いついた。思いついたのはいいが、明かりに向かって少し歩いてみて、すぐに気が付く。どんなに急いでもあんなところまでは体が保たない。

『あらあら、かわいそうに。こんな脆い呪いで壊れちゃうなんて』

 ひどく立ち眩み、たった数歩で転倒して起き上がれなくなった俺を見下ろし、嫌な奴が言う。

「……あの明かりのところまでたどり着けば何とかなるはずなんだよ」

『たどり着けば、の話でしょう? たどり着くかしらん?』

 高みの見物を決め込む嫌な奴に、俺はカチンときた。

 何かを期待したわけではなく、ただただ突っかかってやりたくなり、俺は嫌な奴に文句を言う。

「おい、お前、何とかできないのか?」

『あらん? なんでワタシがなんとかしなきゃいけないのん?』

「面白いもんが見たいんだろ? ここで俺が死んだら、せっかくのお楽しみがぱあだぜ?」

『ふうん? それなら、そうねえ……じゃあ、面白いものを見せてもらう見物料の先払いってことでなら、少し手伝ってあげてもいいわよん?』

 ニヤリと笑って、嫌な奴が俺の周りをくるくると飛び回り始める。

 ふわりそよりと嫌な奴の通ったところから風が生まれ、俺にまとわりついてから霧散した。風が通るたびに、少しずつではあるが体から毒気が抜けていく。

『こんなものでどうかしら?』

 どのくらい経ったのか、嫌な奴が俺の目の前に浮かんで、再びニヤリと笑う。

 体が驚くほど軽かった。

「すげえな」

『ちょっと散らしただけよん? 別に呪いが解けたわけじゃないし、散らした分もそのうち戻ってくるから、急いだほうがいいんじゃないん?』

「ああ」

 これならいけると確信し歩きだそうとしたところで、はたと立ち止まる。

 明かりが無くなっていた。

「嘘だろ? だってさっきまで……」

『早寝早起きっていうやつねん。なあに? アナタ、光ってないとあの場所まで行けないのん? 本当におかしな子!』

 クスクス笑って、嫌な奴は俺の頭に乗ってくる。

『ここはワタシの特等席ってことにさせてもらおうかしらん?』

「おい」

『あらあら? せっかくあの場所まで案内してあげようかと思ったのに。道しるべはいらないのかしらん?』

「……くそっ」

『うふふん。いい子ねん』

 背中から緩く風が押してきた。

『さあさあ、行きなさい。風の行く先がアナタの目的地よん』


 暗がりでよくは見えないが、少し離れた所に道があるようだった。

 あの明かりに続く道だろう。

 風の流れに乗って歩く俺の足元に道はなく、草と石に足をとられて少し歩きにくいが、たぶんこちらの方が最短距離で明かりのあった場所まで行けるはずだ。

 体はまだ軽いけれど、いつ呪いが戻ってくるかわからない。急がなければ。

 しばらく歩くと木が増えてきて、真っすぐに歩けなくなってきた。

 だんだんに木々の密度は増してゆき、月明かりも徐々に弱まって、ほとんど前が見えなくなる。風の流れを頼りに手探りで進む。

 少しすると暗がりの向こう側に、ぼんやりと建築物の影が見えた。

 もうすぐだ。

 そう気が緩んだ瞬間、俺は木の根に足をとられ、転びそうになった。慌てて近くの木の幹に手を置いて転倒は避ける。深く息を吐き出し、改めて気を引きしめたその時、物音がした。

 押し殺したような声と、かさかさ草の揺れる音。

 誰かいる。

「……ぶだから……かに……」

 俺は気配を殺し、そっと辺りをうかがう。

「じっと……すぐ……から……」


 いた。木の幹を背にする小さい影と、それに覆いかぶさるようになっている大きい影。思いの外距離は近いが、まだどちらにも気づかれてはいない。

『あらあらん? ここってあの子の……』

 さあ、どちらに、どうやって乗り換えようかと思案していると、突然嫌な奴が声を出したものだから、ぎょっとする。止めろ、あいつらにバレちまうだろ。

 俺の焦りなんかおかまいなしの嫌な奴は、ふわりと浮かび上がった。

『ここまでくればもう大丈夫よねん? ワタシはちょっと席を外すけど、その間に死んじゃったらダメよん』

 普通の人間には嫌な奴の声はおろか、姿も、見えないし聞こえない。

 そんな当たり前なことをすっかり失念していた俺は、やらかしてしまった。

 思わず、声を出してしまったのだ。

「おい……」

 静かにしろ、と続けようとして、

「なっ、なんっ、誰っ……誰かいるのか!」

 激しく動揺した声が響いた。

 うっわ、バレたよ。ふざけんな。


 見ればすでに嫌な奴の姿はなく、今まで緩く吹いていた風も収まっている。

「……?」

 ぞわ、と腹の底からが湧き上がってきた。

 はあっという間に体中を巡り、唐突に強烈な痛みと吐き気が出てくる。一瞬、意識が飛びかけた。散らしていた呪いが戻ってきたんだ。

「……んなタイミングで……」

 コポリと血を吐く。

 体が鉛のように重くなって立っていられず、俺はその場に崩れた。

「うわあ! やっぱりいるのかっ⁉ 私は、ち、違うからな!」

 大きな影が、ばっと跳ね起きて走り去っていく。

 くそ、逃げられた。

 まずいぞ……逃げたあいつがここにいる他の人間に俺のことを伝えたりしたら、俺が他の人間を乗っ取るチャンスが……。

 残された小さな影は怯えた様子で縮こまっていて、動かない。

 そのまま動くなよ、と願いながら無理矢理体を起こし立ち上がるが、すぐに倒れてしまう。頼むからもう少しだけ動けよ。あと少しなんだ。すぐ目の前に……。


「誰かいるの? ねえ? 誰? サンなの?」

 大きな影が走り去った方角から、今度はどこか間の抜けた女の声がした。

 くそ、次から次へと……。

 人の足音が近づいて来て、驚いたような声を上げる。

「あらまあ、あなた、誰なの? どうしてこんなところに?」

 小さな影に、先ほどの大きな影より一回り小さい影が寄り添う。

「……あら、そこにも誰かいるの?」

 声の主が俺に気が付いた。ゆったりとした動作で近づいてきて、俺の姿を見るなりひっと短い悲鳴を上げる。

「大変だわ、誰か人を……」

「ま……待ってください……」

 チャンスはもう今しかないだろう。

 俺は力を振り絞って女を見上げ、その目を全力で覗き込む。

「ここはどこですか? あなたは……ああ、私はどうなってしまっているのでしょう?」

「ええ? ここは片田舎の村ですよお? 私はここで働いてる者だから、怪しい人ではないけれど、あなたは、その……あなた、喋っても平気なの? ひどい状態よ?」


 その瞳の奥に押し入るイメージで、困惑した様子の女の目をじっと見つめる。

 女は気が付いていないだろうが、ゆっくりと思考が鈍っていっているはずだ。

 とにかく俺の言葉にだけ集中するよう、女の目に強く念じる。

「ああ、体中が痛くてたまらない……」

「待ってて、今人を呼んで」

「ああ! なんて親切な方なんでしょう。あなたのお名前は?」

 強引ではあるが、相手の名前を掴めさえすれば、ほんの少しだけ支配できるはずだ。実践は初めてだがフラスコの中にいた時共有していた情報によれば、仲間が何回か実践して成功している。考える間もない短時間、しかも簡単なことしかコントロールできないが、今はとにかくそれだけで十分だ。

「ええ? 私はタピールといいますよお? とにかく、すぐに人を」

「タピール、待ちなさい」

 女の動きが止まった。

 そのぼんやりとした表情から、うまくいったことを確信する。

「タピール、私の手を握ってください」

「えっ……」

「タピール、私の手を握りなさい」

「……」

「タピール、手を握れ」

 女がしゃがみ込む。

 そして倒れている俺の手を取り、ぎゅっと握った。

 握手は古い契約の一種だ。

 うまくいく確証はなかったが、女に手を握られた瞬間、俺はさっきまで俺だった男を見下ろしていた。

「あっぶねえ……もう少しで死ぬところだったぜ……」

 女の声で呟くと、立ち上がって体を動かしてみる。

 少し……いや、だいぶ重いが、これは呪いのせいではなく、たんなるデブと運動不足による相乗効果か……。

 その場で女の情報を引き出してみる。

 すぐにでもこの体を使って首都へ……賢者の石として売られて行ったフラスコの中の小人を捜し出し、情報の出し合いをしたいところだったのだが、移動手段も賢者の石の捜索手段も乏しいし、急に姿をくらませるとこの体の主は捜される可能性が高い人間だとわかり、ひとまずは大人しくこの女の振りをすることに決めた。

 そういえば、もう一人この場に小さい奴がいたはずなんだが……。

 見れば、小さい影はなくなっている。

 まずいか? 今のが見られていたとして……。まあ、何が起こっているのかなんて、はたから見ていてわかるはずもないが。

「まあ、いいか」

 とにかく疲れていた。

 俺は新しく手に入れた体の情報に従い、別館のタピールの自室へ向い、休息をとった。



※※※



 ……そして、あの夜から三日経った今、俺は少女の手を握って困惑している。

 タピールに乗り移るのは簡単だった。なのに、この少女には、握手をしても移れない。少女は困惑する俺を心の底から不思議そうに見上げている。

 子どもだから、か? だから移れないのか?

『あららん? 手を握っただけで体を取り換えっこ出来るなんて、本気で思っていたの? 本当におかしな子!』

 頭の上で嫌な奴がクスクス笑う。

 うるさい黙れ、と心の中で念じるが、嫌な奴は黙らない。

『あれはねん、アナタが死にかけてたからできたんでしょう? 今、アナタ、死にかけてるのん?』

 うるさい黙れ何の話だそこんとこ詳しく言え、と心の中で念じてみたが、今度はクスクス笑うばかりで喋らない。くそ、からかわれてるんだな……。

 少女はもうすぐこの村を出る。

 こいつに乗り移ることが出来れば、少なくとも今よりは自由がきくのに。

 施設内の放送が入る。放送はレノの声で本館に来るよう少女に呼び掛けていた。少女の迎えが来たのだろう。時間切れ、ということか。

「……あらまあ、時間をもらっちゃってごめんなさい。さあ、いってらっしゃいな。元気でね?」

 俺はタピールになり切って、自室から少女を送り出す。

 少女は不思議そうに俺を見上げてから、ぺこりと一礼して部屋を出て行った。 

「……ん?」

 扉が閉まる直前、少女の横顔がチラとだけ見える。

 何を見ているのか、目が大きく見開かれて瞬間的に肩が上がり……扉が閉じた。

「なんだ?」

 なんとなく気になって、少女に続き部屋を出ようとしてみたが、がたんと何かにぶつかってドアが開かない。

「タピール、悪い。すぐにどくからちょっと待ってくれ」

 カバージョの声だ。

 どご、と鈍い音がして、カラカラと車輪が動かされる。

「ほら、もう開くぞ。悪いな、授業に使う道具を運んでいてたんだ」

 開くと、もう少女の姿はなかった。

 ドアを塞いでいたのはカバージョが運んでいる台車だったようで、布のかけられた大きな箱が乗っている。

「まあ、すごい荷物ねえ」

「ああ、まあな。じゃあ私はこれで」

 気にし過ぎか。

 自室に向かうカバージョを見送って、俺は部屋に引っ込んだ。


 だが、気にし過ぎではなかったことが、そのさらに二十分後にわかる。

 カバージョを後ろに従えたレノが鬼のような形相で、俺の……タピールの部屋の扉を叩いた。

「あなた、あの子がどこに行ったのか知らないかしら」

「あら、レノ、どうしたの? あの子ってあの子のこと? だったらもう……」

「あなたに一番懐いていたでしょう? なんで本館まで連れてこなかったの?」

「だって、一人で行けるかと……」

「来てない。どこに消えたのよ、今度は」

「さあ?」

「もう迎えが来ていて、待っているのよ? どうしてくれるの!」

「……そう、ねえ」

「あの子のためにみんな一生懸命やっているのよ。なのに、なんでやってもらっている本人が、こんなにわがままなのよ!」

 わめくレノを眺めながら、行きたくなくて隠れている、という可能性もあるんだろうなと考える。そもそも、あの少女がなんでこの村にいたのか、誰も知らないのだ。家出だった可能性だってあるわけだし。

「少し、そうねえ……一晩くらい、迎えの人には待ってもらってもいいんじゃない?」

 タピールの口を通した俺の提案に、レノが目を剥いた。

「迎えに来てくれた人も、ここまで長旅で疲れていることでしょう? 私たちで精いっぱい御もてなしして、ゆっくり体を休めてもらえば、迎えの人も感心するんじゃないかしら? ここの世話係はしっかりした人がそろっている、気の使い方が上手い、って。ね、どうかしら?」

 上目遣いにお伺いを立ててみると、レノの表情があからさまに緩んでいく。案外ちょろいな、こいつ。

「そう、そうよね、あんなにぼろぼろな旅人なんだもの。私たちくらいはしっかりもてなしてあげないと、かわいそうよね」

 そこまで言ってねえけどな、俺は。

 レノとは対照的に、カバージョの表情は苦々しいものになる。

「あの少女は、前にも消えたことがある。今度は出てこないんじゃないか?」

 消えた、という話は確かに俺も聞いた。孤児の内、女子全員が見たということだったが、目撃者が多くて逆に胡散臭い。魔法を使ったのではないか、という意見も出たが、喋れない少女から詳しい情報は引き出せず、結局うやむやにされている。

「さすがに、一晩あれば出てくるわよ。そんなことよりさっさと準備しなくちゃ。二人とも、行きましょう。まずは一泊してもらうための部屋の準備からかしら?」


 張り切るレノとは対照的に、俺とカバージョはそっと目を合わせてため息を吐く。

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