第7話 変わりゆく想い-過去

 ギルベルトは、ユレイと一緒に酒場の隅のテーブルに座っていた。

 ユレイから聞きたいことがあると呼び出されたのだ。ユレイがグルドの店でバイトを初めて以来、ギルベルトはその若い友人に何度も絡んできたが、ユレイの方から積極的な行動をしてくるのは初めてのことだった。

……最近、変わったもんなーユレイは。

 おそらく他の友人たちも察している。その原因はライカ、あの少女だ。A級冒険者として、ギルベルトら冒険者を引っ張っている(いや、置いていっている)あの少女が来てから、ユレイは少しずつ変化を見せている。以前はグルドと一緒に恋だ何だとからかったものだが、

……冒険者について知りたいのは、道具屋としてって意味じゃないよなー。

 若き友人の質問は、「なぜ冒険者として生きているのか」。最初は皮肉かと思ったが、その真剣な眼差しを見ればわかる。

 悩んで、考えて、後ろも前も見て、何かを決めようというのだろう。

 ならば、答えなければならない。

 ギルベルトの答えが友人の役に立つのかわからないが、

……まあテキトーな大人なりに、テキトーな答えを返すさ。

 ギルベルトは今日もテキトーに生きる。テキトーな大人のテキトーな答えが、友人の役に立つと信じて。


    ●


「俺にもよー、若い頃は夢とかあったんだぜ、いやホントに」

 ユレイは、鳥ぐしを齧りながら話すギルベルトを見ていた。普段、軽い付き合いしかしていない冒険者にこのような質問をすることに多少の恥ずかしさを覚えたが、

……この前、助けてもらったしな。

 不安に怯えるユレイの肩をたたき、シェアラ達を助けに行ったギルベルト。いざというときはやる奴だとわかってはいたが、いざ自分が助けられ、この年上の友人に対する見方が大きく変わった。だから聞く。自分が向き合わなければならない“冒険者”という生き方を問うのだ。

「憧れるよなー物語に出てくるような冒険者。俺はここよりもっと中央に近いとこの出身なんだけどよー、そこのギルドに凄腕のパーティがいてな。普段はバカやってる人らなんだけどさ。俺がまだガキで、家族と一緒に隣町にでかけた時、盗賊共に囚われちまったことがあったんだ。近くにいた商家連中の巻き添えだぜ、迷惑だよなー」

 笑いながら話すギルベルトの目はどこか遠くを見ているようだ。

「そこによー、颯爽と現れたソイツら、普段のアホっ面がどっか行って、すげーカッコいい顔でさ。そんなん、俺も目指すしかなかったんだよなー、ひっく」

 ビールをグイッと飲み干し、おかわりを注文するギルベルト。その頬はすでに赤みを帯びて、目は胡乱げになってきている。

……一応、真剣な人生相談というか。

 まあ、そういう奴だ。ギルベルトなりに真剣に答えてくれている。はずだ。

「そんでまー冒険者になるわけよ、腕っぷしには自信あったしなー」

「どうだったんだよ、最初の頃」

「もう必死よ必死。仲間と一緒にいつもギリギリ生き延びてた。簡単なクエストで道間違えたり、依頼主と酒の席でケンカになったり、仲間が現地の娘と仲良くしていたことが恋人にバレて刺されそうになったりなー」

 もしかして冒険者関係ないのではないだろうか。

「結局よー、憧れの冒険者パーティなんて忘れてたなー。毎日とにかく目の前のものに飛びついて生きてきてよー。まあ楽しかったから良かったんだけどよー。でもこれでいいのかって思ったことも何度かあったわな」

「また憧れの冒険者みたいになりたいとか思ったり?」

「そうだなー、確かに思ったけどよ。でもまあ、ガキのころは見えていなかった難しさとか苦労とかわかってきてよー。あの人ら、バカだけどいざってときはカッコよくて、でもそれだけじゃなかったんだよなってわかって」

 息継ぎするようにビールを飲んで、

「そうしたら、今の、俺らなりの生き方も良いかなって思ってよー」

 なんとなくわかった。ギルベルトのその生き方が、凄腕冒険者のそれに比べて劣っているとユレイは思わない。

「でもさー、今は、そうじゃない」

 ギルベルトがジョッキをテーブルに置く。その手で指輪を弄びだす。酔っているからか落としそうになるが、

「嫁ができて、子どもが生まれた」

 愛おしそうに、また指輪をはめる。

「アイツらのためにできることは何かって考えた時、バカしかやってこなかった俺には“冒険者”って生き方しかなかった」

 以前、ユレイは酔ったギルド職員をたまたま世話していたことがある。とある冒険者パーティの失敗をカバーするために残業していたようで、同じく配達が遅れていたアイテムの受け取りをしていたユレイとたまたま出会ったのだ。ギルドに連れ込まれ、中で晩酌をさせられた。

 その時、聞かされた話だ。ボークルードの冒険者パーティでもっとも負傷率の低い、そしてクエスト達成率の高いパーティはどこか。

 ユレイの目の前の酒臭い中年男。ボークルードのベテラン冒険者。ギルベルトのパーティだった。


    ●


「じゃあギルベルトは、家族のために冒険者をやっているのか」

「そうだなー、ひっく、今はそうなるなー。でも最初は憧れのためだったし、その後は楽しかったからだぜ? まあテキトーだな、へへ、ひっく」

 変わっていく。やっていることは同じでも、その裏にある想いは異なる。出会いや気づき、自らの置かれた状況によって、想いも変化していくものなのだろう。

 その流れの中で、確かに生きている年上の友人を見て、

「確かにテキトーだな」

 ユレイはその“テキトー”を心に刻んだ。


    ●


 ユレイは品出しをしながら何かそわそわしているグルドを感じていた。たまにこちらをチラっと見てくる。

……やばい、気持ち悪い。

 ガタイのあるハゲのおっさんが、そわそわしながらチラ見してくる。狂気だ。

 できれば関わりたくないが、一応バイト先の店主だ。本当に狂っていた場合、経営が傾き、店が潰れるかもしれない。その時はメイを引き取ってウィルスと三人で暮らそう。ウィルスは優しいからきっと許してくれる。

「何かあったのか、グルド?」

 ユレイが声を掛けるとグルドはハッとこちらを見て、

「いや? 何かあるのはお前の方じゃねェのか?」

 期待したような視線がこちらに飛んでくる。しかし心当たりはない。

「……何もないけど」

「ふざけンなてめェユレイ! お前がギルベルトに相談したことはわかってンだよ! 俺はお前の雇い主だぞ! 俺にも相談しろ!」

「……俺がギルベルトにしたのはなんで冒険者をやっているのかだけど……」

「俺は冒険者じゃねェ!」

「知ってるよ! なんなんだよお前!」


    ●


 結局、グルドがなぜ道具屋として働いているのかを聞くことになった。まあ確かに少し気になるところではある。グルドの道具屋は親から継いだわけではなく、グルドが始めたのだということは知っていた。

「若ェころ、俺は土木業をやってた。親父は何も教えてくれなかったが、ガキの時から見てたからな。いつの間にか地元の職人組合に混ざっていた」

 どうりでこのガタイだ。ボークルードの大工連中とも仲がいい。

「俺が初めてアイテムを売ったのは、冒険者だった伯父が引退するときだ。持っていたアイテムを譲ってくれてな。試しに露店をやってみたら売れた」

 簡単に言う。しかし商売センスのあるグルドだ。当時から上手いことやったのだろう。

「そンときわかったンだが、俺は何か作っているより、モノを売っている方が向いていたらしい。露店を見た親父に放り出されて、いろいろと商売に手を出した。ちょっとずつだか儲けも増えていった」

「道具屋以外もやってたのか?」

「あァ、野菜とか本とかいろいろな。でも結局アイテム売るのが一番かもってなったときに、知り合いがこの建物が安く売りに出されているって教えてくれたンだ」

「安かったのか、ここ」

 確かに立地としては少し複雑なところにあるし、ボークルードは拡大中とはいえまだまだ小さい辺境の町だ。そういうこともあるのだろう。

「なんでも、前住んでた奴が自殺して以来変な物音が立っていたらしい」

「嘘だろ!? 知らなかったんだが……」

「越してきた最初は確かに音してたぞ。気にしてなかったら消えた」

 コイツ。大雑把すぎて霊のほうが愛想を尽かしたのか。

「そンでまあ、俺なりに工夫しながらやっててな。で、店が軌道に乗りだした頃だ。嫁に出会ったのは――」

……あ、これノロケ話だ。

 ユレイは察した。


    ●


「客の冒険者の娘でな、八歳差だったンだが、一目惚れされてよ」

「ウソつけ」

「ウソじゃねェよ!」

「なんでハゲに一目惚れするんだよ?」

「そンときはまだハゲてね今もハゲじゃねェよ!? これはスキンヘッドだ!」

「で、どうなったの?」

「コイツ……! まあメイに似て可愛らしい奴でなァ、最初は相手にしてなかったンだが、いつの間にか惚れさせられてたぜ」

 メイ「が」似たんだろ、と心の中で突っ込みつつ、まあ確かにグルドが頼れる男であることにはユレイも納得する。

「そンでまあ、三十歳の時に結婚してな、すぐにメイが生まれて……天使だぞ! 知ってるか!」

 大口を開けて親バカが笑う。もう飽きた。

「楽しかったぜー、超カワイイ嫁と天使の娘、両手に花! どうだユレイ、羨ましいか!」

「はいはい、羨ましい羨ましい」

 ユレイの雑な対応も気にせず、嬉しそうだ。そこでふと、気づく。

「奥さん、病死だったっけ?」

 メイが七歳の時、グルドの奥さんは病気で亡くなった。もともと身体が強い方じゃなかったらしい。それ以来、グルドがメイを育ててきてた。

「……あァ、死ぬ最後の瞬間まで、笑ってやがったぜ、アイツ……」

 グルドが懐かしむように目を細める。

 だからか、聞いてみたくなった。

「……グルド、後悔したことってあるか?」


    ●


 グルドはユレイのその問いを聞いた。

 随分と失礼な問いにも思えるが、コイツなりに何か大事な問いなのだろう。

「後悔ってのは、どういう意味だ?」

「いや……こう……その人と結婚してなかったらとか、死なせない方法があったんじゃないか……とか」

 おそらく自分の中でも上手くまとまっていないのだろう。ひねり出すようなその言葉にグルドは笑ってしまう。

「そりゃァまあ、いろいろあンだろうがよ……ユレイ、お前は重要なことを忘れてるぞ?」

「? 何だよ」

 わからないのか、とグルドはユレイの方を向いて答える。

「――メイがいる」

 だから、

「俺が伯父からアイテム引き継いで、土木辞めて、道具屋やり始めて、この町に来て、嫁と出会って、惚れられて、惚れて、結婚したのも全部……」

 グルドは納得している。

「メイに出会うためだった」

「…………」

「もちろん、アイツが死んだのは悲しいぜ? 生きていてくれたらって思う。でもアイツは俺にメイとの出会いをくれた。一生懸命生きていたのも知っている。だから俺がアイツとの何かを後悔することなンてねェ。あっちゃいけねェ」

 まだ若いユレイ。きっとこれからも悩むのだろう。でも“悩めるようになった”ユレイに、

「そういう話だ」

 言葉を贈る。

 自分なりに生きてきた中で得たものを伝えるために。


    ●


 ユレイは夕暮れの道を歩いていた。

 いろいろな話を聞いた。コルト、メイ、ウィルス、ギルベルト、グルド。それぞれにそれぞれの人生と考え方がある。当たり前の話だが、ユレイがこれまで向き合ってこなかったことだ。

 これからどうやって生きていくのか、まだその答えは出せない。冒険者と向き合い始めたが、まだわからないことの方が多い。これまで考えてこなかった分、もっといろいろ考えなければならないのだろう。

 しかし、もう片方の目標には近づいた気がする。

 「失うこと」に対するそれぞれの見解。喪失は確かに存在する。避けられない別離や離れていく選択肢というものは確かに在るのだ。

 だが、彼らはそれぞれの方法で喪失に向き合っていた。

 運送屋の少年は、“思い出”が残ると――。

 独り身の薬草師は、“幸いな日々”と“与えられた影響”があると――。

 ベテラン冒険者は、“受け入れ、変化してきた”のだと――。

 道具屋の店主は、“得られたものがある”と――。

……喪失があったとしても、得る意味はある。

 ユレイはそう思えた。だからあとは、

「あ、」

「うん?」

 目の前にライカがいた。

 冒険者としての格好。いつも通り、腰には紅く輝く剣を差し、軽快なリズムで足音を刻む。

「ライカ」

「久しぶりね、元気? ワタシは元気よ。じゃあね」

「ちょっと待て」

 相変わらずの傍若無人なその振る舞いに久方ぶりのライカを実感する。

「ライカ、ちょっと話したいことがある」

「告白は受け付けてないけど?」

 まだ考えはまとまっていない。でもあれ以来、ライカは道具屋にやってこなかった。ボークルードが小さな町とはいえ、この身軽な冒険者を見つけられるかはわからない。

 だから、

「――失うことと得る意味についての話だ」

 ユレイの言葉に、ライカは肩をすくめて呆れた様子を示す。しかし、

「……まあいいわ、聞いてあげる」


    ●


 道を脇にそれた野原でユレイとライカは向き合っていた。

 少し距離をとった向き合い方。それは二人の心の距離を示すようで、しかしそれが縮まったことなどなかったのだろう、とユレイは思っている。

 もしかしたら、それが今から変わるのかもしれない。

 ユレイは自分がその変化を望んでいるのか、わからなかった。それでもまとまっていない考えを、拙い言葉で紡ぎ始める。

「ライカ、お前はいずれ失うのなら得る意味などないのだと言ったな」

「ええ、言ったわ」

 でもそうじゃない。喪失が在ったとしても確かに得る意味はあったのだ。

「失うことは確かにあるんだろう。それを哀しむこともあるのかもしれない。でもその後には何かが残る」

「何かって?」

「“思い出”だ。それは“思い出”としてその人の中に残り、その“思い出”がその人の生き方に影響を与える。だから、」

「だから?」

「……何も得ず失いもしないことと、何かを得て失うことはイコールじゃない。得る意味は確かにあるんだ。喪失を受け入れて、先に進んでいくことができる。その時、過去に得たものがその人を助けてくれる。そんな出会いと別れを繰り返して、俺たちは生きていく。それがたぶん、人生なんだ」

 ユレイは言う。まだまとまっていない。実感もしていないのだろう。だから“たぶん”などと付けてしまった。それでも通じてほしいと思う。ライカに、自分が考えたことを受け止めてほしいと思う。ユレイはライカの方を見る。

 彼女はまっすぐにユレイの方を見ていた。感情を読み取れない、熟練の剣士のような表情。

 しかし彼女はそれを崩す。

 笑みだ。

 最初は口、そして目が優しい形をとり、ユレイを見つめる。

……ライカ。

 少しは自分の考えが、想いが共有されたのかもしれない。

「そうね、ユレイ。あなたは正しいかもしれないわ」

 それは動き出したユレイにとって確かな達成感となるもので、

「でも喪失は“受け入れる”ものではなく、ただ“在る”ものよ」

 達成感となるはずで、

「そして訂正するわ」

 達成感となるはずだったそれは、

「喪失の苦しみを抱いてなお、得る必要のあるものなんてあるの?」

 赤茶色の冒険者によって無残に打ち砕かれた。


    ●


「ねえ、知ってる? “思い出”というのは変化するのよ」

 赤茶色の少女が告げる。静かに告げられたその命題は、ユレイにはよくわからなかった。

「ユレイ、あなたのお母さんは優しかったかしら?」

 肯定する。母さんはいつもユレイを受け止め、支えてくれた。

「ユレイ、あたたのお父さんは頼りになったかしら?」

 肯定する。父さんはユレイの誇りだったし、一緒にいて楽しかった。

「でも、その“思い出”は色あせていく。その“思い出”を見ているのは現在の自分だから」

 告げられる言葉の意味が、まだユレイにはわからない。

「ワタシの両親も優しかったわ。自慢の両親だった。ワタシのことを一番に想ってくれていた。“師匠”も尊敬できる人だったわよ。優しくて、強くて、ワタシにいろいろなことを教えてくれた。一緒にした冒険は楽しかったはずよ」

 赤茶色の彼女は、どこか他人事のようにそれらの言葉を紡ぐ。ユレイもどこか他人事のようにそれを聞いていた。

「だけど、失ったわ。ワタシをその全部を失った」

 赤茶色の眼光がユレイを見る。

「“思い出”は残って、その人を変えてくれる? そうね、残っているし、変えてくれたわ」

 赤茶色の冒険者が一歩ずつ静かに、しかし確実にユレイに近づいていくる。

「優しかった両親との思い出は、なぜ自分と共に生きることを選んでくれなかったのかという憎悪をワタシに植え付けた」

 近づく少女を、心底怖いと思ってしまう。

「尊敬できる“師匠”との思い出は、なぜ最後まで尊敬させてくれなかったのかという失望をワタシに刻み込んだ」

 一言紡ぐごとに、赤茶色の中身が見えてくる。

「あなたが話を聞いた人たちを思い返してみてよ? 本当に全員、幸せなのかしら。喪失を受け止めきれず、自分を納得させようとしているだけじゃないの?」

 叔父さんは彼女と一緒になれなかったことを後悔していないと言った。

 ギルベルトは憧れの冒険者になれない自分を認めたと言った。

 グルドは愛する妻との出会いと別れが、メイとの現在いまを生むと言った。

「後悔していないと口で言っても、後悔するのよ」

 コルトはいろいろな人との出会いが自分をつくっていくと。

 メイはグルドのために店を繁盛させたいと。

「憎悪していないと言っても、憎悪するわ。

 失望していないと言っても、失望するわ。

 残念ではないと言っても、残念に思うわ。

 苦しくないといっても、苦しむのよ。

 ――それが私たち、人間という生き物なの」

 ユレイは何かを言うことができなかった。

「ワタシは冒険者になりたいと思ったことはない。でも生きていくためにそうなった。モンスターを倒すとその瞬間だけ、快感を感じたわ。だから続けている。けどいつか強大な敵の前に倒れて、死ぬでしょう」

 少女の眼を、ユレイはもはや見ることができない。

「だけどワタシの喪失を哀しむ人は誰もいないわ。ワタシも誰かの喪失を哀しむことはない」

 もう手を伸ばせば届く距離に少女は来ていた。

「それがワタシの生き方」

 あと二歩。

「ユレイ、止まっていたあなたにはわからないのよ」

 一歩。

「――変わりゆく想いの正体が」

 触れた息は、熱かった。


    ●


 下を向くユレイを見て、ライカはそこから立ち去ろうと決めた。

 いろいろと考えてきたのだろうが、しかしライカに届くものではない。

 でもまさか、ユレイが再びライカの前に現れ、言葉をぶつけてくるとは思わなかった。すでに折ってしまったと考えていたが、存外に面白い青年だ。刹那的な衝動は十分満たせたと言える。

 だから、ユレイに背を向け、立ち去る。

 今度こそ、もう会うことはないだろう。

 その時、背後の青年が声を発した。

「なら……一人で淋しく死んでいけよ、赤茶色……!」

 自分の大好きだった、そして今は大嫌いな赤茶色の髪。その色の名をもって自分に言葉を吐く青年に、

「……ええ、そのつもりよ」

 邂逅は終わった。

 きっとこの物語が本屋に並んでいても、誰も手に取らないのだろう。

 ライカはまた、孤独と狂騒の日常へと戻っていく。


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