3 フラスコの中の小人
雇った流れ者から金額の上乗せを要求する連絡を受け、リッシュは困惑した。ただのガキだと聞いていたのに話が違う、と言うのだ。
流れ者の話によると、ガキの名前はテネル・フランマ・アーリー。称号持ちの立派なお家柄のお嬢様らしい。なんでそんなことがわかるんだと尋ねてみると、この話はそこそこ有名で、ちょっと〈レーヴ〉に詳しい者ならば誰でも知っていることなんだとか言いやがる。ガキは今どき珍しい呪い持ちらしい。
リッシュは正直、胸をなでおろした。そうか、あのガキは小人とは無関係だったか。どうしてそんなガキがアンプレッセと共にいたのかは知らないが、どうせろくな理由じゃないだろう。詮索するだけ無駄だ。アンプレッセと関りがあった、というだけで十分なかったことにする必要があるというもの。
金額の上乗せの話には乗ってやった。どうせ請求される金額などたかが知れている。うまいこと解決さえしてくれるのなら、多少の出費は目をつむろう。ガキが小人でないと教えてくれた礼のつもりもあった。
報酬の交渉も無事済んで、では今夜実行すると流れ者が言う。
リッシュはすっかりすべてが解決した気になって、始末が終わった報告と報酬の受け渡しについての連絡が来るのをのんきに待っていた。だが、実行すると流れ者の言った日の翌朝になって、プローヴァト村から再び連絡が入った。ガキが一人で戻ってきた、と。
リッシュは慌てて確認を取ろうとするも、流れ者とは連絡が取れず、行方も知れない。
どうなってやがる?
呪い持ちについてリッシュは詳しく知らない。魔法使いとは縁もゆかりもない人間だったからだ。でも、とリッシュは考える。でも、呪い持ちってのは、要は魔法使いの成り損ない、落ちこぼれってことだろ? 十代そこそこの落ちこぼれの女のガキに、あの流れ者が返り討ちにでもあったっていうのか?
……それとも、まさか。
賢者の石や劣化商品に対する苦情はすでにあちこちから出ていた。
やれ、不老不死になると聞いていたのに、夫に薬を飲ませたら死んでしまっただの、やれ、真理を掴んでいるなんてとんでもない、ただのいたずら好きな質の悪い妖精じゃないかだの。
中でも興味深かったのが、妙薬を飲んだ人間たちの性格が変わった、まじない程度の魔法が使えるようになった、本人が知るはずもないようなことをいつの間にか知っている、などの症例だ。
研究の協力を要請すると、最初はほとんどの賢者の石の服用者に断られる。しかし、金を積み、かなり強引な説得をすれば、たいていの服用者は協力要請に応じてくれた。
それによると、賢者の石の服用者には絶えず声が聞こえるようになるらしい。はじめは朧気で何を言っているのかわからない。しかし時間経過とともに、声ははっきりとしてきて、すぐ耳元で話しかけられているような気さえしてくるほどになる。気が狂ってしまう者も相当数いたが、順応した者も多かった。
声はおそらくフラスコの中の小人のものだろう、という推測の元、気の狂ってしまった服用者を治療の名目で集め、様々な実験を行った。
その結果、推測が正しかったことがわかる。魔法使いの研究者の一人が、服用者に取りついた小人を発見したからだ。もともとフラスコから出たら生きてはいけないような弱い存在の小人は、人間の体内で、自らの体を放棄していた。そうして、小人は原形をとどめない姿になり、人間の魂の中に入り込んでかろうじて死を免れていたのだ。
身元のわからないガキには身元があった。が、それがガキと小人が無関係である証拠だと、どうして言える?
アンプレッセの死体には魂がなかった。
ガキはいなくなった小人同様、喋れない。村からの報告によると魔法とみられる現象を起こしたらしいし、オレが送り込んだ流れ者もどうにかしてしまった。
ホムンクルスやフラスコの中の小人にはまだまだ分からないことが多い。
だから、断言はできない。
小人と関りがあるともないとも。
……気になるなら、調べればいいんだ。
これでもオレは、研究者なんだから。
リッシュの家は魔法使いの家系でもなければ富豪でもない、ごくごく普通の貧乏な暮らしを強いられる平民の家だった。
〈レーヴ〉の仰々しい教会を見上げ、偉そうな魔法使い共と決して目が合ってしまわないように俯き、きつい肉体労働に従事する。
リッシュは父親の顔は知らない。彼にいるのは体の弱い母親一人だけ。
稼ぎのほとんどは母親の薬代で消えた。
働いても働いても、どんどん金は右から左へ消えていく。
魔法使いがつけているあの小さな耳飾り一つ分の金でもあれば、母親の薬をもっと値の張るいい薬に変えても、数年はのんびり暮らせるってのに。
貧乏仲間の一人が一度、魔法使いのハンカチを盗んだことがある。盗んだ、というより、魔法使いがうっかり落としたものを拾って自分のものにした。
たったそれだけで、そいつは溺死させられた。街の広場に引きずって行かれ、そこでたくさんの観衆の目に触れられながら。魔法使いはあの時なんて言っていたか……確か、魔法でどれくらいの水を生み出し、どれくらい持続させられるか試してみる、なんて言っていた。自分のハンカチを持っていた奴を、魔法というよくわからないもので作った水の中に放り込んで、そいつは自分の魔法によってもがき苦しみ死んでいく人間の様子を楽しそうに眺めていた。
不可解なものは嫌いだ。
リッシュは思う。
魔法なんてものも、そんなものを後生大事にしている偉そうな奴らも、嫌いだと。
ただ、金ははっきりとしていてわかりやすい。
金持ちが偉い、というのはなんとなく理屈が通るような気がした。なにせ金さえあれば何でもできる。だから偉い。単純明快でわかりやすいではないか。
リッシュは、魔法使いだからあいつらは偉いんじゃなくて、金持ちだから偉いんだと思うようにした。魔法なんていう得体のしれない、わけのわからないものが重宝されるのも、ただたんにそこに金のにおいがするからだと。
母親が死んだ後もリッシュはずっと貧乏暮らしだった。
母親が死んだときには薬代が無くなって少しは楽になるかとも思ったリッシュだったが、すっかり気が抜けてしまって、働く気が起きない。リッシュは朝から晩まで酒を飲んで過ごした。
〈テオフラストゥス〉の話は、そんな時に耳に入った。
難しい話はよくわからないが、要は魔法をぶっ潰す集まり、ということなのだろう、と判断したリッシュは酒をすっぱり止め、なんでもすると頼み込んで組合に入れてもらった。
正直、科学なんてものは未だによくわからない。ただ、魔法と違って、そこにはきちんと理論立てて説明できる何かがあった。少なくとも、あってもなくてもいいようなハンカチ一つで公開私刑を行うような、不可解なものはどこにもなかった。
多少の勉強はしたが、それよりも、ここでもやっぱり力をふるうのは金だった。リッシュはない頭をフル回転させ、あれやこれやと金策に奔走した。そのために何人もの研究者を踏みつけてきたし、そこそこ汚い仕事もした。
おかげで今では、D棟施設でリッシュ以上に金を持っている奴はいない。所長でさえ、リッシュよりも貧乏だろう。
はっきりとわかりやすいものが好きだ。だから金は好きだ。
だが、不可解なものは嫌いだ。
科学、といいつつ、フラスコの中の小人についてはわからないことの方が多い。魔法を彷彿させる不可解さがある小人は不快だった。
村で見つかったガキは金持ちの子どものくせに不可解さしかない。魔法使いの家の子どもというのも気に入らないし、呪い持ちというのも、ただの出来損ないのことなんだろうが言葉の響きが気味悪い。
要は不可解の塊だ。おまけに科学なのに不可解なフラスコの中の小人と関係があるかもしれないのだから、本当に不快だ。存在自体が、不快。
だから、調べる。調べて、不可解が解ければそれでいい。解けなければその時は……。
部下を何人か連れてプローヴァト村へ向かう。
金さえあれば外出許可も簡単に下りる。部下も手に入る。不可解もすぐ消せる。リッシュは考える。オレはオレの持つ当然の権利を行使しているだけだと。
誰にも文句なんか言わせない。
部下に連絡を入れさせていたにも関わらず、村に着くと小太りな女が対応に出てきただけで、ガキの姿は見当たらなかった。
「連絡したはずですよ。子どもはどこです? あの子どもには少々厄介なものが寄生している可能性があります。こちらで検査しますので、速やかに連れてきなさい」
部下が強い口調で命令するも、女は動かない。
「あら、それは大変ねえ。でも、ちょっと、その……ねえ?」
女は困惑した様子でリッシュとリッシュの部下を見る。子ども一人に大げさな、とでも言いたいのか?
「寄生って……とても物騒でしょう? それって他の人にも移ったりするものなのかしら、なんて気になるのだけれど、ねえ? 私は、大丈夫なのかしら?」
女の言葉に、笑いたくなる。魔法も迷信も流行り病も科学も一緒にする貧乏な田舎者は、不可解なものが多すぎて苦労するのだろう。
「いいえ、移るものでは」
「それはわからないなあ。なにせそれも合わせてこれから調べるんだから」
部下が答えるのを遮って、オレは親切に教えてやる。女はますます困惑した顔になった。
「ええ、そうなんですかあ? 私は、寄生、なんてむつかしい言葉はよくわからないんだけれど……寄生されるとどうなるのか、わかります?」
「さあねえ、なにせまだサンプルの数が少なすぎるからなあ。まあ、たいていの人間は寄生されると気が狂っちまうみたいだが」
女がぎょっとした顔をするのを期待していた。
そうはならなかった。
ほっとしたように笑ったのだ。
「あら、それならよかったわ。だって、あの子どもは気が狂った様子じゃないんだもの。寄生されてないってことね?」
女が真っすぐにオレの目を見て言ってのける。
気に入らない。
「そうは言ってない。小人に取りつかれても上手く順応する奴もいるんだよ。素人はすっこんでろ」
「……小人?」
女がようやくぎょっとした顔をした。
いい気味だ。
「子どもの確保、完了しました」
女はハッとして声の方を振り返る。
奥の建物の裏から、部下が二人、目と口を布で塞いだガキを両脇から抱えて出てきた。小人は眼力で催眠をかけてくるらしいし、魔法使いは言葉で魔法を使うらしい。つまり、目と口を塞いでおけば、下手なことをされる心配はなくなるというわけだ。
「おー、ごくろうさん。じゃあ、戻……」
「ちょっと待てよ。あれはさすがにやりすぎなんじゃねえのか?」
女が言って、腕を掴んでくる。
なんだこいつ、口調がさっきまでと全然違うじゃねえか。
「うるせえんだよ。触んな」
適当に腕を振り回すと、女の顔に肘が入った。女はうめいてしゃがみ込み、うずくまる。気が収まらないリッシュは、そこへ蹴りを入れてやった。女が地べたを這いずる。
「研究者様に盾突いてんじゃねえよ」
女はうめきながら、ゆっくりと顔を上げた。鼻血まみれになった顔で、リッシュを睨みつけている。
「なんだよ? やるか?」
「……なにが研究者様、だよ。同族に対してもこんなことしてるなんて……ただの屑じゃねえか」
「なんだと?」
女はリッシュを睨み続ける。
「……ふんっ。上等じゃねえか」
リッシュはニヤニヤと嗤い、女の胸倉を掴んで無理矢理立たせた。
顔に一発ぶち込んでやるつもりで腕を振り上げたが、振り上げたまま、なぜか腕が動かない。
「……?」
ふと見ると、部下が捕まえたはずのガキが足元にいて、じっとリッシュのことを見ていた。
「なんでガキが……おい、しっかり捕まえておけよ!」
怒鳴りつけるが、誰からも返事がない。
返事どころか、どこにも部下の姿が見当たらなかった。
「どこへ行って……あん?」
振り上げたまま固まった腕が、軽く引かれた。
後ろを向くが誰もいない。が、腕は軽く引かれ続ける。……よくよく見れば、引かれているはずの腕が、消えていた。
「な……」
全体重をかけて、腕を前へ引っ張る。
しかし腕はびくともしないし、消失は肩のあたりまで伸びてきた。
「なんなんだよ、これは!」
感情の抜け落ちたような目をした気色の悪いガキが、オレを見上げている。
よく見ると口元が動いていて、何かを言おうとしているようだ。
「なんだよ、何言ってんだよ、こっち見んなよ、気色悪りい!」
オレの言葉に、ガキの表情が動いた。さっと染まったその表情は、怒りだ。
ガキは、何もない空間に両の手を差し込むようなしぐさをして、その手を左右それぞれに、開いた。
刹那、ものすごい力で吸い上げられる。
リッシュの脳裏に、街の広場に引きずって行かれていくハンカチを盗った奴の姿が浮かんだ。
得体のしれない何かに抵抗しようと必死にもがくが、あっという間に上も下もわからなくなり、そして、闇が……。
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