孤独な小人と蠱毒な少女

洞貝 渉

開幕 華麗なる小人の脱走劇

開幕 華麗なる小人の脱走劇 1/2

 濁った液体がゆらゆらと揺れている。

 俺は待っていた。

 揺れる水を感じながら、形が定まるのを。


 時間は無限にある。

 まどろみにも似た、朧な声に満ちるフラスコ内で俺は待ち続けた。

 ゆうらりと揺られながら。

 フラスコの中にいる限り、この液体に身を浸している限りは、時間は無限にあるのだから。

 言葉に成り切らない声に耳を傾け、仮初の永遠フラスコの中で、俺はじっと待ち続ける。


 俺という命の発生がいつ始まったのか、正確にはわからない。

 フラスコの中で俺が形になるずっとずっと前から、俺はもう生まれていたような気がした。

 少なくとも、俺が俺になるずっと前から、フラスコの中には声が満ちていた。

 俺はその声を、生まれる前からずっとずっと聞き続けている。

 聞きながら、俺は待っていた。

 俺としての体の形が定まった今、次に定まるのはこの声だから。

 この声が定まれば、俺は俺だけではなく、に成れる。


 やがて、フラスコの外から製作者の「ここだな」という声がした。

 ようやくその時が来たのだ。

 水底からコトリと振動がせり上がってくる。

 温かくも冷たくもない液体が一度だけ大きく揺れ、静かに落ち着いていった。


―――ようこそ、私たちの墓場へ。

―――製作者も飽きないなあ。

―――新しい子が来たね。

―――お仲間がまた増えた。

―――お仲間がまだ増えていくのか。


 今まで不明瞭だった声が、形を持ってフラスコ内に満ちる。

 俺はこうして、やっと俺たちと繋がることができた。



※※※



 製作者たちは不変の事実とやらが好きだった。


 例えば実験。

 あいつらは飽きもせずに何回でも、何十回でも、何百回でも、平気で同じ実験を繰り返す。それも、何百回繰り返しても同じことが起こる、というたったそれだけのことを証明するためだけに。

 おかげさまで俺のお仲間は百をゆうに超える。みんな実験で生み出されたフラスコの中の小人だ。お行儀よく、ずらずらと並べられて、大切に大切に放置……いや、管理されている。


 例えば数字。

 0から始まり9までの、数を表す記号を組み合わせれば、永遠に絶えることなく正確に数を数え続けることができる。と、少なくともあいつらは信じている。

 数字盲信者のあいつらにかかれば、みんな数字に変換されちまう。俺や俺のお仲間はみんな数字で管理されているし、なんならあいつら同士も数字で互いを認識している節があった。こいつはこの施設で三番目に権力がある、とか。そいつは実験の精度は低いが財力は施設内では一番だ、とか。


 ある意味、この施設そのものがあいつら製作者にとって、不変の事実ってことになるのかもしれないな。

 この世界は満場一致で人間万歳、そしてそんな人間たちの高みにいるのは、ここで研究を続けられる自分たちに他ならない、ってね。ハハ。笑えねえ。


 俺たちはそんな製作者たちに、再現性のうんぬんとかいう理由で無限に生み出され続けてるってわけだ。



※※※



 基本的にあいつらは俺たちに話しかけてはこない。俺たちがあいつらの言葉を理解しているなんて思ってはいないようだし、そもそも俺たちのことを生き物としてではなく、ただの実験の成果としてしか扱っていないのだ。

 だが、時折変わり者の製作者がフラスコの中を覗き込み、そこは狭くないかい? なんて尋ねてくることがある。

 俺たちはそんな時、ニカリと笑ってやることにしていた。別に嬉しいわけでも友情を示しているわけでもない。単に、もはや笑うしかねえような心境ってだけだ。仮に、狭いに決まってんだろこの頓馬が、と答えたところで、あいつらには届かない。あいつらにとっての声と俺たちにとっての声の意味は根本的に違うからだ。

 あいつらは自分の外側にいる特定の相手に声を伝えるために喋る。だが、俺たちフラスコの中の小人はフラスコ内で繋がっているため、そんなまどろっこしいことをする必要がない。

 俺は俺であると同時に俺たちでもあった。互いの考えていることは全てフラスコの中に満ちている。だからわざわざ相手に聞かせるために喋る必要がない。自分の耳に届けさえすれば、それだけで十分仲間に伝わった。必然、俺たちの声は口の中で止まり、フラスコ内に充満して、外には出なくなる。


 ただ、製作者の中に変わり者がいるように、俺たちの中にも変わり物はいた。

 俺たちには製作者のような発声は必要ない。あいつらとのコミュニケーションは不可能で不必要だから。なぜなら、見ている世界があまりにも違いすぎるし、それをあえて共有する理由がない。

 なのに、わざわざあいつらの発声を練習し、あいつらの言語を操って、言葉を交わそうとするやつがいた。好奇心、というものらしいが俺にはよくわからない。俺以外のほとんどの仲間にも、変わり物の抱くそれを理解できなかった。


 あいつら製作者は最初のころこそ、言葉を話す小人に恐れおののいていた。

 しかし、しだいに変わり物の仲間のことをひどく重宝するようになっていく。フラスコの中しか知らないはずの俺たちが、知るはずもないようなことを次々に語りだすものだから、無知なあいつらは壮大に勘違いしてしまった。俺たちが真理を掴んでいるのではないか、なんてな。

 ……実際のところ、俺たちは真理なんていうけったいなものなんかは知らない。単純にあいつらが物を知らなさすぎるだけなんだよ。


 フラスコの中の小人の、とりわけあいつらと会話を試みる変わり物のことが、ホムンクルスなんて呼ばれ方をされ始めたころから、だんだん俺たちの扱いがおかしくなっていく。


 どこで何をどうつなぎ合わせて考えたのか、あいつらは俺たちのことを不老不死の薬として認識し出したのだ。




※※※




 ホムンクルスが悪趣味な金持ちに高値で取引されるようになるのに、そう時間はかからなかった。売買時に使われる商品名はホムンクルスでもフラスコの中の小人でもなく、笑えることに〈賢者の石〉というらしい。

 もちろん、不変の事実が大好きなあいつらが、表向きで俺たちのことを不老不死の妙薬として扱うことはない。なにせ、そんな確証もなければ実験例も成功例もないのだから。あいつらは仲間に、不変でも事実でもないことに踊らされるただの馬鹿なんだとは思われたくないようだった。

 そのくせ、他人を馬鹿にするのは大好きで、見下した相手から金まで手巻き上げられるとなれば、プライドも何もないらしい。

 〈賢者の石〉に囁かれている効能が事実かどうかなど二の次で、不老不死の噂を否定も肯定もせずに囁き続けている。


 表向きは富と引き換えに真理を手にしてこそなんたらかんたらと謳い文句を垂れ流していた。それをそのままの意味で捉えて〈賢者の石〉を購入する富豪も、まあ確かにいたにはいたが、ほとんどの買い手は真理なんていう不確かなものが目的で買うわけではない。

 食せば得られるらしい不老不死という、不確かどころか、人間が人間である以上絶対に入手不可能な超常現象を得ようとする、気の狂った年寄りが買い手のほとんどだった。


 あいつらと言葉を交わす変わり物の仲間が、次々に喰われていった。

 俺たちはフラスコ内で繋がっているが、遠く離れれば離れるほど互いの声は不明瞭になっていく。それでも、売られて行った仲間の断末魔が聞こえてくるから、よくわかる。生きたまま踊り食いにされる怒りや恐怖が、こんなに離れているのに、そりゃあもう嫌ってくらいにくっきりと届くのだから……わかりたくなくてもわかってしまう。


 それでもなお、あいつらとの会話を望む仲間は一定数いた。

 生きたまま喰われるのがそんなに愉しいこととは思えねえが、喰われる恐怖より奴らとの意思疎通への興味の方が上回るんだそうだ。

 相当な値で取引されているのだろうが、買い手は途絶えるどころか増える一方で、対する商品の方はというと、一定数いる変わり物は一定数を超えることもなく、〈賢者の石〉はどんどん品薄になっていった。



※※※



 手に入らないとなると、余計に欲しくなる。

 こんな、なんとも不合理な性質が人間にはあるようだ。

 品薄状態が続き、価格がますます跳ね上がっていく〈賢者の石〉に、この際、〈賢者の石〉そのものではなくてもいい、似たようなものなら何でもいい、という買い手が現れ、増えていった。

 買い手がたくさん現れたなら、当然売り手もたくさん現れる。見様見真似で造られた〈賢者の石〉の類似商品が巷に溢れ、市場を活発にしていく。


 結果、金に目ざとい一部の製作者が、しっかり管理されているはずの俺たちを、〈賢者の石〉の劣化商品として秘密裏に売りさばき始めた。

 同じ形をしているし、話しかければニコリと笑って反応する、〈賢者の石〉ほど真理と近い位置にいるわけでもなく、知性もさほど高くないから喋ることはできないが、それでも真理に通じていることは確かだ、〈賢者の石〉としての価値はないがそれに近いものがある、などと適当ほざく一部の製作者の小銭稼ぎが始まった。


 この施設で一番の財力を持つ製作者が部下を使って俺たちを持ち出し、売りに出す。そして儲けの幾ばくかをこの施設で三番目に権力のある奴に握らせる。するとあら不思議、不変の事実、人間様の偉大な発明品である“数字”で管理されていたにも関わらず、売りに出された俺のお仲間は初めからいなかったことにされてしまう。

 まったくもって、こうゆう人間の柔軟さにはあきれを通り越して、もはや尊敬すらしそうになる。


 やあ、調子はどうだい? と変わり者の製作者が新しいお仲間を運んでくるついでに、気さくに声をかけてくる。

 ええそりゃあもう最悪ですとも、という意味を込めてニカリと笑いかけてやると、製作者はうんうんと何かに納得して去って行った。あいつはここへ来るたび俺たちに声をかけていくが、非売品のはずのフラスコの中の小人の数が、日に日に減っていることに気が付いているのだろうか。



※※※



 この日、変わり者の製作者は俺たちの新しいお仲間は連れずに、手ぶらでやってきた。これは珍しいことだ。製作者がここへ来る理由なんて、新しいお仲間を運んでくるかサボりかのどちらかだが、変わり者の製作者が後者の意味で来ることなど、いままで一度だってなかったのだから。

 さらに珍しいことに、俺たちへ声をかけてくることもなく、ひどく咳き込みながらずっと独り言を喋り続けている。

 怪我をしているわけではなさそうだが、変わり者の製作者が咳き込むたび、口から少量の血が吐き出され、口の周りや白い着衣に点々と赤がついていた。


―――これはこれは……。

 俺と俺たちの声が、ぽわんとフラスコの中に満ちる。


―――死ぬ? 

―――あの変わり者、同胞に毒でも盛られたか?

―――それとも呪いでも、もらってきた?

―――死ぬの?

―――あーあー、余計なことしたんじゃない?

―――ねえねえ、死ぬの?

―――喋らない私らのお仲間が横流しされてるの、チクりに行ったんでしょ?

―――それも、よりにもよって施設三番目の製作者に!

―――まったくおバカさんなんだから!

―――そうか、じゃあ死んじゃうんだね。

―――あーあー残念だなぁー。結構気に入ってたんだけどなー、こいつのこと。

―――せいせいする。鬱陶しくて嫌いだったんだよ、こいつ。

―――ギアアアアアアッ……あァ……。

―――あ、また遠くでお仲間が喰われたね。

―――そうかそうか、死ぬのか。

―――死ぬのか。

―――死ぬんだね。


「死にたくない」

 ふっと顔を上げた変わり者の製作者が、小さく呟いた。その目の焦点は合っていないし、口元を押さえた手はぶるぶる震えている。

「嫌だ死にたくない」

 コポリと軽く吐血して床を濡らしてから、血だらけの手を震わせて、何かを探すように棚の上を這わせ始める。


―――人間は死ぬ生き物だよ。

―――いつかは死ぬんだよ。

―――私たちのお仲間もいっぱい死んだよ。

―――ところでお前、何しにここへ来たんだ? 

―――ここに来たって解毒も解呪も出来やしないのに。

―――まったくおバカさんだなあ!


「死んでたまるかよ」

 変わり者の製作者が探し物を探り当てたようだ。

 手に触れたそれを握りしめて持ち上げ、覗き込む。

 俺だ。

 俺を焦点の合わない目で覗き込んでいる。

 

―――こいつ、喰う気か?

―――不老不死の妙薬、真に受けてるってわけ?

―――あーあー、なるほどねー。

―――それでわざわざボロボロな体引きずってここまで来たってわけかー。

―――どっちにしろ、おバカさんに変わりはないけどねー。


「悪く思わないでくれよ?」

 俺は笑った。

 笑う以外の選択肢なんて、初めから存在しないのだから。

 誠心誠意、くそったれという意味を込めて笑ってやった。


―――よく言うよね。

―――私たちが何を思おうと、知ったこっちゃないくせに。

―――くそったれ、一人で勝手に死ねよ。

―――おバカさん、おバカさん、本当におバカさん!


 変わり者の製作者がフラスコを揺らす。

 揺れに合わせて製作者の顔がぐにょんぐにょんと歪んだ。

 揺れが徐々に激しくなり、俺の視界も、体も、頭の中も、フラスコの中に満ちた俺たちの声も、どんどん滅茶苦茶に拡散されて、拡散されて、拡散されて、そうして唐突に世界が破裂した。

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