第5話 存在価値(Q)

 世界は優しくはなれない。

 皆、願いがあって、守りたい人がいる。

 その願いが人の不幸に繋がっていようと、誰かを守ることで世界が滅ぼうとも、それを叶えたいと思うのが生き物のさがである。

 神様がいたとして、それが都合の良い願望機だったとて、世界は願いによって歪むだろう。

 現にその神が自らの願いによって世界を滅ぼさんとしているのだから……。

「間もなく謁見の時だ。ああ、君にとっては祖父に当たることになるのか、ならば君にとっても感動的なことだろう」

 暗がりの奥が銀色の輝きを放っている。

 男の視線の先の少女はその光の上で両の腕を縛られ空に浮いている。白銀に輝くヴェールに身を包んだ姿はまるで花嫁のようにも見えた。

 男の表情はまるで誕生日を前にした子供のものに似ている。

 世界の防御機構を封じ、その願いを阻む存在は既に地に伏した。

 忌避していた存在であるこの町の守護者たる梗越寺や他のアラヤたちにも、偽の異変を起こすことでこちらへの対応ができないようにしている。

 最早、彼を阻む存在が現れることはない。

 光は彼の膝元まで伸びている。

 光が作り出したそれは扉。銀色に煌く扉がその姿を徐々に露わにしている。

 これこそが世界の果て、『窮極の渾沌』へと繋がる門である。

「この扉を見つけるには、君の中に流れる『銀鍵の処女』の力を覚醒させる必要があった。兄上から鍵を奪ったは良かったが、肝心の扉を娘に託していたとは予想外だったよ」

 この扉は云わば彼女自身と言っても過言ではない。

 『空虚なる銀』、『豊穣の闇』が産み落とした娘。彼女に託された誰も知らない全ての父へと繋がる扉がこの扉の正体である。

 彼の目的はこの扉の奥にいる存在への謁見。長きに渡る時間という眠りからの解放が彼の存在価値だ。

 思えば長いことこの夢を続けていたように思えた。

 男は銀色に煌く古風な鍵の穴を通して充を見る。

「なるほど、確かに兄上……この場合は姉上というべきか? まあ、どちらでもよいが似ているな」

 光が作り出した扉は間もなく完成する。



 結局、世界を守るものは誰一人現れなかった。少女は目覚めず、世界を救う英雄は現れない。彼女を守ると決めたあの青年も再び現れることはなかった。

 諦めたかのような沈黙と光が収束した銀の扉が鎮座する中で、男は肩を震わせる。

 小さな笑い声。しかし、それは徐々に大きくなっていき、木霊するほどに高笑いへとなっていった。

 世界は救済を諦めたのだ。

「ついに、この時が来た」

 男の顔が歪む。それは孔のようにも見え、いくつかの顔が入れ替わるかのように彼の顔となっていく。

 本来の姿を忘れて長いこと経ったが、彼の高揚がその姿を思い出させようとしているのだろうか。

 ひとしきり笑った後、彼は恍惚とした表情で鍵を手に持ち、扉の鍵穴へとそれを挿入する。

 カチリ。

 軽い金属を立てた後、銀白色の扉は古い蝶番の悲鳴を上げながら、その内側を見せていく。

 青い銀に光るその世界を見た男はその瞳を大きく開いていく。

 ついに、ついに、と達成される悲願を前に高鳴る心の赴くままに扉を開いた。

「やぁ、久しぶりだね■■■■■■■■■」

 何と発音したか分からぬ声。それは男の名前だった。その声を前に男の表情が変化する。

「貴方、は……」

 光の中にいたのは幼い無垢な少年だった。白い髪に灰色の瞳。少年のようにも少女のようにも思えるその少年は何処か彼に似ている。全身に白を纏ったような存在を彼は知っている。

「また、邪魔をするか……兄上ッ!!」

 歯をむき出し、男はその腕を少年の首へと伸ばす。届かぬはずの男の腕が伸び、少年の首を捕まえたと思うと一思いにへし折った。

 この少年はかつての兄、あらゆる時空と手中に収めた外なる神が一柱、『空虚なる銀ヨグ=ソトース』その人である。

「はぁ、せっかく兄弟の感動の再開だというのに、台無しだ」

 少年は首を折られたまま話続けた。

 そのまま彼が扉の内から外へと出ると扉は小さな音を立てて閉じてしまう。

「何故だ、この扉は『窮極の渾沌』へと繋がる扉のはずだ、何故、あなたの下へと繋がるのだ……? そもそも『観測者』となったあなたが何故世界と繋がれるッ!!」

 少年は自分の頭と首を掴むとそれを元に戻し、にこやかな微笑みを浮かべた。

「この扉は父へと繋がるもの、ウムル・アト=タウィル銀の鍵の管理者にとってのね、それが例え世界に弾かれた『観測者』だろうと関係のない話だよ」

 世界の秩序を歪める存在、それ故に世界から嫌われた存在である『観測者』。

 そうなってしまったはずの存在は世界に干渉することを許されない。しかし、世界が敷いたルールの上では、その存在も存在することを許されるのだと彼は語った。

 そして、男はその存在について心当たりがあった。

「アラヤか……」

 苦虫を潰したような顔で男は言った。

「彼だって忙しいんだ、いちいちお前がちょっかい出すから今回は僕にその席を明け渡しただけだよ、お前は梗越寺が対応しない時点で気が付くべきだったんだ、今回の敵はアラヤじゃないって」

 世界の抑止力。いや、修正力と呼ぶべきだろう。

 世界は法則を持つことによって成り立っている。世界に現れる異能や異形と呼ばれる存在はその法則の外側に立つことができ、それは世界を崩壊へと向かわせることになりかねない。

 それ故に世界は都度その存在に対し、自らの意思で排除する免疫機構を持っている。

 男はそれを阿頼耶識に準えてアラヤと名付けた。それは世界を救う英雄たちに宿された守護者としての意思であり、彼らに指名を与えた神に等しい存在と言えるだろう。

「だが、観測者が世界に干渉していいはずもない。貴方には最早、何も出来まい」

「あぁ、だから君を倒すのは僕じゃない」

 ヨグ=ソトースは彼の後ろを指差した。

 男は後ろをゆっくりと振り向く。

 そこには血塗れになりながらも、その両の足で立つ男が毅然とした態度で立っていた。

「よぉ、殺しに来たぜ、神様」

 青く光る炎。その瞳には決意が燃えていた。

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