4 小人と少女の脱走劇

 豪快に野菜を切っていく。

 切った根野菜は水を張った鍋へと投入する。葉のものは鍋の水が沸いてから入れるため、脇に置いてある。スープにするつもりなのだが、火はまだだろうか。

 ちらりと見れば、テネルはかまどの前でおっかなびっくり火打石を構えている。

 怯えるテネルを落ち着かせ、ひとまず食事の準備をすることにしたのだが、レノから渡された火打石を興味深そうに眺めていたから、やってみるかと渡してみたのだ。 

 なぜか知らないが、さっきから嫌な奴が、何かを期待するようにテネルの周りを飛び回っている。

『ねえねえ、はやくやってごらんなさいな』

 ―――う、うん。

『ほらほら、はやくはやく!』

 急かされたテネルが不器用に石を打ち付ける。

 たった一回、しかもかまどから少し離れた位置で打ったにもかかわらず、ぼうっと音が立ってかまどに火が付いた。

 嫌な奴が歓声を上げてかまどの周りを飛び回る。非常にうるさい。

「……今、何が起こったんだ?」

 心なし嬉しそうな顔をするテネルに尋ねると、さらりと答えが返ってきた。

 ―――えと、たぶん、シルフィードが火花をかまどの中まで運んで、大きな火にしたんだと思う。

「すげえな……」

 ―――うん、シルフィード、すごい。

「……」

 見ただけでそんなことがわかるテネルがすげえ、と言いたかったのだが、伝わらなかった。時々起こることだが、この伝わらない、というのがどうにも座りが悪い。フラスコにいた時にはこんなこと、そうそう起こらなかった。

 だからといってわざわざ言い直さなくてはいけないほどのことでもないし、嫌な奴がすごいというのも、まあその通りなのだから否定する必要はない、と思う。

 人間のコミュニケーションは難しい。口に出さないと伝わらないし、言いたいことを言っても、うまく伝わらないこともあるだなんて。


 パンとスープの簡単な食事を終えて、テネルの部屋で改めて今後について考える。

 俺一人ならやりようもありそうだが、子ども一人連れて首都まで行くとなると話が全く変わってくる。嫌な奴が言うおもしろそうの一言でできることじゃないし、もし本当に二人で助かる道を模索するなら、急がないとマズイだろう。なにせテネルは〈テオフラストゥス〉が用意した人間を一人消している。

 ……というか、むしろこいつ一人を村から遠くに離すだけならなんとでもなるんじゃないか? よくはわからないが、テネルは傷とやらを使って移動ができるのだから。

 しかし、そのあとは? 子ども一人で、行く当てもない。いや、俺自身も正直なところ、行く当てがあるわけではないが。


 もんもんと考えていると、ノックの音の後にタピールの名を呼ぶレノの声がした。

「よかったわね、タピールさん。もうすぐテオフラストゥスから、あの子のお迎えが来るみたいよ」

 ドアを開けると、レノが挨拶も抜きに直球で言いたいことを言ってくる。相変わらずいい笑顔だ。

「……あら、もう来るのね?」

 そうか、このタイミングで来るのか……。

 レノは本当に嬉しそうに、これで本来の仕事に戻れるわね、じゃあ支度を済ましていつでも出られるようにさせておいてちょうだい、私は本館にいるから何かあったら呼んでね、と言いたいことだけまくし立て、さっさと行ってしまう。

「……テネル、今の聞いていただろ?」

 部屋に視線を向けると、嫌な奴を頭に乗せたテネルが、青い顔で俺を見ていた。

 ―――私、殺されるの?

「わからんが、その可能性は高いんじゃないのか?」

 ―――私……私は……。

「嫌なら逃げりゃいいだろ。お前一人なら傷とやらで遠くまで行けるんじゃないのか?」

 ―――逃げる……。パラケルススは?

「俺は俺で考える。今はお前だ、テネル。もう時間がない」

 ―――……どこに行けばいいか、わからない。

「そんなこと俺だって知らねえよ。どこか行きたいところはないのか?」

 ―――行きたいところ……。あの、居たい場所なら、あるんだけど……。

「そうか。じゃあそこへ行け」

 ―――私、パラケルススたちと、一緒に居たい……。

「……それは、無理だ」

 遠くから車の音近づいてくる。

 おそらくテオフラストゥスの迎えが来たんだろう。

「俺が少し足止めする。その間にさっさと行け。じゃなきゃもう、どうなっても知らねえぞ」

 ふと、利用もできない、厄介の塊のような人間の子どもに対して、俺はなぜここまでしているんだ、と疑問がわく。

 足止めなどせず、さっさと引き渡してしまえばいい。そうすれば、悩みの種が一つ減るというのに。






 ―――ま、待って……。

 私は慌てて言ったけれど、パラケルススはドアを乱暴に閉じて行ってしまった。

 どうしよう。パラケルススたちと離れたくない。行きたいところもない。でも、死にたくもない。

『ニンゲンっておバカさんね』

 頭の上でシルフィードがクスクス笑う。

『小人さんと一緒にいたいなら、いればいいのよ』

 ―――でも、そしたら私、殺され……。

『だからん、今は離れるのよん。小人さんはここから動かないんだから、今は遠くに隠れて、またこっそりここに来ればいいんじゃなあい?』

 ―――あっ、そ、そっか……。

『隠れる場所はどこでもいいのよねん? さっきの水たまりなんかどうかしらん?』

 ―――う、うん。

 車の音が大きくなってきて、すぐ近くまで来てぴたりと止んだ。

 急がなきゃ。パラケルススが何とかしてくれている間に。

 さっき使った傷はもう塞がってしまっている。部屋の中を見回してみたけれど、湖まで繋がっている傷はなさそうだ。

『窓から外に出て、水たまりまで繋がっているものを探しましょう?』

 ―――うん。 

 私は窓に近づき、大きく開いた。

 椅子を持ってきて足場にして、窓枠から体を乗り出す。ふと、視線を感じて下を見ると、窓の外に隠れるようにしてしゃがみ込んでいる人がいる。目が合った瞬間、その人がニヤリと笑った。

「どこへ行く気だ?」

 ―――あっ……。

 見つかった。見つかってしまった。

 慌てて部屋に引き返そうとしたけれど、窓から無理矢理外へ引きずり出されてしまう。それでもなんとか逃げようと暴れたら、お腹を蹴られた。

「おとなしくしてろよ」

 ―――痛い、怖い、やだ、はなせ!

 いつの間にか、人が二人に増えている。

 一人が私を押さえつけながら、手ぬぐいのようなものを私の口と目の上に巻き付けてきた。何も見えなくなる。

 ―――いやだ、イヤダ、ヤダ、ヤダ、ヤメテ!

『アナタたち、いい加減にしなさいな!』

 シルフィードの声と共に、突風が起こった。私を押さえつけている人たちの動きが止まるけれど、私は大人二人の拘束から抜け出せない。

「なんだこいつ」

「野良の妖精か。邪魔するな!」

 なにが起こったのかわからない。

 私を押さえる一人が、なにかぶつぶつと呟いたかと思ったら、シルフィードの悲鳴が聞こえて、風が止んでしまった。

 ―――シルフィード? どうしたの? シルフィード!

 左右から腕を掴まれ、強引に立たされた。

 引きずられるようにしてどこかへ連れていかれる。

 ―――やだ、やだ、シルフィード? やだ、シルフィード、助けて!


「子どもの確保、完了しました」

 私を引っ張って行こうとする人が、誰かに向かって言った。

 少し離れた所から声が返ってくる。

「おー、ごくろうさん。じゃあ、戻……」

「ちょっと待てよ。あれはさすがにやりすぎなんじゃねえのか?」

 知らない誰かの声につっかかるように、パラケルススの声がする。

 ―――パラケルスス! パラケルスス、助けて! シルフィードが……。

「うるせえんだよ。触んな」

 鈍い音が、した。パラケルススのうめく声がする。続いてまた、音。人が倒れるような音。

「研究者様に盾突いてんじゃねえよ」

 頭を強く振ると、目を覆う布が少しずれた。

 血まみれの顔で倒れるパラケルススの姿が目に入る。

 血まみれの、血の、血が、血、赤い、アカ、タクサンノアカガ、アノヘヤデ……。

「なんだよ? やるか?」

「……なにが研究者様、だよ。同族に対してもこんなことしてるなんて……ただの屑じゃねえか」

「なんだと?」


 ―――いやだ、イヤダ、モウイヤダ。


 腕を掴まれていて動けないけれど、それでも指は自由に動かせた。

 私は指で、近くにある傷を抉る。強く、深く抉る。

 あの、目つきの怖い人の時とは違う。あの時は怖くて、とっさに逃げるために傷を開いた。

 でも、今は違う。

 私は私が何をしているのか明確に理解した上でやっている。


 ―――どうして、いつもいつも、こんな……こんなの……。


 傷を抉る、抉る、抉る。

 やがて傷口は悲鳴を上げてぱっくりと開く。

 開いた傷口は、音もなく人を吸い込む。私を拘束している人を、音もなく。


 ―――……ねえ、私、そんなにダメだった? こんなことされるくらい、こんな思いさせられるくらい、私、そんなに、ダメだったのかな? 


 私の声は届かない。

 自由になった両手で、顔に巻かれた布をむしり取って捨てる。

 パラケルススと対峙している人の隣で、ニヤニヤ嗤っている人がいた。側まで行って、近くの傷を開く。嗤っている人は嗤ったまま傷の中に消える。

 私に背を向けてパラケルススを見下ろす人は、すぐ隣で、人が傷に吸い込まれたのに全然気が付いていない。

 

 ―――ねえ、私たち、あなたたちに対してそんなに悪いこと、したの?


 シルフィードは人じゃない。私にとっては頼もしい精霊さんだけれど、人によってはいたずら好きな厄介者だったのかもしれない。

 パラケルススは私を二回も助けてくれた。でも、人を一人食べた。さらに別の人の体を勝手に乗っ取り操っている。

 私は呪い持ちだ。そのせいで一家の中に落ちこぼれを抱えさせてしまい、家族に迷惑をかけた。せっかく迎え入れてくれた〈レーヴ〉の役にも立てず、逃げ出してしまった。しかも今、〈レーヴ〉から祝福されないこの力を使って、人を消してしまった。あの旅人もあわせれば、四人も人を、傷に吸い込んでしまった。


 ……でも、それと今この人がしていることは、どう関係あるの?


「……ふんっ。上等じゃねえか」

 私に背を向ける人は、パラケルススの胸倉を掴んで、無理矢理立たせる。

 腕を振り上げたから、腕のあたりの傷だけを、狭く深く抉った。傷が腕を捕まえる。


 ―――ねえ、謝って。シルフィードに、パラケルススに、私に。


「……?」

 きょとんとした顔をして、不思議そうにその人は私のことを見る。


 ―――ねえ、謝ってよ。こんなひどいことして、悪かったって、謝って。


「なんでガキが……おい、しっかり捕まえておけよ!」

 その人はいつもそうしているんだろう、大声を出して辺りを見回し、ようやく自分以外みんないなくなったことに気づいたみたい。

 

 ―――ごめんなさい。ひどいことをするあなたの仲間は、私が、みんな傷の中に消しちゃったの。


「どこへ行って……あん?」

 その人は自分の腕を見ている。


 ―――そんなものは後でいいから、パラケルススを見て、私を見て、あなたがしたことをちゃんと見て。反省して。嘘でもいいから謝って。そして二度と私たちに関わらないで。お願いだから、それ以上のことはあなたに何も望まないから。


「な……」

 その人は自分の腕が消えていくのに焦っている。それは焦るだろう。誰だって、当然のようにあったものが突然消えてしまったら。

「なんなんだよ、これは!」


 ―――そんなことは今、どうでもいいの。ねえ、シルフィードもパラケルススも私も、あなたにこんなことされるようなこと、してない。だから、謝って。

 

 その人が私を見た。目が合った。その人が目を見開く。

「なんだよ、何言ってんだよ、こっち見んなよ、気色悪りい!」

「……」

 


 いっそ笑ってしまいたかった。

 私の声は、想いは、いつだってどこにも届かない。

 話しかけるな、見るな、なにも主張するな、存在するな。そんな空気に押しつぶされて、うつむいて、目をつむり、耳を覆って口を閉ざす。いつもいつも。私に出来るのは、いつだって、それだけ。

 こんな馬鹿みたいな自分を、自分で、笑い飛ばすことができたなら。そしたらきっと、楽になれるのに。

 でも、私には笑い飛ばすことができなかった。後から後から静かに湧きだす怒りを、自分でもどうすることが出来なかった。

 私は傷に深く深く手を抉り込む。

 そして、感情の赴くまま、力いっぱい大きく開いた。


 刹那、ものすごい力でその人が吸い上げられて傷の中に消える。


 ―――……え?


 その人だけじゃない。ほんの一瞬だけだけど、なにかの影がものすごい勢いで傷の中に吸い込まれていくのが見えた。

 人と何かを吸い込んだ傷口は、さらに広がり、広がり、村全体を飲み込まんとするかのように広がり続ける。森がざわめいた。

 傷の吸う力に引っ張られ、タピールの体がふわりと浮かぶ。

 私は慌てて彼女の体にしがみつく。

 ―――パラケルスス! パラケ……ル、スス……?

 たった今まではそこにいるのが見えていたのに。

 でも、そこにはもう、パラケルススはいなかった。

 タピールの体には、もうタピールしかいない。それが、よく見えるようになった私の目に嫌というほどよく映った。

 ―――嘘……まさか……。

 傷口はじわじわと広がり続ける。こんなのもう、私じゃどうにもできない。


『カァー! 黙って見ておれば滅茶苦茶しおってからに!』

 突然の大声にびくっとした。

 村長さんだ。

 村長さんが、人ではないものの声を出し、気配もなく私の隣に立っていた。見れば、姿も人からはかけ離れ、まるでごつごつした岩のようになっていた。

 ―――村長さん……?

『わしの餌場を散々荒らしおって。止めじゃ、止め。ニンゲンの振りなぞ、わしはもう止める! コレを塞いだらわしはこの餌場を捨てる。お前さんも、さっさとこの村から去れ!』

 ノームだ。

 村長さんは、地の精霊、ノームだったんだ。何かで読んだ。ノームには石や岩のような姿をしているものもいて、土地を安定させる力があるらしい。

 ―――村長さん、待ってください! 傷、まだ、塞がないで。

『何を言っておるのだ! 見てわからんわけではなかろう、このままではこの森全体に大穴が開くのだぞ!』

 ―――パラケルススが、小人が、傷に吸い込まれて、私のせいだから、その、それで、助けたいんです、私、だから、その……。

『ええい、小人だと? そんなものわしの知ったことではないわい!』

『あらん? 小人さんはワタシのたーいせつな特等席なのよん? 無くなったら困るわん』

 甲高く、どこか甘ったるい声が風に乗って聞こえてきた。

 ふわりと私の頭に、重たさのほとんどないなにかが乗ってくる。

 ―――シルフィード! よかった、大丈夫なの?

『ええ、平気よん。アナタも元気そうでよかったわん』

 村長さんはごつごつした顔をしかめた。

『それで、わしにどうしろと言うのじゃ? 森に大穴が開くのを黙って見ていろと?』

『違うわよん。小人さんを引っ張り上げるまでの間、これ以上傷が広がらないようにしておいてちょうだい』

『無茶ばかり言いおる……』

『あらん? 誰のおかげで安定した餌場を得られたのか、もうお忘れかしら?』

『……できるだけはやってみるがの』

『いい子ね!』

 完全にシルフィードが会話の主導権を握っている。

 二人の間で何があったのかはわからないけれど、ほぼ対等な精霊同士で、こんな力関係が生まれるのはかなり珍しいことだろう。

 ―――シルフィード、なんか、すごい……。

『うふふん。感心してる場合じゃないのよん? 小人さんをはやく捜さないと』

 ―――う、うん。

 私は大きな口をぽかりと開けた傷の中に入る。正直に言うと自信はなかった。一度傷の中に人が吸い込まれると、どんなに探しても、傷の中にその人を見つけることはできないみたいだから。散々捜して、傷が塞がってしまうまで捜したけれど、あの時吸い込んでしまった旅人は見つけられなかった。

 でも、パラケルススは人ではなく小人だ。きっと見つけられる、はず。

 傷の中にはシルフィードもついてきてくれたけれど、前も後ろも真っ暗で、どこから捜せばいいのかわからない。

『小人さんを呼んでごらんなさい?』

 ―――パラケルスス、どこにいるの?

『違う、そうじゃないわん。ちゃんと声に出すのよん?』

 ―――え、でも……。

『耳元でそっと囁くような声でいいのん。ワタシがこの中いっぱいにアナタの声を運んであげるん』

 ―――声を、運ぶ?

『そうよん。声は空気を震わせるから、ワタシはその震える空気を運ぶの』

 だからん、とシルフィードは言った。

『アナタは声を出して小人さんを呼ぶのよん』

 それ以外の選択はない、とでも言うように、黒々とした瞳でじっと私を見つめてくる。


 ―――でも……私、声、出せるかな?

『アナタの声はちゃんと出るわ』

 本当だろうか。

 どこまでも続く暗闇を見つめていると、不安が膨れてくる。

 たとえ声が出たとしても、今更私なんかの声がどこかに、誰かに、きちんと届くとは、どうしても思えない。

 私に、本当にできるだろうか? こんな私でも、本当に……? 

『大丈夫よん、アナタならできる』

 シルフィードの落ち着いた声が、自信に満ちた言葉が、私の背中をそっと押してくる。

『アナタの声は、ちゃんと届くわよん』


 私は大きく息を吸った。

 できる? 私にも? 届く? 本当に? 

 ……私は私に自信がない、けれども。そんな私を、この頼りになる精霊、シルフィードは信じてくれている。できると、私にも、ちゃんと届くと、本当に。


 暗闇に向かって、思い切って呼び掛ける。


「パラケルスス」


 シルフィードが私の声を真っ暗な傷の中に響き渡らせる。


 闇に、小さな明かりが灯った。

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