1幕 プローヴァト村

1 プローヴァト村の長閑な一日

 プローヴァト村で最も早く動き出すのはレノだった。

 彼女は朝日が昇るよりも先に起き出して、暗がりの中で素早く身支度を済ませる。その慣れた動きには一切無駄がなく、身支度を終えると流れるようにカーテンを滑らし窓を開け放った。ふわりと、ゆるやかに外気が室内に入る。眠りの時間から目覚めの時間へと切り替わる、朝の新鮮な空気が部屋に広がっていった。

 澄み切った空気を胸いっぱいに吸い込んで、レノはよしと気合を入れる。

 空はまだ暗いが、雲はない。今日もきっといい天気になるだろう。

 共同台所へ行き、薬缶を火にかける。

 湯が沸きお茶の準備が整うころに同僚のカバージョとタピールが台所に入ってきた。互いに朝のあいさつを交わし合い、共に朝のお茶の時間を過ごす。

 一日の仕事が始まる前の、このささやかなひと時がレノは好きだった。


 日が昇ると同時に仕事が始まる。

 まずは隣の本館で眠っている子供たちをたたき起こさなければならない。

 これがなかなか骨の折れる作業で、眠たがって起きようとしない子をどうにかこうにか無理矢理起こし、顔を洗わせて着替えをさせる。朝日は待ってはくれないので、てきぱきと行わなければまらない。

 子供たち全員がそろったところで、レノとカバージョが引率して村の周囲を囲む森の中を散歩させる。朝の日の光と森にはいい魔力が沢山こもっているらしいので、子供たちには欠かすことのできない大切な日課だ。

 

 散歩から戻れば、次は朝食の時間。

 本館の台所でタピールが料理の準備をしてくれているから、それを食堂まで運び、全員そろって食事をする。

 今日という一日をまた、〈テオフラストゥス〉という大きな大きな組合のおかげで何事もなく始められるのだと感謝の言葉を捧げてから、朝食が始まる。

 子供たちの旺盛な食欲を横目に、レノたちは子供たちに支給されているものとは別の軽いメニューをさっと胃袋に詰め込んだ。


 食事の時間を終えれば、次は村全体の朝礼の時間。

 といっても、プローヴァト村の人口は子供たちを入れても二十一人しかいない。そのうち大人は十一人。

 村長と副長二人、村人五人、子供たちの世話係であるレノ、ガバージョ、タピールの三人で、総勢十一人。

 こんな田舎も田舎、森の中のこの村が、それでも余裕をもってやっていけているのはひとえに〈テオフラストゥス〉のおかげだと、レノは考えている。


 〈テオフラストゥス〉は魔術よりもさらに扱いやすい科学という分野を活用して、魔術から生まれた魔道具よりも実用に適した、魔力を一切使わない道具を提供してくれる組合だ。そこでうまれた利益の一部を慈善活動に使っているため、〈テオフラストゥス〉に救われたという人も多い。

 廃村になりかけていたプローヴァト村も、そんな〈テオフラストゥス〉の慈善活に救われたものの一つだった。

 街からはもちろん、一つ隣の村からも遠く離れ、商人どころか物好きな旅人さえやってこない。豊かな森のおかげでぎりぎり自給自足は出来ていたが、田舎に嫌気がさした若者たちは次々と村を去り、年寄りばかりが数人、ひっそりと身を寄せ合うこの村に、〈テオフラストゥス〉は孤児院をつくることを条件にして衣食住に関する物資を無料で提供しているのだ。

 孤児とはいえ、子供が放つ活気は馬鹿にできない。

 寂れた村に活気と物資の両方を取り入れられたのだから、この村からしてみれば至れり尽くせり、といったところなのではないかと、レノは見ていた。


 朝礼では村長が穏やかな口調で、毎日同じ内容の村のおとぎ話を語る。

 子供たちだけではなく村人たちも退屈を隠さず、中には堂々とあくびをしたり座り込んで小声で談笑する者までいるのだが、村長は気にせずのんびりとプローヴァト村にまつわるおとぎ話を繰り返す。


 いわく、この村の最初の村長は、魔法を使うことができたそうだ。

 それも非常に優秀で、何十人という数の魔法使いが集まらなければできないような魔法を、たった一人で使えたらしい。

 最初の村長はこの森に満ちる魔力をたいそう気に入り、この場所を終の棲家にすることを決めた。魔術で造った泥人形に小さな小屋を建てさせ、しばらくは人に煩わされることなく魔法や魔術の研究に没頭する毎日を送っていた。

 しかしどこで噂を聞きつけてきたのか、優秀な魔法使いのもとへ教えを乞いに魔法使いや魔術師たちがやってくるようになる。

 日に日にやってくる者は増えてゆき、やがてみんなこの森に住みついてしまった。

 これがこの村の始まりだ。


 この村最初の村長となった魔法使いは、たくさんの人間が集まってしまったことで、いつの間にかこの森の魔力がすっかり澱んでしまったことに気づき、ひどく悲しんだ。

 そこである夜、大掛かりな浄化の魔法をとり行った。おかげで森の澱みは一晩のうちに消え失せたが、たくさんの人間がこの場に留まり続ければ、またすぐに森の魔力は澱んでしまう。

 最初の村長は最初の村人たちに言った。もしここに留まり続けたいのであれば、毎日朝と夜に必ずこの石に触れ、魔力を清めよ、と。

 その石には、触れただけで魔法使いや魔術師たちの魔力を清め、森の魔力を澱ませるのを防ぐ効果があった。

 最初の村長がその石にどんな魔法や魔術をかけたのかは誰にもわからなかったけれど、石のおかげでその後、森が澱むことはなくなったという――。


 長い長い朝礼の時間が終われば、次は本館の教室で子供たちに勉学を教える時間。

 こんな辺鄙な場所ではあるが、子供たちの今後を考えればしっかりとした教育は必須だ。

「レノさん、魔法使いって結局なんなんですか?」

 子供の一人、7番のコルデーロが質問する。

「それはこの前も教えたでしょう? 誰か、答えられる子はいるかしら?」

 レノが呼びかけると、10番のアルディージャが自信なさげに挙手して、答えた。

「えぇと、魔法使いは魔法が使える人のこと、だったんじゃなかったっけ」

「正解。アルディージャ、ありがとう。では、魔法と魔術、それから錬金術……じゃなかった、今は錬金術じゃなくって科学っていうんだったわね。これらの違いについて説明できる子はいる?」

 錬金術を科学と呼び変え、その呼び名を流行らせたのは〈テオフラストゥス〉だった。錬金術か科学、このどちらかを専門にしている探究者や研究者からすれば、二つは全くの別物なのだろう。少し知識のある者ならば、錬金術は真理の探究が目的、科学は現象の再現性の発見が目的、なんて分けて考えることもあるかもしれないが、一般的な認識ではどちらも同じようなもので、単に錬金術は古い呼び方、科学が今の呼び方、くらいの感覚しかない。


「魔法や魔術は魔力がいるけど、科学はいらないんでしょー?」

 4番のブーロが言い、3番のポーニが続けた。

「魔法を使うには強い魔力とそれを扱うだけの才能が必要で、雨を降らせたり突風を起こしたり、主に自然に干渉するものが多いです。

 魔術は部屋の明かりを灯したり物の強度を上げたりするなど、魔道具を使ったものが多く、ゴーレムを造るなど難解なものでない限りは魔力のある人ならたいてい使うことができます。

 でも科学を利用するのには魔力も才能もいりません。少しの知識さえあれば誰でも扱うことができます」

 その通り、とレノは頷く。

「例えば、街からここまで、いつも物を届けてくれるおじさんがいるでしょう? あのおじさんが乗っている乗り物は車といって、科学から生まれたもの。車を作るのに魔力は全く使わないし、操縦法さえ学べば魔力を持たない者でも扱えるわ。

 朝礼で村長さんがお話ししてくれたおとぎ話に出てくる泥人形……ゴーレムは魔術だけど造るのにはそれなりの魔力と才能が必要だし、作り主にしか扱えない。森を浄化する魔法なんて、魔力と才能を持った魔法使いの中でも、扱えるのはきっとほんの一握りだけよ」

 だったら、と7番のコルデーロが首をかしげる。

「魔力を浄化する石は? あれは魔法ですか? 触っただけで魔力が浄化される道具なら、きっと魔道具だから、魔術? ……それとも実は科学だったり?」


 レノも首をかしげて思案してみる。

 魔力を浄化する石なんてものはこの村に存在しない。

 孤児院を建てる際、〈テオフラストゥス〉がしっかりこの土地の調査をしたので確実だ。おとぎ話はどこまでいってもただのおとぎ話にすぎないということだろう。

「そうねぇ、どうかしら。なにしろ、おとぎ話に出てくるものだから……」

 都市部ならいざ知らず、そんな大層な物がこんな辺鄙なところにあったのなら、それはもう神秘の産物としか言いようがなさそうなところだけれども……。

 レノが思考の沼に沈みかけた時、外で車のクラクションが鳴らされた。

 数日おきに物資を届けに来ている定期便が到着したのだ。

「さあ、勉学はここまで。みんなで協力して届いた物を村へ運びましょう」


 子供たちと一緒に物資を村に配って回り、本館に戻ればいつもより少しばかり遅れて昼食の時間になる。にぎやかな食事の時間を過ごし、食事が終えれば、今度は子供たちも世話係も昼休みの時間。

 外で元気に遊びまわる子供たちのかん高い声を聞きながら、世話係三人は別館で、やっと一日の半分が終わったとため息を吐く。

 タピールが淹れてくれたお昼のお茶を飲みながら、他愛のない話をしたり、本を読んだり、散歩をしたり、子供たち同様世話係も思い思いのことをして、午後に向けて鋭気を養う。

 

 昼休みが終われば、次はカバージョが子供たちに運動をさせる時間だ。

 森で木登りをさせたり、本館にある運動用の広間を使って球技をさせてみたり、子供たちが飽きないように工夫を凝らし、その日その日で様々な運動に取り組んでいる。

 運動のバリエーションと運動量、体力や筋力だけは、大きな町や都市の子供たちにも唯一負けないのではないだろうかと、レノも他の世話係も自負していた。


 カバージョが子供たちに運動をさせている間、レノとタピールはおやつの準備をする。くたくたに疲れた子供たちに、消費した分のカロリーをとらせるため、せっせと子供たち用に支給されたパンケーキの材料を混ぜる。人数分のパンケーキが焼けたら、皿にのせて食堂のテーブルに並べていった。

「私はねえ、前々から気になっていたことがあるのよ」

 タピールがほかほかのパンケーキを眺めながら言う。

「なんで私たちと子供たちの食事メニュー違うのかしらって。だって、ねえ? 一緒にした方が作る手間も減るし、食料の調達も楽なんじゃないかしら?」

 レノは世話係用に支給されているパンケーキの材料を混ぜ合わせながら答える。

「私たちと育ち盛りの子供たちとじゃ、必要な栄養が違うんじゃないかしら?」

「でも、村人の食事メニューは子供たちのものと一緒でしょう? 老人と子供の必要な栄養が一緒っておかしいんじゃないのかしら?」

「うーん、確かにそれはそうねぇ……」

「私はね、思うのよ。私たちの食事って質素すぎるんじゃないかって。だからね、私たちも同じ食事に……」

 タピールがレノに要望を伝えきる前に、部屋に入ってきた子供たちのにぎやかな声が食堂に飛び込んできた。

 なーなー、今日のおやつなにー? わー、いい匂い! よっしゃーパンケーキだあー! おいしそう!

 おやつの前に手を洗えー!

 カバージョの声がして、元気よく返事をする子供たちの声。

 なんとなく二人の会話はうやむやに終了してしまった。


 おやつの後は夕食の時間まで子供たちは自由時間。

 世話係はこの時間を使って今後の子供たちの世話について計画を立てたり、準備をしたり、日誌をまとめたり、それぞれの仕事をする。

 まとまった時間がとれるのは一日の内でこの時間だけだから、三人とも集中して黙々と作業を行った。


 夕食後は風呂の時間があり、あっという間に就寝の時間だ。

 就寝時間が早いのは、朝が早いからその分早い、という理由もあったが、どちらかというと明かりを節約するためだった。

 子供たちを本館で寝かしつけた後、世話係は別館の割り当てられた部屋に戻る。

 布団に入ると一日の疲れがどっと押し寄せてきた。

 レノは布団の中で、明日もいい天気であればいい、と思う。

 昨日も今日も、きっと明日も、代わり映えのない日々ではあるけれど、そんな毎日を彼女はなかなか気に入っていた。

 明日もいい天気であればいい。

 そう願いながら、穏やかに眠りに落ちていく。



 プローヴァト村の夜はこうして更けていった。

 翌朝に研究者の装いをした男の死体と、身元不明の少女が現れるまでの、長閑で平和な一日が終わる。


 

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