異世界交換日記 ~異世界転生なんてもういいですから!~

雪瀬ひうろ

第一話「はじまりの町に出会いを求めるのは間違っているだろうか」

『ついたよ! はじまりのまちだ!』


 僕の手元にある日記帳には、そんな言葉が記されている。

だが、これは僕が綴った言葉ではない。

 僕は分厚い日記帳をじっと見つめる。

 すると――


『じゃあ、アドバイスを頼むね、タカキ! 異世界の最初の町では、いったい何をすればいいのかな?』


 何も書かれていなかった個所に浮かぶ新たな言葉。これがスマートフォンかなにかであれば、何の不思議もない現象であるのだけれど、この日記帳は紙製だ。当然、常識的に考えれば、ひとりでに文字が浮かび上がるなどという不可思議なことは起こりえない。


『もう! 聞いているの? もとい、見てるの、タカキ?』


 僕は卓上に転がしていたペンを握り、日記帳に文字を綴る。


『見ているよ』


 僕の書き込んだ言葉に飛びつくような勢いで、また現れる新たな言葉。


『そっか、ならいいよ! 私の異世界攻略には何としてもタカキの力が必要なんだからね! そこらへん、ちゃんとわかっておいてよ、タカキ?』


『ああ、わかってる』


 そうだ。わかっている。わかっているはずだ。だが、起こったことはあまりに常識の埒外にある。いくらオカルトや超常現象に寛容な僕といえども、一口では飲み込みえないような驚天動地な事態だ。

 だから、僕は改めて思い返す。

 この日記が異世界転生を果たしたという僕の幼馴染、アヤノとつながった日のことを。




『異世界転生しちゃった』


 その衝撃的な報告は、アポなしで人の家に遊びに来ちゃったくらいの軽いノリで行われた。

 そのときの僕の精神状態は推して図るべし。「へえ、そうなんだー。どこの異世界? 西洋ファンタジー系? SF系? それとも和風?」などと小粋な返しができればよかったのだが、当時の僕に、そんな精神的余裕はなかった。

 もちろん、僕だってそんな戯言をすぐに信じたわけではない。だが、厳然たる事実として、僕が持つ紙の日記帳に文字列はひとりでに表れている。まるで透明人間が書き込んでいるかのように、何の変哲もない日記帳に文字は現れる。すくなくとも、日常にありうべからざる事態が発生していることだけは認めざるを得なかった。


『要はさ、私は「今異世界なう」で、魔法で私たちの交換日記にメッセージを送っているってことだよ!』


 今にして思えば「『今異世界なう』って『今』と『なう』かぶってるから」と突っ込めなかったことが心残りである。

 僕は突然訪れた出来事についていけなかった。

 だが、落ち着いてから日記を見返し、アヤノから伝えられた情報を要約するとこういうことになるらしかった。

 アヤノは異世界転生を果たした。

 そして、異世界転生『お約束』の『チートスキル』を手に入れた。

 異世界に転生する物語では、往々にして見られる展開だ。そうやって、手に入れた特別な力で、主人公は異世界を旅していくことになる。


『なんか女神的な人が「あなたは転生勇者に選ばれたので、なんでも一つだけ好きな力をあげます。何がいいですか?」って』


 僕はただ黙って日記帳を見つめて彼女の言葉を待つ。


『だから、私は「元の世界に居るタカキと喋れる力をください。他は別にいりません」って言ったんだよ』


 なんでだよ、って思った。

 異世界転生したときに与えられるお約束のチートスキルは、これから異世界で生き抜いていく上で生命線となる重要なものだ。常識的に考えれば「不老不死にしてくれ」とか「全ステータスをマックスにしてくれ」とか、そういう選択をすべきであったはずだ。なんでも選べたはずのそれを単なる通信能力なんかにしてしまうなんて、どう考えても間違っている。


『バカな選択だって思っている?』


 まるで僕の考えを見透かしたようなアヤノの言葉。


『バカな選択なんかじゃないよ。だって――』


 いつも、楽しそうに微笑んでいる彼女の笑顔が脳裏をよぎった。


『タカキが一緒に居てくれる以上のチート魔法なんて、絶対にありえないからね!』




『さあ、タカキ! 改めてアドバイスを頼むね! はじまりのまちで、私はまず何をすべきなのかな?!』


 これから始まるであろう冒険に目を輝かせているであろう彼女の顔が、僕にはありありと想像できた。


『タカキは異世界転生物のラノベいっぱい読んでいるからね! こういう事態には詳しいんでしょ! だから、的確なアドバイスを頼むね!』


 常識的に考えれば、異世界ものの物語をたくさん読んでいたからといって、実際に異世界でやっていけるとは思えない。その理屈が通るのなら、推理小説を読み込んだ人間は優秀な探偵になれるし、戦記物を読み込んだ人間は卓越した指揮官になれることになる。

 ともあれ、僕の常識なんていうものは、この日記帳によって無残にも現在進行形で粉々にされている。僕だってアヤノを助けてやりたいという気持ちがないわけではない。むしろ、積極的に彼女の力になってやりたいと思う。そうすることが、自分の義務であるとさえ思っていた。

 だから、僕が何かしらのアドバイスをすることで彼女の異世界攻略のとっかかりにでもなれば儲けものだろうと、そのくらいの軽い気持ちで僕はペンを握る。


『まず、教えてくれ。おまえのいる世界の街並みは、どんな雰囲気なんだ』


 一口に異世界といっても様々だ。まずは、傾向だけでもつかまなければアドバイスのしようがない。

 僕には彼女の見ている景色は見えていない。今、目の前にあるのは、文字が現れる不思議な日記帳だけだ。だから、彼女に説明してもらわなければ、僕は彼女の現在の状況を把握することはできないのだ。


『一言でいうと、「中世ヨーロッパ風」の街並みだね!』


『「中世ヨーロッパ風」……』


『いやあ、便利な言葉だね! 「中世ヨーロッパ風」! こう描写しておけば、みんな納得してくれるもんね! だれも本当の中世ヨーロッパなんて知らないのにね!』


『まあ、わかりやすいからな……』


 あくまで、「中世ヨーロッパ『風』」なので、実際の「中世ヨーロッパ」とは異なる部分がありますので、ご注意ください。

 僕は少しでも情報を得ようとアヤノに質問を続けることにする。


『町の名前とかは解らないのか?』


『うーん、ちょっと待って……』


 一瞬の間があり、また新たなメッセージが現れる。


『あ、看板がある。「アルデバラン」って書いてる。この町の名前っぽいね』


『「アルデバラン」か……確かおうし座を構成する星の一つだったか』


 と、僕が書き込むと、


『すごい。星の名前とか覚えてるんだ』


 と返ってきた。


『まあな』


(昔、中二病全開だったときに小説を書くために仕入れた知識だけどな……)

 僕が内心でそんなことを考えていると、届くアヤノの言葉。


『それにしても星の名前が元ネタの町の名前かぁ』


『なんだ、何が言いたい』


 僕が問いかけると、


『おそらく、「星の名前とか元ネタにしたらおしゃれだろうな」という安易な発想でつけられた名前だろうね』


『いや、確かに比較的安直なネーミングセンスな気はするけど……』


 結構、横文字の固有名詞って考えるのめんどくさいんだよ……。だから、ついつい星の名前とか、適当なラテン語とかにしちゃうんだよな……。

 僕はそんな会話を交わしながら、一つ気になった点を質問することにする。


『そういや、言語ってどうなってるんだ?』


『言語?』


『異世界なんだろ? だったら、異世界の言語が使われているはずだ。でも、おまえ、普通に読んでたよな。「アルデバラン」って、どういう風に書いてあるんだ?』


 そんな僕の疑問に答えて、アヤノは言う。


『そりゃあ、日本語だよ』


『日本語なの?』


『どうやら、この国の公用語は日本語のようだね』


『異世界じゃなかったのかよ』


『はあ、タカキ。この世にいったいいくつの異世界があるか解ってる?』


『すまんな、寡聞にして知らない』


『異世界なんてそれこそ無限にあるんだよ。だったら、公用語が日本語の異世界があってもいいでしょ』


『いや、理屈の上ではわからんでもないけど……』


 普通、異世界だったら、その世界独自の言語があるものだと思うけど……。


『もしかしたら、伏線かもしれないじゃん。私が今いる世界は、日本が滅びた何万年もあとの世界という』


『うわあ、くっそベタ……』


 マジでありそうだから困る。


『まあ、言語が通じなくて困るよりはいいでしょ』


『まあ、そりゃそうなんだけどさ……』


 何か釈然としない気分ではある。


『で? 私はこれからどう動いたらいいのかな?』

 アヤノの言葉を受けて、僕は考える。


 異世界にやってきて最初にすることって何だろうか。僕は今まで読んできた異世界ものの展開を思い返す。


『たいていの異世界ものだったら、最初の町の路地裏とかで、悪人に絡まれているヒロインを助けるとことから始まるよね』


 僕は軽い冗談のつもりでそんなことを書き込んだ。

 すると――


『それだ!』


 僕は察する。だめだ、これ、アヤノの変なツボを押してしまった。

 僕とアヤノは幼馴染である。当然、付き合いも長い。だから、彼女の性格は熟知している。こうなった彼女がどういった行動に走るのかということも。


『うおおお! 路地を走り回って襲われているかわい子ちゃんを見つけるよ!』


『いや、待て待て! 今のは冗談だ!』


 いくら異世界だからといって、いつも路地裏で女の子

が襲われているはずがない。


『いや、絶対に居るよ! 居ないと困る!』


『なんでだよ!』


『かわいこちゃんとフラグを立てられないじゃないか!』


『おまえ、女だろ!』


 なんで女が女とフラグを立てようとしているんだ!

 僕はもっと、根本的なことに突っ込みを入れることにする。


『だいたい、襲われている女の子なんていないにこしたことはないだろうが!』


『でも、襲われている女の子ならチンピラを倒すだけで股を開くんだよ! こんなチャンス見過ごせないよ!』


『股を開くとか言うな!』


『ともかく探すからね!』


 もう僕は黙って日記を見つめて、待つことしかできなかった。




『居なかった……』


『そりゃ、そうだと思うよ……』


 いくら異世界だからといって、チンピラに絡まれている女の子なんてそうそう居るはずがない。


『なんで……? 異世界の路地裏では常に女の子がチンピラに絡まれているんじゃないの……。そして、女の子の正体は、お忍びで城下町を訪れたお姫様なんじゃないの……?』


『妄想加速してんな』


 まあ、そういうパターンの物語も多いけども……。


『こうなったら、こっちでチンピラを雇って女の子を襲わせて、ワタシが颯爽と助けることでフラグを立てるしか……』


『最低のマッチポンプだよ!』


 発想が古臭いラブコメみたいになっている……。


『わかった。チンピラに襲われてる女の子は諦める……。気持ちを切り替えるよ』


『そうだ。冷静になれ』


 さすがのアヤノも、居もしない襲われてる女の子を探すなどという行動が徒労でしかないということにようやく気が付いたようだった。


『代わりに虐げられてる奴隷の幼女探すよ』


『気持ち、全然切り替わってねえよ』


 まだまだ煩悩に囚われてるようです。


『弱気な獣人の幼女(猫耳)で妥協する』


『妥協って言葉の意味、解ってる?』


 むしろ、ハードル上がってるんだけど。


『その奴隷の女の子を買い取って、メイドにするんだ! ぐへへ……』


『さすがに奴隷の身分といえど、おまえに買われたくはないと思うよ』


『そして、「さすがご主人様!」と無根拠に私を持ち上げさせて、虚栄心を満たすんだ!』


『おまえは、本当にそれでいいのか』


 この女は異世界にいったい何を求めているのか……。


『むー……』


 文字から伝わる不満げな雰囲気。休みなく交わされていたメッセージが止まり、少し間が空く。


『さっきから否定ばっかし!』


 唇を尖らせて拗ねるアヤノの顔が、僕の脳裏に像を結ぶ。アヤノは僕が彼女の考えを否定し続けると、いつもそんな子供のような表情を浮かべた。僕は、そんな彼女の姿を思い出して、思わず、小さな笑みをこぼす。

 僕は改めてペンを握る。


『一回落ち着け。おまえの当面の目的はなんだ?』


『女の子といちゃいちゃすること』


『煩悩を捨てろ』


 こいつ、本当に女なんだよな……。ちょっと心配になってきた。


『おまえは「転生勇者」なんだろ。だったら、とりあえずの目標は魔王を倒すことだ。違うか?』


『ああ、そういえば、そういう設定だったね』


『設定とか言うな』


 おまえが自分で言ったんだろうが……。

 どうやらチート能力を与えてくださった女神様曰く、アヤノは転生勇者であり、その世界の平和を脅かす魔王を倒すために異世界から召喚されたらしい。


『あはは、べた過ぎて笑えるね。でも、今時、こんなひねりのない設定だったら、絶対書籍化してもらえないよねー』


『いや、それはそういう世界なんだから仕方ないだろうが……』


 この世界がラノベかなんかだったとしたら、僕も、もうちょっとうまい設定があるのでは、と思う気もするが……。


『タカキがこの世界の神様だったら、もうちょっと面白い世界にできたかもしれないね』


『意味が分からん』


 僕はアヤノの言わんとしていることを察しながら、あえてとぼける。


『タカキの書く小説だよ』


 アヤノも、きっと僕のそんな態度を察したうえで、あえて直球の言葉をねじ込んでくる。アヤノはそういうやつだ。


『あーあ、タカキの書いた脚本で、お芝居してみたかったよ』


『そんなこと、今はどうでもいい』


 僕は彼女の言葉を打ち切る。

 アヤノは地方の小劇団と学校の演劇部を掛け持ちしている役者だ。普通はしないであろう掛け持ちをしている理由は本人曰く「その方がいっぱい色んな役ができるから」らしい。暇さえあれば台本を読み、舞台のためのトレーニングを繰り返し、素人、プロの見境なく演劇が上演されると聞けば飛んでいく。

 森永アヤノという女は、そんな生粋の演劇バカだった。

 僕が脚本を書いたのは、ちょっとした遊びだった。それをアヤノが勝手に読んで、勝手に面白がった。それだけだ。まして、演劇部に脚本係として入部する羽目になったのも、役者であったアヤノが僕を無理矢理引きずり込んだだけ。僕に物語を作る才能なんてあるはずがない。演劇部に居た二年間で、僕は結局一度も脚本を提出することはなかった。


『タカキが書いた台本で、私が主役として舞台に立つ。それが私の夢だったんだけどね』


『また、そんな戯言を……』


 役者を志す人間というのは、皆これほどまでに夢見がちなものなのであろうか。彼女自身が役者になれるかどうかはともかく、僕の脚本が舞台になることなど、たとえ素人演劇であっても想像もつかなかった。


『ともかく、そろそろ真面目に異世界攻略を始めろ。日が暮れちまうぞ』


『ま、そうだねー』


 と、軽い調子でアヤノは返してくる。

 ちなみに、彼女のいる世界と僕のいる世界には時差があるようだ。だから、僕のいる世界は、今は夜だが、向こうはまだ日が落ちていないらしい。


『とりあえず、情報収集だ。おまえのいる世界がどんな世界なのかわからないと対策も立てられない。だいたい、倒すべき魔王とやらも、どこにいるのかすらわからなければ、話にならない』


『なるほどね。情報ってどうやって集めればいいわけ?』


『まあ、地道に足で稼ぐしかないんじゃないか?』


『ええー! めんどくさい! 「魔王の居場所」とかでググったりしたらダメなの?』


『どうやってググるんだよ……』


 まず、さすがのグーグルも異世界には進出してないと思う。


『ちぇ、こんなことならチートスキルを「異世界で使えるスマートフォン」にしとけばよかったよ』


『おい』

 

 さっき言ってたちょっといい話風のエピソードを台無しにするな。


『まあ、地道に探すにしても何か指標がないとやりづらいよね』


 しかし、アヤノの言うことはもっともである。

 僕は僕なりに考えて提案する。


『まず、おまえの居る世界の情勢とか社会の成り立ちとかが解らないと、どうにもならないのは間違いない』


 今のところ、解っている情報は魔王が居るということのみ。魔王なるものが居る以上は、その配下に当たる魔物も居るのだろうと予想されるが、今のところ、その存在は発見できていない。野生動物のように無秩序に徘徊しているものなのか、魔王の名の元に統制が取れている存在なのかすら解らない。

 アヤノは勇者らしいが、勇者しか魔物に対抗できないのか、それとも、一般の人間にも対抗は可能なのか……。


『とりあえず、こういうときは、情報が集まる店とかを探すのが定番な気がする』


『お、酒場ってやつだね』


『まあ、そうだな』


 現実でも酒場なんかでは噂が飛び交うものだが、異世界ではよりそういうイメージが強いように思う。いわゆる、情報屋のような存在が居るのも、おそらくは酒場だろう。


『よーし、ちょっと探してみる』


『おう』


 僕がアヤノが酒場を見つけるのを待とうとペンを置こうとした瞬間だった。


『あ、あれは……!』


 緊迫感あるアヤノの言葉に、僕は思わず、再びペンを握った。

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