第4話 勇者 〜〜初恋〜〜

 一目惚ひとめぼれ、というのは映画や小説、マンガやラブソングの歌詞なんかにしか存在しない形而上的なものだと思っていた。

 まさか自分が「ひとめぼれ」で恋に落ちるなんて思っても見なかった。

 前世も含めて。


 入学式の朝。俺と同じ学校の新品の制服を着ていたからきっと同じ新入生なのだろう。

 ショートボブの黒髪、切れ長の目を弓形にした笑顔に魅入られるようにして俺は彼女を見つめていた。

 立ち止まっている彼女の目の前には黒猫。

 そおっと人差し指を、乗用車のボンネットに乗った猫の顔へと近づけている。

 遠くから見つめているのに、彼女が猫と目線を合わせているのがわかる。

 猫は鼻先を彼女の指先に軽く擦りつけ、小さく鳴いた。


 彼女はこぼれるような笑顔で猫に手を振り、俺が見ていたことに気づいていたのか、こっちを振り向くと、はにかむように笑って学校への道を歩いていった。


 クラス分けの表を見て、教室に入ると彼女がいた。

 同じ中学から来た子だろうか、何人かの女子と楽しげにおしゃべりをしていた。

 いやそれだけじゃない、白石くるみまで昔からの友だちみたいにその輪に混じっていた。

 朝の短時間で、もうこんなに大勢に馴染んでいるということなのだろう。

 圧倒的な美貌、彼女が座る席に当たり前のように集まっている女子たち。

 彼女の周りだけ空気の色が違うような、存在感がある。

 ああいうのを「オーラがある」と言うのだろう。


 人当たりのよさとか調整力だけが取り柄の、地味なわたしとは何かが違うのはわかる。

 ……わたしもいちおう「勇者」なんだけれどなぁ。


「あ、ごめーん」


 ぼんやりしていると、後ろから来た女子に机を蹴られた。

 全然謝っているつもりのない謝罪の言葉。

 振り向きもせず通り過ぎていく。

 もちろん、後ろから近づいてくる人の気配は感じていたけれど、攻撃の意志は感じられなかったから特に避けたりもしなかったのだ。

 しかし、通り過ぎる瞬間に感じたその子のざわりと不機嫌な気持ち。

 彼女に見とれていた男子――わたしのことだ――に気づいてイラッとした気配を隠しもせずに、ナチュラルに机を蹴っていったそのメンタリティにわたしは危険な空気を感じた。


「伊藤、もっとちゃんと謝りなよ」


 向こうのグループから「彼女」が声をかけた。

 蹴った瞬間を見てたらしい。


「ああ? 『ちゃんと』って何? 山崎ぃ。 私、『ちゃんと』謝ったんですけどぉ?」


 ああ、彼女は山崎さんというのか。

 同中なのか、ふたりは知り合いなのだろう。


 そして、中学時代からよく見た女子同士のマウントの取り合い。

 どうやらわたしはそれに巻き込まれてしまった形らしい。


「ごめん、ちょっと用事があるから先に教室を出るけど、ふたりとも喧嘩腰にはならないで」


 チラリと時計を見て、少し早いけれどわたしは教室を出ることにした。

「勇者」の力をもってしても、この手の諍いを収めるのは難しいと中学時代にさんざん経験したのだ。


 伊藤と呼ばれた女子はこっちを見て鼻で笑った。

 山崎さんはそれを苦笑いで見ながら、片手をこちらに向けてごめんの形にしてから手を振ってくれた。



【次話】 魔王 〜〜入学式〜〜

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