五
次の日の休みは食事をするのも億劫で、1日中ベッドで過ごした。
何度も訪れる眠りの中。何度も僕は過去に戻った。
あいつ、
高1の夏休み。
あの頃が僕にとっては、1番幸せな時期だったのかもしれない。
「なあ、キスした事ある?」
それまでしていたゲームのコントローラーを床へと転がし、雅臣はベッドの側面へと背を預けながら僕を見た。
「うー。……ない、ケド」
その頃の僕達は、『経験』のない事はイコール『恥』な事で。クラスで男子が集まれば、話は自然に『女』とその『経験値』に集中し た。
「そっか」
安心したような、ガッカリしたような、微妙な声音で雅臣が呟く。
「そっちこそ。どーなんだよ?」
「俺もない」
「は?」
あっさりと答えた雅臣に、唖然とする。
「なんだよ」
拗ねたように、怒った口調で返してくる。
「いや、だって。何回か女子から呼び出されてたりしてたから、てっきり」
「ああ」
納得したように頷いた後、あいつは言葉を続けた。
「なんかさぁ、気持ち悪い気がすんだよ。女とキスとかすんの」
「もしかして、潔癖症デスカ?」
「違うけどッ!」
コツンと頭を、叩いてくる。
「ずっと一緒にいんならまだしも、たまにしか話さねぇのに『好き』とかって言われてもなぁ」
僕にとってはひたすら羨ましいグチを、零し始める。
「1回、付き合ってみれば?」
「えーッ、なんの興味もない奴と? 時間のムダ」
「……そーですか」
なら、何も言う事はない。
「女とキスするぐらいなら、お前とする方が何倍もマシ」
「あー、そーで…。――え?」
あまりにもあっさりと言ったので、聞き流すところだった。
「と、俺は思う」
やけに真剣な横顔が、うんうんと何度も頷く。
しばらく呆気に取られていた僕は、次の瞬間ゲラゲラと笑ってしまった。
「なんだよ」
そんな事、考えた事もなかったんだ。
でも、雅臣がそんなふうに考えてくれた事が純粋に嬉しくて、感謝の気持ちを込めて言った。
「だって面白い発想。でも、同感かもね」
「だろ?」
少しの間、2人で笑い合う。
「でもさー。そうは言っても、ヤリたいよなぁ? 男だし」
「まあね」
段々と具体的になっていく話に、顔を逸らせて苦笑する。
「なあ。試してみようか? ――キス」
少し低めに囁かれた台詞で、一気に体温が上がった。
「なっ……、な……」
何を言いだすんだ、と口に手を当てて雅臣を見返す。すると彼は「冗談じゃん」と言ってケタケタと笑った。
「宙、かぁーわいー!」
その後の2人の間に流れる微妙な空気は、やけに僕を緊張させるモノだった。
「――唇舐めんなよ、イヤらしい」
「は?」
突然の言葉に思わず顔を向ける。するとニヤニヤした顔の雅臣が、こちらを見ていた。
僕を緊張させていたのは、雅臣のこの視線だったのだと気付く。
「お前こそッ! そのニヤけた顔がイヤらしい!」
指差した途端、視線が交錯した。
ああ、ダメだ。
――判っていたのに。
緊張の本当の意味も、視線を合わせてはいけない事も。
「……宙」
雅臣が身を乗り出すようにして、僕の名を呼ぶ。
「冗談はウソ」
息を吹き込むように、耳元で囁かれる。
「……あっ…」
頬は熱かったが、添えられたあいつの掌が熱いのか、自分の頬が熱いのかは、判らなかった。
触れるだけの唇が何度も角度を変えて重なる。
鼻の奥にあいつの匂いが広がって、いつの間にか、雅臣にも繰り返されるキスにも、夢中になっていた。
雅臣がゆっくり離れていく。唇の周りにまで唾液が付いていて、急いで腕で拭った。
「宙」
呼ばれて隣を見ると、雅臣が同じように手の甲で唇を拭っていた。
「お前の匂いがする」
そう言って、拭った手の甲に唇を押しあてる。
「バカッ! やめろよ、そーいうの」
剥がそうと手を掴むと、逆に掴み返された。
「俺の、初キスをお前にやるよ」
やけに艶のある声で、雅臣が囁く。
「そんなの、僕のだってッ」
ムキになって言い返して、雅臣に笑われた。
「きっと、キスする度にお前を思い出す。誰としたって、何年経ったって、その先にはお前がいる」
「と、俺は思う。だろ?」
「そう」
また笑い合ったが、掴まれたままの手は、離される事はなかった。
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