4 少女と契約
魔法と呪いにどんな違いがあるのか。
簡単だ。〈レーヴ〉が認めれば魔法。認めなければ呪い。
呪いは禁止されている。国が禁止しているわけではないけれど、〈レーヴ〉が禁止している。呪いは人を傷つける、とても危ないもの、らしいから。
魔法と呪いの違いは、たったそれだけ。
〈レーヴ〉が認めさえすれば、たとえ人を傷つけることしかできないような力でも、魔法になる。
だから魔力がある人、魔法が使える人は幾ばくかの寄附金を持参して〈レーヴ〉に祝福を受けたと認めてもらわなければならない。その力が祝福だと認められれば、それは魔法になるから。
でも、認められなければ、それはただの呪い。
呪いは行ってはいけない。
だけど、私にはそれは出来なかった。見ようとしなくても、傷は自然と見えてしまうから。見えればどうしたって気になってしまうし、下手に近づけば、傷の中に落っこちてしまう。
私はずっと見えていない振りをしていた。
意味は、あんまりなかったけれど。私がそれを見ようと見まいと、私は〈レーヴ〉から祝福を認められなかった呪い持ちであることに変わりはない。
呪い持ちでも、何かしらの才を発揮して、他の力を魔法と認めてもらうことはできたのかもしれない。その可能性にすがって必死になって頑張ってみたけれど、結局ダメだった。何をしても、ダメだった。どうしたって、私は、ダメだった。
死ぬことについて、考えたことがないわけじゃない。
いっそ死んでしまった方がいいんじゃないか、楽になれるんじゃないか、ここから抜け出すには、もう死ぬしかないんじゃないのか? そう、何度も何度も考えた。
だけど、やっぱり嫌だった。
高いところに居る時、刃物を使っている時、水場に居る時……チャンスはいくらでもある。でも、いざやってみようとすると、怖いし、死にたくないという気持ちが強く持ちあがった。
……あんなふうには、なりたく、ない。
あの部屋で、私は、たくさんの死を見た。
見たくなかった。知りたくなかった。
私は、あんなふうになるために生きてきたの? そんなわけがない、と思いたいけれど、誰もそんなことは言ってくれない。
私にはもう、何もできないの?
本当にもう、どこにも、居場所はないの?
この村に来て、シルフィードに私の魔力で魔法を使ってもらえて、事故のようなものではあるものの、パラケルススに名前を付けて、もしかすると、私にもなにかできるのではないかという気がしてきていた。
まだわからない。本当に何かできるのか、できるとして何が出来るのか、なにもかもまだわからない。
でも、何かができるかもしれない。
……もっとも、〈レーヴ〉から言わせれば、私のすることは全部呪いでしかないのだけれども。
「テネル、教えてくれ。お前の知っていること……例えば魔法だとか契約だとか、そういった諸々を」
簡素な家具をちぐはぐに押し込んだ部屋で、パラケルススはそう言った。うっかり名前を付けてしまい、それがどうゆうことなのかしどろもどろに説明した直後のこと。
なにかを人(ではないけれど)に頼まれるのは初めてで、私は何と答えればいいのかわからない。教えられるほどの知識があるとも思えなかったし。
『あらん? いいのかしら? 壊しちゃった方が後腐れがなくていいんじゃなあい?』
シルフィードが煽るように怖いことを言うけれど、パラケルススはうるさい黙れと返すだけ。
「俺はお前を壊さない。だからお前も俺に命令しない。俺はお前がここにいる間、世話をする。お前はここにいる間、俺にお前の知識を提供する。……どうだ? 悪い話じゃないと思うが?」
パラケルススはたぶん無自覚で言っているんだと思うけれど、たぶんきっと、これが契約だ。お互いの条件を出し合ってすり合わせて、結ぶ。
私がこの人に教えられることなんて、本当にあるのだろうか……。
シルフィードがひらりと私の肩から飛んで、パラケルススの頭の上に乗る。パラケルススは鬱陶しそうに顔をしかめた。
―――私に教えられること、そんなに多くないと思うけど……それでよければ。
「よし、決まりだな」
シルフィードはパラケルススの頭の上から私を見下ろし、ニヤリと笑った。
たぶん、シルフィードは知っているんだと思う。
テネル、だけでは、足りないことを。
私の名前はテネル・フランマ・アーリー。名前の一部でも知られることは、あまりいいことではないけれど。
でも、たぶん、名前の一部だけでは、壊すということまではできなかった、はず。
……パラケルススは一体なんなんだろう。
本当だったら、名前についても契約についても、妖精の方が人間よりもずっと詳しいはずなのに。人間じゃなくて、妖精でもないもの。そんなの、いっぱいいるけれど、私はあんまりよく知らない。
それから、今、私の目の前にいるのはパラケルススだけど……。だけど、本物のタピールはどこにいるんだろう。
私は本当のタピールと会ったことがある。初めてこの村の森に来た夜、タピールに話しかけられた。あの時はまだ、人間だった。タピールだった。
タピールは、今、どこにいるんだろう?
「よし、そうと決まれば、まずはお前について教えてくれ」
―――私……?
「できるだけ詳しく知りたい。お前はどこから来た? どうやって、何のためにここへ来た? 昨日、お前を連れて出た旅人はどうしたんだ? ……殺されかけて、逆にお前が殺したと聞いたが、何があった? 狭間ってなんだ?」
言葉が言葉として頭に入ってこなかった。パラケルススの声が、発せられた単語が、私の中でイメージを浮かばせ、連鎖する。
狭間、呪い、呪い持ち、落ちこぼれ、捨てられた、殺されかけて、獣に、人に、あの部屋で。
旅人、メイドノミヤゲ、居場所はない、呪われた我が身を恨むんだな、星、暗い、クライ、ナニモミタクナイ。
ミタクナイ、血、血、ミタクナイ、血、音、匂い、血の、肉の、たくさん、たくさん、タクサン、肉片、肉塊、喰い千切られて……。
「……おい?」
手が肩に置かれて、ハッとする。
パラケルススが困惑した表情で私を見ていた。
「あー、そうだな。悪かった。一気に聞き過ぎた」
シルフィードがふわりと私の頭に乗ってくる。重たさはほとんどないけれど、そこにシルフィードがいる、ということはわかった。
気付くと手が震えている。
私は、いつの間にか詰めていた息をゆっくり吐きだした。
『ニンゲンって本当におバカさん』
甲高く、どこか甘ったるいシルフィードの声に背中を押された気がする。
頭の中でごちゃごちゃしている記憶を、一つずつ一つずつ呼び起こし、感情に引っ張られないよう注意しながら、慎重に言葉に変えていく。
―――呪いが……。
「呪い?」
パラケルススの表情が少し強張った。
―――私は、呪い持ちなの……。
つっかえつっかえ、私は今までのことを話した。
話した方がいいような気がしたから。
話してしまった方が、いいような気がしたから。
狭間と呼ばれる、空間の傷が見えること。傷を治したり広げたり、中に入ったり、そのまま傷を通って別の場所へ出ることができること。
でも〈レーヴ〉から祝福を認められず呪い持ちになってしまったこと。魔法も魔術も使えず、親からは見捨てられ〈レーヴ〉の手伝いをすることになったこと。
そこで、あの部屋に入れられたことと傷を通って逃げてきたこと。それ以来声が出なくなってしまったこと。
旅人は私の呪いのことを知っていたこと。私にはどこにも居場所はないと旅人から告げられたこと。
傷の中に逃げようとして、傷口を無理矢理広げたら、旅人が傷に吸い込まれたこと……。
全部話し終えて、私は深く深くため息を吐いた。すごく疲れた。でも少し、すっきりした、ような気がする。
パラケルススは何か考え込んでいた。
『れえぶって、聞いたことあるわねん。まあ、あんまりいいお話は聞かないんだけど』
なるほどねん、と言ってシルフィードがパラケルススの頭の上に戻る。
『いろいろわかってきたわん』
―――わかってきた……?
私の話から、なにがわかったんだろう?
シルフィードがニヤリと笑う。
『アナタ、やっぱり呪われてるのねん』
―――えと、私は、呪い持ちで……。
『そうじゃなくてん。それはニンゲンが勝手に決めた呪いでしょう? ワタシからしたら、ただちょっと目がいいってだけのことよん』
―――ただ、目が、いいだけ……。
『アナタの言う傷ってねん、ワタシたちの国へ行くための通り道が成り損なったものなのん』
―――シルフィードたちの、国。
妖精の抜け道のことだろうか。
それなら、少し知っている。精霊や妖精たちの住む国に行くためには、彼らの女王が気まぐれに開く抜け道を使うか、ほとんどないけれど、稀にある自然発生した抜け道を行くしかないらしい。
妖精の抜け道の成り損ない……彼らの女王が道をつくるのに失敗するとは考えにくい。ということは、自然発生した抜け道の内、ちゃんと妖精の国まで通じなかったもの、ということ、かな……。
『ワタシたちの国の他にもねん、いろいろなところに繋がってる抜け穴があるのよ。狭間って呼ばれてるほどしっかりしたものはそう多くはないけどねん。あなたが見てるのは、そうゆう抜け穴にも狭間にも成り切らなかった出来損ないの空間ね』
―――出来損ない……。
両親からよく言われた言葉だ。あの頃のことがぱっと頭に浮かび、気持ちが重くなる。
『アナタの呪いはそうゆうのじゃなくて、なんだかこう……膜が張ってるみたいなのん。姿がちょっと見えにくいのよねん。きっと声もそうだったんじゃなあい? 見えない聞こえないお願い事なんて、だあれもお手伝いなんてしないわよん』
―――膜……? それが、私の呪い……?
見えない聞こえない……存在が希薄になっている、ということ、かな。呪いというよりも……軽い封印に近いもの? でも、なんでそんなものが……?
シルフィードが黒々とした瞳でじっと見つめてくる。
なんとなく、本当になんとなく、促されているような気がした。
―――……あの、シルフィード。その呪いは、解ける、かな?
『ええ、もちろん』
―――解けたら、魔法、使えるのかな?
『さあ? どうかしらねん。アナタは声が出ないから』
―――声が出ないのは、呪い、じゃ、ないの?
『違うわよん? アナタの声が出ないのは呪いじゃなくて、アナタ自身の問題。声が出なくなったのって、お部屋を出てからなんでしょう? でも、お部屋であった儀式は失敗してるじゃない』
―――失敗?
『だってアナタ、お部屋から出てきちゃっているでしょう? その時点でもう失敗だわ。儀式はおしまい』
―――おしまい……。
儀式の失敗、といことは、呪いが失敗した、ということ?
じゃあ、術者の魔術師はどうなったんだろう?
……ううん、でも、あれは……呪いでは、ない、はずだから……。
『だからねん、アナタの声はアナタが自分で何とかするしかないのよん』
シルフィードは小首をかしげ、じっと私を見つめている。
これであなたの言いたいことはおしまいなの? 本当にそれでいいのね? と念を押されているような気がする。そしてそれはたぶん、気のせいじゃない。
まだ、何かある。
―――ねえ、シルフィード。声が出て、呪いが解けたら、私にも、魔法が使えるようになる?
『さあ?』
―――シルフィードになら、この呪い、解ける?
『うふふん。どうかしらねん?』
解けるんだ、たぶん。
でも、思わせぶりにはぐらかす。
これは……私のことを、試してる? 一時的な契約を、誘っている、のかな?
シルフィードが私の呪いを解く。代わりに私が……私には、何ができるんだろう。単純に対価として魔力をあげればいい、という感じでもなさそうだし。
もしも魔力だけでいいのなら、あの時のように魔力を食べさせるよう言ってくるのではないだろうか……。
悩んだけれど、他にいい案が浮かばない。うまくいくかわからないけれど……。
シルフィードはニヤニヤ笑いながらパラケルススの頭の上で私を見下ろしている。
―――……あのね、シルフィード?
『なあに?』
―――私の家系は、火の魔法が得意なの。
『……』
―――もし私の呪いが解けて、声が出るようになって、魔法が使えるようになったら……いっぱい火の魔法、使えるようになるんだけど……。
シルフィードは私をじっと見つめている。ニヤニヤ笑いが引っ込み、じいっと私を見つめてくる。
四大精霊の内、風の精霊は確か火を好む。シルフィードもきっと火が好きに違いないと思ったんだけど……ダメだったのかな。失望、されちゃった?
『それは……素敵ね。素敵よ。とてもいいわ』
―――え……。
『最近はまともな火を全然見かけなくなっちゃってねん、ニンゲンって本当におバカさんでしょう?』
―――あ、えと……。
パラケルススの頭の上から降りてきて、私の目の前でふわりと制止する。瞳がキラキラと輝いていた。
『あんなつまらない火ばっかり。火の素敵なところ、全部無くしちゃって。それで鼻高々なんだから、もう嫌になっちゃうわん』
―――えーっと……。
よほど興奮しているのか、手足にある鳥の部分がモフモフに膨れている。
こんなに感情豊かな精霊は初めて見た。
『でもねん、アナタなら素敵な火をつくれそう!』
―――あ、えと、はい。
『ねえねえ、アナタ、本当に火の魔法が得意なのねん?』
―――あ、その、魔法は使ったことがなくて。
『でしょうね。そんなつまらない呪いなんかに引っ掛かっちゃってん。まったくもうおバカさん!』
―――あ、え、えーっと……。
『そんな呪いの一つや二つ、すぐに解いてあげるわん!』
―――え、二つ?
『言葉の綾よん。アナタの呪いは一つだけ! つまらないこと言ってないで、ついていらっしゃい。ワタシが何とかしてあげるん!』
―――あ、はい。……その、ありがとう。
ものすごく上手くいった。……上手くいったのかな、これは?
呪いは解いてほしいけれど、どうすれば声が出るのかわからないし。声が出たとして、魔法が使えるとも限らないし、家系的に火の魔法が得意だけど、私も火の魔法が得意とは限らないし……。
『なにしてるのん? はやくいらっしゃいな!』
―――う、うん。
私はまだ何か考え事をしているパラケルススを部屋に残し、シルフィードの後を追った。
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