第2話  友達

「あんたどうしたの? 目に隈できてるよ」


リビングに行くと、母親が俺の顔を見て驚く。


「いや、ちょっと色々あって…………」


昨日の柚木の思いがけない発言によってあれからずっと俺は困惑させられ、

夜は一睡も出来なかった。おかげで頭が痛い。


「お父さんはもう会社に行ったし、あんたもご飯食べて早く学校行きな」

「うん」


まずは洗面所に行って顔を洗う。

それから椅子に座り、机に並べられてある朝食を黙々と食べていく。

食べ終わったあとは食器を洗ってから歯磨きをして、

最後に制服に着替えて身だしなみを整える。


「ほんと、酷い顔になってるな」


鏡に映る眠そうな自分の姿を見て思わず笑みが零れてしまう。

こうしていつも通りの朝を過ごしていると、

変わらない日常を感じられ昨日の出来事が嘘だったように思える。

もしかしたらあれは幻想だったのかもしれない。

うん、きっとそうだ。


「じゃあ、行ってきます」


そう一言母親に告げ、俺はドアを開けて外に出る。


「……っ………!!」


幻想なわけないよな。


「あれ、水原も今から学校に行くところなの?」


扉を開けたその先には、丁度俺の家の前を通り過ぎようとしていた

制服姿の柚木がいた。


「お前、その制服…………」


ここで衝撃の事実。

俺は唖然としながら柚木が着ている制服を指差す。

彼女は何故俺が驚いているのか分からず首を傾げる。


「ん? これ、菜乃川高校のだけど。それがどうかしたの?」


そう言った直後、柚木は俺の制服に付いてある校章を見て察する。


「あぁ、水原も私と同じ高校なんだ」

「そういうことだ」


まぁ、ここから近い菜乃川高校に転校するのは妥当な考えかもしれない。


「じゃあ水原、学校まで一緒に行こうよ」


そう柚木から提案される。


「まぁ、そうするしかないよな」


今から同時に同じ道を歩いていくわけなのだから、

必然的に一緒に登校することになる。断る選択肢なんてない。

俺は柚木の隣に並び、彼女に歩幅を合わせていつもの通学路を歩いていく。


「………………」

「………………」


又しても無言が続く。


くそっ、こいつが俺にあんな変なことを言ったせいで

どう接すればいいか分からねぇ。

第一おかしいだろ。何で柚木が俺に好意を抱いてたんだよ。

俺があいつを惚れさせるようなことをした覚えはないし、中学でもあまり

関わってこなかったんだからそもそも俺たちが友達同士なのかも怪しい。


「あのさぁ」

「何?」

「いや…………やっぱいいわ」

「そう」


ダメだ。昨日のことを聞き出そうと思っても自分から言うのを躊躇してしまう。

そっと横目から柚木の顔を覗くと、彼女は平然とした表情で前を向いている。


「………………」


昨日の彼女の照れた表情が自然と脳内に映し出される。

こいつ、昨日あんな恥ずかしいこと俺に言ったくせに通常運転じゃねぇか。

ずっと自分が意識していたのが馬鹿らしくなってきた。

この事は一旦忘れた方がいいのかもしれない。


「それにしても凄いよね」


不意に彼女がそんなことを言い出す。


「何がだ?」

「私たちの家が隣同士になって、しかもまた同じ学校に通うことになるなんてね」

「確かにな」


本当に凄い確率だ。

知り合いの美少女とお隣さんになって、

同じ高校までの通学路を一緒になって歩いている。

世界中の男子からしたら俺は滅茶苦茶幸運なやつなのかもしれない。


ん? 同じ高校………………


「……っ…………! アッ――!!!」


突然の俺の叫びに柚木は肩をビクッと振るわせる。


「なに、どうしたの急に?」

「あ、いや、気にしないでくれ。こっちの話だ」


忘れていた。柚木と同じ高校。

つまり、こいつにあの事がバレてしまうってことじゃねぇか!


「?」


柚木は焦燥している俺を見て怪訝な顔を浮かべている。

とにかく、柚木がせめて俺と同じクラスにならないことを心から願おう。


それからは俺たちはお互い喋ることもなく、

学校に着くと柚木は職員室へ、俺は自分の教室へと向かった。

扉を開けると、教室内の廊下側には一番後ろに机と椅子が一つずつ足されていた。

クラスメイトたちはその周りに集まり、皆胸を踊らせていた。


「転校生ってどんな子だろう? 楽しみだな」

「噂だと女子らしいぜ」


そんな確定演出が俺の前で繰り広げられている。

俺は最後の希望を捨てて自分の席に座り、頭を抱えながら

ホームルームの時間が来るのを待つのだった。




◇   ◇   ◇




「今日から皆と同じクラスになった転入生の柚木さんです」

「柚木乃々華です。よろしくお願いします」


案の定、担任の先生が連れてきた転校生は彼女だった。


「え、めっちゃ可愛いんだけど!」

「彼氏いるのかな?」

「あのレベルは絶対いるだろ」


この学校でも男子からの評判は良いようだ。

柚木は自己紹介を終えたあと、俺の存在に気づいて少し驚いた仕草を見せたが、

すぐに俺から目を離し追加された椅子へと向かい座った。

ホームルームが終わるとクラスの連中は一斉に柚木の元に集まり彼女に声をかける。


「ねぇねぇ、柚木さんって何か趣味とかあるの?」

「うーん、ダンスは好きかな。私、中学の時ダンス部だったから」


「いつここに引っ越してきたの?」

「一昨日。だからこの辺のことはまだ何も知らなくて…………」

「じゃあ今度案内してあげるね」

「ありがとう!」


「柚木さん、彼氏はいるの?」

「いないよ」

「っしゃあぁあああ!!」


とこんなふうに次から次へと来る質問に柚木は笑顔を絶やさず答えていき、

あっという間にクラスに馴染んでいった。

俺はそんな光景を一人遠くから眺めていた。


「あいつのコミュ力、少し分けてくんねぇかな」


そんな願望が自然と口から漏れる。

そして授業が終わる度に柚木は休み時間にクラスメイトたちに囲まれて過ごし、

ついに昼休みへと突入した。

俺は授業が終わるとすぐに財布を持って立ち上がり、

教室を出て食堂へ向かおうとする。


「柚木さん、一緒にご飯食べよ」

「あー、ごめん。先客がいるからまた今度誘って」


俺が教室を出ていくのを見ていた柚木は、急いで俺の後を追ってきて横に並んだ。


「ねぇ、どこに行くの?」

「食堂だよ」

「じゃあ私も水原と食べる」

「せっかく友達が出来たんだ。友達と食べろよ」

「いいの。水原に訊きたいこともあるし」


俺にしたいその質問の内容は大体予想がつく。


「勝手にしろ」


俺は柚木の同席を了承し二人で食堂に向かうと、

それぞれに食券を買って定食を受け取る。

そして俺たちは二人席の場所に座り、昼食を食べ始める。


「ねぇ、水原ってぼっちなの?」


柚木からそんな言葉が唐突に放たれ、俺の胸にぐさりと突き刺さった。

それを訊かれることは十分承知していたが、実際に面と向かって

言われると泣きそうになるくらい辛いものだな。


「まぁ……そうだな…………」


恥ずかしさが込み上げてくる。

同じ中学の同級生、しかもクラスのマドンナである彼女に知られた。

こんなこと、知人には絶対に知られたくなかったのに。


「中学では女子とはあまり話していなかったものの男子の中では人気者だった

あの水原が、今では誰とも話していないなんて」

「俺だって好きでぼっちになったわけじゃねぇよ」


柚木は定食の鯖を小さく分け、その一欠片を小さな口でパクリと食べる。

それを飲み込んだ後、じゃあどうしてそうなったの?と問い詰めてきた。


「元々俺は友達を作るのが苦手なんだよ。ただ向こうから話しかけてくれるのを

待つばかりで、自分から声をかけようともしない」


俺はそんな自分が嫌いだ。


「じゃあ、中学の時は話しかけてくれた人がいたから友達を作ることが

できたってこと?」

「あぁ。でも、それじゃあダメだと思った。だから、高校ではちゃんと自分から

話しかけようと思っていたんだ」


隣の席のやつ、前や後ろ、斜めでもいい。

とにかく高校に入学したら真っ先に近くの男子に声をかけようと

目標を掲げていた。


「で、話しかけることはできたの?」

「…………いや、できなかった」

「もしかして水原って情けない人?」

「周りの席全員女子だったんだよ!」


無理だろ! ただでさえ初対面の男子に声をかけることに緊張するのに、

前後左右斜めの席全員女子だったんだぞ。

いくらなんでもハードル高すぎだろ!!


「あー、それはご愁傷様」


さすがに可哀想だと思ったようで、柚木は俺に同情してくれた。


「俺が女子に囲まれて動けないでいる間に、男子たちは友達を作り、

見事に俺だけが孤立状態になったってわけだ」


柚木は俺の話を一通り聞き終えると、コップに入っているお茶を一口飲む。


「まぁ、大体は分かったよ。水原が女の子に全く免疫がないことがね」

「お前からかってるだろ」


クスクスと笑う柚木。


「でも、私と話せてるんだし大丈夫だと思うよ。私が保証する。

もっと自分に自信を持って」


どんな言葉も彼女が言うと謎の説得力がある。


「まぁ、それもそうだな」


柚木に励まされて少しだけ勇気が出てきた俺は、次の授業に備えてしっかりと

昼食をとり、二人で教室に戻って眠たいのを堪えながら午後の勉学に励んだ。

そして放課後。

帰宅準備をしていた俺の元に柚木がやって来た。


「水原、一緒に帰ろ」

「俺みたいなぼっちと帰るより、できたばかりの友達と寄り道とかして

遊んだ方がいいと思うぞ」

「私は水原と帰りたいの。それに、水原はもうぼっちじゃないし」


その言葉を聞き、俺は怪訝な表情を浮かべる。


「それってどういう…………」


俺と彼女が一緒に話しているところをクラスメイトたちは見ていたらしく、

一人の女子生徒がこちらに寄ってきた。


「柚木さんと水原くんって知り合いなの?」


そんな質問をされる。

柚木は一度俺の方を見たあと、その女子生徒に顔を向けてうんと頷いた。

そして柚木は、その女子生徒一人に向けてではなく、クラス全体に伝わるように

はっきりとこう言った。




「私は水原の友達だよ」




クラス全体。つまり、俺自身にもそのことを強く主張しているように思えた。


そっか。柚木は俺のことを友達だと思ってくれていたんだ。


その事実が、言葉が、俺の心に深く溶け込んでいった。

嬉しかった。


「柚木…………」


彼女は俺の方を振り向き、向日葵のような笑顔を見せる。


「そういう意味だよ」


俺の心臓はドクンドクンと鳴っていた。

こいつってこんなに可愛かったっけ?

なんなんだこの気持ち…………


「ねぇ、水原」

「はい?」


考える間もなく、柚木に声をかけられる。



「この後、私の家に来てよ」



「…………はい?」

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