3 蠱毒な 

 〈レーヴ〉は血統を重視する。

 魔力の強さは遺伝するから。

 強い魔力は優秀な魔法使いの証だ。

 優秀な魔法使いは祝福された者の証。

 〈レーヴ〉は祝福された者でつくられた協会。

 だから〈レーヴ〉の偉い人たちは魔法使いだらけ。

 

 私の父も母も、とてもとても強い魔力を持つ魔法使いだった。

 生まれた私も、強い魔力を持っていた。しかも私には生まれつき特殊な目があった。


 小さいころから私は空間にある狭間が見えた。狭間、というより、空間にできたひっかき傷のようなもの。

 傷は放っておけば消える。

 深い傷は消えるまでに時間がかかり、浅い傷はあっという間に消えた。

 傷に手をかざすと、変な感じがする。それは、こう……ちょっとすうすうする感じ。

 傷を塞ぐように埋めるように触れると、傷の治りは速まって、逆に、傷を抉るように触れると、深くなって治りが遅くなった。

 多少の傷はどこにでもある。

 でも、傷の多いところはなんとなく場がギスギスしている感じがして長く居たくない。

 私は傷を見かけると、なるべく治すようにした。治りきらなくても、撫でるだけでずいぶんと違う。


 一度、ちょっと大きい傷を見つけ、治そうとしたことがある。

 街はずれにある人気のない小さな広間だった。

 傷にそっと手をかざし、治るよう力を込めて撫でてみるも、反応が悪い。私は両手で前のめりになって傷に触れた。

 するり、と辺りが真っ暗になる。なにが起こったのか一瞬わからなかったけれど、私は傷の中に入り込んでしまったようだった。慌てて傷から出た。

 人気がなかったのがよかったと思う。誰にも傷の中に入り込んだのを見られなかったから。なぜかわからないけれど、これは知られない方がいいことのような気がした。

 傷のある空間は澱んでいる感じがするのに、傷の中は少し、居心地がよかった。


 

 はじめ、両親は喜んだ。他に例を見ない私の傷を見る力を、祝福を授かったと言って。

 でも、〈レーヴ〉に祝福と認められなくて、がっかりした。これは祝福でもなんでもなく、ただの呪いだと言われた。

 魔法と呪いの違いは、実はそれほど明確なものではないみたい。

 父と母をがっかりさせ、悲しませ、怒らせ、そして二人から憎まれるようになっていった私の目について、きちんと知っておきたくて、字を覚えてからはたくさんの本を読んで調べた。

 答えはどこにもなかった。

 調べれば調べるほど、魔法や魔術、祝福や呪いそのものではなく、〈レーヴ〉という協会にとってその力が有用かどうか、協会にとって都合のいいものなのかどうか、という観点ばかりが重要視されている、ということしかわからなかった。

 私の目は、今までの〈レーヴ〉の歴史の中で、まったく類を見ないものだった。

 それは新しい可能性として受け入れられるものではなく、単に今までの体制を崩しかねない厄介なものでしかないみたい。〈レーヴ〉は新しいものなど求めていないのだ。

 そんなことがわかったところでどうしようもなかった。

 私はこの目のことはなるべく考えないようにして、魔法の勉強に力を入れるようにした。

 

 簡単な魔法なら、いくつか使える。

 寝付きにくい夜によく眠れるようになる魔法とか、ひゃっくりを止める魔法。ちょっとだけ運を良くする魔法とか、怪我の治りを良くする魔法。

 でもこれらは、〈レーヴ〉の人たちから見たら魔法ではなくてただのおまじないでしかない。父も母も、もっと大きな魔法が使えた。


 例えば、炎に形を与え、まるで生き物のように操ること。

 式典の時に炎から馬や鳥を飛び出させ、駆け回らせたり空を舞わせたりしてまた炎の中に飛び込ませるのを、他の見物客と一緒に見たことがある。

 とても迫力があって、神秘的で、すごかった。私も、他の人たちもすっかり圧倒されていて、そんなすごいことをしたのが私の親だということが誇りだった。

 ……だけど私にはそんな魔法使えない。

 大人になったら使えるようになるのだろうか? 炎の馬や鳥どころか、どんなに頑張ってみても、小さな火花一つ生み出すことさえもできないのに?

 まったく出来る気がしなかった。

 それは私だけでなく、私の両親や先生、同級生たちにとってもそうだった。

 せっかくの魔力がまるで無駄。呪い持ちは何をやってもだめ。

 言われるたびに、そんなことはない、まだなにか出来ることがあるはずだ、という気持ちと、その通りなのかもしれない、私には何もできず、ただ呪われているだけの忌むべき存在なのかもしれない、という気持ちがぶつかった。


 魔法を使うには大きく分けて三つの方法がある。

 一つは自分の持つ魔力のみで魔法を起こす方法。これは魔力の消費量が激しい上、あまり大したことはできない。

 一番魔法使いが使用する方法が詠唱によるもの。これは世界に満ちる妖精や精霊などの力を一時的に借りて魔法を使う。中には、特定のものと契約をする魔法使いもいる。一番一般的で、魔力の消費と魔法の規模のバランスがいい方法。

 そして魔法使いが最も嫌う方法が、術式を利用する方法。これは主に魔術師が使う方法で、少ない魔力で行うことが出来るが、そのぶん出来ることが少ない。準備をする手間も多く、魔術師ならともかく魔法使いでこの方法をとるのは、三流以下とみなされている。

 

 契約者を探している精霊がいる、と教えられたのは、魔法をあきらめ魔術に切り替えるべきかと悩み始めたころのことだった。

 魔法使いになるには強い魔力の他に、一種の才能が必要だった。でも私にはどうやらその才能がなさそうだと感じていた。才能あるものは十になるまでに何かしらの力を発揮する。なのに九つにもなった私は未だに何もできない。空間の傷を見る以外には。

 教えてくれたのは、あまり接点のない隣のクラスの子だった。

 おかしいな、とその時には思わなかった。

 必死過ぎて、そんなこと思っている余裕がなかった。

 意志を持つ妖精さえもなかなか見かけないこんな街中に、精霊なんかいるはずがないのに。

 

 教えられた場所はたくさんの傷がある場所で、あまり長居はしたくなかった。安定した場の傷はすぐ消えるけれど、傷は増えれば増えるほど、消えにくくなり、場が不安定になっていく。そうして、不安定な場所には、不安定なものが集まってくる。

 そこにいたのは精霊ではなくとても嫌な感じのする妖精だった。


 かまわない。精霊だろうと妖精だろうと。

 私は必死だった。どうしても魔法が使えるようになりたいこと、だから契約してほしい、出来ることなら何でもすると必死になって妖精にお願いした。

 いけないことだった。精霊相手にだってここまで下手に出るのは、とても危険なことだと、少しでも魔法に関する知識のある者ならみんな知っている。

 でも、危険なんて関係なかった。私にはもう、これしかないんだと思っていた。

 私の話を聞き終えた妖精は嗤った。

 本当に何でもするのかと。

 妖精が嗤うと空間の傷が増えた。

 私は答えなかった。

 嫌な気を放つ妖精と、あまりにも傷の増えすぎた空間に耐えられず、あれだけ熱弁を振るった後だったのに、怖くなって逃げてしまった。

 妖精は追いかけてきた。妖精の通った空間が次々に傷ついた。

 

 このままでは追いつかれる。

 とっさだった。

 生まれた傷に無理矢理両の手を突っ込む。

 ぐいっと左右に広げ、私はその中に飛び込んだ。

 飛び込む直前に、誰かの悲鳴を聞いた気がしたけれど、すぐに何も聞こえなくなり、辺りが真っ暗になる。

 傷の中にはしばらくいた。外の様子がわからないので、出るタイミングもわからない。いつまで待てば妖精がどこかへ行ってくれるのかもわからなかった。

 どれくらい時間が経ったのか、傷が小さく振動していることに気が付いた。

 傷が塞がり始めているんだ、と気が付き、慌てて外へ出る。


 外はすっかり暗くなっていた。

 辺りを見回してみるけれど、そこは妖精から逃げた場所ではなかった。

 私の家の庭だった。あの傷はきっと、庭の傷と細く繋がっていたのかもしれない。私は傷の細い道を知らぬ間に通り抜けたようだった。

 正面玄関は避け、裏からそっと室内に入る。

 父も母も、私がこんな時間まで帰っていなかったことには気が付かないだろう。私の力が祝福ではないとわかった数か月後に、父がどこからか私の弟を連れてきた。弟は父の遠い親戚の子どもで、非常に強い魔力と才能を持っていた。なんでも、生まれて間もないころに、小さな火花を起こして一人遊びをしていたという話だ。親戚の家は才能に恵まれた家系でも〈レーヴ〉と繋がりがある家でも、お金がある家でもなかった。だから子どもの才能を引き延ばすために養子にしたんだそうだ。

 

 二人とも弟に付きっきりで、私のことなど気にしてはいない。

 私は、居間から聞こえる両親と弟の楽しげで暖かな談笑を耳にしながら、そっと自室にこもった。


 十を過ぎても、相変わらず私には魔法の才能は現れなかった。

 私の周りにも何人か、そういう子はいた。でも、そういう子はみんな、才能を補うように親から使い魔を贈られていた。

 使い魔がいれば、とりあえずは魔力さえあれば魔法は使える。使い魔に命令すればいいだけだから。飼育され、お金で取引される使い魔はたいていおとなしい。こちらから命令しない限りはなにもしない。ただただ主人に付き従う。

 でも、私には使い魔はいない。呪い持ちに使い魔は勿体ないんだと父から言われた。

 魔法はもう、絶望的だった。

 魔術の勉強を少しずつ始めてみるが、魔術を行うための道具がない。

 私に使い魔は勿体ないけれど、魔道具を揃えるのは一家の恥だと言われた。

 魔法もだめ、魔術もだめ、じゃあ一体私はどうすればいいの?

 

 十二の誕生日にその答えをもらった。

 私は家を出され、〈レーヴ〉で奉公することになったのだ。

 もよりの〈レーヴ〉の教会で数日過ごしてから、あの屋敷に連れていかれた。

 屋敷では、今後の〈レーヴ〉の活動にかかわる大切な魔術がとり行われている、という話で、私はそこで魔術師様のお手伝いをするんだそうだ。


 今度こそ、間違わないようにしなければ。

 呪いを持ってしまい、魔法の才もない、こんな私を受け入れてくれたところなんだから。今度こそ、がっかりされて捨てられないようにしないと。

 屋敷の魔術師様は私を一目見て気に入ってくれた。

 とてもいい魔力を持っている、と。

 それから魔術師様は、ここで行われている魔術は、決して〈レーヴ〉のためだけに行われているのではなく、よりたくさんの人々を救うためのものなのだと教えてくれた。


 いわく、〈テオフラストゥス〉の生み出した道具の中には、人間の魂を利用したものがあるそうだ。

 人為的に人間の魂に魔力をたくさん蓄積させ、魔力をその人間の魂ごと取り出し、道具に装填する。そうすると、魔力のない人間でも、魔道具が使えるようになるらしい。

 だけど当然、魂を抜かれた人間は死ぬ。正しく死ぬことができていればまだいいが、道具に魂を使われている間、その人は最悪、中途半端に生かされ続けている状態になる。


 それはとても残酷なことで、人のしていい所業ではない。

 これはなんとしても、祝福を受けた〈レーヴ〉の人間が、どんな手段を使ってでも、止めなくてはならない。


 わかるかい、と魔術師様は言った。

 呪いを持った君が、祝福を以てして世界を正すんだ。こんなに素晴らしいことはない。

 魔術師様は優しく微笑んでいた。

 そしてその微笑みのまま、私をあの部屋に入れた。


 


 あの部屋には私以外にもたくさんの人や獣がいた。

 部屋の中はありえないほどの傷に溢れていて、すぐに気持ち悪くなる。これだけの傷があるのに、たった一枚のドアを隔てた廊下には、ほとんど傷がなかった。

 なにかがおかしい、と思ったのと、それが始まったのはほぼ同時だったと思う。

 近くにいた人が大声を出して倒れた。

 何かが飛び散って私の服に、顔に、たくさん当たる。温かくてぬるりとしたそれがなんなのか、知りたくないと思った。

 何人かの人と大きな獣が倒れたその人にすがりつき、牙や爪を喰い込ませ、貪り食い始めた。肉が、臓物が、音を立てる。

 

 私はとっさに今入ってきた扉に向かった。でも、扉はなかった。いくら探しても、扉はなくなっていた。そんな魔術は知らない。……こんな呪いなら知っている。蠱毒こどくという呪いの儀式。一つの空間に複数の生き物を閉じ込めて共喰いさせ、生き残ったものを使って行う呪い。

 でもきっとこれは魔術だ。扉を消して部屋の中に閉じ込める魔術。閉じ込めた生き物を狂わせて喰い合いをさせる魔術。……呪い、ではなくてこれは魔術だ。だって〈レーヴ〉が公認しているのだから。


 私は大声で出してと言った。助けて、ここから出してと。

 呼びかけに答えてくれたのは、部屋の中にいる獣だった。声に反応して、飛び掛かってくる。

 気づけばもう半数以上の人や獣が肉塊になっていた。

 怖くて頭がパンクしそうだった。

 

 私は傷の中に逃げ込んだ。

 獣も人も、血のニオイも、悲鳴も、傷の中にまでは追いかけてこなかった。


 私は逃げた。

 〈レーヴ〉から。魔術師から。あの部屋から。私の最後の居場所から。

 妖精から逃げた時のように、違う場所から出たかったけれど、魔術で閉じられた部屋の傷が外と繋がっているとは思えない。

 それでも私は、少しでもあの部屋から、あの屋敷から離れられるよう祈って、狭い傷の中を無理矢理突き進んだ。


 傷が震え始め、小さくなってくるのがわかっても、なかなか出る決心が出来ず、最後には傷から押し出され、外へ追い出された。

 


 そこは森だった。

 屋敷も部屋もない。血も悲鳴もない。

 静かな静かな暗い森の中。


 さわさわと揺れる葉の向こう側に、たくさんの星が見えた。

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