2 プローヴァト村とテオフラストゥスの研究者
血まみれの少女が見つかったのは早朝のことだった。
男の死体のそばでぼんやりしているのを、孤児の世話のため村に派遣されている若い女が見つけた。女の名前は確かレノといったか。いつも自信と使命感に満ち、鬱陶しいくらい生気に溢れている彼女だが、さすがに血まみれの少女と死体を目にした直後では、自信も使命感もあったものではないようだ。口元を押さえ青い顔をして震えている。
村はずれの森に横たわる男の死体と、その側で座り込み虚ろな目をした少女は、控えめにいって悲惨な状態だった。見ただけでこと切れていることがわかる男は、血に染まった白衣を着ている。
ただの根無し草の旅人だったなら、村でさっさと埋葬できたものを……。
この場には、早朝から叩き起こされた村長、副長のラータとラタン、発見者のレノ、それにレノにつきそう世話係のタピールの五人が、死体と少女を遠巻きに見て動かない。
朝日はとっくに昇っていたが、今日の子供たちの散歩は中止だろう。この流れだと朝礼も中止か。
渋い顔をするばかりで何もしようとはしない村長を横目に、副長のラータは、同じく副長であり妹でもあるラトンと額を合わせて相談をしていた。
「ラトン、困ったな」
「ラータ、困ったわね」
双子の副長が、まるで鏡合わせのように同じタイミングで天を仰ぐ。
「あの死体、いったい何者なんだ、ラトン?」
「一緒にいる女の子の親かしら、ラータ?」
まるで芝居のように互いの名を呼び合いながら交互に喋る双子に、レノが眉をひそめた。
「研究者が身一つでこんな森の中へ子ども引き連れて来て、一晩でいきなり無残に死んだっていうのか、ラトン?」
「研究者かどうかはまだわからないわよ、ラータ?」
「ああ、まずはその確認からしなくてはならないな、ラトン」
「ええ、本当に七面倒だけど仕方ないわね、ラータ」
やれやれといったふうに、ラータとラトンは男の死体と少女に近づく。
少女は近づく二人をぼんやりと見つめるが、警戒する様子はない。
「やあ、はじめまして?」
ラータが少女に軽くあいさつをして、
「ちょっとこっちへ、いらっしゃい?」
ラトンが少女に手を差し伸べる。
「……」
少女はぼんやりと二人を見比べるが、それだけだ。
ラータにあいさつを返すでもなく、ラトンの手を取るわけでもなく、ただぼんやりと座り込んでいる。
「その人は、君のお父さんなのかな?」
「……」
「お父さんのことは私たちに任せてくれないかしら? 悪いようにはしないから」
「……」
「さあ、君はこちらへ」
「……」
「お腹すいたでしょう? なにか温かいものでも用意するわ。さあ、こっちへ」
「……」
ラータは頭を抱えたい気持ちで考える。
この少女は一晩この死体と過ごしたのだろう。だとしたら憔悴しきっているとしても仕方のないことだが……。
「ラトン、困ったな」
「ラータ、困ったわね」
双子の副長が、まるで鏡合わせのように同じタイミングで盛大にため息を吐く。
子どもの扱い方などまるでわからない。まして、こんな特殊な環境下に置かれた子どもの扱いなど……。
普段から子供たちと接触のある孤児院の世話係ならどうかと視線を投げるが、レノはそれどころではないし、恰幅のいいおばさんのタピールはそんなレノに付きっきり。世話係唯一の男であるカバージョに至っては、この場にいない。おおかた、本館と呼ばれる子供の住む建物で、散歩に代わるレクリエーションでもしているんだろう。
仕方がない。
あまり子どもの前で死体あさりなんてやりたくはないが、これも仕事だ。男の身元を確認しなくてはならない。
ラータは少女の隣に膝をつき、男に手を伸ばす。
「これ、触るでないぞ!」
これまでずっと沈黙を通してきた村長が、唐突に大声を出した。
驚いて振り返ると、村長は身振り手振りで戻って来いと指示してくる。
「見てわからんか! その男、呪い殺されておるのだぞ。万が一にも、呪いが移らんとも限らんじゃろう!」
呪いなど見てわかるものではないし移るものなのかも知らないが、とにかく村長の様子は尋常じゃない。
ラータはラトンと共に、遠巻きにしている村長の側へ戻った。
「余計な事はせず、連中に処理させるしかあるまい。連絡して早急に死体と子どもを引き取ってもらうのじゃ。それまでは村人も、孤児院の者も、みな外出はさせるな」
いいな、と目で尋ねられて、双子の副長は同時に頷き行動に出る。
ラータは〈テオフラストゥス〉の連中に連絡を取るため、申し訳程度に建てられている村の集会場へ向かった。〈テオフラストゥス〉から支給されている電話は集会場と孤児院の二か所にあるが、孤児院の電話はあくまでも世話係が業務で使用するものだ。村の用事で使用するのであれば、集会場の電話を使うのが筋というものだろう。
それにしても、白衣を着た死体が出た、というだけで連中がまともに動くのだろうか? 〈テオフラストゥス〉所属だとわかるものを何かしら確認しておきたかったのだが、それは村長に止められてしまった。呪いを受けている死体に触れれば、呪いが移るかもしれない、などという時代遅れな理由で。
「呪いか……。呪い、ねぇ……」
原理は基本的に糸電話と同じらしいが、何をどうやって長距離の通信を可能にしているのかは皆目見当もつかない支給品の電話を手に、ラータは一つ舌打ちをする。
さては村長、なにか知っているな。
この村は、すでに村などと呼べるようなものではない。
村長はいるがほぼお飾りで、〈テオフラストゥス〉の指示通りに動く傀儡だ。資金や物資の支援を受けている、などただの建前で、実質、このプローヴァト村には自治など存在しない。ただただ連中の慈善活動の宣伝に使われているだけだった。
買収された村が自由に出来ることなどほとんどない。何をするにも出資元のご意向というやつを確認しなければならず、それをするのがラータの役割だった。
なにか、もめごとでもあったのだろう。そこで研究者が一人邪魔になり、殺された。だが施設内で死なれても困るから、人目のつかないこの森に連れて来てから殺すことにして、その連絡を村長が受けた……。
死体を調べさせなかったのは、死んだ研究者が勝手に調べられては困るようなものでも持っていたか……。
ラータが二度目の舌打ちをする前に、電話が〈テオフラストゥス〉につながる。頭の中で組み立てた推理はひとまず横へ置き、ラータは自分でも卑屈で軽薄に聞こえる声で先方に説明を始める。
一方ラタンはレノとタピールに、死体の処理が終わるまで子供たちと一緒に館内で待機するよう指示を出すと、たった五人しかいない村人の家々を回る。
森で死体と身元不明の子どもが出たことと事態が収まるまでは外出禁止になったことを伝えれば、村人の反応はおおむね悪く、特にハバリーという男は掴みかからんばかりの勢いでラタンに詰め寄ってきた。
いつ出禁は解かれるのか、死体とは何事か、子どもなど腐るほどあの建物の中にいるのだから、どうせその内の一人なんだろう、あいつらの不手際でなぜ俺たちが閉じ込められなきゃならんのだ!
その足らない頭でようく考えてみてはどうなの? と思ってはみても口には出さない。張りつけた笑顔で、相手が満足するまで壊れた蓄音機のように申し訳ないを繰り返す。
村人全員に話し終えると、ラタンは再び男の死体と少女のいる森へ戻った。
村長に次の指示を仰がなければならない。まだ森にいるかどうかわからなかったが、果たして村長はいた。レノとかいう若い世話係と何かもめているようだ。
ラタンは親指の爪を噛む。これ以上余計な仕事を増やすな、と先ほどのハバリーのように詰め寄ってなじることが出来たらどんなにスッキリすることだろう。
相手が〈テオフラストゥス〉の者でなければ、実際そうしていたかもしれない。
「どうかされたんですか?」
おろおろと成り行きを見守っていたタピールが、ほっとしたようにこちらを見た。その表情を見てまた爪を噛みそうになるが、堪える。
「副長さん、私はね、止めたんですよ? でも、レノはほら、とっても情に厚くって、ダメだって聞かないのよね」
「……レノさんは、何をダメだと仰ってるんです?」
「そうなのよ、レノは、子どものことになると、こう、融通が利かないっていうか」
さっさと本題を話せ、と喉元まで言葉が出かかって、無理矢理飲み込む。
「あの死体の側にいた女の子を本館に連れて行くって聞かないのよ。でもあの子、動かないじゃない? それで……」
「なるほどわかりました、ではあなたは先にお戻りください」
なぜレノという世話係は、こんな状況でそんな発想になるのか。
研究機関でもある〈テオフラストゥス〉が集めた孤児と研究者の子どもを一緒になどしたら、後から連中に何をされるかわかったものじゃない。
ラタンはまだなにか言いたそうなタピールは無視して、今度は村長とレノへ声をかけた。
「穏やかじゃありませんね。何か問題でもありましたか?」
少し強引だが、村長とレノの間に体を割り込ませる。
「副長さん、あなたからも村長さんに言ってください」
まだショックから立ち直っていないのだろう、レノは青ざめた顔のまま、それでもしっかりとラタンの目を見て話した。
「あの子はまだあんなに小さい子供です。こんなところに居させてはいけません。子供を安全で安心できる場所へ連れて行ってあげるのは、大人としての最低限の責任です。ほかの子供もたくさんいる本館なら、あの子の緊張も少しはほぐれるはずですので、どうかあの子供を連れて行かせてください」
「それはならん」
背後で村長の声がする。
レノの表情が強張った。
「なぜです?」
「あんな状態の子を見ては、他の子供たちがショックを受けるじゃろうに。あの子だって、いきなりたくさんの子供たちに囲まれたりしたら余計にストレスなんじゃないのかね」
「だから、そんなことは実際やってみなければわからないし、そうだったとしてもこんなところに居るよりもずっとましに決まっているでしょう!」
「だがあの子はここから動こうとせん。骸とはいえ父親から離れたくないというなら、無理に引き離すことは……」
「こんなところであんな小さな子供を、死体と二人きりにさせるおつもりですか!」
「そうは言っとらんじゃろう」
「じゃあなんで連れて行ってはいけないのですか」
「本館に連れていく以外にも、あの子のために出来ることがあるじゃろうて……」
レノがラタンを見つめる。
ほら、あなたからも、と目で訴えてくる。
うんざりした気持ちになりながら、話題の中心の少女に目を向ければ、彼女はじっとこちらを見つめていた。ラタンはおや、と思う。
その目には、先ほどまでの虚ろさはない。なにか不思議なものでも見るような、それが何なのか考えるような、そんな知性の光がともっている。
少女は一体何を見ているのか。
私、ではない、とラタンは確認する。わずかだが目線がズレているから、私ではない。では村長かレノか……いや、違うか。もう少し遠くを見ているような……。
「あのう、ちょっといいかしら?」
少女の瞳が揺れた。
声に反応したのだ。
ラタンが振り返ると、そこにいたのはタピールだった。
「あら、ごめんなさい。お取込み中なのはわかっているのよ。でもね、」
「タピールさん、あの女の子のことをお願いできませんか?」
要領を得ない長話に付き合っている暇はない。単刀直入に切り込むと、なぜかレノがむっとした顔をする。
「ええ、私ですか? 私はね、構わないけれど。ねえぇ、そこのあなた、こんなおばちゃんと一緒にいるの、嫌じゃなあい? こんなおばちゃんでもよければ、一緒にホットミルクとクッキーでお茶でもしましょうよ? どうかしら……?」
じっとタピールを見つめていた少女が、何か言いたそうに口を動かし、しかし何も言わずにこくんと頷いた。
「そおう? よかったわ、じゃあおいで?」
タピールが言って手を差し出すと、少女は自分の足で立ち上がり、その手めがけて駆け出した。
「呪いは大丈夫なの?」
ぞっとするほど低い声で、レノが誰にともなく言う。
視線はタピールの元へ駆け寄る少女に張り付いているが、別に少女に声をかけたわけではないだろう。
「……呪いは、その」
村長が、恐る恐るといったふうに言い、なぜか自信なさげに辺りをキョロキョロとし始めた。
タピールは少女の手を握りながら、少し不安そうにこちらを見る。
「あの死体、呪われてるんですよね? ずっと死体と一緒にいたんだから、子供にも移ってるんじゃないのかしら?」
レノがイライラとまくし立てる。そんなレノに対し、村長はどこか上の空だ。
「いいんですか、村長さん? このままじゃみんな呪われるんじゃないんですか?」
呪いに関しては確かに気になるところではあるけれど、とラタンは内心首をかしげる。あれだけ少女の保護のために村長に食って掛かってきたレノが、なぜこのタイミングでこんな態度に打って出るのか。
「……心配はいらん。呪いは……その、ないわけでもないのかもしれんが、男のものとはまた別物? なんだそうじゃから……その……」
レノが怪訝そうにする。
村長は困り切ったように小声でぶつぶつと何事かを呟くと、ふっと肩を落とし、何事かをあきらめたような様子で声を絞り出した。
「いや……大丈夫じゃ。その子に死体の呪いは移っとらん」
安心したようにタピールの表情が緩む。
少女がそんなタピールを不思議そうに見上げ、さっきからずっと少女に厳しい視線を投げかけているレノのことを、正面から見返した。
レノはさっと目をそらす。
「……でも、本館に連れて行ったら他の子供たちがショックを受けるんじゃありませんか?」
「ああ、それなら気にしないでちょうだい。私たち別館に行くから。ホットミルクもクッキーも別館でいただくわ、ね?」
最後の、ね? は少女に向けて、のんびりとした口調でタピールが言う。
レノが小さく舌打ちをした。
え、とラトンが思った時にはもう、レノはこの場にいる全員に背を向け、さっさと一人で本館の方へ歩いて行ってしまう。
そよりと風が吹いた。
『ニンゲンって、本当におバカさん』
甲高く、どこか甘ったるい声が風に乗って聞こえてきた気がするが、ラタンが辺りを見回しても声の主は見当たらない。
村長が小声で、まったくだと呟いた。
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