第二話「スライム倒して30分、気が付いたらレベル2になっていました」

『あ、あれは……!』


 アヤノは何かを発見したようだ。

 僕は日記を通して、彼女に問いかける。


『どうした? 何を見つけた?』


 何かとんでもないものでも見つけたのか。あるいは、何か恐ろしいものか……。

 握ったペンに込める力が強くなる。

 いったい、何が起こったのか。


『おい、アヤノ』


 僕がもう一度、問いかけると――


『見つけたんだよ……私の望みを叶えられる場所を……』


『望みを叶えられる場所……?』


 元の世界に帰るための重大な手がかりでも見つけたというのか……?

 僕は黙って、アヤノの言葉を待つ。


『男なら誰もが憧れる夢の国……』


『男なら……?』


 アヤノは、力強い文字で綴った。


『異世界キャバクラだよ!』


『はい、解散』


 わざとらしいタメ乙でした。




『キャバクラだよ! きれいなちゃんねーがいっぱい居るんだよ! こりゃあ、行くしかねえべ!』


『おっさんかよ』


 アヤノの女好きは、たまに冗談という言葉で済ませられないレベルに達しているような気がする……。キャバクラに行きたがる女子高生が、この世界に一体どれだけいるだろうか。

 まあ、そんな女らしくないアヤノだからこそ、まともに女の子と話すこともできないような冴えない僕も、変に身構えることなく、ずっと一緒に居られるのだけど。


『おまえ、もう目的忘れてるだろ』


 僕が呆れながら、文字を書き込むと、


『か、勘違いしないでよね! 私はあくまで情報を集めるためにキャバクラに入ろうとしているだけなんだからね!』


『なにその口調』


 まあ、確かに、なぜ、急にツンデレ口調になったのかはともかく、キャバクラも酒場の一種には違いない。確かに、情報を集めることも可能だろう。


『どんな女の子が居るのかな……やっぱり、キャバクラだからエロいサキュバスの女の子とか居るのかな……いや、借金の型で売られた金髪碧眼のエルフの女の子という線も捨てがたい……』


『いったい、何の情報を集める気なんですかね』


『よし、善は急げ! 早速、入店するよ! たのもー!』


 僕は彼女が戻ってくるのを待つことにした。




『た、ただいま……』


『どうした?』


 文字から彼女の憔悴具合が伝わってくる。


『何があった?』


 僕は彼女に問いかける。


『店に入ろうとしたら、お金がないことがばれて、追い出された』


『まあ、そりゃそうだよな……』


 そのあたりは現実世界と同じだろう。金がないものを受け入れてくれるほど、キャバクラの懐は深くないだろう。

 彼女の言葉で湧いた疑問。僕はそれを尋ねることにする。


『そういえば、おまえ、今、どんな格好してるんだ?』


『お、あれなチャットじみた会話だね』


『今の言葉からそんな発想に至る女はお前くらいだよ』


 彼女の脳内は常にピンク色である。


『私は今、制服だよ。制服合わせの直後に異世界に来たからね』


『そうか……』


 まあ、確かに異世界転生、もとい転移なら直前の服装で異世界に召喚されるパターンが王道。そういう意味では、ある種、予想通りではある。


『手ぶらで歩いてたから、持ち物は何もないけどね』


『なら、何かの物を売って、金を得るっていうのも厳しいな』


『そうだね。売れるとしたら、私の肉体くらいかなあ』


 また、さらっととんでもないことを言う女である。

 僕は呆れて何も言えなくなっていたのだが、


『あっ! 勘違いしないでよ! 体を売るって言っても、変なおっさんに身体を許すって意味じゃないよ!』


 アヤノは慌てた調子で書きこんだ。

 まあ、彼女の言っている身体を売るとは、言葉の綾なのだろう。


『ああ、解ってる。肉体労働するって意味――』


『私が身体を売るのは、かわいい女の子限定だからね! 勘違いしちゃダメなんだからね!』


『いや、やっぱそっちの身体を売るなのかよ……』


 繰り返す、彼女の脳内は常にピンクである。


『まあ、でも、私の肉体の価値は高いと思うんだよ』


『まだ、続けるの?』


 もう、そろそろ新しい話題に移行したいんだけど。


『私、かわいいし、スタイルもいいし、愛嬌もあるし。結構、上玉だと思うよ』


『上玉とか普通、自分で言わねえだろ』


 やっぱ、こいつ、おっさんなんじゃないだろうか……。


『タカキ、なんかさっきから否定的な空気を漂わせてるけどさ』


 僕はアヤノの言葉を待つ。


『タカキは、私のこと、どう思ってるの?』


「は……?」


 僕は思わず、間抜けな声を漏らした。

 自分以外に誰も居ない部屋に僕の間の抜けた声だけが漂っていた。

 こいつは何を言い出すんだ……?

 確かに昔から奇矯な発言が多い女ではあったし、僕をからかうようなことを言うこともあった。だけれど、これほどまでに直球で問われたのは初めてのことで、僕は思わず動揺してしまう。

 僕がアヤノをどう思っているか……?

 そんなこと、考える必要もないことだった。

 答えは、たった一つしかありえないから。

 僕は、ただただ、ひたすらにアヤノのことが――


『なんてね』


 そんな短い言葉が僕の思考を遮った。


『さ、冗談はこれくらいにしておいて、冒険を進めよう』


 僕は彼女の書いた柔らかな文字を、ただじっと見つめる。


『まだ、もう少しの間、楽しい時間は続くからね』




『はい、というわけで、町を出て近隣の森へとやってまいりました』


『なに、そのノリ』


『では、今からお金のために、さっそくモンスターをね、狩っていこうと思います』


『だから、何なの、そのノリは』


 よくわからないスイッチが入ったようである。

 まず、情報を集めるために酒場に入ろうにも先立つものがなければ、どうしようもない。そのため、モンスターを倒すことで金を稼ごうという話になったのだが……。


『なあ、無理に酒場に入らなくても、とりあえず、道行く人にでも声をかけて情報を集めた方がよくないか?』


 酒場に入るというのはあくまで手段であって、目的ではない。今、欲しいのはアヤノが居る世界の情報だ。ならば、目についた人間に話を聞くなりすればいいのであって、いきなり、モンスターに挑むというリスクを犯す必要はない気がするのだが。


『タカキ、道行く人は私にお金を恵んでくれると思う?』


 アヤノの問いかけに、僕は答える。


『いや、さすがにそこまで親切な人はそう居ないとは思うが……』


『そうだよ。だから、私がキャバクラに入店するためには自力でお金を稼がないといけないの!』


『目的と手段をはき違えるっていうのは、こういうことを言うんだろうな』


 彼女の煩悩は留まるところを知らないようである。

 僕は気になっていたことを問うことにする。


『いきなり、モンスターに挑もうとしているようだが勝算はあるのか? おまえ、僕と通信する以外の魔法は使えなかったんじゃなかったか?』


『そうだよ』


『じゃあ、モンスターと戦えないじゃないか』


 僕がそう指摘すると、


『タカキ、私は転生勇者なの。これがどういうことなのか。タカキならわかるでしょ?』


『すまん、何が言いたいのかさっぱりだ』


『やれやれ。仕方ないね。説明してあげる』


 なぜか上から目線のアヤノに若干苛立ちを覚えたが、僕は黙って彼女の言葉を待つ。


『異世界に召喚された勇者。それは間違いなく主人公だよ』


『主人公?』


『勇者に選ばれるような人間は、主人公って相場が決まってるんだよ』


 まあ、言いたいことは解らないでもない。確かに勇者が主人公というのは王道だろう。最近は、その逆を突いて魔王が主人公とか、勇者が闇落ちして人類の敵に回るなんてパターンもちょくちょく見られるが、それはあくまで、「勇者=主人公」という前提を元に組み立てられた物語だ。そう考えれば「勇者=主人公」という図式は、それほど的外れというわけでもないだろう。


『で? 勇者=主人公だったら、いったいなんだって言うんだ?』


『主人公には、ある特殊な力が宿るんだよ』


『特殊な力?』


『それは、「主人公補正」』


 「主人公補正」とは、文字通り主人公にかかる補正のことだ。

 常識的に考えれば、絶対に生還できない窮地からでも主人公だけは助かったり、ヒロインたちが他の脇役には目もくれず、たいして魅力もない主人公にぞっこんになったりする。それも、すべて「主人公補正」。物語における主人公とは、文字通りの意味でその世界の中心に居ると言えるのだ。


『ここまで言えばわかるでしょ。私は主人公。だから、とりあえず、モンスターと相対しさえしてしまえば、隠された能力が発動することは間違いないんだよ。あるいは、のちに私のハーレムに加わることになるであろうかわいいヒロインが助けに来てくれる』


『さすがに、ご都合主義が過ぎると思うんだが……』


『あ、さっそくモンスターを発見! あれは、おそらくスライム!』


 そうこうしているうちにアヤノはさっそくモンスターを発見したようである。

 ファンタジー世界におけるスライムというのは、通常、どろりとした粘土のような肉体を持った不定形のモンスターのことだ。たいていの作品でスライムと言えば、最弱の扱いを受けている。最初の戦闘の相手としては悪くない部類ではあるだろうが……。


『よし、倒してくる!』


『おい、ほんとに気をつけろよ』


 今、異世界に居るのはアヤノだ。僕はあくまで日記越しにその一端に触れているに過ぎない。

 僕と彼女の世界は隔てられている。

 ただ黙って、待つほかに僕にできることはなかった。




『大変なことになったよ……』


 数分後のことだった。アヤノからのメッセージが届く。

 僕は日記を固唾を呑んで見守っていたから、彼女の言葉にすぐに反応する。


『どうした? 何があったんだ?』


 まさか、モンスターにやられてケガでもしたのだろうか。こちらから、彼女の様子が見えないことが本当にもどかしかった。


『まあ、待って。起こったことを整理して説明するから』


 彼女から送られてくるメッセージは落ち着いている。そこまで深刻な問題が起こったわけではないのかもしれない。僕は努めて冷静に彼女の言葉を待った。


『私には今、こんなことが起こったんだよ』




 私はスライムを見つけた。

 スライムはパッパッと動いて私の前までくる。

 すると、スライムはビュッビュッと攻撃を繰り出す。

 それを私はガーっと動く。

 すかさずスライムはドババババババとなって、ズガンドカンとなって、ドロドロドロドロ、バキューン、バタン。

 私はやられた(笑)


『何ひとつ状況が解らねえ!!』


 作文下手か。


『え? でも、異世界ものの小説って、大体こんな文章じゃない?』


『さすがに、こんなひどい文章はねえよ』


『そうかなあ……?』


 僕はもう一度彼女の文章に目を通して言う。


『まあ、四行目くらいまでは解らないでもない。ただ五行目の「ドロドロドロドロ」って何の擬音だよ』


『こう、「ドロドロドロドロ」って服が溶けたの』


『服が溶けた?』


『あれだよ。お色気作品特有の服だけ溶かす粘液を発するタイプのスライムだったから』


『いや、確かにそんな作品あるけどさ……』


『この世界がラノベだったら、たぶん、ここが冒頭のカラーイラストになってると思う』


『サービス精神が旺盛』


 こいつの思考は本当にどうなっているのだろうか……。


『まあ、ともあれ、今ので感覚はつかめた。次はスライムくらいなら倒せそうだよ』


『ほんとかよ……』


『まあ、今のはぶっちゃけ、服だけ溶かすタイプのスライムと解って、好奇心でわざとダメージを食らってしまった節があるから』


『変態かな』


 彼女が妙な性癖に目覚めないことを祈るばかりである。


『あ、新しいスライム居た』


 どうやら、新たなモンスターを発見したようだ。


『よし、行ってくるよ』


『ほんと、気をつけろよ』


『大丈夫、必ず戻ってくるよ。まだまだタカキと話したいことがいっぱいあるの……。戻ってきたら、言うね……』


『おい、死亡フラグ立てるな』


『じゃあ、行ってくる!』


 僕は、やはり、黙って待つ他ないのだった。




『た、ただいま……』


 それから、数分後、アヤノの言葉が日記上に現れる。


『おい、大丈夫なのか?』


『うん。なんとか……。起こったことを順序立てて説明することにするよ』

 

 私は大型肉食恐竜型スライムと小型獣型スライム対峙する。

 まるで獲物の邪魔をするなと言われているようで、攻撃を止めてしまう小型獣型スライム。

 小型獣型スライムは大型肉食恐竜型スライムに牙を向けて威嚇したり、吠えて威嚇している。

 そして、大型肉食恐竜型スライムが私に攻撃を加える。私はよける。

 次に小型獣型スライムが私に向かってくる。私はよける。

 大型肉食恐竜型スライムと小型獣型スライムは、争うように我先にと私に襲い掛かってくる。

 私はやられた。

 大型肉食恐竜型スライムと小型獣型スライムは、私を置いて、戦い始めた。




『読みにくすぎるわ!』


 おまえは代名詞に親でも殺されたのか。


『だいたい『大型肉食恐竜型スライム』に『小型獣型スライム』ってなんだよ。『型』を二回も使ってんじゃねえよ』


『ガタガタうるさいなあ』


『うまいこと言ったつもりか』


 おまえの悪文のせいなんだよ。


『まあ、結局、一体だと思っていたスライムが二体いたから返り討ちにあったっていうことだよ』


『最初からそう言ったらいいんじゃないですかね』


 なぜ無理に難しい戦闘描写をしようとするのか。

 一瞬の間。そのあとに、アヤノから送られてくるメッセージ。


『まあ、ともあれ、私もさすがに学んだよ。スライムといえど、モンスターはモンスター。無策で勝てる相手ではないってね』


『そらそうだろうな』


 そんな簡単にモンスターを倒せるなら苦労はしないだろう。


『というわけで、サクッと修行することにするよ』


『サクッとって……』


 修行ってサクッとやれるようなものなのだろうか……。


『というわけで、私の修行が終わるまでちょっと待っててね』


 そう言い残してアヤノは修行を始めたのだった。


 そして、五分の時が流れた……。


『ただいま、修行終わったよ』


『はっや』


『いやあ、苦労したなあ、修行』


『五分しか経ってないんだけど』


 僕がそう告げると、


『はあ、やれやれ、修行にとって大事なのは時間じゃないんだよ』


『それにしても早すぎるだろ』


『解らないかな? 今時、修行回なんて流行らないの。某週刊少年誌で修行回を三話も四話もやってみなよ。確実に打ち切られちゃうよ。アンケート取れないからね』


『何の話してんだよ』


『まあ、修行の成果は言葉ではなく、結果で語ることにするよ』


『なんかそれっぽいセリフでごまかそうとしてないか』


『では、さっそく戦闘開始だ!』



 

 そして、五分後。


『やり遂げたよ、私は……』


『おう、そうか』


 だんだん、アヤノに付き合うのが馬鹿らしくなってきた僕は軽く流した返事をする。


『何があったのかを詳細を語るよ』


『はい、どうぞ』




 それは黒雲の立ち込める暗い日のことだった。

 その陰鬱な空は、その当時の私の心を象徴しているかのようであった。今から私は奇々怪々たる獣に相対さねばならないのだ。そういう状況にあった私の精神の均衡に傾きが生じていたということも無理からぬことであっただろう。

 私は細く短い棒きれを握りしめる。私は今からこの頼りない武器一つで怪物に立ち向かわねばならぬ。まるで朽ち果てた骨のように頼りないそれが、今から私の命を握っているのだと思うと、恐怖という感情を超えて、いっそ愉快とすら感じられるほどに私の精神は擦り切れていた。

 だが、やらねばならない。

 そうでなければ、生き残れない。

 それが、この世界における摂理であった。


 私の目は数歩先に居るそれを確かにとらえていた。

 その怪物の身の丈は、私の腰にも達していない。それには、禍々しい爪もなければ、荒々しい牙もない。その肉体は粘液のみで構成されており、その姿は汚濁した泥を彷彿とさせた。

 だが、そんな柔らかく、脆そうなそれは、確かに一個の怪物であった。

 対峙した私には、それがはっきりと解った。

 ああ、今にも凶悪なそれは、しなやかで、いっそ美しくさえあるその触手を伸ばし、我が肉体を蹂躙せんとするのだろう。

 身震いが私を襲う。

 このとき、私の魂は形而下を離れ、無謬の海たる遠い世界へと旅立ってしまっていた。

 なぜ人は生きるのか。

 人が生きる意味とは何なのか。

 なぜ、人は与えられた命に執着し、もがくのか。

 生きることは苦しみであるとどこかの詩人は言った。

 ならば、なぜ人はそこまでして生きるのだろうか。

 そして、私は、十年前のとある雨の日の出来事を思い出していた。




『いいから、はよ戦えや!』


『ええー、こっからが盛り上がるところなのに。回想に三話も四話も使うけど』


『それこそ某週刊少年誌だったら、打ち切られるわ』


 いったい、僕たちは何の話をしているのだろう……。

 僕はもう一度、彼女の書いた文章に目を通す。


『さっきまでの悪文に比べて、急に文章力が上がってる気がするんだが』


『そこが修行の成果だね』


『いったい何の修行してるんだよ』


 僕は肝心な点を指摘する。


『結局、スライムはどうなったんだよ』


『あ、そうだよ。もう、タカキが途中で遮るから!』


 僕が悪いのだろうか……。


『じゃあ、続きを語るよ』




 私はスライムを倒した。やったぜ。  




『急に雑!』


 さっきまでの過剰に丁寧な描写はどうした。


『まあ、シンプルな文章が一番だよね。複雑で、雰囲気だけ意味深な文章が高尚だと思うような時代は卒業したってことかな』


『急に達観してんじゃねえよ』


 物書きが艱難辛苦の果てに達する境地じゃねえか。


『まあ、そういう境地に一足飛びでたどり着いてしまうのが』


『しまうのが?』


『「主人公補正」だよね』


『都合のいい言い訳にしてんじゃねえよ』


 今後もすべてこの理屈で理不尽を通しそうだな、と僕はため息を吐くのだった。




『さて、スライムも倒せたことだし、これでお金が手に入るはずー』


 肝心のスライムを倒した方法はまったく解らなかったのだが、とりあえず、これで異世界攻略は一歩前進ということで良しとするほかないだろう。

 僕がそんな風に考えて、彼女の言葉を待っていると――


『え、こ、これはー?』


『え、この引き、毎回やるの?』

 

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