第10話 道具屋の決意

 ライカは一人、身を隠し続けていた。

 ドラゴンはこちらを探して彷徨いている。大きな図体のせいか動ける範囲が限られているため、隠れる場所を変え続けることでなんとかドラゴンを引き付けられていた。それでも痺れを切らせばあの瞬発と雷で周囲の地形を変えてくるだろう。だから定期的に姿を見せ、行動を誘導する必要がある。

 何度かしくじり、攻撃を食らった。すでに持ってきていたデトランド製ポーションは底を尽いている。興奮しているからか痛みはあまり感じないが、左脚が上手く動かない。身体魔法で無理やり補強して動かしている状態だ。

 全身から汗が吹き出す。今までもピンチはあった。それでもライカはそれらをすべて覆してきた。

 しかし今回は今までとは違う。反撃手段がない。雷魔法も剣も効かない。今ライカにできるのは、興奮したドラゴンをこの渓谷に引き止め続けることだけだ。

……やっと、来たのね。

 ライカは予感する。きっと自分はここで終わるのだ。ギリギリまで粘ってあのドラゴンをここで喰い止めるが、しかし敵わず果てるのだろう。

 自らの喪失。でもライカにとって、それはいつか来るものだった。それがいま来ただけだ。特別なことはない。哀しむ者はいないのだ。そういう生き方を、ライカはしてきた。

 力が抜け、尻を地面につける。三角座りのようになり、ライカは顔を下に向けてしまう。ジャケットは先程の攻撃でボロボロ。シャツも汗で張り付いて気持ち悪い。そこでふと気がつく。

 『LOVE』の文字。ボークルードに訪れた最初の日、黒いゴツいサルから貰った一撃のせいで血塗れになり、ポーションを求め訪れた道具屋で代わりに買ったシャツ。バイトの青年、ユレイが選んでくれた黒いシャツ。

 思わず笑みがこぼれた。そんな状況でないことをライカは百も承知だ。それでも、思い返してしまう。

 ――「いつか失われるのなら、何かを得る意味があるのか」

 ライカのその問いに、ユレイは最初、噛み付いてきた。彼の中で封じ込められてた冒険者に対する憧れがそうさせたのだろう。それから興味を持って、彼につきまとった。ある日、“きっかけ”を得たと思い、ユレイに攻撃した。彼は耐えきれず折れてしまったように見えたが、しかし人々と語らい、自分なりの意見を持って再度ライカに相対してきた。しかし、ライカはそれも砕いた。

 楽しかったのかもしれない。久しく、ライカに正面から向かってくる人間はいなかった。相手はいつも強大なモンスターだった。いつも戦っているモンスターたちに比べればあの青年はひどく脆弱だったが、

……変化していたわ。

 儚くうつろう青年の心。過去の憧れと未来への希望が彼の奥底に眠っていた。それを覆っていた仮面もまた、内側にその眼を向け始めた。彼はこの先、どのように変わっていくのだろうか。

「ワタシらしくないわ」

 喪失前の感傷。そう結論づけた。

 ドラゴンの足音が聞こえる。そろそろ姿を見せなければ飛んでいってしまいそうだ。

「まだまだ付き合ってもらうわよ、ワタシの最後の相手」

 ライカは一人、戦い続けた。


    ●


 ユレイはライカに会った最後の瞬間を思い出していた。

――「なら……一人で淋しく死んでいけよ、赤茶色……!」

 最後に告げた言葉。それが間もなく事実になる。シェアラはユレイにライカともう一度向き合えと言った。しかしライカはもういなくなってしまう。

 だけど、

……俺に何ができる……! 俺はただの道具屋だぞ……!

 結局、A級冒険者に何かできるなどというのが傲慢だった。実際、ボークルードの冒険者たちですら、ライカを助けることが出来ていない。道具屋のバイトに何ができるというのか、何ができたというのか。

 すべてはいつか失われると言ったあの赤茶色の少女は、自身の喪失すらも当然“在るもの”として考えているのだろうか。今、何を考えているのだろうか。一人きりで戦い、何を考えているのだろうか。

 昨晩読んだ、ドラゴンと戦う冒険者の本を思い出す。彼のそばには仲間がいた。頼れる仲間たちがいた。しかし、ライカのそばには誰もいない。ただ一人、敵と向き合い続けているライカを思い浮かべ、

「…………っ!」

 ユレイは店を飛び出す。

「ユレイ!?」

「こらユレイ!」

「…………」

 なぜ自分が走り出したのか、ユレイにはわかっていない。それでも走るのを止められなかった。溢れてくる感情の奔流を抑えられない。自分の中だけに留めておけない。だから走ることでその力を外に吐き出そうとした。喉が閉じているのか叫ぶことも出来ないのだ。ともすれば、その感情の暴発がユレイの身体を内から引き裂きそうだ。

 だから走った。そして転んだ。

 膝を擦りむいていた。泣きそうになる。痛いからではない。わからない。不安だ。何が不安なのかもわからない。

 そうして、――思い出すのは小さな、子どもの頃の記憶。

 今と同じように転んで膝を擦りむいたことがあった。父さんも母さんもそばにはおらず、日は暮れ始めていた。幼いユレイはわけもわからず不安になった。

 一人泣くユレイに手を差し伸べたのは一人の老婆だ。老婆はユレイの手を取り、近くの水場で傷を洗って絆創膏を貼ってくれた。泣きながら礼を言うユレイに老婆は告げた。

……いつか君が、一人で泣いている子を見つけたら、今度は君が救けてあげなさい。

 幼いユレイは老婆の声にうなずいていた。

 それは遠い遠い記憶。まだ、ユレイが冒険者に憧れ始める前の記憶。

 初めてユレイが出会った、本物のヒーローの記憶。

 まだ“憧れ”という感情すら理解できず、ただ老婆の姿を見ていた。言葉を聴いて、うなずいていた。

 その光景を思い出す。

 ライカは泣いているだろうか。

……泣いているわけないな。

 一人だろうか。

……大体いつも一人だ。

 救けを求めているだろう。

……求めていないだろう。

 あの時の老婆は、どうするのだろうか。

 

 ユレイは決めた。何も決めてこなかったユレイ・リーウェルは一つだけ決めた。

 遠い日の約束を果たしに行こう、と。


    ●


「ちょ、ユレイ! 膝、擦りむいてるッスよ!」

「……いいよ、あとで」

 ユレイは慌てて駆け寄ってくるコルト、真ん中に陣取っているグルド、横の椅子に座っているジス。三人を見渡して、告げる。

「ライカを、救けたいと思う」

 まずグルドがうなずいた。つぎにコルトが。ジスをため息をついている。

「……どうやって……?」

「皆で考えるッスよ!」

「まァそれしかねェよな!」

 皆は協力してくれる。それはユレイが得てきたものだ。流されながらも得てきたものだ。いつか別れる時がくるのかもしれないが、今、彼らはユレイを助けてくれる。

「……応援が来るのは早くて二日後……、しかしライカは保って一日、実際にはもっと短くなるでしょう。……もしあなたが勝算もなく、冒険者たちを死地へ送り出すというのであれば……僕はギルド職員としてあなたを止めます……」

 やる気のない風を出しているジスだが、本質的にはちゃんとギルド職員をやっているらしい。ギルド職員は冒険者たちの味方だ。彼らが無用な非難を受けないよう権利を保証し、大切な命を無用に散らさないよう過去のデータに基づく規則で彼らを守る。

 ユレイの内ではまだ感情が暴れている。老婆の記憶を思い出し決心することで多少は治まったが、まだ身体の中が熱い。しかしその熱く燃えたぎるような中、ユレイの思考は冷たく冴え渡っていた。

 それはきっと、今までもユレイをささえてきたのだろう。自分の存在を前提としない。だから、熱くなる自分を、冷たい眼で見つめることができる。散りばめられた情報の欠片を拾うことができる。見えていない他人の状況を推測することができる。

 情報は少ない。確証もない。だがそこから紡ぎ出す。点を結び、像となし、物語を編む。

 赤茶色の少女を救う、その鍵となるものは、この道具屋にあった。

 それは――。


    ●


 グルドら三人に作戦の核を告げたユレイはジスとともにギルドへの道を歩いていた。

 作戦の実行には当然、冒険者たちの協力が必要だからだ。作戦についてはジスも成功の可能性を認めてくれた。ジス自身、できればライカを失わないようにしたいのだろう。むしろ作戦の修正ポイントを指示してくれた。

「……不安かい……?……冒険者たちが協力してくれるか……」

 横を歩く猫背のジスが尋ねてくる。下を向いて何かを考えるようにしながら歩くユレイを見て、冒険者たちの協力が得られるかを心配しているのかと、そう聞いたのだ。

 しかし、ユレイが考えているのはそのことではない。冒険者が協力してくれなければこの作戦は成立しない。だから心配しても仕方がない、という程度にはユレイは割り切れていた。ユレイが考えていたのは別のこと。

 シェアラが『イビルウィンキー』に襲われた時、事態を推測し対策を打ち出したユレイは、その実行をギルベルトらに任せた。そしてライカにはなぜ自分も行かなかったのかと問われ、衝撃を受けたのだ。そもそも「行く」という選択肢がなかった自分に愕然とし、地面が急に崩れたような感覚に陥った。

 しかし今は違う。選択肢がある。

 「行く」か「行かない」か。危険度は『イビルウィンキー』の時の比ではない。冒険者でないユレイが行くのは大変危険で、ギルド職員らは止めるのだろう。

 しかし“役割”はある。ウィルスの仕事を手伝う中で得た技術と道具屋としての知識が現場で役に立つ。だから行く意味はある。だが、

……結局、怖いんだ。

 前回は選択肢がなかった。だからこの種の恐怖を抱くことはなかった。凶悪なモンスターたちがいる渓谷。ライカでさえ敗れる“紫電”がいる渓谷。長い間“止まっていた”道具屋のバイトにとって、それはあまりに恐ろしい未来の記憶だ。

 “役割”があるとはいえ、それは他の冒険者に伝えて代わってもらうこともできる。ユレイがまだ知らないだけで、冒険者の中にはユレイと同じことができる人間がいるかもしれない。

 手が震える。冒険者たちはこの恐怖に耐え、クエストに挑んでいるのか。

「……そうだユレイ……作戦の障害が……もう一つあるのを伝え忘れていた……」

「障害?」

 横で告げるジスはこちらを見ずに続ける。

「……はい……作戦の根幹を揺るがすかもしれない……一人の冒険者の協力について……」

「……まさか、ライカのことか?」

 ライカもまた作戦で重要な“役割”を果たす。ユレイと違ってその代わりができる人材はいない。しかし流石のライカといえ、今回に関しては協力するのではないか。ユレイはそう思い、

「……いえ……仮にライカがすでに喪失を予感していた場合……この作戦は余計だ……あまりにも他の人間が介在し過ぎている……必ず拒否する……あの冒険者はそういう生き方をしてきて……そういう死に方を望むだろう……」

 これまで、A級冒険者としてのライカを見続けてきた担当職員であるジスの言葉。短い付き合いのユレイにはわかりえない確信の源がそこにはあった。

「だとすれば、どうなる?」

 ライカに作戦への協力を拒否されれば、決め手を欠いたまま臨むことになる。それは作戦に参加する冒険者たちの危険を意味するのだ。ギルド職員として冒険者を死地に送り出すことは出来ないと発言したジスである。もしそうだとすれば作戦の実行を許可するはずがない。何か打開策があるのか。

「……ユレイ……君にもう一つの“役割”を……」

 ジスがこちらを見ず、告げるそれは、

「……ライカを説得しろ……」

 できない、とユレイはそう思った。今まで何度も言葉をぶつけてきたのだ。通じなかった。今のユレイはライカの過去を知ったが、それで何が変わったというのか。シェアラから諦めるなと言われ、しかし去ることを決めたライカに未練を感じた。もう一度会って、話したいと思った。

……作戦の成否を決める説得を俺が担当する? 無茶だ。

 そう思った。

「……いいか……今この世界に生きている人間で……それができるのは君だけだ……」

 きっとユレイは特別な人間ではない。それをユレイは知っている。

「……ライカと相対し、言葉をぶつけ合った……感情をぶつけ合った人間は……君を除いていない……A級冒険者は本来そういうものだし……特にライカはそうだった……だからライカの生き方と死に方を変えられれるとしたら……それは君でしかありえない……ユレイ……」

 しかしユレイはあの赤茶色にとっての特別だと、ジスはそう言う。

「……決断してほしい……決心してほしい……決意してほしい……ライカを救えるのは君だけだ……」

 ジスは知っていたのだ。知っていて作戦の実行を促し、自身の行動に悩むユレイを見て、だから言葉を贈った。

「……アンタはひどい人間だな」

「……ああ……僕は自分がラクをできるのなら……それが一番だ……だけどギルド職員になってしまった……あのバカな少女の担当職員になってしまった……だから……サボれる仕事はサボるけど……」

 これはジスにとってサボれない仕事なのだ。ライカは一人だと言ったが、一人ではなかったのだろう。ライカを無機質に担当してきたこのギルド職員は、その無機質さゆえに、ライカに対しても職員としての本分を果たそうとしている。

 ――ギルド職員は冒険者の味方なのだ。

「俺は冒険者じゃないんだぞ。行って、本当に生きて帰ってこれるのかよ」

 ユレイは言う。それはもはや戯言だったが、

「……ならば……冒険者になればいい……冒険者になって……生還しろよ……」

 ジスが返したのも戯言だったのだろうか。

 だとしても、ユレイの決意を固めるのには十分すぎる戯言だった。


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