第22話 熱中症③ 甘美な果実は目の前に
その後、二人してなんとか扉を開けるべく取手に力を入れるが開かない。例え頑張ったとしても帰宅部の男子である俺と弓道部に属しているとはいえ女子である美雪、都合よく火事場の馬鹿力など発揮出来るわけもない。
しかも一番の問題なのはこの部屋の温度、つまり夏場特有の蒸し暑さである。外から新しい空気を入れようとしても肝心の窓は天井近くにある複数の小窓のみ。手ごろな足場を作ろうともギリギリ届かず、あんまり無理をすると不安定な足場が崩れて怪我をしてしまう場合があるので出来なかった。
暮人と美雪は重ねられているマットに並んで座っていた。
「はぁ、しばらくこのままだけどいい加減暑くなってきちゃったぁ………暮人ぉ、喉渇いたよぉ」
「肝心のスマホとか鞄はこの時に限って教室の机に置きっぱなしにしちゃってるからねぇ。はぁ、はぁ………あー冷たくキンキンに冷やされたミネラルウォーターが恋しい」
「わかるぅー………」
初めの内は扉をどんどん叩いたり助けを求めて大声を上げたが、全く反応が無かったのであきらめた。今はまだ我慢できる程度だけど、この状態がしばらく続くとなると話は別だろう。
なにせ小さな換気扇があるだけの密室状態、少し動くだけでも暑いのだ。服でパタパタ仰ごうにも湿った温い風しか入らない。
じわりと肌に浮かぶ汗が鬱陶しい。
「でも美雪、この状態って本当にヤバいんじゃないの? 暑いし大声で叫んでも返事が無い、スマホが無いから高校の人への連絡手段も無い、水分も無いから脱水症状進行中………」
「あ~………いざとなればこの入り口壊しちゃう? これ木だからイケるかもね」
「発想が投げやりになってきてない!?」
「あはは~、でもそれは本当に不味くなったらだよ。………修理費、いくらになるか分からないけど」
本当に参ったかのように笑みを浮かべるが、やはり美雪も相当限界に近付いているんだろう。いつもは爽やかな明るい笑みを見せる美雪だが、今回ばかりはあまりの暑さにへたっていて元気がない。彼女の息遣いも深く呼吸をする形になっているし、茶色髪の前髪も額に浮かんだ汗で張り付いている。
時間もあれから経ち、もうすぐで一時間が経過するところだ。腕時計を見やると、その針は六時と十分辺りを指していた。
中はもう既に蒸し風呂のような状態で、このまま体力は持つのだろうかと思う。自分はともかく、美雪が心配だ。
そう心の中で思っていると、隣に座っている美雪から話しかけられる。その声は、不思議と熱が込められているように感じた。この熱気のせいだろうか。
「………ねぇ、暮人?」
「ん、どうしたの美雪。もしかしてトイレに行きたい?」
「ち、違うよバカッ! ………あのさ、ちょっと聞きたいんだけど―――氷石さんがすごく魅力的に映っちゃうときってあるよね」
「え………」
「今までは、あぁ、綺麗だなーっていう感じだけだったんだけど、最近は………ううん、だいたい二週間前くらいからかな。元々美人だけど、とても容姿に気を使っているように見えるの。今までしていなかったヘアピンで髪を整えたり、同性でも良く見ないと分からないくらい薄く化粧をしてたりさ」
美雪が話し始めたのはここにはいない聖梨華のことだった。暑さで体力が消耗しているだろうに、その声音はひどくハッキリとしていた。
彼女は言葉を続ける。
「―――なにか、きっかけって知らない?」
「………いや、ごめん、知らない………と思う」
「思う?」
「あー、その、直接的な原因か分からないけど。二週間前の休みの日に美雪と話してたカフェの近くにある『猫々喫茶』っていうところでさ………食べさせて貰ったんだよ、パフェ。………って、それが原因な訳ないよね! それだと俺に気があるみたいだし、そもそも聖梨華さんは俺の命を狙ってるんだよ?」
体育座りをしながら腕に顔を付け、こちらを見ながら改めて訊く美雪。その瞳は俺に聞いていながらもどこか確信を持っているようだった。
聖梨華の容姿の変化に恥ずかしながらも気が付かなかったが、よくよく考えれば、彼女とパフェを食べさせて貰った―――つまり"間接キス"してしまった次の日から彼女の顔を直視できなかったので、それが聖梨華の変化を見抜けなかった原因なんだろう。
思わずしどろもどろな説明で言い訳がましくなってしまったけど、そもそも彼女は異世界を管理する女神で『回避の勇者』である俺の命を狙っている。
例え、万が一、何億分の確率があったとしても、俺が好きでオシャレをしたとかそんなことはない筈だ。
「そっ、か………………嫌な女だなぁ、私」
「え………?」
最初の返事は聞こえたのだが、その直後腕で表情を隠しながら何かをぼそぼそと呟いた。聞こえなかったので聞き返すと、今度はハッキリとした返事が返ってきた。
「ちょーっとだけ、妬いちゃう」
「妬くって………聖梨華さんに? どうして?」
「………うん、私の方が暮人と一緒にいる時間は長いのに、彼女は一気に距離を縮めてくる。それこそひとっとびでね。これでもさ、結構寂しいんだよ? 暮人の幼馴染としてはさ。三人でいると、特に」
美雪の横から見た瞳や言葉に思わず心が締め付けられそうになる。幼馴染ということもあり今まで平気な表情ばかり見ていたせいか、美雪が心の底では俺の事を酷く心配している事に気が付かなかった。
ふと、自分を振り返る。聖梨華や小梅のことばかりに構って、大切な幼馴染である美雪を蔑ろにしてしまっていただろうか。
幼馴染という関係上、常に一緒にいる機会が多い。つまりこれからもそれは変わらない、安心という名の慢心に他ならない。
命が狙われている以上、必ずしもそれが絶対とは限らないのに。
もしかして、聖梨華が来てからそんな感情をずっと胸に抱えていたとしたら―――?
「ご、ごめん! 美雪、俺は………!」
「でも、それは………はぁ、はぁ、わたしが………臆、病だ………った、だ、け―――」
「美、雪………?」
ぼすん、と乾いた音を響かせながら後ろへ仰向けに倒れる美雪。
茶色の艶やかな髪がマットに広がるが、表情を確認してみると息をするのもつらそうに声を出して
「美雪っ、だいじょう、はぁ、ぁ、あれ………?」
美雪の近くに寄って確認しようとするも、膝に力を入れた瞬間に力が抜けた。それに、今まで美雪の話を聞いてて意識していなかったけど、呼吸が、苦しい。全身が、熱い。
「はぁはぁ、はぁ………くれとぉ………っ」
「はぁ、っ、はぁはぁ、み、ゆき………っ」
倒れ込んた正面には仰向けで荒く呼吸する美雪がいた。顔を赤らめながら、喘ぐように息を吐く彼女が視線を外してくれない。この胸を濁流のように込み上げる感情は、いったいなんだろう。築き上げた理性をことごとく呑み込むこの激情の正体は、なんなのだろう。とにかく、苦しい。
激しく息を吐きながら彼女のとろんとした瞳を見ると―――、
―――意識してしまうのは簡単だった。
汗に混じった甘い匂いが、苦しげな中にとろんとした表情が、洩れ出る声が、恥じらう仕草が。彼女を、美雪という幼馴染な女の子に秘められた一面をいっそう強調する。
これまで一緒にいた中で結構な数ドキッとした事はあっても、こんな煽情的な幼馴染を見るのは初めてだ。故に、理性と欲望の間で葛藤する。
下腹部に血液が集中してしまうことを自覚するが、そんな俺をよそに美雪は胸元の青いリボンに手を掛け、緩めた。
すると、
「―――いいよ、くれと。きて………」
「………み、ゆき………っ、美雪ッ!!」
両手を広げる彼女の言葉を聞いてもうダメだった。抱きしめるべく覆い被さろうとするが、その瞬間―――、
『おーい、如月さんと瀧水さんやーい。こっこですかーぁ?』
「「………ッ」」
自分の友達と帰った筈の聖梨華の声がした。何故、と思うと同時にハッとする。俺は今、美雪に何をしようとしていた? 暑さで朦朧として苦しんでいた彼女に、何をしようとしていた?
彼女の表情を確認する間もなく急いで美雪から離れた。とてもじゃないけど、今は、今だけは彼女の表情を見ることは出来ない。
「聖梨華さん、ここ、ここにいるよ! 鍵が掛かってて開かないんだ! あと美雪の状態がまずいから、とにかく早く開けて!!」
『おおぅこれは真剣と書いてマジな声ですね、わっかりました! ガッチャンコ!!』
外側から開けるには鍵が必要だった筈だけど女神の力でも使ってくれたのだろうか。スィンと音を立てながら扉がスライドすると、制服姿の聖梨華が現れた。不覚にも、その姿はまるで女神かと思った。
「うぉうっ! あっついですねココ!! って二人とも汗だくじゃないですか!? あっ、ホントに瀧水さんぐったりしてますね!! ………うん、非常事態ですし仕方がないです。手を繋いでっと………さ、如月さんも早く!」
「な、なにをするの………?」
「こんな場所から一刻も早く去るに決まってるじゃないですか!
女神である聖梨華を主軸に暮人、美雪が手を繋いだ瞬間、三人の姿は消えた。その場に残ったのは用具室にある様々な道具と、青春が混じった熱気だけだった。
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