第3話 存在価値(破)3

 さんざめく光る月。

 闇よりも黒い襤褸切れのようなローブの男はアスファルトを鳴らす。

 暗がりだというのに男の白い肌はその青い光に照らされてはっきりと見えている。

 四月も終わりを迎えようという夜。月の境目を歩く闇の前に同じく黒い人影が現れる。

 それは老いた柳の肌のようなドレスを身に纏う少女であった。

「随分、らしくなったではないか」

 男は嬉しそうに目の前の少女を褒める。それはまるで久しく会っていなかった血縁者に向けるようなものに似ている。

「えぇ、今はとても気持ちがいいの」

 恍惚な表情を浮かべ、少女は目を細めて笑う。

 まるでトンボの翅を潰すような、蟻を踏み遊ぶような、そんな子供の無邪気さと残酷さを合わせた笑み。

 いつからいたのか彼女の後ろからぞろぞろと山羊角の従者たちが列をなす。

 彼らのその赤い瞳が闇に浮かぶ。

「豊穣の子よ、何を望む?」

 男は静かに問うた。

「そうね、手始めに世界を私の子供で満たしましょうか」

 少女は男の隣を通り過ぎ、闇へと消えていく。

 混沌の果てにある闇。霧に包まれた魔女たちの宴が始まろうとしている。

「思う存分満たすがよい。その果てにある破滅こそ私の望む本懐だ」

 歪んだ笑いが夜に木霊する。

 月を叢雲が隠していく、世界を覆うかのように。

 

 街外れの埠頭。

 その一角で篝火を焚き、山羊頭の男たちは踊り狂っている。

”いあ いあ うーつるへーあ”

 呪詛のように、讃えるように、男たちは充を囲み、彼女を崇め奉る。

 幼き故の可憐さと淫靡なる魅力を持つ少女は正に男たちにとっての神と言っても差し支えないだろう。

 積み上げられたコンテナの上に座る彼女は小さき女王のようにも思える。

 そんな儀式めいた行為が行われる中で、篝火の前には生贄のように二人の少女が男たちに囲まれて怯え震えていた。

「どうしたの、楽しくない?」

 少女は不安げに彼女たちに聞いた。

 急に連行され、挙句このような儀式に参加させられた彼女たちが楽しそうにできるはずもない。

 先ほどから怯えと怒りが混じった表情で少女を睨むのが彼女たちの取れるせめてもの抵抗だった。

「復讐の……つもり?」

 先に口を開いたのは葉月の方だった。上村は彼女にしがみ付きながら必死に充を睨んでいる。

「……なんで? 二人は友達だから楽しんでほしくて連れてきただけよ?」

 充は当たり前という顔をしている。

「は? アンタ本気で言ってるの?」

 正気の沙汰ではない、と二人は思った。

 自らの行いが許されるものではないということはわかっていた。

 だが、彼女への加虐心が何故か抑えられなかった。抑えようとする度に爆発しそうになる感情に苛まれ、彼女への暴力が抑えきれなかった。

 そうだ、あの日から、あの黒い格好の占い師・・・・・・・・に出会ってからというもの、彼女たちの心はまるで自分のものではなくなったかのように制御できないものになったのだ。

「本気だよ、二人だけは私をちゃんと見てくれるもの」

 まるで感謝を伝えるかのような照れ交じりの表情。

 充の言葉に葉月は呼吸を忘れそうになる。

 彼女はとうにイカれている。

 自らを迫害し、暴力と恐怖で支配された日々のことなど、まるで記憶にないかのように振る舞う充の姿に崩れた絵画のような狂気を感じる。

 彼女は既に言葉を介する存在ではないのかもしれない。

 人の形をした怪物を目の前にしたような感覚が彼女たちの背骨を這いずった。

「な、んで……?」

 絞り出すような声。

「なんで、笑ってられるんだよッ……!」

 葉月は声を荒げた。

「あた……アタシが、アンタに……何をしたか、わかってんだろッ!!」

 それは懺悔にも似た慟哭だった。

 嘆こうと叫ぼうと過去の行いが消えることはない。

 彼女をイジメ、愉しんだのは間違いなく彼女たちであり、それは間違いなく彼女の心に傷を作ったはずだというのに、彼女はそれを訴求することもなじることもせずに、ただ以前のように友人だった頃のように笑いかけてくる。

 それに恐怖を覚えぬはずがない。

「別に忘れてなんてないよ。でも、あの日、あの夕暮れの教室で、独りぼっちだった私に声を掛けてくれたのは、二人だけだったから」

 彼女は元より引っ込み思案な性格だった。

 誰かに話しかけることも出来ず、ただクラスの隅で本を読むだけの少女。

 それはどのクラスにも一人はいるような存在だっただろう。

 二人が彼女に声を掛けたのは単に彼女に興味があったからだった。

 いつも分厚い本を読み、時に微笑み、時に悲しみの表情を見せる彼女。それだけ感情移入できる本とはどんなものなのかと気になったからだ。

 話してみれば、なんともわかりやすい少女だった。

 気後れこそすれど、充も人と話すこと自体は好きだったからか、二人とすぐに打ち解けるようになった。

 彼女に本のことを教えて貰ったり、彼女にメイクを教えたり、三人は純粋な友であったはずだった。

 しかし、その友情を崩したのもまた二人だった。

 彼女への苛立ち、憎悪が心を埋めていく。

 彼女への虐めがエスカレートしても尚、それが消えることはなく、次第に彼女たちの行為そのものも過激になっていった。

 おかしいということはわかっている。

 小動物のような彼女を殴ったことを後悔した時もあった。しかし、それ以上の快楽が脳内を痺れさせたのもまた事実だった。

”―――彼女を陥れよ”

 そう囁く誰かの声。彼女たちの本心ではないはずなのに彼女たちの心を支配する蜘蛛の巣のような声が彼女たちを蝕んでいた。

「じゃあ、なおさら恨んでよ……」

 上村の瞳から大粒の涙が零れる。

 充の顔を覗いてもその感情に未だに怒りも憎しみも感じられない。

 半年以上続いた仲。数々の思い出が二人の仲を巡っていく。

「駄目だよ、恨んでなんてあげない。二人の罪に赦しなんて与えない」

 静かに呟く彼女に二人は肩を震わせて泣き始めた。

「アンタ、何をするつもりなのさ?」

 葉月が問う。

 充はコンテナから降り、二人の方へと歩いていく。

「私ね、優しい人だけの世界を作るんだ」

 それは馬鹿げた願いだった。

「世界はずっと、ずぅうっと争ってばかりでしょ? 戦争だけじゃない。誰かを見下して見ず知らずの相手を傷つける人もいっぱいいる。自分が嫌いなものだからって、人の好きなものを踏みつけて壊す人もいる。だから、私の子供で世界を満たすんだ。誰も傷つかない世界。誰もが誰にでも優しい世界を作る。私には、それができる」

 火の灯りに照らされる彼女の顔は無邪気に笑っている。

 まるで神様にでもなったかのように、彼女はそんな馬鹿で子供じみた願いを当然のように告げたのだ。

「そんな、そんなのできるわけ……」

「できるよ」

 上村の言葉を充は遮った。

「私にはできる。うぅん、やるの。恨みも怒りも必要ない。打算も策略も世界から消してあげる。世界には愛だけあれば十分だよ、そしてそれを教えるのは私。子供に物を教えるのは親の仕事だもの」

 二人は言葉を失った。

 充は踵を返すと篝火の向こうへと歩いていく。

「だから二人は見てて、わたしがちゃんとやれるかどうか」

 振り向き満面の笑みでそう言うと、充は再び向き直り、今度こそ篝火の向こうへと従者を連れて消えていく。

 二人はただそれを見ていることしかできなかった。

 

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