幕間7
「かんぱーい!」
部長の号令に合わせ、部員たちは手にもった紙コップに入ったジュースを頭上に掲げた。
幼稚園での初公演を終えた初めての練習日。僕たち演劇部は、最初の公演の成功を祝して、宴会を行うことにした。まあ、宴会と言っても、部室でジュースとお菓子を摘まむだけなのだけれど。
各々が好き勝手に話をしているが、話題の中心にいるのは、樋川さんのようだった。
「前から思ってたけど、レイちゃんって、すごくうまいよね」
「えー、そうですか?」
「そうだよ。間の取り方とか、静止とか完璧だしさ」
「先輩たちほどじゃないですよ」
樋川さんは先輩からの賛辞をやんわりと受け止めていた。
演劇に関しては素人の僕から見ても、彼女の演技は際立っているように思う。
僕は先日の会話を思い出す。
『だから、その人は私に役者になれと言いました。だから、私は役者になろうと思ったんです』
樋川さんに演劇を勧めた人物が何者なのか、それは解らない。だが、少なくとも彼女には演劇に特別な思い入れがあるのだろう。だから、あれほど真摯に演劇に打ち込むことができる。
「………………」
僕はどうなのだろうか。
僕がここにいる理由は、アヤノに演劇部に入部しろと言われたからに過ぎない。そこに自分の意志はなかった。人の言葉に流された結果、僕はこの場所にたどり着いた。そうした、僕の態度は真剣に演劇に打ち込む皆に対して、ひどく不誠実な態度なのではないだろうか。
そんな思考の果て、僕はあることに気が付く。
なぜ、僕は今更、そんなことを気にしているのだろうか。
そんなことは入部した当初からわかっていたことだったはずだ。だが、僕は自分の目的を果たすためだけに入部することを選んだ。ならば、なぜ今になってそんなことを気にするんだ。
「………………」
自分の気持ちが解らなかった。
「おい、双葉、今回のMVPがそんなはじっこで黙り混んでじゃねえよ」
「え?」
「そうだよ。双葉くんも良かったよ」
僕は何の話をされているのか解らず、戸惑うことしかできない。
すると先輩の一人が言った。
「何、キョトンとしてんだ。脚本の話だよ」
「あ……」
どうやら皆は僕が書いてきた脚本について話をしていたらしい。
「いやあ、あれは、なかなかだったぜ」
「私たち、結構今まで既存の脚本使うことが多かったから、ああいうのはわりと新鮮だったよね」
「ありがとうございます……」
先輩たちの言葉を聞き、僕の胸はじんわりと温かくなる。
「最初はひょろもやしで、だんまりの何もできねえ奴だと思ってたけど」
「ひどい!」
「それは俺の勘違いだったぜ」
そう言って先輩は僕の肩を叩く。
「次の脚本も期待してるからね」
「よ、脚本家」
「やめてください、ハードルを上げるのは」
僕がそう言うと皆が笑い声を上げた。
その光景を見ていた部長は言った。
「うちの部活が楽しいって思えてきた?」
部長の言葉は確かに僕に向かって投げられていた。
「……え?」
「双葉くん、なかなかみんなと話してくれようとしないから、私、ちょっと心配してたの」
部長は優しく微笑んで言った。
「でも、今は楽しそうにしているから、ちょっと安心してたのよ」
「………………」
そのあと、僕は皆とどんな会話を交わしたのか、ほとんど覚えていない。
ただ、部長の言葉だけが、僕の中で砂浜を濡らすさざ波のように静かに響いていた。
それは、ありえないことのはずだった。
夕暮れの通学路。誰も居ないアスファルトの道の上。僕はつい先ほどの部室での出来事を思い返していた。
「うちの部活が楽しいって思えてきた?」
部長にそう尋ねられたとき、自然と頷きそうになった自分が居た。
社交辞令や追従ではない本心で、その問いを肯定しそうになった自分が居た。
それは、ありえないことのはずだった。
僕が今の演劇部での生活を本心から楽しいと思っているなんてことはありえない。
なぜなら、それは僕が今の生活に満足してしまっていることを示すから。
アヤノが僕の隣に居ない生活を受け入れてしまっていることになるから。
だから、ありえないのだ。
僕にとってアヤノはすべてだった。
僕を楽しませ、笑わせてくれるのはアヤノだった。
僕を守り、救ってくれるのもアヤノだった。
だからこそ、僕はアヤノのことを――
見上げた空からは、すでに太陽は消え、暗い夜が始まろうとしていた。
僕はアヤノとの出会いを覚えてはいない。僕が物心ついたときには、アヤノは僕の隣に居た。
「いくよ、タカキ」
そう言って、幼い彼女はいつも僕の手を引いていた。
幼稚園で体の大きい男子にいじめられていた僕をかばってくれた。
小学校で勉強に置いて行かれ始めた僕に勉強を教えてくれた。
クラスで一人、逆上がりができなかった僕の練習にずっと付き合ってくれた。
周囲の子と馴染めず、一人ぼっちで本を読んでいた僕をみんなの中に引き込んでくれた。
僕にとってアヤノは間違いなくヒーローであこがれだった。
彼女の隣に居るときだけ、僕は僕で居られた。
彼女の存在が、僕を一人の人間にしてくれた。
だからこそ、僕はアヤノのことが本当に、本当に――
「………………」
――大好きだったんだ。
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