第10話 ケーキ② 大切なにいに。






「えへへ………にいにの寝顔かわいかったなぁ」



 小梅は兄の部屋の前に立ちながら、背中越しから聞こえる兄である暮人の着替える布擦れの音を聞きながら小さく呟く。


 わざわざ目覚まし時計の電池が切れたことにして『兄の寝顔を見続ける』という休日限定の幸せを一時間も・・・・味わった甲斐があった。兄は十分二度寝したと思い込んでいるのであろうが、実は一時間自分と一緒に布団の中にいたのだ。

 小梅色に染め上げながらも本当はもっと兄の寝顔を味わいたかったのだが、ぎゅっと苦しいほど抱きしめてくれたので良しとしよう。


 思わず下腹部がきゅんきゅんした。



 現在まさに蕩けるような幸せな表情を浮かべているが、これは兄である暮人だけに見せる顔だ。

 おそらく彼女の通う中学校でこの笑みをみせたら男女問わず心を撃ち抜かれる者が大勢出現するだろう。



 唯一の家族であり世界で一番大切で狂おしい程・・・・・異性としても大好きな兄にしか見せない表情。



 彼女は兄が関係しないことでは驚くほど表情の変化がない。例えテストの成績が学年トップだとしても、カッコいいと学校中から称される異性から告白されたとしてもだ。小梅の行動基準には常に全て兄である暮人が念頭に置かれている。

 学校に通うのは将来兄を支える為、テストで上位の成績を毎回修めるのは兄が喜んでくれる為、心身共につらい部活を頑張るのは兄が喜んでくれたからだ。


 自分が他の人間と少し感覚や考えが異なるのは十分理解している。幸いな事にこんな自分でも友達や部活仲間は理解を示して仲良くしてくれるので学校生活は苦ではない。寧ろ充実感すら感じる。


 そんな環境に身を置く事が出来るのも兄が支えてくれているからだ。いくら感謝してもし足りない。



 ―――だからこそ、大好きな兄に負担を掛けるような存在は許せない。



 急に真顔になった彼女の脳裏には暮人のある言葉が反芻していた。



「最近色々あった………。特に何があったのかなぁ、前からそれとなく何度か聞いてみてるけど話を逸らされるし………」



 彼女は可愛く首を傾げると虚空に視線を向ける。


 小梅が兄のどこか疲れた様子に気付いたのは兄が高校に入学して数日経った頃から。家事をすること以外にどことなく、疲れたような表情をする機会が増えたのだ。


 原因の一つとして兄とよく一緒にいる幼馴染である美雪の事を思い浮かべるがすぐに除外。兄との繋がりで昔からの交流は多いので彼女の性格趣味嗜好をある程度理解しているが、小梅ほどではないが彼女ほど兄を想う異性は他にはいない。よって無意味に不利益をもたらすような存在ではないので考えを打ち消した。


 となると他には何があるだろう。兄が中々答えてくれないので以前美雪に訊ねた事があったが、兄と同様曖昧な返答をされた。



 そういえば、と小梅は数日前にあったある事を思い出す。



「にいにの制服の匂いを嗅いだ時、別のメスの匂いがした………」



 すぐさま自分の匂いで上書きしたが、あれは明らかに肉体的接触が無いとつかない、幼馴染である美雪ちゃん以外の女の匂い。

 たまたまだと思っていたが、もしその人物が大好きな兄への負担に繋がる原因なのだとしたら―――、



 小梅は瞳の奥にドロリとした光を宿しながら言葉を紡ぐ。



「妹として、兄を想う一人の女として―――徹底的に精神的苦痛を与えなきゃいけないなぁ」




 小梅の大切なにいにに手を出そうとしたことを、後悔させてやる。




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