第6話 存在証明
夢と現実の狭間のような蒙昧な意識。
私はきっと嘘をついていたのだろう。
世界を救うなんて大義名分で自分を騙し、それでも日常を諦め切れなかったが故に、化け物になろうと自らを許容し、容認した。
周りの人々を自分の都合のいい人形にし、それを子供と呼んで愛でることに快楽を覚えていた。
私は平穏な日常というものに嫉妬し、それを手に入れられぬと憤怒していた。世界が優しくなれないなら、優しい世界を作ればいいなんて傲慢を抱き、色欲に貪欲な私は怠惰に彼らを暴食した。
それが私の犯した大罪であり、私という神が抱いた絶望だった。
みんなのように笑っていたい。
どんなに私が力を振るおうと、それが叶うことはない。むしろ、より非日常が私を包み込むだけだった。
だからこそ、私は嬉しかったのかもしれない。
あの時、私の手を離さないでいてくれたこと。あの時、私に手を差し伸べてくれたこと。
月並みの言葉だが、私はきっとあの人のことを好きになってしまったのだろう。
だから、私は、私を思い出すことを決めた。
黒き神を包む影。
充を縛っていた拘束具が悲鳴を上げる。
彼女の肌が泡立ち、その姿を変貌させようとしていた。
「我は待ち人。銀門を背に世界の担い手を待つ鍵。我は赤子。尽くを孕みし神らの長子。故に答えはなく、故に汝に告げる調となる。讃えよ、
かつて少女だったものは文字通り悍ましい神へと変貌を遂げていた。
灰の色をした円形の胴体には無数に骨のような棘の鱗が生えている。その上にはかつての少女の上半身がだらりと腕を下げている。その表情は虚ろであり、その頭部には山羊のような太く短い角が生えている。
少女の胸から腹は黒いあばら骨のようなものが広がり、まるで口か百足を思わせる。四肢はなく、胴体の下部には乳房のようなものが果実のごとく無数にぶら下がっており、そこからは黒い液体がぽたりぽたりと垂れ落ちていた。
忘れじの神々。魔女たちの崇め奉る神の一柱。そして、サバトの始祖。
彼女の触手が黒き神を襲う。
対抗するように触手を繰り出す黒き神。二人の触手は絡み合い、ぶつかり合う。
触手だけならば両者譲らぬ戦いを繰り広げている。
ウトゥルスが何かを呟くと球体上の黒い光がいくつか浮き始めた。
黒い光球は目にも止まらぬ速さで黒き神の方へと向かって発射される。黒き神は身を躱し、回避された光球はそのまま床や壁へとぶつかる。
光球が触れたところはコールタールのような虹色に光る黒い粘液状に変貌し、それはケラケラと笑い声をあげる生物になった。
彼女の魔法はあらゆるものに生命を与えるだけではない。生命体を作り替え、その魂さえも生み直す魔法だ。
世界の法則すらも破壊し得ない正に魔法と呼ぶに相応しい力だろう。
殺意、憎悪、ありとあらゆる感情を込めた彼女の攻撃にさしもの黒き神も冷や汗を滲ませる。
魔法によって生み出された生命は地球環境下では生存できぬものなのか、暫くするとそのほとんどが力なく朽ち果てていく。
さらには触手による妨害。力を振るうのに慣れていないはずの少女が今まさに神の一柱を捉えんとしている。
逃げ場を失った黒き神に光球の雨が降り注ぐ。
しかし、黒き神は笑っていた。
次元の裂け目に逃げ込んだ神。その後ろには倒れ伏した歩鷹の姿があった。
ウトゥルスは絶叫する。幾本かの触手を束にし、彼を守る盾として光球を受け止めた。
彼女の産み出した魔法。だが、彼女自身がそれの対象ではないわけではない。
彼女は自らの触手を切り離し魔法の侵食を防ぐ。
そして、彼女は再び絶叫すると彼女自身も次元の裂け目を産み出してかの神を探し出した。
逃げ出した黒き神を見つけた彼女もその次元と次元の狭間に飛び込む。
そこは虹色に輝く暗黒の広がる世界だ。黒き神は呪文を詠唱すると攻撃魔法を繰り出す。
が、その背からさらに開いた次元の裂け目から大量の触手に殴打され、その魔法と共に弾き飛ばされた。時空に穴をあけるほどの質量をもった触手の束に黒き神は黒い粘液のような血液を吐き出した。
次元の狭間からはじき出された神と共にウトゥルスは元居た空間へと戻ってくる。
胸には穴が開き、時空の壁にぶつけられた黒き神は絶え絶えの息で蹲る。
ウトゥルスは腕を重ねるように前に出すとその口を大きく開く。先ほどとは違った藍色の光を産み出すと、それが徐々に口の前に集まり始め、大きな一つの光球を産み出す。
全てを破壊せんとする殺戮の光。
辺り一面を照らすほどの光が彼女の身体を覆う程に大きくなっていく。まさにその光が臨界点へと達した。
そして……。
黒い牙が彼女の体を貫いた。
光は制御を失い、小さな光球となって霧散する。
黒い牙の正体は、かの忌まわしき狩人の牙だった。
ウトゥルスは充の身体を捻り、忌まわしき狩人を掴むとそれを先の魔法で別の生命体へと作り替えた。
「酔狂だろう、やられたらやり返すのが私のモットウなもんでな」
二人の胸には同じ穴が開いている。
満身創痍、とまではいかぬが、それが生命体であれば致命傷に近いものであったのは間違いないだろう。
「これ以上、続ければ戻れなくなるぞ、貴様のそれは真の姿を取り戻すものだ。古江充という魂を捨ててウトゥルス=フルエフルとなり、永遠の時を銀の門の前で過ごすだけの舞台装置に成り下がる。貴様が世界を救ったところで待つのは地獄だけだ」
古江充という存在を捨てる。
それは彼女が彼女でなくなるという意味だけではない。
ウトゥルス=フルエフルとは『窮極へと至る門』を開けるものを待つだけの存在。
銀の鍵を手にするものが現れようとも、その役目から逃れられるわけではない。彼女という存在は未来永劫、ただ門番を務める神としての固定されることになる。
しかし、彼女の意思は決まっている。
その後のことなど彼女にとってはどうでもいいものだった。
黒き神を触手で縛り上げる。完全なる消滅を前にしても黒き神はその薄ら笑いをやめることはない。
「健気だな、姉上を思い出す。精々、永劫の退屈を満喫するといい」
再び先ほどの光の玉を産み出すウトゥルス。これが溜まり切った時、彼女は本来の髪へと戻ることだろう。
最早、言葉はなく。黒き神を屠るためにその刃は研ぎ澄まされる。
彼女は間違いなく世界を救った英雄になるだろう。だが、それは誰にも覚えられることのない英雄譚だ。
彼女という存在を糧にして、何かが変わることもなく、世界はただただ存続していくことだろう。
そして、いつしか彼女がいたということすらも皆忘れていくのだ。彼女の真の名のように。
光の玉が徐々に大きさを増す。
最後の時は、すぐそこだった。
―――猫の鳴き声が聞こえた。
青い光が彼女の体を貫く。
青く燃え上がる体、苦しみの悲鳴を上げるウトゥルスは崩れ落ち、元の人の姿へと変わっていく。
彼女の意思がどうであろうと、彼女を止めれば世界が破壊されようと知ったとこの無い存在。
自らが見染めた彼女が未来永劫の時の狭間で無間地獄に落とされることを許さぬ存在が確かにいたのだ。
シストラム。彼女にとって世界などどうでもいい。
彼女は猫であるが故に、自らの思うがままに生きている。他がどうであろうと結末がどうであろうと彼女にとっては差異でしかない。
その小さな体で地面に立ち、怒りの鳴き声を上げて、気絶している歩鷹の顔をひっかいた。
「いっっでぇええええ!!」
歩鷹は痛みで起き上がる。先ほどまで八つ裂きにされていたはずの青年。精神が壊れてもおかしくない程の拷問を受けたはずの青年は何事もなかったかのような態度を取っていた。
「貴様、何故……」
普通の人間なら既に壊れているはずの痛みを与えたはずだ。
痛みで動けず、生きていたとしても精神的に無事であるはずがない。
だが、歩鷹は平然としている。
「あぁ? んなもん知るかよ、てめえが思ってるより、頑丈だっただけだ」
そう一蹴すると彼は再びシストラムと融合し、戦闘態勢を取る。
「起きろよ、そこまで痛くなかっただろ?」
呆気に取られる神を他所に歩鷹は言う。
反対側で寝ていた充がその体を起こした。
「ふざけないで、もう少しでこいつを殺せたのに何で邪魔したのよ!」
白銀のヴェールを纏った姿の少女が悪態を吐く。
「そんなん知るか、あとでシストラムに聞け。それによ、言ったじゃねえか……」
歩鷹と充は歩みを始める。
「……そうだったわね」
二人はあの場所で約束した。
「「一緒に世界を救うって!!」」
二人は並び立ち、黒き神へと対峙する。
黒き神は奥歯を噛み締めるとその場から離れようと後ずさりした。
その表情には先ほどまでの余裕は一切なく、焦燥と怒りが滲み出している。
次元の裂け目を生み出し、逃走しようとする黒き神。しかし、その扉は開くことなく閉じてしまう。
「ならば、混沌へと落ちろッ!!」
黒き神は逃走を諦めて魔法を展開する。次元さえも破壊する混沌の魔法。
『天はなく、地は降り注ぐ。悠遠よ、我が身に寄り添い、至近の彼方へと爆ぜよ!』
短縮詠唱による魔法の簡易発動。しかし、それでもこの空間一帯を更地に変える威力はあるだろう。
『窮極よ、全ての門は開かれた。仇敵よ、銀鍵の裁きを受けよ!』
『豊穣なる
呼応するように二人も魔法の詠唱を開始する。
『
『
『
三つの光がぶつかり合う。
三種の魔法。しかし、黒き神の魔法を打ち消す充の魔法とそれを貫く歩鷹の魔法によってその光は徐々に押し戻されていく。
「ふざけるな、ふざけるな! たかが人間風情が、この私をッ……!!」
黒き神を二つの光が包み込む。光の濁流にのまれた神はその身を焼かれ消滅していく。
光が晴れ、何も残っていない空間に再び闇が訪れた。
ふと、充が後ろを振り向くと、そこには既に父の姿はなかった。
仮初の顕現。神としての存在を保てなくなった彼は既に役目を終えて観測者の座へと戻っていったのだろう。
「帰ろうぜ?」
そう言って手を差し出す歩鷹。
「うん」
充は頬を赤らめながら、その手を取った。
二人は歩き始める。きっと、それはどんな闇よりも濃い混沌が待っているだろう。
しかし、二人ならばそんな道であろうと歩いて行けるはずだ。
じりじりと黒い塊が尺取り虫のように動いている。
それは徐々に姿を変え、髪を肌を形成していく。
「ふふふ、所詮は人の子。私を消し飛ばすことなどできようはずもない」
文字通り虫の息の状態で黒き神は取り残された銀の門へと這い寄っていく。
体を消し飛ばされこそしたものの、保険のために残していた肉片からその体を修復しているのだ。
門を越えれば、そこにあるはずの本来の世界に辿り着けさえすれば、彼の願いは成就する。
「しぶといね、■■■■■■■■■」
門に腰かけるように銀色の少年が話しかけてきた。
「兄上、私は諦めぬぞ。父上が目覚めた世界の果てを見るまで、諦めはせぬ……」
最早妄執と呼ぶに相応しい。
男の願いは破滅した世界の果て。そして、それを見ることこそが彼の願いの果てなのだ。
「そうか、だが、時間切れだ」
ヨグ=ソトースは門から降りて男の前に立ちふさがる。
門がゆっくりと開き始めると、黒い影のような手が伸び、男を掴んでいく。
「な、何をする、兄上!!」
「お前を連れていく。なに、観測者になるわけじゃない。ただ存在そのものをはじき出すだけだ」
次元と次元の狭間の更に奥の奥。あらゆる次元から忘れ去られた世界の最果てへの扉が開いていく。
「やめろ、私ごと消えるつもりか兄上!!」
「僕が消えようと次元の律は保たれる。まあ、手のかかる娘には荷が重いから、他の奴に頼むことにしたけどね」
観測者は世界への干渉を行うことができない。
彼はその律を壊してでも自らの弟を幽閉することにした。
それはきっと誰かを思ってのことなのだろう。
「シュブも許してくれるさ。いつかあったらちゃんと謝れよ」
少年はその身を光にして消えていく。
「やめろ……やめろぉおおおおおおおお!!!!」
男は引き摺られながら門の中へと連れていかれた。
「さぁ、幕引きだ。諸君、悪いが僕の代わりにエピローグを見ておいてくれ」
誰にでもなく話しかけた後、少年は文字通り光となって消滅した。
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