6 プローヴァト村と少女

 ああ、またこの夢だ。

 真っ暗闇な部屋の中。蠢く何かと、水っぽいものを殴りつけたような嫌な音、わかりやすく憎悪を含んだ悲鳴、赤く生暖かい水のニオイ……。

 嫌だ、見たくない、聞きたくない、知りたくない、わかりたくない。

 私はに身を隠して目を閉じ耳を塞ぐ。

 怖い。こわい。ずっと、コワイが張り付いて離れない。

 起きていても眠っていても、ソレはずっと離れない。

 追いかけてくる。追いかけてくる。追いかけてくる。

 もし追いつかれて捕まったら、私はきっと……。


 目を開くと、目の前に自分の手があった。身じろぎしようとしたら、お腹にすごい痛みが走る。息が詰まった。動けない。

 カラカラと下から振動が伝わってきていた。

「お前が悪いんだからな? これ以上手間かけさせんなよ」

 カラカラ、カラカラ。

 ここはどこだろう?

 この振動はなんだろう?

 この声は、何を言っているの?

「いいか、おとなしくしていろ。余計なことはするなよ」

 カラカラが止まった。

 代わりに、ズズ、という何か重たいものを引きずるような音が真上からする。

 狭すぎて身動きができない。ここはどこ?

「全部お前が悪いんだからな。勘違いするなよ、勝手なことをしようとするお前が全部悪いんだ。いいな?」

 重たい音のした方に向かって肩で押してみるけれど、壁のようなものに当たるだけでびくともしない。

 ……閉じ込められた?

 心臓がぎゅっとする。

 出して、と言いたかった。

 ここから出して、と。何度も何度も叫んだセリフを、何度叫んでも叶えられなかった言葉を、もう一度口にしたい。

「……」

 でも、やっぱり声は出なかった。あの部屋から出て以来、私の声はどこかへ行ってしまった。

 ……ううん、声なんか出なくてもいい。出ても、どうせ何も変わらないから。


 カラカラ音も止み、誰かの声も、もう聞こえない。

「……」

 動けない。狭くて苦しい。

 どれくらいじっとしてたのかわからないけれど、長い時間が経ったように思う。

『うふふん。みーつけたん!』

 甲高く、どこか甘ったるい声が聞こえてきた。

 この声は知っている。あの、人だけど人じゃない人と一緒にいる妖精さんの声だ。

『かくれんぼのつもりなら、もっとちゃんと隠れなきゃねん?』

 楽し気な妖精さんの言葉に、私はちょっとムッとする。

 かくれんぼ、じゃ、ないのに。

『あららん? 違ったの?』

「……」

 違う。苦しい。ここから出して。

『あらあら、出たいのん? 出たいのなら出ればいいのに、人間っておバカさん!』

 ごうっと強い風が吹いた。それと同時に、ごとんと何か重たいものが落ちる音がする。

 私はもう一度、肩で上の方を押してみた。今度は閉じられていた蓋が外れ、外に出ることができた。私が押し込まれていた箱の外は、人だけど人じゃない人……タピールと同じ間取りの部屋だった。あの人の部屋よりもこざっぱりしているけれど、なんだか、あの人の部屋によりも冷たい感じ。それに、

「……」

 ありがとう。

 声に出ないけれど、妖精さんに心の中で言う。助けてくれて、ありがとう。

 妖精さんはニヤリと笑って、私の顔の前にふわりと浮かぶ。

『どういたしまして?』

 声は出ていないけれど、どうやら妖精さんには私の出ない声が聞こえるみたい。


『それで? かくれんぼでもないのに、アナタはどうしてこんなところに隠れてたのん?』

 隠れてない。知らないうちに、閉じ込められてた。

『あらあら、それはそれは』

 ここはどこ? あなたは……。

『ここはお部屋よん?』

 あ、うん……、お部屋……。

『じゃあ、ワタシは行くわねん』

 え、行くってどこに……。

『ワタシの特等席へ!』

 え、とくと……え?


 妖精さんはふわっと私の頭の上まで浮かんで、細く開いた窓の方へと飛んで行ってしまう。

 私は慌てて手を伸ばし、妖精さんを捕まえた。

『ちょっと、なあに?』

 やだ、行かないで。

『でも、ワタシの用事は済んだのよん?』

 やだ、一人になりたくない。一緒にいて。

『でも、ワタシは別に一人でも平気よん?』

 やだ、お願い。側にいて。

『……しょうがない子ねえ』

 妖精さんはやれやれと言って、私の手の中で頬杖をつく。

『いいわよん。じゃあ、少しだけ一緒にいてあげるん』

 本当?

『嘘なんかつかないわよん』

 ありがとう!

『でも、このお部屋はちょっと退屈だわん。他の場所へ行きましょうよん?』

 他の場所……。

 私は外へ通じる扉を見た。開くだろうか? 開いたとしても、もし、あの声の人に見つかったら……。

『どうしたのん? アナタはここにいたいのん?』

 妖精さんがニヤニヤと笑いながら私を見上げている。

 ……私、ここにいるのは、嫌だ。

『じゃあ行きましょうよ』

 うん、行こう。

 恐る恐るカギを開け、ドアを押す。ドアは簡単に開いた。外に出られる。

 ホッとして部屋から出ると、強い力で肩を掴まれ部屋へと引き戻された。


「何をしているんだ?」

 男の人が後ろ手にドアを閉め、鍵をかける。

 怖い。何を考えるよりも先に、怖い、が頭の中に充満する。じわじわと嫌な汗がわいて、体が勝手に震え始めた。

「何を、しているんだ?」

 怒った男の人が私に覆いかぶさるようにして近寄ってくる。

 私は半歩、後ろに下がった。

「勝手なことはするな、と言ったはずだぞ?」

『おバカさんねえ。誰だって、いたくもない所からは勝手に出て行くものよん?』

 手の中の妖精さんの声でハッとした。

 ここは危ない。妖精さんはここにいてはダメだ。

 私は部屋の奥へ走る。

 男の人に捕まる前に、素早く窓を開け、妖精さんを外へ放り出して窓を閉めた。

『へ? なになに、なんなの? ちょっとお!』

 驚く妖精さんに返事をする間もなく、私は窓から引き離されて床に倒される。

「外に助けを求めようなんて考えるなよ?」

 男の人は顔を真っ赤にして倒れた私を見下ろす。

 怖い。どうしよう、怖い、コワイ。

『もーう! なんなのよう! 一緒にいてって言ったのはアナタの方でしょう?』

 窓をドンドンと妖精さんが叩く。男はチラリとだけ見て、風か、と小声で呟いた。見えていないんだ、この人には、妖精さんが。

 ドンドン、と今度は窓ではなく扉の方から音がした。

 男の人がびくりとする。

「ねーえ? いるかしら? 私、タピールだけど。お部屋に入って行くのを見かけたから、いるのよねえ?」

 タピールの声に、男の人は舌打ちをした。

 私のことを睨みつけながら、返事をする。

「ああ、どうしたんだ?」

「まあ、やっぱりいるんじゃない! ここを開けてもらえない? ちょっとね、わからないことがあってね、」

「いや、悪い。後にしてくれないか? 今手が離せなくてな。すぐ済まして行」

「ここを開けてもらえない? ちょっとね、確認しなくちゃいけないことがあるのよ」

「今は無理だ。本当に申し訳ないが後に」

「開けてもらえないかしら、カバージョ? 私、どうしても、今、あなたに確認しなくちゃいけないことがあるみたいなのよ」

「いや、だから今はちょっと……」

「あら嫌だわ、一体何をしているの? レノだって、急に姿が見当たらなくなったあなたのこと捜してるのよ? ねえ、何しているの?」

「別に、何ってほどのことは」

「誰でもいいから、早く鍵を開けてちょうだい」

 男の人がまた舌打ちをする。

 私は男の人に睨まれて動けない。どうすればいいのかわからなかった。

 男の人の手が私に伸びてくる。

 どうにかしなくちゃいけないのはわかっている。なのに怖くて動けない。


『ああーん! もう! いい加減になさいな!』

 妖精さんの大声と共に、突風が起こって窓ガラスが壊れた。

 男の人がぎょっとする。

 今しかない、と思った。私は起き上がって、全力でドアに、体ごとぶつかって行く。震える手で急いで鍵を開け、ドアノブにすがりついた。

 外にいたタピールが驚いたように私を見て、部屋の奥に目を向ける。部屋の中では男の人が風にまとわりつかれて暴れていた。

「おいおい、何してんだよあいつは……」

 呆れたように言うと、深々とため息を吐く。普段のタピールとは全く言葉使いが違う。

 それから、わざとらしく明るい声を上げた。

「あらあなた、こんなところに居たのねえ? 急にいなくなっちゃったから心配したのよ!」

 タピールの言葉に、男の人が慌ててこちらに来ようとする。

 でも、まとわりつく風に足をとられて転んでしまった。

 妖精さんは転んだ男の人を見下ろして、腰に手をあてて、フンッと言うと、ふわふわと私の目の前まで飛んでくる。

 私は妖精さんにお礼を言おうと顔を上げ、妖精さんに思いっきり頭突きされた。

『こんなにヒドイわがまま、二度としないでちょうだい!』

 結構痛かった。おでこを押さえながら、私は何を言われたのか理解しようと考えるけれど、よくわからない。

「……」

 お礼を……お礼、よりも、謝った方が……いいの、かな? わがまま……?

『ワタシは! アナタが! 一緒にいてってお願いしてきたから! だから一緒にいてあげることに決めたのん! だからアナタはワタシと一緒にいるのよん! いきなりワタシを放り出すなんてわがままは許さないんだからん!』

 フンッと、腕を胸の前で組んで、ふんぞり返る。

 ……えと、はい、ごめんなさい。

『ふふん、わかればいいのよ。人間って本当におバカさんなんだから!』

「……なんだかわかんねーけど、話終わったか? とっとと行かねーとあいつが……あー……もう遅いか……」

 タピールが、部屋の奥へうんざりしたような視線を投げている。

 男の人が血走った目でこちらを見ていた。いつの間にか、手には小ぶりの刃物が握られている。

「違うんだ。たまたまその子がいるのを見かけたから、またどこかへ消えてしまわないようにしただけで、私は本当に、何もしてはいないんだ。なあ? あの時だって別に何もなかったんだぜ? ただ、あんな夜中に一人でいたから、保護しようと思っただけでさ。なあ、タピール、わかるだろう?」

「……あら、そうなのねえ。それは助かるわ」

「だから、その子は私が後で連れて行くことにする。その方が安心だろ?」

「あら、そうかしら。レノが捜してるわよ?」

「大丈夫。私がちゃんと伝えておくよ」

 とても小さな声で、めんどくせえ、と頭の上から声が降ってくる。

「さあ、その子をこっちに渡すんだ」

 男の人が刃物を持っていない方の手を、こっちに差し出す。

 男の人のところには行きたくなかった。

 ……でも、タピールも困っている。


『ねえ、いいこと思いついたのん』

 クスクス笑いながら、妖精さんが私の耳元で囁いてくる。

『だから、ちょっとだけアナタの魔力を食べさせてもらえないかしらん?』

 私は妖精さんを見た。

 妖精さんはニヤリと笑って、どうかしらと言いたげに、首をかしげる。

 本当は、よくないことだ。相手は人ではない。人でない者のいいことが人にとってどんなものなのかわかったものではないし、ちょっとだけの魔力、というのが実際どれくらいなのかもわからない。

 それでも、私は首を縦に振る。

 妖精さんは、いい子ねん、と囁いて私のほっぺにチョンと口をつけた。

『うふふん。ごちそうさま。じゃあ、そうねえ……右手を上にあげてみてん?』

 魔力を食べられたのは初めてだったけれど、なんともない。

 私は言われた通りに、右手を上げてみる。

『次は右手を思いっきり、振り下ろすのん!』

 これも言われた通り、思いっきり振り下ろしてみる。

 小さな風圧が、驚くほど濃密なエネルギーになって、まっすぐ男の人に飛んでいった。これは、たぶん、魔法だ。見たことがある。でも、同級生の中でこんなに強い風の魔法を扱っている子は見たことがない。


 妖精だと思っていたけれど、もしかすると、この子は風の精霊なのかもしれない。シルフか、もしくは、シルフィード……?

 キン、高い音がして男の待っていた刃物の刃の部分が折れた。

「……あ?」

 男の人が間の抜けた声を出した。

「あー……あらまあ……えーっと、し、室内でかまいたちなんて、め、めずらしーわね……ははは……」

 タピールがとても苦しそうに場を取り繕う。

 そして私の手を取ると、じゃあ私たちは先に行ってるわねと早口で言って強引にその場を後にした。


 忙しそうに立ち回るレノからたっぷりの嫌味をもらい、出立は明日の早い時間だとだけ告げられた。一体誰と、どこに行くのかはわからないけれど、とにかくそう決まったみたい。

 私はタピールに連れられて、再び彼女の部屋にいた。

「食事は運ぶから、出発まではここで過ごしとけ。カバージョとばったり会ったりしたら面倒だから、部屋からは出るなよ。内側から鍵もかけとけ」

 いいな? と問われて、私は頷く。

 もう前のような喋り方はしない。この人はこっちの方が素なんだ。

「あー、あと、そうだな……」

 部屋を出ようとして、ふと思いついたように言う。

「お前さ、帰りたいか?」

「……」

 私はぼんやりとしそうになる頭を無理にでも動かそうと思った。

 帰りたい? 帰りたいって何? 帰れるの? どこに? 

「……」

 お腹が痛くなってきて、どんどん頭の中がぼんやりしていく。

 答えたい。私がどうしたいのか。この人に対してじゃなくて、私自身に。 

「あー、いや、俺が言いたかったのは、単純に、やりたいことはやればいいし、やりたくないことはやらなくていいんじゃねえかってことだ。帰りたくないならそれはそれでありなんじゃないのか? ……まあ、余計なお世話かもしれねえけどな」

「……」

 じゃあな、と言ってその人は出て行ってしまう。

 私は答えられなかった。答えの片鱗を見つけることすらできなかった。


 翌朝、私は怖い目つきの人に連れられて村を出る。

 一人だったらわからなかったけれど、妖精さん(?)がついてきてくれたから、怖いけれどもきっと何とかなる、と思うことができた。

 あの人と一緒じゃなくて、大丈夫? と聞いてみたら、あの子はどうせ、しばらくはあの場所から動けないからほっといても平気、と言っていた。よかった、しばらくの間は一緒にいてくれる、と思っていてよさそうだ。


 どこに行くのかわからないけれど、でも、あの屋敷以外の場所に居られるのなら、どこでもいい。そう思っていた。


 でも、怖い目つきの人が、村を出た日の夜に、メイドノミヤゲとして教えてくれた。

 私にはもう、どこにも居場所なんかないんだって。

 どこでもいい、じゃなくて、どこにもない。

 

 恨むなら、呪われた我が身を恨むんだな。

 最後にその人はそう言って、短剣をかかげて……短剣と男の人の向こう、木々の隙間から見えた星が綺麗だった。

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