第4話 神命救済

 埠頭から離れた大橋。

 この街を西と東で二分するように流れる川に架けられたこの橋はこの街のシンボルマークの一つだ。

 西の山には魔女が住む。東の山には鬼が住む。

 妖怪悪鬼に縁深いこの地の噂はいつもそんな者ばかりだ。

 その橋を一人の魔女が従者を引き連れて渡ろうとしている。

「よぉ」

 その目の前に一人の男が立ち塞がった。

 ボサボサの髪、ダメージジーンズにノースリーブのシャツを着た男は興味もなさそうに、アイスクリームを食べながら彼女を見ている。

「また邪魔しに来たの?」

 黒衣の少女は鬱陶しそうに彼を睨む。

「いや、そんな可愛いもんじゃねえよ」

 歩鷹はコーンの残りを口に頬り込むと歩き始める。

「殺しに来たぜ、化け物?」

 背中に隠した銃を引き抜き、少女に向ける。

 彼女の従者たちが前に出て、彼女を守ろうとする。

「駄目よ、子供たち。アナタたちは逃げなさい」

 羊角の従者たちは困惑しながらも彼女の言う通り、踵を返して橋から消えていく。

 総勢百を越えようという軍隊はあっという間に彼女一人になった。

「随分と潔いな、流石自殺しようとしてただけある」

「子供を盾にする親がどこにいるのよ?」

 彼女の言葉を歩鷹は鼻で笑った。

「割と多いぜ、嫌になるくらいにはな」

 目線の先の相手は相容れぬ。

 だから、二人は殺し合う。

 それは何処にでもある光景だ。

「貴方は私の世界に必要ないッ!」

 充は触手を伸ばし彼を襲う。

 蛇行する触手による一斉攻撃。細い木の幹ほどはあろうというそれは当たれば致命傷となるだろう。

 アスファルトを抉り、鉄骨を歪ませ、強風をも巻き起こす。

 次々と絶え間なく襲い来る触手。だがしかし、それが歩鷹に届くことはない。

 それは単なる経験値の差だった。

 回避に必要なのは素早さではなく予測だ。

 彼女のように手数が多いならば、それを点ではなく面で放つことで回避を困難にするべきなのだ。

 だが、彼女は殺し合いはおろか、喧嘩すらしたことのない一般人だった少女だ。

 今相手がいるところに触手を伸ばそうとも、その触手が届くことはない。

 飄々と躱すその姿は彼女の苛立ちを増大させる。

「当たれ……何で当たらないの!!」

 当然、強く願って当たるようなものではない。ましてや冷静さを欠いた今の彼女では、何故当たらないのか見当もつかないだろう。

 そして、攻撃に集中する彼女はその場を微動だにしていない。

 攻撃の合間。回避に慣れてきた歩鷹がついに攻撃に転じた。

 放たれる銃弾。充はそれに気づきすらしていない。

 しかし、触手の一本がそれに掠り、軌道が変わった。

 銃弾は彼女の肩を切り付ける。

「きゃっ」

 突如襲われた痛みと衝撃に彼女は尻もちを着いた。

 痛みに肩を抑え、震えだす充は目尻に涙を浮かべつつ歩鷹を睨み付ける。

 この少女は、きっといつもそうしてきたのだろう。

 痛みに耐えることしかできず、相手を睨み付けて抵抗することを知ろうともしなかったのだろう。

 せめて、彼女を終わらせるならば一瞬で終わらせるべきだろう。

 これ以上、彼女が泣かないように……。

「力を貸せ、シストラム……」

 歩鷹は相棒に呟いた。

 それは彼とシストラムの間で結ばれた契約の力の行使の合図でもある。

 しかし、しばらく待てどもシストラムは鳴きもせず、彼に力を貸すこともしない。

 歩鷹が振り返るとシストラムはどこ吹く風といった様子でそっぽを向いている。

「お、おい。シストラム? シストラムさん!! おいったら、力を貸せよ!!」

 急に充に背を向け、焦った様子で猫に語り掛ける歩鷹。

 しかし、シストラムは大きな欠伸をして歩道の端で小さくなるだけだった。

 呆気に取られた充は口を開けたまま、何が起きているのかわからずにいた。

 男は項垂れ諦めたかのように肩を落とす。

「殺すのは協力しない? いや、だって人類の危機だぜ? 猫の自分には関係ないって、嘘だろお前……」

 マオマオと鳴くシストラムについには歩鷹は頭を抱え始める。

 歩鷹は項垂れたまま、不安定な足取りで充の方へと歩いてきた。それはまるで歩く死者のようにも思えた。

「……お前、本当に人類掌握したいの?」

 先ほどとは様相の違う男に困惑しながらも充は頷いた。 

「だって、そうしないと誰かが誰かを傷付けるじゃない」

 覚悟は決まっていたはずだ。誰が相手であろうと、どんな手段を使おうとも世界を優しいものにする、と。

「でもよぉ、お前の言う世界じゃ人間と呼べる奴はいないんじゃないか?」

 彼女の望む世界はいわば彼女の意のままに動く人間だけの世界だ。

 しかし、彼女の子供となったものは異形となり、人とも呼べぬ何かに成り下がってしまう。

 そんなものになったところで彼女がこの先何年それを管理できるのだろうか。

「それでも誰かがやらなきゃ、人は人を傷付け続ける、だって人はみんな弱いもの」

 歩鷹だって彼女の理想が間違っているとは思っていない。

 実際に彼女の言うような人間が多いのは歩鷹にもわかっているし、それを許していいとも思っていない。

 誰もが隣人を思いやり、助け合える世界を作りたいという彼女の理想。

 だが、彼女のやり方ではそれは叶わない。

「お前の欲しい世界は本当にお前が作った世界なのか?」

 充は何も言わず、歩鷹もかける言葉を見つけられずにいる。

 長い沈黙。

 湿った空気の中で雨粒が一つ、また一つと地面を叩く。

 それはいつしか激しい大雨となった。

「お前の世界にお前を守ってくれる奴はいるのかよ」

 充は俯いたまま何も答えない。

 揺らぎ。

「いるわよッ!」

 慟哭。

「神は人を救うけどな、神様を助けようなんてする人はいねえんだ」

「殺そうとした癖に説教しないでよ」

 嘆きの言葉が雨音に消えていく。

「お前は神様になんてなる必要ねえんだ」

 充が顔を上げる。

 雨に濡れた髪が顔に張り付いている。その頬を撫でるのは雨粒だけではないようだ。

「じゃあ、どうしたらいいの? こんな力まで持って、いろんな人たちを傷付けた。世界を救うくらいしなきゃ、割に合わないじゃないッ!!」

 歩鷹は少し笑った。

「なんだよそれ、じゃあ俺も世界を救わなきゃいけねえじゃねえか」

 歩鷹は手を差し出しながら続けざまに言った。

「じゃあ、俺も一緒に世界救ってやるよ。とりあえずお前の言う方法以外でな」

 充は手を伸ばす。

 声に出さずとも彼女の叫びは歩鷹に届くだろう。

 だから……

「所詮は人の子、同じ同胞はらからと思い、背中を押したところで完全な覚醒とは至らぬか」

 世界はそれを許さない。

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