3幕 テオフラストゥス
1 ホムンクルス
濁った液体がゆらゆらと揺れている。
揺れに合わせて、タイミングを見ながら材料を順番に入れていくと、しだいに液体の濁りが寄せ集まったり離れたりを繰り返しはじめ、だんだんと形になっていく。
「やあ、今はどんな気分かな?」
声をかけて、また材料を入れる。うっすらとではあるが液体の中に小人の輪郭が見えてきた。
「少し話をさせてくれるかい? ……僕はね、最近、よく夢について考えるんだ」
まだ投入しなければならない材料がある。
だけど、いったんここで液体を足す。濁りがほんの少し薄まって、フラスコの中身が見やすくなった。
「人間は、眠っている時に夢を見るんだ。なんて説明したらいいかな……幻、であってるのかな?」
手、だろうか。小人の小さな手が、ゆらりと動く。
声掛けによる反応なのか、単に形成段階による動作なのかは話しかけた男にもわからない。けれども、男はうんうんとなにかに納得したように頷く。
「その人の中に蓄積された記憶や経験、知識なんかが頭の中で整理される時に、副次的に生まれるものらしいんだけど」
残りの材料を少しずつ少しずつ、反応を見ながら投入する。
フラスコの中で小人の輪郭がふらりゆらりと頼りなく像を結んでいく。
「君たちは夢を見るのかな? もし見ているのだとしたら、いったいどんな夢を見ているのだろうね。いい夢だといいんだけれど」
ぱちりと、小人の薄い瞼が開いた。
まだほんのり灰色がかった瞳が、フラスコの外、声の主をとらえてニイ、と笑う。
「はじめまして。僕はアンプレッセ。君にはD-aC-78-7という管理番号があるんだけど。これじゃちょっと味気ないし、シチと呼ばせてもらおうかな?」
よろしくね、シチ?
小人はまだ形の定まらない手をゆらゆらと動かした。
気に入ったのかどうかはわからないけれど、少なくとも、言葉への反応がある、と考えてよさそうだ。
「シチ、君の形成はまだ終わっていない。もうしばらくはここにいて僕らと顔を合わせることになるけれど、よろしく」
シチが笑う。
ゆらゆらと液体に揺られながら、口を開閉させている。
あまりいい兆候じゃない。
「僕としては君との会話は望むところではあるんだけどね。君の今後を考えると、それはあまりおすすめできることじゃないな」
賢い彼らのことだから、この言葉だけでおおよそは察してくれることだろう。
そこから先どうするかは彼ら次第だ。
白衣を着た同僚に肩を叩かれる。
交代の時間だった。
「じゃあ、僕はいったん席を外させてもらうね。人間には栄養補給と休養が必要なんだ。それが終わったら、また来るよ」
シチがうっすらと微笑みながら、ゆらゆらと半透明の手を揺らす。
同僚が気味の悪いものを見る目で半透明の小人と男を交互に見た。
「アンプレッセ、お前さ、この気色悪い奴といつもそんなふうにお喋りしてんのか?」
アンプレッセ、と呼び掛けられた男は、諌めるように同僚に言う。
「彼らはとても賢いよ。僕やリアンの言葉はちゃんと理解している。気色悪い、なんて言ったら彼が気を悪くする」
「賢い、ねえ……」
リアン、と呼ばれた同僚はフラスコの中をしげしげと覗き込む。シチはまだ不安定な体で揺れながらニカリと笑った。
「お前みたいに話しかけるの、やってみたけどさ、反応もなければホムンクルス化もしないぜ? なんか、コツとかあるの?」
リアンが顔をしかめながら、聞いてくる。
「コツ……うーん、コツ、というより、タイミングかな。彼らが一瞬でもこちらに興味を向けるタイミングを逃さないこと」
「……興味、ねえ」
「彼らのことをよくよく見ていれば、わかるようになってくるんじゃないかな。ほら、今もシチはこちらの会話を聞いて……」
「シチ?」
「あ、うん、彼の呼び名。仮名、の方が正しいかな? 下番が7だから、シチ」
「……なんか、すげえな。一周回って、すげえ、しか出てこない」
「褒めてはないよな、それ」
アンプレッセは苦笑しつつ、じゃああとはよろしく、と実験室を出る。
食堂で軽い食事をとり、割り振られている自室に戻る。部屋はそう広くはないが、一応個室だ。ほとんど眠る以外には使わないので、アンプレッセとしては相部屋で構わなかったのだが、功績のある研究者へのささやかな優遇、ということらしい。
功績、か……。
アンプレッセはさっとシャワーを浴びてから、ぼんやりとベットに横たわる。
確かに、小人のホムンクルス化に成功したというのは、功績と言っても過言ではないだろうと、アンプレッセも思ってはいた。
でも、なぁ……。
天井のシミを眺めながら、アンプレッセはつらつらと考える。
アンプレッセの作る小人が、次々とホムンクルスになっていく。これにより〈テオフラストゥス〉の研究の進歩と、研究を支えるための財源の確保が同時に出来た。悪いことではないんだろう、〈テオフラストゥス〉にとっては。
……しかし、当の本人たちは、この事態をどう思っているんだろう。
実験室を出る時の、シチの笑顔を思い出す。
「これで本当によかったのかなぁ……」
アンプレッセの家はもともと、魔法使いの家系だった。といっても、称号をはく奪されて久しい没落寸前の家ではあったが。昔は優秀な魔法使いを幾人も出していたらしい。が、今ではせいぜい、子ども騙しなおまじないが出来ればいい方で、アンプレッセもアンプレッセの兄弟も、両親でさえ魔法に関しては使い魔に頼り切り状態だった。
なぜあの人たちはそこまで魔法にこだわるのか、なぜそんなに〈レーヴ〉にのめり込むのか、アンプレッセには幼いころからずっと理解できずにいる。
〈レーヴ〉に認められた魔法使いであるといことがどれだけ優れたことなのか何度説明されても、それは僕らがすごいんじゃなくて〈レーヴ〉と使い魔がすごいのであって、僕らが優れているわけではない、と思ってしまうのだ。
魔法使いではない人や魔法を使ってくれる使い魔に対して横柄な態度をとる家族を見るたび、アンプレッセの中で違和感が膨らんでいった。
学校教育も終わりに近づき、今後の進路に悩んでいた時、アンプレッセは〈テオフラストゥス〉の話を耳にする。
なんでも、今まで魔法や魔術でしかできなかったことを、魔法や魔術とは関係のない科学という分野で出来るようにする研究をしている組合なんだとか。
興味を持ったアンプレッセは〈テオフラストゥス〉について調べた。
するとおもしろいことに、〈テオフラストゥス〉には少なくない人数の魔法使いや魔術師が所属しているらしいことがわかる。
〈テオフラストゥス〉に行けば、自分の考え方が受け入れられ、このもやもやとしたものから離れられるのではないか?
アンプレッセは考えた。
〈テオフラストゥス〉には自分と同じで、〈レーヴ〉や今の魔法使いの在り方に疑問を持っている人がたくさんいるのではないか、と。そうでなければ、なぜ魔法使いや魔術師がわざわざ魔法抜きの組合などに所属する?
アンプレッセは一も二もなく〈テオフラストゥス〉の組合員になった。
家族からは当然反対されたが、押し切った。結果、使い魔を取り上げられ、縁を切られたが、アンプレッセは気にしなかった。むしろ、なぜもっとはやくにそうしなかったのかと悔やみさえしたのだった。
しかし今、アンプレッセにはわからない。魔法使いの、魔法使い以外の人々や使い魔に対しての態度と、研究者たちの、実験で使ったり作り出したりした生き物たちに対しての態度は、そんなに違いはないのではないか?
ホムンクルス化を促したのは確かに僕かもしれない。
でも、僕らと会話を望んでくれたのは彼らの方だ。
功績があるとしたら、僕ではなく彼らの方にあるのではないだろうか……。
目覚まし時計がけたたましい音を立てる。
いつの間にか眠っていたようだ。
時計を止めて、伸びをする。交代の時間だ。
部屋を出て実験室に向かう途中、ドロールとリッシュがなにやらこそこそと会話しているのを見かけた。嫌な組み合わせだ。
ドロールはこのD棟研究所の所長補佐で、権威はあるが仕事はあまり熱心ではないと聞く。リッシュはそんなドロールの太鼓持ちで、研究者ではあるが、彼が実験やなにかしらの研究の類をしているのは見たことがない。似た者同士で何の話をしているのやら。
「ああ、アンプレッセ、ちょうどいいところに来た」
ドロールがこちらを見る。嫌な予感がするが、無視はできない。
「はい、どうかなさいましたか?」
「実は今、リッシュとも話していたのだが……」
ちらりとリッシュに目を向ける。リッシュはニヤニヤと笑っていた。
「賢者の石もそろそろ潮時だろう。販売を中止するつもりだ」
なにを言われるのかと緊張していたが、アンプレッセにとっては願ってもないことだ。身もふたもない噂に踊らされた金持ちに彼らが売られる心配がなくなったのだから、今後はもっと積極的に彼らとの会話を楽しめる。
アンプレッセがそう思って、表情を輝かせると、リッシュが今にも吹き出しそうな顔をした。なんだろう、まだなにかあるのか?
ドロールは無表情で言葉を続ける。
「そこで、大量にあるホムンクルスとフラスコの中の小人の在庫の処分についてなんだが」
処分? 驚くアンプレッセを見て、リッシュは今度こそ盛大に吹き出して大笑いした。
「お前に頼みたい、アンプレッセ」
アンプレッセは何を言われたのかわからなかった。
処分、僕に、頼む? ……つまり、僕に彼らを虐殺しろ、と言っているのか?
「この研究所内でお前ほどあれらについて詳しいものはいないだろう」
この人はなにを言っているんだ?
「近日中には頼むつもりだ。また連絡するよ」
「ちょっと、待ってください」
大きな声が出た。
ドロールがピクリと神経質そうに眉を上げる。
「彼らをつくったのは私たちです。それを、いらなくなったからって、そんな……彼らは生きているんですよ?」
「だからこそ、だろう。生み出した我々の責任において、最後まできちんと始末をつける義務がある」
「しかし、それにしたって処分なんて……」
「これは命令だ。お前の意見が聞きたいわけではない」
頼んだぞ、と言い残すと、ドロールはリッシュを引き連れて行ってしまった。
アンプレッセが荒々しく実験室のドアを開けると、舟をこいでいたリアンがハッと目を覚ます。
「おーい、遅いぞ」
文句を言うリアンを完全に無視して、アンプレッセは真っすぐフラスコの前まで歩み寄り、怒りで震える声で尋ねた。
「もしわかるのなら教えてほしい。僕はどうすれば君たちを助けることができる?」
「アンプレッセ? どうした、なんか顔色悪いぞ?」
リアンが気遣わしげにアンプレッセを覗き込んだ。
それでもアンプレッセはフラスコから視線を外さない。
「……賢者の石の販売が中止されることになった」
「へえ? よかったじゃないか。あんた前から言ってたもんな。妙薬としての効果もないのに、ホムンクルスが無駄に殺されるのは……」
「それに伴いホムンクルスとフラスコの中の小人は処分されることになった」
アンプレッセはフラスコの中でゆらゆら揺れる小人を凝視する。
小人は目を閉じてはいるが、話はしっかりと聞いているようだ。
「ああ、いや、あー、そうか……。それは何て言ったらいいか……」
「僕の手で、彼らを処分するようにと、ドロールから言われたよ」
「あー、アンプレッセ……その……」
リアンは何と言ったらよいかわからず、困惑した表情でアンプレッセとフラスコを交互に見る。
「ドロール……リッシュと手を組んでこそこそと、施設の実験物を勝手に横流ししていたこと、せっかく今まで見て見ぬふりをしてやってたのに……」
困惑していたリアンが、アンプレッセの発言にぎょっとする。
そんな噂は確かに流れている。しかし、こんなに堂々と口に出すのはまずい。どこに監視の目があるのか分かったものじゃないからだ。
「上に報告してやる。何体のフラスコの中の小人が犠牲になったか、全部把握している。これ以上彼らを犠牲にしてたまるか」
「おい、止めとけ……」
小人が、ぱちりと目を見開いた。瞳はだいぶ黒に近い色になってきたけれど、まだ体が完成するところまではいっていない。小人はじっとアンプレッセを見つめ、口を開閉し始める。
『……オ……アァ……』
何事か、喋った。ホムンクルス化したようだ。
アンプレッセが嬉しいような寂しいような、複雑な顔をする。
「シチの成長は早いね。もう声が出るようになったんだ。でもまだ無理に喋らない方……が……?」
「今度は何だ? どうしたんだよ」
口元を押さえゆっくりとその場に崩れるアンプレッセを、リアンが慌てて支える。
「……なあ、リアン。テオフラストゥスに入るとき書かされた契約書、覚えてるかな?」
顔を伏せたまま、アンプレッセが言った。
「なんだよ急に。まあ、なんとなくは覚えてるが」
「その中に、魂の提供についてのものがあったよね?」
「あー、あったな、そんなの。魔力のストックが欲しいから、事故かなんかで死に瀕するような状態で助かる見込みが無くなった時、魔力のこもった魂をテオフラストゥスに提供するようにってやつだろ? 魔法使いはほぼ強制で書かされるやつ」
アンプレッセは顔を上げ、リアンに笑いかける。
口の端に血が付いていた。
「死に瀕してなくても、提出を求められることもあるみたいだ」
「おいおい、止めてくれよ……」
「シチのこと、頼んだよ。なんとか完成させて、できればそのあとも」
「アンプレッセ、あのな……」
アンプレッセはふらふらと実験室を出る。背後でリオンが何か言っていたが、気にしない。なんだかんだと言いながら、リアンはなんでもよくこなす男だ。たぶんシチはこれで大丈夫。
シチに情報が入ったことでホムンクルスたちにも情報がまわったことだろう。問題は地下に収納されている小人たちだ。彼らのところまで情報が届いたかどうかわからない。
アンプレッセは自分でも気が付かないうちに、ふふと笑みをこぼす。
僕は一体何をしている? このままでは確実に死んでしまうというのに、小人の心配をしているなんて。
体の中心に向かって引きずり込まれる感覚がある。少しでも気を抜けば、そのまま意識のすべてを引っ張られてしまいそうだった。アンプレッセはこぶしを握り込み歯を食いしばって全力で抵抗する。
地下の保管庫に足を踏み入れた。
ずらりと並んだフラスコを見回し、ふと、本当に僕は何をしているんだろう、という気持ちになってくる。ここで彼らに情報を伝えたところで、フラスコから出られない彼らにはどうしようもないことではないか。
彼らを守れないし、僕も僕自身を守れない。
怒りが引いてきて冷静になり始めた頭が、自分の無謀さを改めて認識する。
今からでもドロールの元に行き、土下座でもすれば助かるのだろうか。……いや、そんなわけはないだろう。何の話かととぼけられて終わりだ。仮に助かったとして、小人たちを殺さなくてはならないことに変わりはない。自分の手でつくってきた命を自分の手で……。
今まで僕のやって来たこととは、いったい何だったんだろう?
「死にたくない」
声が漏れた。
「嫌だ死にたくない」
何も成し遂げていない。
何も残していない。
何も、何も、僕には彼ら以外、何も……。
口からコポリと熱くて赤い液体が漏れる。
命がこぼれていく。時間がない。
なのに僕はまだ何も、なにも、ナニモ……。
「死んでたまるかよ」
無意識にもれでた自分の声に、言葉に、励まされる。
そう、死んでたまるか。
そう、そうだ、ただでは死んでやるものか。
一体でも多くの小人を守るんだ。
そのためになら、魂だって惜しくない。テオフラストゥスで消費されるくらいなら、小人にやってしまった方が、ずっといい。
死にたくない。死なせたくない。死なせてしまうかもしれない。それでも。
「悪く思わないでくれよ?」
成功する確率は高くない。というより、無駄に小人を殺してしまう結果になる可能性の方が高い。
なにせ実験したこともなければ、まともなデータもないのだから。
それでも、何もやらないよりはずっといいはずだ。
どんなに低い確率でも、0でなければ、きっと……。
掴み取ったフラスコの中で、小人がニカリと笑った。
そうさ、死ぬにしたって、ただでは死んでやるものか。
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