2 小人と名前
〈テオフラストゥス〉とどんな話し合いがされたんだか知らないが、少女はひとまず村で預かることになったそうだ。
どうでもいい。
俺の方では少女のことなど、もう心の底から本当にどうでもいいのだが、周囲にとってはそうではないらしい。
「あなたに一番懐いているでしょう?」
満面の笑顔でレノが言い放った。
「他の人じゃダメみたいなのよ。村長さんからの頼みでもあるし。だからねタピールさん、しばらくはこちらの仕事はなんとかしてあげるから、あの子のことは頼んだわ」
……なんでこうなるんだ?
暗い表情の少女を目の前にして、俺は頭を抱えたくなる。
村の集会場の一室が少女の部屋としてあてがわれた。
少女の世話をするよう仰せつかった俺は、今、最低限の家具が揃えられた彼女の部屋で二人きり、無言で向き合っている。
夜明け前に俺が殴った少女の頬は腫れていて、手当はしてあるものの痛ましい。
できればもう、関わりたくはなかった。
おそらく、俺とこいつは根本的に相性が良くないのではないかと思う。
少女が村を出た時は、多少気にはかかっていたし、少し心配もしてはいた。だが、なんというか、この子どもとは合わない。側にいると無性にムカムカしてきて、どうしたものかわからなくなる。
目の前の少女はうつむいたまま動かない。こんな時に限って嫌な奴はどっか行っちまうし……。
どんどん滅入っていく自分の気持ちに、俺は自分で待ったをかける。
いや待て、落ち着け、と。
ひとまず、ここは前向きに考えてみるべきなんじゃないか?
この村にいる人間の中で、現状唯一村の外へ出る可能性のある奴が、今、目の前にいる。どうすればこいつの体を乗っ取れるかはまだわからないが、うまくすれば乗っ取る以外にも何かと利用できるのではないだろうか。
そうだ、現状からの突破口が見えないの今は、とにかく利用できそうなものは何でも使わないと。
……そうと決まれば、まずはこいつの情報がいるだろう。利用するにしても乗っ取るにしても、この子どもは、少々得体が知れない。
喋れない上、どうせすぐいなくなるのだからと、こいつの前ではタピールを演じるのはやめていた。素で対応できるのは楽だが、情報を引き出すためにはどうしたものか……。
「あー、その、」
「……」
何かないか。こんな時、気軽に話せるような、会話のとっかかりになるような、なにか……天気の話とか?
いや、こんな子ども相手にその話題は微妙すぎるだろう。
そうじゃなくて、もっとこう……。
「そう、そうだ。お前、名前は?」
俺の問いかけに反応して、少女の口元が動いた。が、なんと言ったのかまではわからない。少女も、俺に伝わっていないことがわかったのだろう。宙に指を走らせた。
何をしているのか尋ねかけ、繰り返し同じ軌跡を描く指に、ふと、思い当たる。
「待て、それじゃわかんねーよ」
部屋に置かれた机の元に少女を連れて行き、紙とペンを持たせる。
少女は慣れた手つきでさらさらと紙に文字を書きつけた。
字の書ける子ども、ということはそこそこの教育は受けているってことか……。
少女から渡された紙には丁寧な筆跡で“テネル”、とだけ書かれている。
「あー、テネル、か?」
聞くと、少女はこくんとうなずく。
「テネル、その、なんだ……悪かったな、いきなり殴ったりして」
少女……テネルは俺を見上げる。暗い表情に、チラリと感情の動きが見えた。
―――あなたは?
テネルの口が小さく動く。
「なんだ?」
―――あなたの、名前は?
声は出ていない。
なのにまた、何を言っているのかわかった。
「俺? あー、タピールだが……」
―――それ、違います、よね? あなたの、名前が知りたい。
少女はじっと俺の顔を見つめてくる。
あの夜見た小さな影は、やはりこいつだったか。死にかけた製作者の体からタピールの体に乗り移るのを見られていたのだろう。傍から見てわかるものでもないと思っていたが、読みが甘かったようだ。
だがまあ、喋れないんじゃ他の奴らにバラされる心配もないだろう。今後どう使えるかはわからないが、利用するつもりなのなら、多少はこちらの情報を知らせておくのも悪い手ではない、か。
「……確かに俺はタピールじゃねえよ。よくわかったな?」
―――声が、ちょっと違ったから。
「声?」
意外な返答だった。乗っ取った体をそのまま使っているのだから、声に変化が出るわけないのだが……。
―――人間の声と比べると、ちょっとすうすうする感じ……。それに、私、声、出てないのに、言いたいことが伝わってる。あなたは、人間じゃ、ない。
「ああ、そういやそうだな」
声がすうすうする、というのはよくわからないが、声に出ていないこいつの言葉を俺が拾って会話が成立しているのは、確かに俺がただの人間だったならありえない状況だろう。
―――タピールじゃなくて、あなたが誰なのか、あなたの名前が、知りたい。
「ねえよ、そんなもん。好きに呼べよ」
フラスコの中にいたころには番号が振られていたはずだが、あれは名前なんてものじゃないし、そもそも俺に振られていた番号がいくつなのかも覚えてはいない。
俺の言葉にテネルが驚いたような顔をする。
―――ないって、名前が、ないってこと? 好きに呼べっていうのは、えと……名前を、私が付けても、いいってこと?
「あー? まあ、そうゆうことだよ。どうせ俺の名前なんてお前しか使わないんだし。お前が好きに決めろ」
テネルは目を白黒させてから、うつむいて真剣に考え始めた。
俺はこっそりと胸をなでおろす。ずっと暗い顔をしていられたら、こっちまで気が滅入ってしまう。
本当にこいつ、何なんだ?
タピールの知識があるから余計にわからない。
ここから一番近い村までだって、歩けば数日はかかる。ただ、数日かかるが、子どもの足でもここまで来るのは不可能ではない。しかし近隣の村から歩いてきたと仮定しても、やっぱりおかしい。普通は村に字を読み書きできるような子どもなんていない。大人だって、村に字を読み書きできるような奴はそうそういないだろう。
となると、街から来たのか?
定期便に紛れ込んできたのでは、という話だったが、あんな小さな車に隠れられるような場所なんてない。仮に本当に定期便で来たとして、なんでそんなものに乗ってきた? この村に用がある様子でもないし。
それに、嫌な奴の言っていた、“〈テオフラストゥス〉の用意した旅人に殺されかけ、狭間に引きずり込んで殺した”、だったか。あれもよくわからない。
なぜ〈テオフラストゥス〉がこんなガキを殺す必要がある? 狭間ってなんだ?
……こいつは何者なんだ?
何があってこんなところに来た?
どう利用できるかはわからないが、はやいところ事情を聴きだしておいた方がよさそうだ。
俺があれこれ考えている間、こいつもこいつであーでもないこーでもないと熟考していたようだった。ふいに、ぽつんと少女から音のない呟きが漏れる。
―――……ルスス。
「ん?」
―――パラケルスス。あなたの名前。
『くふふ。素敵だわん! とっても背高な小人さん!』
ふわり、何かが俺の頭に乗る。嫌な奴が戻ってきたんだ。
気付けば、俺の頭の上がすっかり嫌な奴の定位置になってしまった。重みはないがとにかく鬱陶しい。
「うるさい黙れ」
『あららん? わからない子ねえ。これでもほめてるのよ? ……くふふ』
「馬鹿にしてるだけじゃねーかよ」
『くふ……あなたたち、本当におもしろいわん!』
―――パラケルスス、変、かな? 止めた方が、いい?
テネルが不安そうな顔をする。
やめろ、面倒だから無駄に落ち込むな。
「あーもー、好きに呼べって言ったろ? 変じゃねーよ、それでいい。そう呼んどけ」
―――嫌じゃない?
「パラケルススな。俺の名前はパラケルスス。気に入ったよ、サンキューな」
嫌な奴が頭から降りて、俺の顔を正面からまじまじと見つめる。
そして、ニヤリと笑った。
『ちょっと目を離した隙に、とんでもないことしてるのねん。アナタ、本当におかしな子!』
うるさい黙れ、と言いかけて、ふと口をつぐむ。
馬鹿にしているにしては、なんとなく引っかかる言い方だ。嫌な予感がする。
「……何の話だ?」
嫌な奴は俺の問いかけには答えず、テネルの肩にちょこんと乗って、囁いた。
『ねえ、アナタ。この小人を呼んで、なにか命令してごらんなさいな』
―――え、でも……。
『いいから、いいから』
テネルは戸惑ったようにチラリと俺を見上げる。
「……なんだよ?」
―――えと、パラケルスス、手を上にあげて?
「……?」
すっと手が上に持ち上がった。
俺の意思とは関係なく、勝手に。
「なんだよ、これ」
どんなに力を入れても、手は下りてこない。
嫌な奴が黒々とした目でじっと俺を見ている。
『これが、名前を人間に付けさせるってことよん?』
「いや、わかんねーよ。何の話だ?」
―――あ、あの、ごめんなさい。知らないとは思わなくて。
「いや、マジで訳がわからない」
『おかしな子ねぇ。アナタ、この子に名前を付けるの、許してあげたんでしょう?』
「だから、それがどうしたっていうんだよ?」
嫌な奴はニヤリと笑って小首をかしげるだけで、何も言わない。
対照的にテネルがおどおどしながら、上目遣いで俺を覗き込む。
―――あ、あの、名前を付けるっていうのは、その……えーっと、確か、存在を縛り付ける、首輪? みたいなもので……。
「……首輪、だと? なんだよそれ」
思わず低い声が出る。
テネルは困り顔でおどおどするばかりだ。
俺は感情的になりそうになるのを抑えて、冷静になるよう自身に言い聞かせる。
―――ご、ごめんなさい。私も、そんなには詳しくなくて……名前付けるのも初めてで、まさか、本当にこんな……。
「いや、待て、とりあえず手を下ろさせろ」
―――あ、うん、ごめんなさい。パラケルスス、もう下して大丈夫。
テネルの言葉と共に、ふっと手の自由が戻ってくる。
―――ごめんなさい、まさかこんなふうになるなんて思わなくて、その、それで、私、その……。
わかりやすく申し訳なさそうにするテネルに対し、どうしてもイライラとしてくるのを止められない。
ただ、ここで怒ったところでどうにもならない。名前を付けられたことで何が起こったのか、こいつから話を聞き出さなければ。
「テネル、とりあえず落ち着け」
俺の言葉に、テネルの肩に乗る嫌な奴が反応した。
『あららん? アナタ、この子から名前を教えてもらってるのねん? ますますおもしろいわん』
「……おい、まだなんかあるのかよ?」
『あるわよん?』
ちらりとテネルの反応をうかがうが、きょとんと嫌な奴を見ているだけだった。
嫌な奴はそんなテネルと俺を見て、心底楽しそうに言う。
『小人さんはこの子の名前を使って、この子を壊すことができるわ』
―――えっ⁈
あからさまに驚くテネルの肩で、嫌な奴はクスクス笑った。
頭が痛くなってくる。なんなんだ、この状況は……。
「……テネル、まさかお前も知らなかったのか?」
―――知ら、ない。……あ、でも、何かで読んだような……?
『アナタたち……くふ……いいコンビだと思うわ……くふふふ』
「……うるさい黙れ」
―――ご、ごめ、ごめんなさい。私、その……。
「お前はなんでもかんでも謝んな」
くそ……。
笑いの収まらない嫌な奴とすっかり落ち込んでいるテネルを目の前に、俺は舌打ちを一つする。
無知な人間を嫌悪してる場合じゃないぞ、これは。
「教えてくれないか? 俺とテネルは今、どういう状況なんだ?」
『おもしろい状況よん?』
「それはお前にとってだろうが。そうゆうこと聞いてんじゃねえよ」
『あらあら、小人は本当に怒りんぼねえ』
くそ……煽られてるのか……。
嫌な奴は明らかに何がどうなっているのか把握している様子だが、まともな説明は期待できない。
仕方ない。あまり話を振りたくはないが、少なくともテネルは俺よりも現状をわかっていることだろう。
困り顔のテネルを見る。おどおどとした態度ではあるものの、人間のヒナは俺の目をしっかりと見返してくる。
「……テネル、知っている範囲でいいから教えろ。お前が俺に名前を付けたことで、俺はどうなったんだ?」
テネルは、ちょっと考えるそぶりで間をおいて、頭の中を整理するようにゆっくりと言葉を紡いだ。
―――名前、は、声に出さないと、本当だったら付けられないはず、なんだけど……。
『アナタが名前を付けるの、許したんでしょう? 小人さん』
ニヤニヤ笑いながら嫌な奴が口をはさんでくる。説明する気があるんだかないんだかよくわからないが、いちいちそんなことに突っ込んでいたら話が進まないだろう。俺は深呼吸を一つしてから、冷静に言葉を返す。
「ああ、許したな。で、俺が許すと、なんなんだ?」
―――たくさんある制約を、ほとんど、全部、無視できる、はず。
「……あー、あんまり聞きたくないが、もう少し詳しく頼む」
『声に出さなきゃいけないことだけれど、アナタの方から承諾したから、そこはパスできたのん』
「名前を付けることに関しては、ということだよな。それはわかった。他には?」
―――私も全部は知らない、けれど。たぶん、パラケルススの意思を完全に無視して、なんでも命令ができる、と、思う。
「なんでも……」
―――普通は出来ない。名前、声に出したって、付けられないことの方が多いみたい、だし。
『それはそうよん。だって嫌でしょう? そんな勝手なことされるの』
―――名前を付けられたとしても、呼びつけたり押さえつけたりすることはできても、普通はこんな形の命令、出来ない。
『ワタシたちはワタシたちのしたいことをするの。したくもないことなんてしないわん』
―――だから、名前を付けるよりも、細かな契約を結ぶ方が一般的で……。
『ニンゲンはおバカさんだからん。どこまでのお手伝いならしてあげてもいいか、ちゃんと教えておいてあげないと、どこまでも要求してくるわよん?』
―――あの、その、名前を付けるのって、だいたいが、相手が敵対してるか服従してるかの時くらいしか、付けないみたいで……その……。
なるほど、それで“存在を縛り付ける首輪”、か。
なんとなく察した。
今、俺は、とてつもなくまずい状況だ。
「無かったことには出来ないか? お互いにお互いの名前のことは忘れれば、無かったことには、ならないのか?」
―――忘れる……えと、それは……。
「忘れるのが無理でも、なにか方法は……」
―――えーっと……。
『無理ねん。この子の声が出れば、話は別だったけれどもん』
「声? なんでだよ」
『小人さんはなんにも知らないのねん』
……くそ。ぐうの音も出ねえ。
―――その、魔法を使ったり、名前を付けたりするのは、本当は声に出さないとできないこと、だから。
「……ん? でも、お前、声出さずにしてるじゃねえか。カバージョのとこでやったあれは、魔法だろう?」
魔法、という言葉に反応して、テネルが一瞬目を丸くする。
なんだ、違うのか?
―――ううん。あれは魔法、なんだけど、魔法は……ええと、あなたは、シル……フィード?
テネルは嫌な奴を見ながら、自信なさげに尋ねる。
シルフィード、と呼ばれた嫌な奴はニヤリと笑った。
『あらん? アナタは物知りなのねん』
嫌な奴が否定しなかったのでほっとした表情になり、テネルは再び説明を続けた。
―――魔法はシルフィードが使ったの。私の魔力を食べて。
『この子の声が出ていたら、二人でもっといろんなことができるわよん?』
嫌な奴が腰に手を当て胸を張るが、その補足説明は別にいらない。
―――その、ごめんなさい。どちらにしても、声に出さなければ平気なんだと思ってた……パラケルスス、人の姿してるし……それでその……。
「いや、だから、なかったことに出来ないのか?」
―――名前を付けるのも無くすのも、声に出してすること、だから。……それに私、名前の付け方も無くし方も、知らない……。
「付けたじゃねえかよ……」
『アナタが付けさせたのよん?』
「あー……」
『でも、方法がないわけじゃないわん。ねえ、小人さん?』
嫌な奴がじっと俺を覗き込む。
なんだ? 嫌な予感しかしないんだが……。
『アナタがこの子を壊しちゃえば、それで終わりよん?』
ニヤリと、嫌な奴が笑った。
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