第11話 魔王 〜〜油断〜〜

 ――勇者を堕とした。


 その事実に私は油断していたのだろう。

 少しだけ周辺への警戒が緩んでいた。


 よりにもよって伊藤が敷島にちょっかいを出してくるようになったのだ。

 敷島は、夏休みの間に少しだけ雰囲気が変わったから。

 オトコとしての自信とか、私に溺れたが故の隙とか、……1学期の頃のモブ顔の堅物ではなく、ちょっと親しみやすい雰囲気の普通の男子っぽく見えるようになっていた。


 夏休みの間に付き合い始めたから、学校で敷島が私に骨抜きにされている姿を見せつけるには時間が足りなかったのかもしれない。

 それ故に、伊藤は私から敷島を奪ったらたのしかろうと思ったのだろう。

 浅はかにも。

 魔王の力をもってすれば、私が手を下したとはわかることなく殺してしまうことは簡単だ。

 むしろそれが最善手とも言える。

 けれど……、私は子どもの頃から人どころか動物すら殺したことはなかった。

 蟻や羽虫くらいは知らずに死なせていたことはあったかもしれないが、意図的に生き物を殺したことはなかったのだ……魔王のくせに。



 ★☆★☆★



 油断していたのだろう。

 この世には、勇者と魔王は一対のみと根拠もなく信じていたのだ、その時までは。

 昼休み、私の横を通り過ぎた伊藤がささやいた、「彼が『勇者』なんでしょう」という言葉を聞いた時までは。


 勇者はさておき、魔王はひとりではないのかもしれない。

 考えてみればあり得ることだった。

 魔王の存在意義のひとつは、世界を混沌に陥れることなのだから。


 ――伊藤もまた「そいつ」に見初められたのか……?


 何十億人という人間のうちで、知り合いが私と同じく魔王になる確率なんてどれだけ低いだろう? むしろずっと私をそそのかし続けてきた「そいつ」が私に業を煮やして伊藤にも魔王の力を与えたと解釈すべきだろう。


 果たしてその日の午後からクラスの空気が変わった。

 私と敷島が手を繋いで帰る、その姿の写真がどこかのSNS上にアップされているらしい。

 しかしそれは私には回ってこない。

 私と目線が合うと、クラスメイトたちは目を背ける。

 その姿を見て、伊藤が勝ち誇ったように嗤う。


 ……浅ましい。


 魔王の力をこんなイジメみたいなことに費やすとは、なんと浅ましいことか。

 叩きのめしてやろう、と思うも伊藤の視線が白石の方に向いていることに気づく。

 空気を読む白石。

 気持ち的には私たちの味方だとしても今、正面切って声を上げることはできないだろう。

 もしも私が何か動けば、彼女を次のターゲットにする、そんな意志のこもった視線。


 白石だけじゃない。

 たとえば工藤みたいな敷島の友人、私や敷島の家族、誰だって今の伊藤にとっては人質にできるのだ。

 やりかえすなら、一瞬で仕留めなければならない。

 私は生まれて初めて唇を噛んだ。


 伊藤が馴れ馴れしく敷島に話しかける。

 けれど、私も白石も黙って見ているだけしかできない。

 私の怒気が溢れて、教室が張り詰めた空気でいっぱいになる。


 今最悪なのは、敷島が殺されることだ。

 たぶん、敷島が死ねばこの世界のどこかに新しい勇者が誕生する。

 その勇者は敷島のようなお人好しとは限らない。

 地球の裏からでも、力の限り魔王――私のことだ!――を探して殺しに来るような奴かもしれない。

 私の安寧のためにも、敷島を死なせる訳にはいかない。

 そこだけは譲れない。

 敷島ではなく、私のために。


 帰りのホームルームが終わり、教室を出る。

 私はピンと背筋を伸ばして敷島の手を握って教室を出る。

 背後から、いくつものスマホのシャッター音が聞こえた。


 使い魔のカラスの目を通して、誰がやったのかしっかり見ているからな。

 覚えていろ、歯を食いしばり――歯を食いしばるのも生まれて初めてだった――私は振り向かないで歩みを進めた。



【次話】 魔王 〜〜屈辱〜〜

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