第5話 存在価値(仇)
黒い、黒い混沌が世界を覆う。
薄い翼膜のある巨木の枝ような翼をもつ生物を連れ、その混沌は二つの命の前に現れた。
曲がりくねった首を持つその生物は馬のような顔を持ち、その全身は鱗に覆われている。それは正に竜の姿を彷彿とさせた。
男は充の姿を見て落胆した表情を見せる。
「獅子が赤子になったかと思えば、まるで少女ではないか」
充が彼を殺せば、彼女は完成すると思っていた。
神へと至る道をいくら舗装したとしても、人は人であることを手放そうとしない限り、それは成就することはない。
二つの手が触れる手前で、二人が彼の方を向く。
充は恐怖を、歩鷹は怒りをその表情に浮かばせる。
「貴様の役割はとうに終わっている。役目の終わった役者には舞台を下りて貰おう」
彼の後ろに控えていた生物が歩鷹を急襲する。
翼を折りたたみ、槍の様に突進する姿は最早地球の生物ではありえぬ動きをしていた。
その速度は歩鷹の反応速度を優に超える。その嘴は彼の心臓を射抜かんと突進した。
歩鷹が気付いた時には、それは目の前にいた。まるで空間に突き刺さったかのようなそれに二人は目を丸くしている。
黒い眼に赤い瞳を持つ生物は蛇のような内瞼を瞬きさせて彼を見つめている。
歩鷹は何が起きたのか理解が追い付かず、死にかけたという事実だけを認識し浅い呼吸を繰り返した。
「シャンタク鳥を止めるか、やはり猫は好かぬな」
シャンタク鳥と呼ばれたそれは身を翻して空へと舞い上がる。
「……黒幕のお出ましか、今度こそ力を貸せよシストラム」
雨に濡れた髪をかき上げながら歩鷹は相棒に語り掛ける。
シストラムが一鳴きするとその左の眼から深い海の底の色をした炎が零れ始める。
瞬く間に広がったそれは浮遊する光となると歩鷹の周りを回り始める。
彼の足を、手を、そしてその左目に宿り、彼に力を宿す。髪や背中にも炎が広がり、それが猫の耳や尻尾のようにも見えた。
「アラヤも随分と仕事の早いことだ。親子の再開に水を差すなど無粋だとは思わぬか?」
「知るかよ、少なくとも女イジメて楽しんでるやつよりはマシだ」
問答。それに意味はない。
シャンタク鳥が再び、急降下し歩鷹を狙う。
歩鷹は左腕を振り上げ、迎撃の構えを取る。そして迫りくるシャンタク鳥に合わせるようにその腕を振るった。
「”蒙昧”だな」
空気を裂く音。
飛び散る鮮血。
しかし、シャンタク鳥はその首根を裂かれ、その巨体は橋の下へと落ちていく。
確かに彼の腕は肘から先を失ったはずだが、彼の左腕は確かにそこにあった。
「じゃあアンタは”無知”だな」
感心したように口角を上げる男。
歩鷹は充を守るように前へと出る。
「やはり、梗越寺には劣るようだ」
歩鷹の視界がぐらりと歪む。
天を仰いだと思った瞬間には地面が映り、瞬く間に回転する視界。
自らの身体が浮き上がっていることに気が付いた時、歩鷹はそれの姿を見た。
巨大な蛇のような尾を持つそれは何処からか現れ、その爪か牙のようなもので彼の身体を貫いた。
暗がりに潜み、獲物に襲い掛かる姿は正に『忌まわしき狩人』と呼ぶべきだろう。
「……が、ぁ」
身体を貫かれた痛みに呻き声を上げる彼の視界に映ったのは、気絶した充とそれを抱き上げる黒い男の姿だった。
「安心するがいい、世界を救う必要などすぐに無くなる」
捨て台詞のようにそう言い踵を返す男に歩鷹は手を伸ばす。
狩人が虚空に消えるとともに彼は地面へと叩きつけられゴミのように転がった。
薄れゆく意識と視界。
伸ばした腕は何かを掴むこともなく、地面へと落ちていくのだった。
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