第11話 渓谷の戦い

 ユレイは冒険者たちと渓谷に続く木が生い茂るその道を進んでいた。

 ギルドに到着したユレイとジスは冒険者たちを集め、作戦の概要を説明し、彼らの協力を願った。ジスもいたためギルド職員たちは協力的だった。そして、ギルベルトの手が上がったのにつづいて多くの冒険者が作戦への参加に同意した。そこにはシェアラ達の姿もある。

 作戦は基本的に中級以上の冒険者で行われる。『巣』のクエストに参加していたメンバーは全員参加だ。冒険者たちはギルド職員の采配でいくつかの班に分けられ、班長たちが通信用のマジックアイテムを持つ。グルドとコルトがボークルード中からかき集めてきたものを無理やり調整して使えるようにしたため、イヤリングや懐中時計、指輪、本、ペンなどその形態はさまざまだ。

 班に別れた冒険者たちは、さらに三つの陣で構成される。

 第一陣は、ギルベルト率いるベテランの多い冒険者たち。第二陣は、ジスの率いる工作系に優れた冒険者たち。そして第三陣は、ユレイも属する後発組の冒険者たちだ。

 すでに第一陣、第二陣は渓谷に展開し、“紫電”と向き合い始めている。

 ユレイは第三陣とともに、道を進んでいた。腰には剣、背には大量のアイテムを詰め込んだバッグだ。同じ組の冒険者たちがユレイを守るように周りを囲ってくれている。しかし、

……っ!

 当然、“紫電”以外のモンスターも襲ってくる。目的地に向かう第三陣の前にもそれは出現し、

…………っ‼

 ユレイは剣を抜くことすらできない。今ユレイたちと対面しているのは、通常の渓谷に居るモンスターではなく、『巣』の発生によって現れた強敵たちだ。周囲の冒険者たちは全員中級以上。それでも多少苦戦しながら、進んでいく。

 怖い。想像はしていた。シェアラたちの相談に乗るため、モンスターの生態は調べたし、戦闘の様子をイメージしていはずだ。

 しかし、実戦は違った。まったく違った。

 音、匂い、迫力、スピード。

 ユレイが体験したことのないそれらの感覚が組み合わさって襲いかかってくる。ユレイにできたのは震える脚を、それでも必死に動かし続けることだけだった。

 冒険者たちはユレイが作戦の要となることを知っている。だから守ってくれる。

……こんなのを、一人で……!

 ライカは一人で戦ってきた。今、ユレイが向き合っている連中よりも遥かに恐ろしい連中と一人で渡り合ってきたのだ。

 戦場に出て、ユレイは初めて、あの赤茶色の冒険者がどれだけ異常な存在だったのかを知る。

 向かわなければならない。どれだけの危険があろうと、ユレイはあの少女のもとにたどり着かなければならない。

 だから脚に力を込める。怯えて閉じそうになる眼を必死に見開く。

 ユレイは今、一人の冒険者なのだ。


    ●


 ギルベルトら第一陣はすでに“紫電”と会敵していた。

……どんだけだよ‼ 勝てんのか、本当によ‼

 目の前にいるのは全長百メートルを下らないであろうドラゴン。紫色に輝き、雷を纏ったそのドラゴンはあまりに圧倒的だった。

 しかし、ギルベルトら前線の冒険者に与えられた役割は“紫電”の討伐ではない。すでにジスの率いる第二陣も合流し、ギルベルトとジスの指揮が融け合う。

 ギルベルトはこのような集団戦の指揮などしたことがない。ほとんどの冒険者はパーティ単位の戦闘を基本とするのだから当然だ。王都の騎士団や巨大モンスターたちを相手にする冒険者連合などの指揮官たちくらいのものだろう。もし、“紫電”を討伐しなければならないのだとしたら、ギルベルトは引き受けていなかった。

 役割は、“紫電”を引き付け、しかし死傷者を出さないこと。

 ギルベルトはボークルードの中で最も損害率の低いパーティのリーダー。それをどこで知ったのか、ユレイが頼んできた。若い友人の頼みだ。できれば引き受けたいが、これほどの大勢を本当に指揮して作戦を実行できるのか。不安だったギルベルトが、それでも引き受けたのはもう一人の指揮官の存在。

……暗い兄ちゃんだが、やるじゃねーか!

 ライカの担当職員だというジス。彼が“紫電”の誘導を担当する。ギルベルトとジスそれぞれの役割によって分けられた指揮。冒険者たちにとっては自分の指揮官が二人だ。いくつか単純な符丁を決めることで、それはギリギリ機能していた。

 そして、ユレイがジスを指揮官に指定したのには理由がある。

……よーく地形戦とモンスターの特徴がわかってやがる!

 “紫電”の居場所をモンスターの出現地から割り出したのはジスだという。職員としての資料の読み込みの成果か、はたまは別の何かか。ユレイのそれとも似ているジスの能力は、確かに“紫電”を動かしていた。


    ●


 ジスは指揮官を引き受けたことを後悔し始めていた。

 ユレイに頼まれ、職員としての目的も合致し、能力的にも可能だと判断した。だから引き受けた。しかし、

……予想以上に疲れる。

 とりあえずできてはいる。誘導ポイントはいくつか設定した。“紫電”の動きに合わせてそのどこかにヤツを連れていけばジスの仕事は終わりだ。しかし時折、“紫電”は予測できない行動をとる。その度、ルートを修正し、陣形を大きく変更しなければならない。第二陣の中から地形工作を行う者も出していたが、それはやめた。無駄になる可能性が高すぎたし、それくらいなら前線を流動的に保てるだけの人数を確保しておいたほうがいい。

 まったくもって迷惑な話だ。ジスは田舎のギルド職員となって、毎日のんびり暮らすはずだった。それがどうして巨大なドラゴンとの集団戦を指揮しているのか。元凶はあの冒険者の少女だ。

 会う前から面倒そうな相手であることは聞いていた。実際に会うと、「聞いていない!」と思った。彼女はそれほどに苛烈で無謀で異常で傍若無人で、そして強かった。多くの迷惑を掛けられた。たくさんの始末書とクエスト報告書を書いた。腱鞘炎にもなった。そういった作業はすべてジスがやっていた。

 だからおそらく、彼女は知らないのだろう。

 ――彼女によって、どれだけの人が救われたのか。

 彼女の衝動的で刹那的な戦闘の数々。達成したクエスト。その裏でどれだけの人が喜びの涙を流したのか。

 きっと彼女がいなければもっと苦労する人が出たのだろう。

 苦労はいけないことだ、とジスは思う。サボれる仕事はサボったほうがいいのだ。ラクに生きたいと思う。ラクに生きるのが良いと思う。

 だからジスは、少女の担当職員なのだろう。

 その鮮烈な赤茶色の冒険者のおかげで、ラクをできる人が増えるはずなのだから。

……‼

 また“紫電”が予測不能の動きを見せた。ギルベルトが向こうで避難指示を出している。的確な指示だ。おかげでこれまで大きな負傷者は出ていない。もうじき第三陣が合流し、回復要員となって冒険者たちに補給を行うはずだ。

 しかしこの予測不能の動きによる陣形の乱れは危険を生む。誘導ルートのこともだが、陣形が崩れたことで浮いた冒険者が出てくる。今もまた、“紫電”がその浮いた冒険者に向かっていた。

 これは強大なモンスターと戦う上で避けられないことだ。まだ冒険に出たことのない道具屋の青年ですら知っていこと。

 だから、

……頼みむよ、次期エース。


    ●


 一人、陣形から外れた冒険者。彼のもとに“紫電”が向かう。

 その大きな顎が冒険者に近づいてくる。すでに腰は抜けた。立ち上がれない。それでも冒険者は眼を閉じなかった。なぜなら、

 ――金色の髪がなびく。

 振りかぶられた剣の一閃が“紫電”を傷つけ、その進行を阻害する。

 シェアラだ。


    ●


 シェアラは“紫電”を引き付け、その冒険者から引き剥がした。

 ジスに指示された方向へ“紫電”を誘導する。その間に陣形が再び組み直されていく。

 シェアラに与えられた役割は、遊撃手。

 どうしても出てきてしまう不可避の危険。予測できないモンスターの行動。すべての人材に決められた配置を与えていた場合、そのような不測の状況に対応できず、部隊が壊滅してしまう。そうなったら終わりだ。

 だから遊撃手がいる。そのような状況に即応し、時間をつくる。

 シェアラがその役に選ばれたのは、身体魔法のレベルだ。以前『イビルウィンキー』と戦ってから、何かコツを掴んだ気がする。現在、ボークルードの冒険者の中で、シェアラは最高の身体魔法使いだった。そして、その役をシェアラに頼んだのは、

……ユレイさん!

 諦めるなと。傲慢にもシェアラはユレイにそう伝えた。

 今、ユレイはこの戦場に来ている。ライカと向き合い、救けるために踏み出した。踏み込んだ。ならば自分も、

……行けます!

 “紫電”という強大な敵。それでもシェアラの気持ちは不思議と軽かった。後ろから迫ってくるのは凶悪な牙。雷を轟かせ、その主が身体を膨らませシェアラに襲いかかってくる。

 きっと、シェアラの身体魔法はまだライカの足下にも及ばない。遥か高みに、あの冒険者はいるのだろう。それでも、現在、ユレイの役に立っているのはシェアラだ。

 だから現在の全開をもって、シェアラは瞬発した。

 ――道具屋の青年が、確かな結果を掴むと信じて。


    ●


 第三陣のメンバーと別れたユレイの耳に轟音が届く。

 おそらく“紫電”の雷ブレスだ。大丈夫だろうか。指揮を任せたギルベルトとジス、ボークルードの冒険者たち、遊撃を任せたシェアラ。彼らの力と勇気を、ユレイは信じることしか出来ない。

 だから、ユレイは彼らの戦場に背を向ける。

 自分の戦場に向き合うために。

「何しに来たの、ユレイ」

 それは疑問ではなく糾弾だ。

 冒険者でもないお前がなぜ来たのか。冒険者たちはなぜ“紫電”と戦っているのか。

 自分が死ぬ邪魔をするな、と――。

「お前を……」

 救けに来たと、そう言うつもりだった。しかし違う。ここまでの道で恐怖と向き合った。だから考え、相応しい言葉を選び直す。

「お前と一緒に戦いに来たんだよ、皆も、俺も」

 ユレイの言葉に、放たれるのは赤茶色の眼光。それは鋭く苛烈で、

「帰れ‼」

 拒絶だ。ライカにしては珍しい短い言葉による拒絶。

 しかしもう諦める気などユレイにはない。だから告げる。

「俺は生きて、お前と一緒に帰るよ、ライカ」


    ●


……なんで来たのよ!

 ライカが声に出したのは糾弾。心で叫んだのは疑問だった。

 ドラゴンを引き付け逃げ回っていたと思ったら、急にドラゴンの動きが変わった。誰かと戦っているらしい。しかし他のA級や凄腕冒険者の応援が来るには早すぎる。ここは辺境だ。そしてドラゴンの動きと叫びからなんとなくわかる。

 冒険者たちはドラゴンを引き付け、どこかに誘導しようとしている。おそらく現在、有効だといえる攻撃はしていないのだろう。そもそもそれはライカにも無理な話だ。

 ふざけるな、と。無駄に命を散らすな、ここはワタシの死に場所だと、冒険者たちを追い返しに行こうと思っていた。だから傷ついた身体にむち打ち、ドラゴンの方に向かおうとした。

 そんなとき、ライカの目の前に現れたのは、見慣れた青年の姿。

 ユレイだ。

 一緒に戦いに来たと告げるユレイに、激しい感情が巻き起こる。

 それは憎悪。

 何度も自分の信念を伝え、理解させ、叩き折ってきた青年のさらなる抗戦に対する苛立ち。

 それは悲嘆。

 自分のことを青年は理解してくれていないのか、だから来てしまったのかと、そんな失望。

 それは寂寥。

 死地に飛び込み、これから死にゆくかもしれない青年と冒険者たちへの幾ばくかの口惜しさ。

 そしてそれは不可解。

……なんで、なんで“喜び”の感情があるのよ!


    ●


 眼前の赤茶色の冒険者。すでに装備はズタズタ、左脚は重傷のようだ。全身から汗をかき、初めて会った時の血塗れの姿よりも苦しそうに見えた。

……さて、どうするか。

 来たのは明確な拒絶だ。

 正直言って、何の準備もない。少女との言い争いで勝った試しはないのだ。いま思えば、あのメイでさえライカの希望に従わせられていた気がする。

 しかしユレイはやらなければならない。ライカを説得し、その傷を治し、作戦を伝えて実行してもらわなければならない。

 重傷だが、デトランド製のポーションを何本も持ってきた。

 その傷がポーションで治せることを、ユレイは知っている。というか、意地でも治ってもらう。

 作戦についてもライカのやることは単純だ。必要な準備も基本的にはユレイが行う。

 難しいのはやはり説得か。いっそメイを戦場に連れてきておけば流石のライカも作戦を受け入れるんじゃないかと思ったが、その前にユレイがグルドに殺されているのでこの方法は無理だ。

「準備を整えたA級が来るまで、ワタシ一人で持ちこたえてみせるわ。だからあなたたち雑魚は帰りなさい」

 少し息を整えたライカが言葉を放つ。内容は変わらず拒絶。

「それでお前は? 死ぬのか?」

「死ぬわ」

 少女が言い切る。持ちこたえると言う癖に死ぬといい切るのはなぜか。そもそもジスによればライカが持ちこたえられるのは長くて一日。冷静なジスの言葉をユレイは信用しているので、ライカの希望を通す訳にはいかない。

「連中じゃあと一時間も保たずに死ぬわ」

 死ぬかはともかく、ユレイもその意見には同意だ。大規模な集団戦の経験があるわけでもない冒険者たちが長時間“紫電”を相手に粘れるとは思えない。そもそも、長期戦ができる態勢にしたつもりもない。

「だからこれから一時間以内に、“紫電”を倒すんだよ、俺たちで」

 ライカが目を見開く。

「頭やられたの?」

 それ、初めてライカが道具屋に来た時に思ったなーと、ユレイは思い出す。

 先程から、不思議と落ち着いている。道中では恐怖に怯えていたというのに。この辺りは“紫電”が暴れているせいか他のモンスターはいない。それで落ち着いているのだろうか。

 そうでないと感じていた。きっとこれは嵐の前の静けさだ。自分の奥底で感情が渦巻いている。ユレイがそれらに“言葉”という形を与えるのを静かに待っている。

 “紫電”を倒しに行く前に、

……このわからず屋を倒さないとな!

 ユレイは戦いの火蓋を切る。赤茶色の冒険者との、最後の戦いだ。


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