第4話 落とし穴② 甘酸っぱさは唐突に



「………………………っ!」



 彼女の姿が消えた直後、暮人は突如起きた現象に驚愕の表情を浮かべながらその大穴を覗き込む。


 そこには―――、



「ちょっ………! た、助けてー!! ヘェルゥプミー!! 私、貴方を殺すまで死にたくないのぉぉ!!」

「人に助けを求める態度と言葉じゃないし、ミイラ取りがミイラになってどうする」



 端にしがみ付いて涙目で必死に暮人に助けを求める聖梨華の姿がそこにはあった。プルプルと震えており落下するのも時間の問題だろう。


 そんな彼女の様子を横目に穴の底を覗き込んでみると超巨大の剣山のような針が大量に生えていた。そして覗き込んだ時に気が付いたが、どうやら中は凄くひんやりとしており、底には白い冷気が漂ってる。



「あ、だいぶひんやりとしてて気持ちいい。今日は暑いからしばらくこうしてて良い?」

「その前にこの状況をなんとかして貰っても良いですか!? 今一瞬この状況! 学校一の美少女が巨大な穴に落ちようとしているんですよー!!」

「せっかく溜めた貴重な女神の力を使ってこんな罠仕掛けたからでしょ」

「如月さんだけが反応する罠を仕掛けようとしていたんですが、私としたことが自分が反応しないようにするのを忘れてました!」

「どうしようもなく自業自得だ!?」



 こんなやりとりが続いている現在でも瞳を閉じながら滅茶苦茶ぷるぷると震えている。外見が圧倒的美少女なのでその様子に小動物的な可愛さを見出すが、もうそろそろ彼女も我慢の限界だろうと助ける為に手を差し出す。


 ひぐっ、えぐっ、と嗚咽を洩らしながら彼女は暮人が伸ばした手をがっと強く握りしめる。そのまま地面に引き上げようとするが―――、



「………ん?」



 暮人の手を彼女が握った瞬間、聖梨華の引っ張る力が強くなったような気がした。違和感の声を上げると、さらにその力は強くなる。


 まさか、と思い氷石の表情を見るが俯かれており表情が上手く読み取れない。しかし、口元だけはニヤァとした笑みを浮かべていることが分かった。



「ま、まさかだけど………っ、このまま道連れにしようとしている訳じゃ、ないよね………!」

「ピ、ピンポーン………! だ、大正解、ですぅー! さぁ、一緒にゴーイントゥザホール、しちゃいましょう!? そのまま異世界転生しちゃいましょう………!?」



 暮人の予想通り聖梨華は泣き真似をしながら穴の方向へと力を入れており、どうやら自らの命を犠牲にしてまでも異世界転生させたいらしい。


 もうすぐで目的が成就するという興奮と疲労もあるのか聖梨華は息をハァハァと吐きながらも変わらずぷるぷるとしていた。暮人を見上げる瞳も心なしかぎらぎらと輝いているように見える。


 一方の暮人は何とか地面に這いずるような形になりながらも踏ん張っていた。彼女を助けようとした結果から身に起きたことであるが、自分の行動に後悔などしてはいない。


 彼女は彼女なりに暮人を異世界へ転生させたいという意思を持って行動しているのは理解出来る。


 しかし、



「このまま、落ちてたまるかぁ………!!」



 暮人には死ぬわけにはいかない理由があった。


 ―――妹である小梅の事だ。幼い頃、両親が飛行機事故で亡くなって以来、本当の家族は暮人たった一人になってしまった。親戚には母方の祖父母がおり関係も良好なのだが、もし自分がいなくなってしまったと知ったら妹はたった独りになってしまう。

 自分を慕ってくれる大切な妹ならばなおさらだ。


 思春期真っ盛りの妹にとって、唯一の家族である兄の死が残された彼女にどんな影響を与えてしまうのかは計り知れない。


 つまり何が言いたいのかというと、



「この世で一番大好きな小梅の為にも、死ぬわけにはいかないぃぃぃぃ!!」

「死ぬ瀬戸際の言葉が妹さんへの愛ですか!? シスコンですね!?」

「家族愛なら確かに俺はシスコンと呼ばれてもおかしくない程に小梅の事は滅茶苦茶可愛いと思っているよ!! あんな天使は他にはいない! 俺の妹は世界一ぃぃぃぃ!!!」

「やだ如月さん、なんか色々振り切ってらっしゃる!?」



 聖梨華は突然の暮人の言葉に困惑したような表情で叫ぶが、当の暮人はそれどころではない。『回避』の特性を持っていたとしても筋力は常人並み程度しかない。


 そんな状況では助かる見込みはないと思われたが、妹や幼馴染という大切な存在を残して異世界に行くわけにはいかないと改めて思い出したことにより力を振り絞る。



「うぉぉぉぉらぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「きゃ………っ!」



 暮人は火事場の馬鹿力ともいうべき力でなんとか引き上げることは出来たが、引き上げた勢いで聖梨華の身体が暮人にぶつかる。


 そのまま勢いで二人とも後方へと転がった。



「い、てて………っ」

「………あのぅ、如月、さん?」



 地面を転がったときに後頭部を打ってしまい暮人は目を閉じながら痛みに悶えるが、聖梨華の銀鈴のような可愛い声が超至近距離で・・・・・・聞こえた。

 不思議に思い、おそるおそる閉じていた瞳を開けると暮人は思わず身を固める。



 そこには、顔を真っ赤にしながら暮人を見上げる聖梨華がすぐ近くにいたから。



 互いの吐息が掛かるほどの距離で、あと数センチで唇が近づくといった状況。さらにいえば、聖梨華が身体を地面に打ち付けないようにと引き上げる際にかかえるように暮人が抱きしめていたのも原因だろう。


 二人の視線が交わると、暮人の身体に思わず力が入ってしまう。



「ん………っ」

「――――――ご、ごめん! 大丈夫!?」



 彼女が切なげな吐息を洩らした瞬間に暮人は我に返る。決して長くはない時間だったが、短くもない。

 しかし彼女の温みと女性特有の柔らかさ、心地よい石鹸の爽やかさが混じった甘い香りなどが十分に感じられる時間だったことは確か。


 少なくとも、先程の大穴の出来事など気にしないと感じてしまうほど衝撃的な状況。


「せ、聖梨華さん………?」

「ひょわっ! ………あ、はい、だいじょうぶ、です………………」

「さ、さっきのことだけど………」

「あ、あはは………あ、ありがとうございますぅ! 互いに命拾いしましたねぇー!! そ、それじゃあ私は先に行ってますねー!! こ、今度こそぶっ殺して差し上げますからぁ!!」



 聖梨華は彼女らしからぬ素っ頓狂な悲鳴を上げて最後まで顔を真っ赤にしながら笑みを浮かべていたが、前の歩道に空いた大穴までダッシュすると罠を解除。完全に塞がりいつもの歩道に元通りになるとそのまま彼女は走り去っていった。



 その場に残された暮人は未だ呆然としていたが、どうしても先程の光景が忘れられない。次第にカァッと自分の顔が赤くなっている事も自覚し、思わず片手で口元を塞いだ。


 微かに甘い余韻も残っているせいでしばらく立ち止まっていたが、このままではいけないと煩悩を払うように頭を振る。


 表情を引き締めると改めて前を向いた。



「………よし、勉強頑張ろう」



 そう取り繕うように呟くと暮人は高校に向けて歩き出した。





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