第2話 勇者 〜〜異世界召喚〜〜

 跳ね飛ばされた浮遊感のあと、……いつまで経っても地面には落下しなかった。

 目を開けてみれば、そこは白い……白という色がついているわけでもなく、何もないが故に淡く白く光って見える、そんな空間だった。


「パスコ・チョージュク=マフィンよ」


 声がした方を振り向けば、そこには教会の像で見たままの姿の至高神である女神様があらせられた。

 条件反射のように私はひざまずいた。


「顔を上げなさい、パスコよ」


 本来許されるはずのない行為なのに、私は不思議にも思わずに言われるがままに女神様の顔を見た。


「異世界に魔王が誕生しました。今すぐ破滅の危機に瀕しているわけではありませんが、いずれ魔王が力をつける前に倒さねばなりません。あなたは不慮の事故でこの世界での命を失ってしまいましたが、そのいまだ伸び続ける才能の伸びしろは失うには惜しいもの。故に私はあなたをその異世界での勇者として送り出したいのです」


 つまり私は死んでしまった、と。

 そして生まれ変わって魔王と戦え、と。

 とはいえ、至高神の目に留まるという光栄、否やはあるはずもなく。


「おおせのままに。いかなる試練も乗り越えてみせましょう」


 私はもう一度跪いた。


 幼い頃から「魔法の才能がある」「優秀だ」「天才だ」と言われ、周囲の期待に恥じないよう勉学を重ねてきた。

 女のくせにと言われながらも研鑽を重ね、主席でこそないものの優秀な成績で魔導学院を卒業し、魔法省の役人として働き始めた。

 29歳にしてようやく一人前の仕事を任せてもらえるようになったところだったのに……。


 そんな私の気持ちを読み取ったのか、女神様は更に続けた。


「感謝します、パスコよ。そなたにはあたう限りの力を授けましょう。今持っている魔法の力、その未だ覚醒していない伸びしろを成長させる時間のための若い、そして魔王と戦うための力もある身体を。けれど怪我や病には強くても、不死の身体と時間を与えるわけにはいきません。どうか自らを鍛え、その世界を救ってあげてください」


「たしかに承りました、至高神様」


 そして身体が浮遊感に包まれた。



 ★☆★☆★



 目を覚ました時、最初に見えたのは見知らぬ天井だった。


 簡素なのに信じられないくらい清潔なベッド。

 逆に、なんという違和感だろう。

 風、土、水、火、光、闇……あらゆる精霊の存在が希薄で、そして歪んでいる。


 両親は流行り病にたおれたが、田舎の優しい祖父母に育てられ、長じては王都にある全寮制の魔導学院で過ごした日々。漆喰の壁、麦わらのベッド、ろうそくと羊皮紙の匂い……。

 魔法省で働き始めたものの、何の後ろ盾もない私はしゃにむに結果を出すしかなくて全力で働いた。

 持てる時間の全てを勉学に費やし、仕事に邁進した29年間には一欠片ひとかけらの後悔もない。

 ……一欠片もないと言えば嘘になるかな? 一度くらいは恋をしてみたかった。


 身動みじろぎすると、手を握られて呼びかけられた。


「キリトくん! 気がついた?! 大丈夫!? もう何日も眠ったままだったんだよ!!」


 その瞬間、この身体――敷島桐人しきしまキリト――の人生の記憶が私の頭の中に流れ込んだ。


 子供の頃から体を動かして遊ぶのが好きだった。勉強は出来ない訳ではなかったが、缶蹴りやスポーツの方が楽しかった。マンガやゲームよりもサッカーの方が好きだったし、剣道と柔道の教室に通うのも楽しかった。

 中学校に入学早々剣道部に入部して、春の大会では先鋒として出場。が、1年経つうちに周囲との実力や意識の差に少しウンザリしていた中2になる新学期直前の朝、俺は交通事故に遭ったのだった。


 ダンプに跳ねられた衝撃、痛み、浮遊感……俺はてっきり死んだものだと思っていたけれど……、オレわたしとして生まれ変わったのだとストンと腑に落ちた。


 即死してもおかしくないような事故からの、この身体の回復の速さは至高神様より与えられた勇者補正によるものだろうか?


 今、わたしのそばにいて手を握っているのは、白石くるみ。幼馴染みで同級生。周囲に気配りするのが上手なゆるふわ系。たぶん俺――桐人キリト――に気があるが、幼馴染というポジションを手放すのにも躊躇している……のにキリトは全然気づいていない。


『敷島桐人』の記憶を引き出してみれば、この世界では魔法の代わりに「科学」でほとんどのことが代替できているようだ。

 そのために精霊たちはへそを曲げ、人間の使う魔法に力を貸すのを渋っているのだろう。

 精霊の加護が希薄な世界で、どうやって魔王を打ち倒せばいいのだろうか?


 そもそも桐人の雑な記憶からすると、この世界にはわかりやすい魔王はいないようだ。ゲームとファンタジー小説の中以外には。

 至高神様の存在も精霊の加護も感じられないこの世界で、俺はどうやって魔王を探せばいいのだろう?

 近くにいれば感じられるのか?

 しかしこの世界、私のいた世界よりもずいぶん広いようだ。正確にはあの世界の未開の地まで含めればきっとこの世界と同じくらいになるのだろうけれど、およそこの世界には魔王が雌伏できるような未開の地はないようだ。

 ならば――こんな広い世界で魔王は、世界を支配できるのか?

 いや混沌をもたらすだけなのならば支配する必要はないのか?

 限られた魔王の領土――たとえば世界の半分――でおとなしくしている必要はない。

 わたしは来るべき日に備えなければならない。


 今、わたしの隣で手を握ってくれている白石は、頼めばヒーラーとしてついてきてくれるだろう。素質があるのは勇者の能力でわかる。メンタリティも問題ないだろう。わたしに惚れているのだから。


 しかし、物理的な攻守を担う剣士/戦士と魔法的な攻撃を担う魔法使い、そしてこの世界では必須であろう情報戦を制する賢者……少なくともあと4人は仲間が必要だ。

 そもそもこの世界の軍事力に「勇者のパーティー」の魔力や防御力で対抗できるのか要検討だ。そのためにも誰よりも先に「賢者」が必要だ。


「桐人くん、大丈夫?」


 不安げにくるみが訊いてくる。

 柑橘類のようでいて人工的な香りがする。

 そして自分自身にも馴染みのある雌の匂いフェロモン

 くるみの匂いだ。


 精神わたし肉体オレがまだ順応できていない。

 そして何より……この股間の熱く爆発しそうな違和感はどうしたらいい?


「おばさん、呼んでくるね!」


 そう言ってくるみが部屋を出た隙に無意識の命じるままにその違和感を処理して……。私は男を知らないままに死んでよかったのかもしれないな、と思った。

 無理だろう? こんな大きくて硬いモノ。



【次話】 勇者 〜〜成長期〜〜

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