2 賢者の石
賢者の石ビジネスはうまくいっている。
しかし、いくら売り上げがうなぎ上りだと言っても、この辺りが引き際だった。タイミングを間違え、いつまでも未練たらしくしがみつけば、必ず悪い結果が付いてくる。
今のアンプレッセがいい例だろう。ちょっとホムンクルスの制作に成功したからといって、その成功にしがみつき、私に盾突くとは。奴がホムンクルス化しなかった失敗作と話をしているのを見た、という噂があった。もしやとは思っていたが、やはり、あいつは私が失敗作を横流ししていることに気付いていたようだ。でなければ、あんなに強気に私に異議を唱えるなど、できるはずがない。
今頃、自らの愚かな行動がどんな結果を招いてしまったのか気が付いて、後悔していることだろう。頭を下げ、私の手駒になるというなら助けてやらないこともないが、はて、アンプレッセは小人の保管庫に入ったまま一向に出てこない。
何をしているのか、まさか保管庫を死に場所に決めたのか?
だとしたら哀れだな。日の当たらない地下で不良品たちに見守られながら死ぬことを選ぶなど、一体どんな神経をしているんだ。
死ぬなら死ぬで、一向にかまわない。
賢者の石の劣化商品販売は全てアンプレッセがしたことにして、奴の魂に蓄えられた魔力を有効活用させてもらうだけだ。
アンプレッセは優秀な研究者だった。
学生時代から突拍子もないこと言って周囲を困惑させていたようだが、成績は悪くなく、〈テオフラストゥス〉に来てからも、フラスコの中の小人をホムンクルス化することにかなりの確率で成功していた。
だが、研究者として優秀なだけでは、〈テオフラストゥス〉の中での評価を上げることはできない。評価の低い研究者など、いくらでも替えがきく。
ドロールはアンプレッセの動向に目を光らせながら、昨日の実験成果レポートと明日の実験申請、各チームの予算編成などの書類が山積みになったデスクで、のんびりと紅茶を啜る。
補佐室は完全に個室で、いつ何をしようとも、誰にも見咎められることはない。日々の仕事さえしっかりこなしていれば、なんの問題もなかった。
仕事は簡単で、持ち込まれる書類にいちいち目を通す必要などない。後で判だけ押せば、誰も文句などないのだから。
だがそんなルーチンなど今はどうでもよかった。
アンプレッセだ。
三杯目の紅茶を淹れた所で、アンプレッセが保管庫から出てくるのを監視装置が見つけた。やっと悔い改める気になったか。呪いがアンプレッセを殺すまでの時間を考えれば、もうぎりぎりだ。助かりたいならせいぜい急ぐことだな。
監視装置がアンプレッセの動向を逐一音声で伝えてくる。
アンプレッセはエレベーターに乗った。
アンプレッセは同僚と言葉を交わした。
アンプレッセは廊下を歩いている。
アンプレッセは棟の外へ出た。
アンプレッセは棟の周りを歩いている。
何をしているんだ、あいつは?
ドロールはだんだんとイライラしてくる。思った通りに事が運ばないのは非常にストレスだった。
なぜ私の元に来ない?
なぜ疑似庭をうろうろしている?
何がしたいんだ、アンプレッセは。
しかし、不可解なことはここで終わらない。
アンプレッセが消失した。
アンプレッセが施設内からいなくなった。
アンプレッセはいない。
アンプレッセはいない。
アンプレッセはいない。
「そんなわけないだろう!」
思わず監視装置を怒鳴りつける。
これだから安物は困るのだ。すぐにバグを起こす。だからといって、あまり高額なものに変えることはできない。万一施設内に設置した監視装置が所長や副所長に見つかってしまった時、金のない下っ端研究者に責任を負わせることが出来なくなってしまうから。
……だがまあ、いいだろう。
アンプレッセは私の元に来なかった。じきに魔力の蓄えられた魂を残して死ぬだろう。奴の死体が見つかるのを、私はここでのんびりと紅茶を飲みながら待っていればいい。
馬鹿で哀れな奴だ。研究ばかりではなく、もっとリッシュのように上手く生きる術を身につけていればよかったのに。
ドロールはリッシュを呼びつけると、アンプレッセに罪をかぶせるための情報操作や証拠の捏造を指示し、自身は山になった書類の押印作業に取り掛かった。
しかし、アンプレッセは本当にいなくなっていた。
すぐに誰かが見つけて大騒ぎし出すだろうと思っていたのに、ドロールが今日の分のルーチンを終えるころになってもアンプレッセの死体は発見されない。仕方なく部下を使って施設内をくまなく探さてみせたが、それでも見つからない。
どうゆうことだ?
奴はまだ生きてるのか? 生きて、どこかに隠れているのか、あるいは……誰かが奴に協力している?
ドロールはすぐさまリッシュを呼びつけた。
「死体は見つかったか、リッシュ?」
「いえ、まだ見つかっては……今、全力で探しているところでして……」
呼び出しに応じてやって来たリッシュは、神妙な顔をしている。死体探しになんの成果も上がっていないから、ドロールと顔を合わせるのが気まずいのだろう。
「時間がかかっているな」
「は……申し訳ありません」
「それより、リッシュ。奴が誰かに匿われている可能性はないか?」
「……アンプレッセに手を貸している者がいる、ということでしょうか?」
「その可能性もあるだろう、と言っているのだ。どうなんだ?」
「は……それは、その……」
「すぐに調べろ」
「はっ」
「もし怪しい奴がいたら、そいつのよく利用する研究室や部屋を調べ上げろ。アンプレッセの死体が隠されているかもしれん」
「はっ」
「よし、行け」
リッシュは深々と頭を下げ、補佐室を出て行った。
「……まったく、余計な手間をとらせやがって」
ドロールは深々と椅子にもたれ込み、天井を仰いだ。
ここまですれば、さすがに見つけられるだろう。
大きなあくびを一つする。今日は疲れた。もう休もう。明日になれば、全て解決しているのだろうから。
しかし、ここでもまた、思った通りに事は運ばなかった。
翌日、報告を持ってきたリッシュは明らかに困惑した様子で、言動もはっきりとしない。おかげでドロールのイライラがつのった。
「なんだ、どうしたんだ」
「はっ、実はアンプレッセの死体が見つかったのですが……」
「おお、いいじゃないか。奴はどこで見つかった? 協力者の部屋か?」
「いえ、奴に手を貸しそうな者は何人かいましたが、どこからも怪しいものは見つかりませんでした。死に際の奴に手を貸した者はいなかったようです」
「ほう? では、アンプレッセはどこで見つかったんだ?」
「それが……プローヴァト村の森のはずれ、と連絡がありまして……」
「……は? なんだそれは?」
施設の外ではないか。
一体なぜ、そんなところから?
「プローヴァト村は、我が組合の所有する孤児施設のある村でして」
「そんなことは聞いていない。なぜそんなところから死体が出た?」
「さあ……それはわたくしにもさっぱりでして……」
煮え切らないリッシュの態度に、思わず舌打ちが出る。
なんなんだ、一体アンプレッセは何がしたいんだ。
「それでその、報告によると死体と共に……」
「まあいい。それで? 死体はどうした?」
「え? えーっと、今はまだ村に。何人かが引き取りに向かったところですが……」
「……向かった人間の中に私かお前の部下はいるのか?」
「いえ、それは、その……」
「どうなんだ?」
「……おりません」
「馬鹿者! お前は今まで一体なにをしていた!」
縮こまって謝るリッシュを無視して、ドロールはすぐに連絡を入れる。私が直接引き取りに行くので、死体の回収は待つように、と。
「……魂の状態を見れば、死にかけてから契約していた呪いが発動したのか、呪いが発動したせいで死んだのか、すぐにわかってしまう。そのくらいのこともお前は考えられなかったのか?」
「……申し訳ありません」
「もういい。私は死体の回収に行ってくる」
「あ、あの……」
「なんだ、まだ何かあるのか?」
「はい、実は一つ問題が……」
「知らん。お前がどうにか解決しておけ」
「……はっ」
深々と頭を下げるリッシュを置いて、ドロールは部下に指示して車を出させる。
プローヴァト村といえば、確か、驚くほど豊富に魔力の満ちる森がある村だったか。反比例するように村人の魔力は枯渇していたため、孤児院設立の時、少々もめた。魔力を限界まで子供の魂に蓄えさせるのに、あの森は理想的だったが、その森に住む住民があれでは、上の連中が警戒するのも無理はない。調べてみても別段おかしなものはなにも出てこなかったため、実験的に少人数を送り、子供の魂へ蓄積される魔力の経過を見ているところだったか。
アンプレッセは死に際何を考えていた? なぜそんな森を死に場所に選んだ? そもそも、どうやってこの施設から出たんだ?
……考えてもわからないことはわからない。
特に、研究ばかりしているような研究者の考えなど、理解できるわけがないのだ。
ドロールは頭を切り替えた。
魂の回収だ。それさえ済めば、あとはどうにでもなる。
しかし、ここでもまたまた、思った通りに事は運ばなかった。
「なんなんだ、これは……」
村に置かれたアンプレッセの死体を前に、ドロールはうなった。死体から魂が綺麗に無くなっていたのだ。
「誰が勝手にこれに触ったんだ! からっぽじゃないか!」
「いえ、私たちが来た時には既にこうなっていました」
「なんだとっ!」
答えた人物を睨みつけてやったが、そいつは無表情にじっとドロールを見返すだけだ。どうやら嘘ではないらしい。
通常、死ねば魂も消える。消えた魂が完全に消失するのか、はたまた輪廻の輪に戻るため別次元に飛ぶのか、もしくはもっと別の何かが起こるのか、それはわかっていないが、少なくとも体からは抜けて消えてしまう。後に残るのは、魂があったということがかろうじてわかる程度の魂の片鱗だけ。
だが、魂の提出の契約書を交わした人間はそうならない。
生命の持続が不可能になった時点で、魂の硬化が始まるからだ。魂の持つエネルギーが中心に向かって寄せ集まり、外側に膜がうまれ、次第にその膜が固まっていく。魔力を少しも外へ逃がさないため。
なのに、今、アンプレッセの体には魂が残っていなかった。
魂の片鱗が見当たらないところから、確実に魂の硬化は確実に起こっていたはずなのに。
「どうゆうことなんだ……くそがっ!」
ドロールは腹立ちまぎれにアンプレッセの死体を蹴り飛ばした。何度も、何度も、蹴り飛ばし、踏みつけ、罵り、唾を吐く。誰もドロールの行動に対して、何も言わない。所長補佐に対して苦言を呈せる者など、この場にはいなかった。
しばらくドロールの罵声と死体を蹴る音のみが小さな村に響く。
「……もういい。持っていけ」
最後に一蹴りして、ドロールは肩で息をしながら言った。
数人の研究者がさっと死体を回収する。
「くそ……とんだ無駄足だった」
吐き捨てるように言うと、ドロールは荒々しい足取りで車に戻った。
「畜生……あのクソ野郎が、面倒ごと全部押し付けやがって……」
リッシュは部下の報告を聞き流しながら集めた資料を睨みつけていた。
「報告します。E班に子どものいる者は二人、いずれの子どもも行方不明ではないとのことです」
「ああそうだろうな、ごくろうさん」
アンプレッセの死体が施設の外にあった、というだけでも大問題なのに、奴の魂はすでに無くなっていた。おまけに身元のわからないガキが一人、アンプレッセの側にいたそうだ。だからどうした。なんでそんなことまで調べなけりゃならんのだ。これでもオレは、研究者なんだぞ?
職務怠慢な虎に代わって指示し、部下に調べさせた報告は今のE班のもので全てだ。施設内に子どもが行方不明になった奴はいない。アンプレッセにも子どもはいない。村の周辺に他の村も街もない。アンプレッセの死体の側にいたのなら、おそらくアンプレッセがどこからか連れてきた子どもなんだろうが……。
まさか……いや、まさかそんなことがあるわけがない。共通項は喋れないことだけだ。これで魔法の一つや二つ使ったというのならまだしも。
いや、しかし……。
リッシュの頭の中で、様々な報告が浮かび、勝手につながり合う。
「まさか、あのガキは小人なんじゃ……」
いや、まさか、そんな……まさか、な……。
頭を振る。
一応、自分も研究者の端くれだ。そんな非科学的なこと……。
いや、だが、だったらあの小人は一体どこへ行ったというんだ? 保管庫で割れたフラスコが見つかったが、中身の小人は見つかっていない。
「いや、まさか……」
死期を悟ったアンプレッセが、フラスコの中の小人に自分の魂をくれてやったんじゃ……そしてフラスコから出てきた小人が村で見つかったガキなんじゃ……。
「いや、でもサイズがおかしいだろ……」
しかし、アンプレッセはもともと魔法使いなんだ。ゴーレムなんていう人形もあるくらいだし、人間っぽい体を作り出すのなんかお手のものなんじゃ……。
「……まあ、なんにせよ、だ。いつも通り、訳のわからないことは無かったことにすれば解決するさ」
手元の資料を眺めながらリッシュは顔をしかめる。
また余計な出費だ。
金さえ積めばなんでもこなす流れ者のリストにらめっこをしながら、リッシュは飛んでいく金のことを想ってうめいた。
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