最終話「このくだらない世界に終焉を」

『まさか、こんなことになるなんてね……』


 僕はアヤノから送られてきたメッセージを見つめる。

 確かに、僕もまさか魔族との戦争の結末があんなことになるだなんて、思いもよらなかった。

 僕は、あの戦争の直後、アヤノの身に起こった出来事を思い返す。




「アヤノ、あなたには王の座を降りてもらうわ」


 私に向かって、そう言ったのはずっと行方知れずだったソラちゃんだった。

 『無限の日記』の力で魔族を退けた直後、疲労を覚えた私はひと眠りすることにした。そして、私が目を覚ますと私は周囲をソラちゃんと見知らぬ人々に取り囲まれていたのだった。


「ソラちゃん?」


「久しぶりね」


 ソラちゃんは以前、ネメシアちゃんと一緒にSSランク任務に挑んでいた冒険者。ずっと連絡が取れない状態が続いていたのだが……。


「王の座を降りろってどういうこと?」


「何のことはない、文字通りの意味よ」


 ソラちゃんは、そんな言葉をはっきりと言い切る。その表情に遊びは感じられない。

 ……どうやら、本気のようである。


「私はかわいい女の子は傷つけない主義だけど、さすがに自分の立場が脅かされるなら抵抗くらいはするよ」


「私も乱暴は趣味じゃないわ。だから、あなたにはぜひ自発的に王の座を降りてもらえると助かる」


 ソラちゃんは取り付く島もない。

 やれやれ、どうやら少しばかり乱暴な手段を取らざるを得ないようである。


「兵士たちよ、こいつらを捕らえて。乱暴はダメだよ」


 私は後ろに控えているであろう兵士たちに命令を下す。

 だが――


「って、早く来てって……え?」


 あれ? 私に付き従っていた兵は、私の命令を受けても一歩も動こうとはしなかった。

 ん……? あれ? どういうこと?


「兵士の皆さんには、おとなしく待ってもらうようにお願いしたわ」


「なんで? そんな私の命令を無視してまで……」


「あなたを、もう王とは認められなくなったということでしょうね」


 バカな……。

 だが、現前たる事実として、私の命令は無視されている。

 いったい、どういうことだ……?

 だが、私はそこでひらめく。

 いつも、やってきたことを今こそやるべきなのではないか……?


「兵士たちよ! 命令に従わないなら、ここでそれぞれの秘密を暴露するぞ!」


 私は日記の力で人の秘密を暴き、それを盾にして、配下たちを統率してきた。だから、こう言えば、全員が私の命令には逆らえないはず……!


「やれるもんならやってみやがれ!」


 そう答えたのは、かつて、私が泊まっていた宿屋の店主だった。彼は兵士ではないけれど、どうやら戦争のために自発的に駆けつけてくれていたらしい。


「『ジェームズ』のことをばらしてもいいの!」


 私がそう叫ぶと、


「ああ、構わねえぞ!」


 と、そんなことを言う。

 なん……だと……?

 ゲイバーにドはまりしてあんなことやこんなことをしている事実を奥さんにばらされても構わないというのか……?


「家内は認めてくれたよ、俺のゲイバー通いをな」


「は?」


「俺も長年連れ添っていながら、知らなかったんだが……家内は生粋の腐女子だったらしい……」


「はあ?!」


「だから、俺のゲイバー通いは、むしろ妄想が捗るって感謝されたぜ!」


「いや、どんな趣味だ?!」


 奥さん、ヤバすぎない?!


「私も、もうあなたに従う理由がなくなりました」


「ショタコンの大臣?!」


 ショタの愛人を囲っている大臣もいつの間にか戦場に参上していたようだ。


「私は、年若い年少の少年と恋仲であることを恥じていました……。しかし、私の秘密を知った周囲の人々はこう言ってくださいました。『ジジショタ尊い……』と」


「意味わからん?!」


「私の趣味は決してマイノリティではなかったのです」


「この世界、闇深すぎでしょ!」


「よく考えたら、別に未成年とあれやこれやしてはいけないという法律はこの国にはないですし」


「即刻、法改正を求めるよ!」


 だめだ、この国……早くなんとかしないと。


「我も貴様におびえる必要はなくなったようだ」


「元王?!」


 なんだ、なんでこいつまでここに……?


「我は、王である前に変態だった……我は、おむつをつけていなければイケない趣味なのだ」


「誰も得しないカミングアウトやめて!」


「おそらくは幼少期、父母から十分な愛情を受けられなかったことに端を発する趣味だったが……」


「さらっと悲しい過去の暴露」


「おむつがなければ生きていけないのは、我、一人だと思っていた……我は、孤独だと思っていた……」


 王は語り続ける。


「だが、おむつをつける趣味の人間は、我以外にもたくさんいた……」


「そうだぜ、俺もジェームズとあれするときは、おむつだ……!」


「私も、少年との行為の際はおむつです」


 周囲にいた人間も口々に叫ぶ。


「俺もそうだ!」


「僕だって一緒です!」


「あんたは一人じゃねえぞ!」


 王はそんな光景をじっと見つめる。

 そして、彼は瞳から熱い涙をこぼして言った。


「我は、一人ではなかった……!」


「物語のクライマックス風演出やめろ!」


 そんないい話じゃないと思うんですけど!


「さあ、これで分かったかしら。もう、あなたに付き従う人間は居ないということが」


 ソラちゃんは私に改めて事実を突きつける。

 だが、私にはまだわからないことがある。


「なんで急に? 今まではみんな自分の秘密をひた隠しにしていたでしょ」


 そうだ。人の秘密というのは、話せないから秘密なのだ。それをこんなに簡単にカミングアウトできるなら、そもそもみんな秘密になんてしなかったはずだ。


「彼らの秘密を白日の下にさらしたのは、他ならぬあなた自身よ」


「いや、私は誰にも秘密を話したりは――」


 すると、ソラちゃんは無言で明後日の方向を指さす。

 私がそれを目で追うと、


「あ……」


 そこにあったのは、私が魔族を追い払うために使った日記帳だった。

 私の力は他人の日記を作り出す力。当然、あの日記帳にも一人一人の秘密が書かれているわけで……。


「あなたが眠っている間に、皆は他人の日記を読んでしまったのよ」


「なあ!」


「そして、自分の秘密が他人にひた隠しにしなくてはいけないようなものではないことを知ったのよ」


 うかつだった。

 あの日記は魔族を追い払う武器である以前に私の今の立場を守るためのツール。出しっぱなしに放っておいたのは失敗だった。


「これでわかったわね。あなたはもう王では居られないわ」


「………………」


 確かに、あくまで今の私の地位は人の秘密を盾に勝ち取った物。その秘密が白日の下になった以上、皆が私に従う必要はない。


「じゃあ、王はどうなるのさ……」


 私はソラちゃんに問いかける。


「もう、王は必要ない」


「え?」


「この国は、私たち革命軍が立て直す」


「革命軍?」


 ソラちゃんが革命軍?!

 というか、それ以前にそんなものが存在していたのか?


「そんな存在、私は知らない」


「当然、水面下で動いていたからね」


「だけど、そんな存在が居れば、私の日記の力でわかるんじゃ――」


 確かに、私の日記の力は一度会ったことのある人間に対してしか使えない。革命軍のメンバーと一人もあったことがなければ、私がその動向を知ることは不可能だろう。

 だが、少なくともメンバーの一人であるはずのソラちゃんには私は出会っている。だが、なぜ私は革命軍の存在を認識できなかった……?

 そこで私は気が付く。


「そういえば、ソラちゃんの日記帳は白紙……」


 思い出す。確かにソラちゃんの日記は呼び出せた。だが、その中身は白紙だった。中身は書いてあれば、私は革命軍の動きを知ることができただろう。だが、白紙だったからこそ、私は革命軍の動きを感知できなかった……。


「なんで、ソラちゃんの日記は白紙だったの……?」


 私がそう問うと、ソラちゃんは言う。


「理屈は簡単よ」


 ソラちゃんは平然とした調子で呟いた。


「私、字が書けないもの」


「は?」


「アヤノはこの国の識字率を知らないのかしら? 平民出身の者で文字が書ける人間はそこまで多くないわよ」


 識字率。それは文字を書ける人間が国にどれだけいるかという割合を示す数字。日本なら識字率は限りなく百に近い。だが、世界中の国々を見てみれば必ずしも日本と同じような数字だとは限らない。それが異世界であるならば猶更だろう。

 私はこの力を手に入れた早い段階で王宮に入り浸ってしまった。王宮に詰める兵士や侍従は比較的教養が高いものが多い。だから、私は文字を書くことができない人間が居るという当たり前の事実を失念してしまっていた。

 ソラちゃんの日記は白紙であるという事実をもっと真剣に考えるべきだった……。

 そうすれば、私もこの簡単な事実に気が付いていたかもしれないのに。


「さあ、解説はこれくらいでいいかしら」


 ソラちゃんはまっすぐに私を見つめている。


「さあ、アヤノ。あなたにはこの国から出て行ってもらう」


「国外追放?!」


「仮にも元王だからね。さすがに国内に置いておくわけにもいかないわ。あくまで建前だけどね」


 確かに、王位を剥奪された元王が国内にとどまっているのも問題だろう。


「じゃあ、前の前の王はいいの?!」


 私は抗議の意味を込めて、前のオムツ王を指さす。

 すると、オムツ王は言った。


「むろん、我も国外に行くさ。何、当てはある。南にオムツ作りがさかんな国があってな。一度行ってみたいと思っていた」


「ほんと、好きだね、オムツ……」


 なぜか幸せそうな顔をしているので、もはや八つ当たりする気にもなれない……。


「というわけで、あなたが出て行ってくれれば、すべては丸く収まるのだけれど」


 全員の視線が私に注がれていた。

 これは年貢の納め時という奴か……。

 私は大きくため息をついて言った。


「わかったよ、出て行くよ……」


 一瞬ですべてを失ってしまった。都落ちとはこういうことを言うのだろうか……。


「勘違いはしないでほしいんだけど」


 失意のどん底に叩き落された私にソラちゃんは言った。


「別に皆、あなたのことが憎いというわけではないそうよ」


「……うそでしょ?」


 いかに私と言えど、それなりに無茶苦茶をしてきたという自覚はある。それで私を恨んでいないという方がおかしいではないか。

 ソラちゃんは言う。


「あなたは確かに人を脅しはしたけれど、人が嫌がるような命を下したことはなかった」


「………………」


「それにこの国を良くしようと動いてくれたことは確かだから」


「……それは自分が皆から嫌われないようにするための打算」


「同じ事よ。打算のない人間なんていない。自分のための行動だって、他人の為の行動だって、計算して行えば、それは打算よ」


 それは詭弁ではないかと思う。やはり、同じ行動でも、自分の為に行うことと他人の為に行う事の意味は変わってくるはずだ。


「まあ、そんな理屈で納得できないなら、もっと簡単な言い方をするわ」


 ソラちゃんは、初めて優しく微笑んで言った。


「結果論とはいえ、あなたのおかげで皆は自分の秘密を守ることから解放された。実は、みんな、それが結構嬉しかったりするのよ」


 そんな風に言って笑うソラちゃんは、やっぱり笑っていた方が美人に見えるなと、私はそんなことを考えたのだった。




『タカキはさ』


 国から追放され、放浪の旅を続けるアヤノは言った。


『秘密はない方がいいと思う?』


 僕たちのやり取りはいつだって日記越しだ。だから、彼女が今、どんな顔でこのメッセージを書き込んでいるのか、僕には解らない。だけど、僕はこのメッセージから普段とは違う何かを感じ取った。それは勘としか言い様のないものだ。

 この答えは、慎重に返答しなくてはならない。

 僕はペンを握り直す。


『ない方がいいと思う』


 僕はそう答えを返した。

 アヤノは何か僕に対して秘密を抱えている。それは間違いないことだ。だが、彼女がその秘密を持つことで、僕に負い目を持っているのだとしたら――


『秘密なんて持たない方がきっと楽になれるよ』


 僕はアヤノにそう伝えた。それは僕の紛れもない本心だった。


『……そっか』


 少しの間を置いて帰ってきた短い返答。


『タカキは優しいね』


『何が』


『ううん、なんでもない』


 アヤノはいったい何を考えているのだろう。

 僕たちは幼なじみだ。子供の頃はずっと二人一緒だった。だから、僕は彼女が考えていることが何でもわかったし、彼女もきっと僕の考えを理解していた。

 だけれど、僕たちは少しずつ大人になっていく。

 僕はだんだん彼女の考えていることが解らなくなっていく。恐らくは彼女もきっと同じ。

 僕たちは自分たちでも気がつかない内に、少しずつ違う方向を向き始めていたのかもしれない。

 この日から、アヤノからのメッセージは減っていった。




 僕は日々を過ごしていく。

 学校に行って、授業を受けて、樋川さんに話しかけられ、演劇部に通って……。

 それが、僕の日常だった。

 いつの間にか、それが僕の日常になっていた。

 その事の意味に、このときの僕はまだ気がついていなかった。




『久しぶり』


 それはおよそ一週間ぶりのアヤノからのメッセージだった。僕は一日に何度も日記を開いては、その度にため息を積み重ねる日々を過ごしていたから、アヤノの文字を見つけたときの喜びはひとしおだった。


『なにやってたんだよ』


『色々あってね』


 アヤノは僕の追及を、そんな簡単なことばでかわした。


『ねえ、昔のことって、どれくらい覚えてる?』


 それは唐突な問いかけだった。


『昔って?』


『私たちが子供の頃のこと』


『まあ、ある程度は覚えてると思う』


 僕には友達と呼べる人間は少なかった。だから、僕の幼い頃の思い出の大半はアヤノで占められている。


『色々あったよね』


『まあな』


『タカキが家の鍵がないって言って、二人で通学路を探し回ったりとか』


『……あったな』


『あのとき、タカキ、泣いてたよね』


『泣いてねえよ』


『あれは泣いてたよ』


 だとしても、あれは小学校に入りたてのころだ。無理からぬことだろう。


『クラスで一人だけ九九のテストが合格できなくて、私が教えてあげたこともあったよね』


『まあ、あったな……』


 あれは、人前だと緊張して出来なかっただけで、アヤノしかいない場所なら出来たんだ。


『あと、夏休みの宿題が出来てなくてさ』


『もういいだろうが。なんだ? 僕の幼い頃の失敗をあげつらいたいのか?』


 僕がそんな言葉を書き込むと、


『タカキは私に色々な話を教えてくれる』


「………………」


『宇宙から攻めてきた機械生命体に剣と魔法で戦う話とか』


『確かに書いてたな……』


 ラストの展開が思いつかなくて、途中で放り出しているけど。


『大切な人を守るためにいくつもの世界を超えて、転生し続ける話とか』


『あれも完成してないけどな……』


 たくさんの世界の設定を作ることに、途中で力尽きてしまったのだ。


『タカキが語る物語は面白くて、私はずっと聞いていたいと思えた』


『それは言い過ぎだ』


 本当に、こいつは僕のことを過剰に持ち上げすぎる。

 僕には何のとりえもない。そんな無能な僕が作ったものだからこそ、人並み程度にはできた創作が少しはましなものに見えていたにすぎない。幼稚園児が漢字を書ければ、すごいとほめたたえられるが、高校生が漢字を書けたところでほめられないもしないのと同じだ。要するに、僕は他に何もできない幼稚園児と変わらない。

 僕はアヤノに褒めてもらえるような人間じゃない。

 みんなから認められ、愛されるアヤノのような人間に。


『ううん。少なくとも私にとっては世界中のどんな物語よりもタカキが作った物語が好きだった』


 アヤノは言う。


『本当に大好きだったんだよ』




 アヤノからの連絡はさらに途絶えがちになっていく。

 二日続けてやり取りができる日もあれば、一週間近くも何の音沙汰もない日もあった。


『大丈夫なのか』


 僕は問いかける。


『大丈夫だよ』


 アヤノはそう答えた。

 だが、アヤノが僕に何かを隠していることは明白だった。

 その内容は解らない。だが。それはきっと僕を守るために隠しているのだろうということは想像がついた。

 アヤノに頼ってもらえない弱い自分が、情けなかった。

 そして、ついに、その日は訪れた。




『ねえ、タカキ』


 数日ぶりのメッセージだった。


『大丈夫なのか』


 そのメッセージを見つけた僕はすかさず返信を行う。

 だが、アヤノは僕の言葉を無視して語り続けた。


『もう何度メッセージを残せるか解らないから、伝えたいことをすべて伝えます』


「メッセージを残せるか解らないって……」


 どういうことだ。

 僕は思わず、日記に縋りつく。


『タカキは優しい人です。それがタカキのいいところ。この交換日記を初めてくれたこと、私は本当にうれしかった』


 そんなことはどうでもいい。

 メッセージを残せるか解らないってどういうことだ?

 だが、僕の思いは届かず、アヤノは淡々とメッセージを送り続ける。


『タカキはちょっぴり臆病なところがあります。私はそれが心配でした』


 なんだ? なんで今更そんな話をする。


『だから、私が守らないと、ずっと思っていました』


 そんな言い方、まるで――


『だけど、最近のタカキを見ていて思いました。』


 まるで――


『もう、私が居なくてもきっと大丈夫だって』


 もう二度と会えないみたいじゃないか――


『おかしいな……。ほんとはこんなこと言うつもりじゃなかったのに……ただ、もう帰らないって言うだけのつもりだったのに……』


「なに言ってるんだよ!」


『一緒に居てあげられなくて、ごめんね』


「おい、アヤノ!」


『さよなら、タカキ』


 僕は日記に縋りつき、食い入るように見つめる。だが、それ以上、何をすることもできない。

 僕たちの距離はあまりに遠すぎた。


『大好きでした』


 そんな言葉を最後にアヤノからのメッセージは途絶えた。


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