十一


 一般の人達よりも、少し遅い昼休み。


 僕達はモール内の、バイキングレストランに4人でいた。


 僕の隣には丸山さん。前には院長と、その隣には衛生士学校に通う古谷さんが座っていた。


 雑談をしながら食事を進めていると、不意に僕のスマホが振動した。


 見てみると、それは藤堂君からのメールだった。


 あれ以来おかしな雰囲気になる事はなかったが、アドレスを交換し、たまに部屋に遊びに来る程度には、仲良くなっていた。



〔古典の授業ヒマ。古崎の声が煩くて寝れねぇし〕



 短い本文が、表示される。古崎というのは、きっと古典の先生の名だろう。


 内容に思わず笑みを零していると、隣の丸山さんから声をかけられた。


「先生。彼女からですか?」


 藤堂君と同じ、好奇心を含んだ瞳。


 どうして世の女性達は、他人の恋愛にこうも興味があるのか。


 否定の言葉を発しようとすると、前から院長の「ああ、あの子か」という呟きが聞こえた。


 見ると、頬杖をついてカチャカチャと食後のコーヒーをかき混ぜている。


「えーッ。院長、知ってるんですかー?」


「どんなひとですか?」


 古谷さんと丸山さんが、声をダブらせるようにして言う。


「んー。かわいい子。でも、凄ぇヤキモチ妬き」


 あっさりと言う。


「いや、ちょっと……」


 藤堂君の事を言っているのは確かだった。


 メールの相手としては合ってる。――が、彼女達の誤解を煽るには十分な効果があったようで。


 案の定「キャー」と笑いを含んだ彼女達は、「ヤキモチ妬きってどーいう事?」と相談し合っている。


「丸山さんは危ない。今この場に来たら、絶対誤解される」


「……そうなんですか?」


「ああ。こうして見れば、2人は恋人に見えなくもない。多分、胸倉を掴まれる」


「ちょっと…」


 どんな彼女を想像されるんだ、と怖くなる。


 チロリと隣を見ると、返された視線と共に「凄いですね」と、何が凄いのか判らない言葉が添えられた。


「じゃさ、じゃさ。私も誤解されるかなー。恋人に見える?」


 古谷さんが、少し院長に寄り添うようにして言う。


「見えるかッ」


「見えないね」


「見えないわねぇ」


 僕達3人の言葉に、ぷぅと古谷さんの頬が膨らんだ。


 取りあえず、藤堂君に返事のメールを打つ。


 大学に行こうと思っていると言っていたから、真面目に授業を受けるべきだろう。



〔頑張って集中しなさい〕



 年上らしく言ってみる。少なくとも、メールなんて打っている場合じゃない筈だ。


 しかし送ってすぐに、返信メールを受信した。



〔了解! オヤスミナサイ〕



 ――いや、そっちじゃないってッ!


 画面に目を剥く。


 顔を上げると、頬杖をついたままの先輩と目が合った。


「どうかしましたか?」


「いや。考え事」


 眉間に皺を寄せ、首を傾げている。


 訳が解らず一緒になって首を傾げてから、僕もコーヒーを入れる為に席を立った。






 診療後のコーヒータイム。


 さっきから頭を掻きながら唸っている先輩は、開いた『名前辞典』を真剣に睨み付けていた。


「どうですか? 名前の候補は出てきてますか?」


 訊いた僕に顔を上げ、無言でレポート用紙を持ち上げる。そこには、いくつかの名前が書かれていた。


「男女共の名前があるんですね」


「ああ。産まれてくるまでは、伏せてもらってるんだ」


「へえ。楽しみですね」


 言って、院長の真っ直ぐな視線に気が付いた。


「どうしたんですか?」


「……いや。いい名前でも浮かぶかと思って」


「なら。僕の顔見てるより、奥さんの写真見た方がよくないですか?」


「あ、そっか」


 院長デスクに置かれている写真を手に取って見つめた後、すぐにそれを置いた。


「――ダメだな。智恵子としか思い浮かばん」


「僕を見ても、宙としか浮かばないでしょうに」


 何気に返すと、意外にも真剣な眼差しを向けられる。


「いや。お前を見て思い浮かぶのは、別の事」


「なんですか?」


 んー、と唸りながら、席を立つ。そしてそのまま、院長室から出て行った。


 それを見送っていると、入れ違うようにして、夜のスタッフ3人組が顔を覗かせた。


「久坂先生。――院長、唸りながら向こう行っちゃいましたけど」


 村上さんが、怪訝そうに声をかけてくる。それに笑って、僕は『名前辞典』を指差した。


「子供の親になるというのは、中々大変そうだね」


「ああ」


 なるほど、と一同揃って納得する。


「では久坂先生。失礼します」


 明日が休診日という事もあるのだろう。3人共が満面の笑みを残し、帰って行った。


 しばらく待っても帰って来ない院長のカップと自分のを持って、スタッフルームへと向かう。洗い物を済ませ、着換えようとしていると、再びスマホが振動した。


 ディスプレイには、藤堂君の名前が点滅している。



〔先生、お疲れ様! 今勉強中。数学まったく解んないよー〕



 泣き顔が添えられていて、笑みが零れてしまう。



〔先生は数学得意?〕



 こんな幸せもいいな、なんて思う。


 雅臣のように、体の繋がりはないけれど。


 1日中、一緒に過ごせる訳ではないけれど。


 それでも 『今』が、幸せだと感じている。



〔今日これからか、明日でよければ、見てあげられるよ〕



 そう打とうとした。


 しかし、小さく叩かれたノックの音に、遮られた。

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