第3話  二人だけの時間

柚木に言われるがままに、俺は彼女の家の前まで来てしまっていた。


「やっぱりまずいだろ。俺がお前の家に入るなんて」

「別にいいよ。お父さんもお母さんも共働きで、夜まで私一人だし」

「いや、そういう問題じゃないだろ」


親の許可もなしに家に上がるなんてダメに決まっている。


「親も家に友達を呼ぶのは構わないって言ってるよ。

これまでにも何回か友達入れたことあるし」

「男は?」


俺に問われ、柚木は空を見上げながら記憶の中を探る。


「ないね」

「じゃあまずいだろ…………」


いくら親が優しくても、大事な娘が男に襲われる可能性があることは

決して許さないだろう。

いや、俺に襲ったりするような度胸はないけどさ。

そんなリスクは考えずに柚木は玄関前に立ち、鞄から鍵を取り出して扉を開けた。


「水原は私の友達なんだから、別にいいんだよ」

「…………」


頬が熱くなるのを感じる。

なんでこいつは無意識に人の心を掴むようなことが言えるんだよ。


「なに突っ立ってるの? 早く入りなよ」


動揺していた俺に柚木は家に上がるよう促す。

俺はかなり戸惑ったが、もうどうにでもなれと思い勢い任せに家に入った。


「へぇ、綺麗な家だな」

「引っ越したばかりなんだから綺麗なのは当然でしょ」


静かな空間。本当に今は誰もいないようだ。

俺は靴を脱ぎ、柚木に誘導されて二階へと上がり、彼女の部屋の前まで行く。


「すぐに着替えるからここで待っていて」

「分かった」


バタンとドアが閉まる。

俺がこうして立ったままでいる間に柚木は制服を脱いで着替えているのか。

ついそんなことを意識してしまう。


「何考えてんだよ俺…………」


顔が赤くなりながら待つこと約五分、ドアが開き隙間から柚木が顔を覗かせる。


「入っていいよ」

「お、おう」


ゆっくりと彼女の部屋に入る。

そこはまさに理想の女の子の部屋って感じで、端には枕元に大きな可愛らしい

ぬいぐるみが二つ置いてあるベッドがあり、

その反対側には勉強机、真ん中には白い丸テーブルが置いてある。

そして窓にはピンクのカーテンがかけられていて、

それが部屋全体に彩りを添えている。


「今からお茶とお菓子持ってくるから、座って待っていて」


柚木は部屋を出て、俺は丸テーブルの周りに置かれているクッションに

腰を下ろし彼女を待つ。

俺、今女子の部屋にいるんだよな。しかも、あの柚木の部屋に。

なんか、現実感が湧かねぇ…………

昨日と今日のことを振り返ってみる。

あいつと再会してから俺の日常は一変した。家以外で人とこんなに

話したのは久しぶりだった。

友達作りに失敗してぼっち生活が始まってから、最初は一人が辛かった。

でも、そんな生活を送っていくうちに次第に一人も悪くないと思い始め、

クラスでは無口で暗いキャラで定着していた。

中学ではそんなんじゃなかったのに、俺は元からこんなやつだったんじゃないか

と思い始める。

そんな孤独に段々慣れていく自分がとても怖く、ずっと苦しかった。

そんな時にあいつは俺に、誰かと共に時間を過ごすことの楽しさを

思い出させてくれた。

本当にあいつには感謝しか無い。


「あれ…………?」


突然、意識が朦朧とし始めた。

一日中眠らずに過ごしたんだ。疲れが一気に出てきたんだろう。

俺はこっくりこっくりしながらも耐えていたが、すぐに眠りに落ちてしまった。




◇   ◇   ◇




あの日のことを思い出していた。

俺が中学生のときの話。

放課後、先生に呼び出されていた俺が教室に戻って来たときには既に

部活に励む者は部活に行き、帰る者は学校を出ていた。

その教室にいるのは俺一人。


「俺も帰るか」


教材を鞄の中に入れようと机の中に手を伸ばしたとき、

そこには一枚の小さな紙が入っていた。

その紙には誰宛かも書いてなく、ただ一言『ありがとう』とだけ書いていた。


あれは誰が書いたのだろう?


今でもその記憶が時々夢に出てきて、その度にそう疑問を抱く。


今思い出しているこれも夢なのか――――――




目を覚ます。


「あ、起きた?」


柚木の声が真上から聞こえてくる。

そして俺の目の前にはさらっとした素材のルームウェアに包まれた

大きく実った二つの巨峰があった。


「おっぱい…………?」

「女の子に下ネタ言うとか水原サイテー」


胸元から柚木が顔を出す。

しなやかな明るめの茶髪が垂直に下ろされる。

そして、頭の下にあるとても柔らかい感触。


「え?」


全てを理解するのにそれほど時間はかからなかった。

俺は今、柚木に膝枕をされている。

その事実に気がつくと、俺は慌ててその場から離れた。


「な、何やってんのおまえ?!」

「何って、膝枕だけど」

「いや、それは分かってるよ」

「水原が硬い床で倒れて寝ていたからやってあげてたんじゃない」


こいつには羞恥心というものがないのだろうか。

恋人でもない相手に平気で過剰なスキンシップをしてくるとか――――


「お前は痴女か!」

「いや、違うから」


痴女を否定しながら柚木は苦笑する。

美少女に膝枕をやってもらうのは童貞には刺激が強すぎた。

さっきから心臓がバクバクだ。

おかげで眠気は完全になくなったけど。


「水原、もしかして昨日寝てないの?」

「まぁな。そういえば俺、どれくらい寝てたんだ?」

「うーん、三十分くらいは眠ってたかな」

「そっか」


そこまでぐっすりとは眠らなかったみたいだ。

ヨダレ垂れてなかったかな。


「…………もしかして、水原が眠れなかったのって私が昨日あんなことを

言ったせい?」



――――中学の時、私は水原のことが好きだったんだよ



柚木の問いで、俺は考えないようにしていたことを思い出してしまった。


「いや、別に」


嘘です。おもいっきりそれが原因の全てです。

しかし俺は、自分がすごく動揺していたことを隠すためと、

彼女に変な気を使わせないために本当のことを隠した。


「そっか、ならよかった」


柚木はそのことが心配だったようで、ほっとため息をついた。


「なんで俺のことを、その…………好きになったんだ?」


俺はこの流れで柚木に気になっていたことを訊いた。


「………………」


しかし、彼女はその答えをすぐには言わない。


「その答えは水原が自力で探して。そしてその答えが見つかったら、

私が今、水原のことをどう思っているのか教えてあげる」


やっと口を開いたかと思うと、柚木は笑みを浮かべながらそんな

訳の分からないことを言った。


「なんじゃそりゃ」


よく分からないが、彼女は理由を言う気はないらしい。

それを強く問い詰めるまで知りたいというわけでもないし、

その理由が分かる日が来るまで俺は焦らず気長に考えてみようと思った。





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