第3話 存在価値(破)1
夜を越え、朝を迎える。
昨夜の騒ぎは嘘のように、学校は平穏なそのものだった。あの場にいた者も何事もなかったかのように日常を過ごしている。
それは充もまた同じだった。
彼女もまた、普段通り登校し、普段通りに自席で一人、本を読んでいる。
廊下に響くアクセサリーの金具の揺れる音。充の鼓動が早くなる。
葉月と上村が近づいてくる音が聞こえてきた。
二人は教室に入ると自席に着くよりも前に充の下へとやってきた。
「おはようゴキブリ女、昨夜はお楽しみだったようね~」
教室内に響き渡る声に周りの生徒たちが沈黙する。
「愛しの橋沼君はまだ来てないのかしら?」
卑しく笑う彼女たち。
が、彼女たちはとある違和感に気が付いた。
普段ならば彼女たちが揶揄い始めると周りもひそひそと会話を始めていた。
しかし、今日はソレがない。それどころか、周りの生徒たちは光の無い瞳でこちらを見ているのだ。
まるで人形のようにただ一点を見つめるクラスメイトたち。
「何よ、アンタたち……」
クラスメイト達は徐々に彼女たちを取り囲んでいる。
いや、クラスの生徒だけではない。気が付けば他のクラスの生徒たちも廊下に次々と終結している。
「―――皆、落ち着いて」
充の声を聞いた瞬間、他の生徒たちの目に光が戻る。
何事もなかったかのように日常会話を始める生徒たちに葉月と上村は目を白黒させるしかなかった。
「何、今の……」
葉月の言葉に充が微笑む。
「大丈夫、二人もちゃんと仲間に入れてあげるから」
裂けるほどに口角を上げて笑う充。
日常に差した歪な影に二人は冷や汗をかき始める。
言葉にできぬ違和感といつもと異なる彼女の態度。
唇が渇く。呼吸が浅くなり、うまく息が吸えない。
我慢のできなくなった葉月は腕を振り上げ、充に向けて振り下ろした。
しかし、その腕は近くにいた男子生徒によって阻止された。
折れるのではないかと思うほどに腕は強く握られて彼女は悲鳴を上げる。
「何すんだよテメェ!!」
上村は葉月を助けるべく、その男子生徒に蹴りを入れる。
しかし、男子生徒は微動だにせず、今まさに葉月の腕を折らんとしている。
「駄目だよ、阿久津君。彼女は私のお友達なんだから放してあげて」
また、彼女の言葉を聞き、生徒は正気に戻り、小さな謝罪をして彼女の腕を放す。
考えなくても二人は彼女が何らかの方法でこのクラスを掌握していることが分かった。
「お前、あいつともやったのか……?」
阿久津には彼女がいた。サッカー部のムードメーカーでクラスでも多少なり人気のある生徒だ。
「うん、彼意外と甘えん坊だったよ」
まるで何でもないような口調で話す充。
彼女を貶める為に橋沼を嗾けた彼女たちではあったが、彼との行為の後に他の生徒ともまぐわったという事実に驚きを隠せない。
いや、阿久津だけではないのだろうということは直ぐにもわかった。
他の生徒の中でもこの状況に困惑している様子の生徒がいる以上、全員ではないようだが他にも同じようにまぐわった男子がいることは間違いない。
「お前、何なんだよ……」
震える奥歯を隠すように睨み付ける葉月。
不敵な笑みを浮かべる充を睨む彼女はまるで小動物のようにも思える。
そんな中、教室の扉を開ける音と共に担任の教室が入ってくる。
「ほら、HR始まるよ、席に戻ろ?」
以前の彼女のような笑み。先ほどまでとはまるで異なる自然な笑みのはずなのに、二人にはその笑みこそが一番恐ろしく思えた。
こんなに学校が楽しいと思えたことがあっただろうか。
クラスのみんなが私に声を掛けてくれる。
「古江さん、俺と一緒にご飯食べない?」
「駄目よ、古江さんは私達とごはんするんだもんね?」
葉月さんたちも一緒ならよかったんだけど、授業の途中で抜け出してどこかに行ってしまった。体調でも崩してるのかな、それとも、ただのサボり?
友達と過ごす時間は好き。私を傷つけない人がもっと増えれば世界はもっと楽しくなるのかもしれない。
「あ、あの……古江さん」
大澤君が人の根を掻き分けて私の机の前に来た。
その顔は緊張した面持ちでその可愛らしい顔は今にも泣きそうだ。子犬のような表情に私の母性がくすぐられる。
「どうしたの大澤君、そんなにかしこまって」
大澤君は私の顔を見るとすごく恥ずかしそうにしている。
緊張が感染するものだとは知らなかった。私の心も少し硬くなっている。
周りが静かに見守る中、彼は深く息を吸い込むと覚悟を決めたような顔をした。
「ずっと前から好きでした、僕と付き合ってください!」
緊張でかいた汗が涙のように彼の頬を撫でる。
静まり返った教室が一気に歓声に包まれた。
私は一瞬、何を言われたのかわからずキョトンとしてしまったが、すぐにその意味に気付いた。
耳が熱い。混乱と動揺で言葉が出ない。
だって、こんなに素敵な告白をされるなんて思ってなかった。
「答えはあとでいいから!」
そう言うと大澤君は他のクラスメイト達を押しのけてどこかに行ってしまった。
私は恥ずかしくなり、顔を抑えて下を向く。
「え? え? 古江さんどうするの、付き合っちゃう、付き合っちゃう?」
「マジかよ、先越されたぁあ!」
心臓が張り裂けそうなほどにうるさい。
クラスメイト達の声が耳に入ってこない。
こんな素敵な日が来るなんて思ってもいなかった。
放課後。
いつもなら充を呼び、例のトイレで彼女を辱めるところだが、彼女たちは終礼の後速やかに教室を後にしようとした。
誰が正常で誰がイカレているのかも分からぬ状況で長居したいと思うものはいないだろう。
だが、彼女たちが逃げ出すのを周りの生徒たちは許さなかった。
教室の入り口に立ち、彼女たちが逃げ出すのを妨害する。
規律の取れた行動。まるで軍隊のようだ。
「今日はいつもの場所、行かないの?」
耳元で充の声がした。
飛び退くように振り向くと彼女がすぐ後ろに立っている。
友に語り掛けるような少女の笑み。今朝の恐怖が再び彼女たちを襲い始める。
「復讐のつもりかよ……」
それに対し、充は偉く不思議そうな顔をしている。
「復讐? なんで?」
本当にわかっていなさそうな顔をする充。
彼女には本当にそういった意識がないのか影の無い笑みで聞いてくる。
「いいじゃん、行こうよ。みんなも行きたいって」
彼女の声に連れるように目に光の無い生徒たちが立ち上がる。
彼女に付き従う理由はわからないが、彼女が何かをしたのはわかる。
「アタシらをどうするつもりだ?」
大体想像は付いてはいる。
おおよそ、彼らは全員充を抱いたのだろう。
何故、体の関係だけでここまで付き従うのかはわからぬが、要は彼らは彼女の虜になっているのだ。
「私ね、気付いたんだ。誰かと繋がるとその人の思いが私の中に流れ込んでくるんだ。だからね、二人とも繋がれば、また前みたいに仲良くなれると思うの」
湿ったものが床を叩く音が聞こえる。
彼女のスカートの端から黒い樹木のような触手が伸びている。無数にあるソレは、それぞれが意志を持っているかのように異なる動きを見せていた。
二人の少女の引き攣った表情に充は酷く悲しそうな顔をする。
「さあ、楽しみましょう?」
悪魔のような笑み。
クラスの男たちの身体もまた見る見るうちに変貌を遂げていく。
脚は羊や馬のような見た目になり、腕にも茶色い毛が生え始める。
「―――勝手に始めんなよ、バケモンが」
男の声。
充が窓の方を見るとそこに腰かけた青年が猫を肩に乗せてこちらを見ている。
彼、歩鷹の手には黒い鉄の塊が握られている。
エンフィールドMkⅠ。イギリス製の中折れ式リボルバー銃だ。銃身は延長加工されており、その側面にはルーン文字が刻まれている。
「当たらねえもんだな、勘てのは。シストラムがアイツを警戒してる時点で怪しむべきだったぜ」
歩鷹は窓の縁から降りると銃を充に突き付ける。
「逃げな嬢ちゃんたち、ここでまともなのはお前らだけだ」
彼の言葉を聞いて葉月たちは逃げようとするが、そもそも男子生徒たちが行く手を阻んでおり逃げる余地がない。
「逃げる? 無理だよ、葉月さんたちも私の仲間にするの、そしたらここは私にとって優しい場所になる。邪魔しないでよ」
充は触手を伸ばし歩鷹を突き飛ばす。
壁にぶつかり背を打った歩鷹は少々むせ返ったがすぐに立ち上がった。
「優しい場所、ね。都合のいい場所の間違いだろ?」
銃声が鳴り響く。充を庇うように男たちが前に乗り出し、彼女の壁になった。
「無駄、彼らは私の子供になったの。銃程度じゃ殺せない」
嘲笑うかのように口角を上げる充。
しかし、笑みを浮かべたのは彼女だけではなかった。
「後ろ、見てみろよ」
充は後ろを向く。
先ほどの銃撃で扉を封鎖していた男たちも前に乗り出した為に、先ほどまでそこにいたはずの葉月たちが逃げてしまった。
「じゃあ俺も帰るわ、今の銃声で人が集まる前にな」
充が驚いていると歩鷹は窓から飛び降りて逃走した。
葉月たちだけでなく歩鷹にも逃げられた充は舌打ちをすると小さく溜息を吐いた。
「なんだ、今の音は!」
彼女の支配を受けていない教師が様子を見に来た。
生徒たちは既に元の姿を取り戻しているが、面倒が起きたことに充は頭を抱えた。
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