第15話
街灯が煌々と照らす中、俺は彼女と無言のまま二人で歩いていた。
彼女の家を出てから五分くらいたった現在、細い公道を進みながら時折、横を通る車のヘッドライトが俺と彼女の顔を照らす。
何かを話すわけでもなく、彼女は淡々と俺の横を歩き続ける。それを不思議に思い俺はチラッと彼女の表情を確認するのだが、別段怒っている様子もない。
だから余計に不思議で仕方なかった。
その後も沈黙は続き、俺と彼女の靴がコンクリートの道にぶつかる音だけが聞こえていた。
けれど、彼女はその途中に歩くのをやめて立ち止まった。合わせるように俺も足を止めて立ち止まるとそこはこの前来た公園だった。
「………昔ここでお父さんと遊んだことがあるの。もう、ほとんど記憶に残ってないけど」
唐突に話し始めた彼女は公園の滑り台の方を見て悲しそうにそうつぶやいた。
「前、あるテレビ番組で言っていたの。人間だけが悲しみで涙を流すって、悲しみって言う感情は人間にしかないって。だから、人間が一番弱い生き物だって」
「………」
「けどね、私はそうは思わない。だって人間は忘れられる生き物だから」
彼女になんの意図があってそんなことを言っているのかわからないが……言っている意味は理解できる。
理解できる……けれどそれが俺に当てはまるかどうかはまた別問題だ。
「その時の感情を、心情を何よりその思い出を忘れて明日を生きていける。そうできてる。だから……私からしたら人間はこの世で最も冷たく冷徹な生き物だと思ってる。」
振り返りざまに彼女はまるで誰かを恨んでいるような表情をしていた。きっと彼女の中で何か許せないものがあるのだろう。
そう思えてしまった。
だって……同仕様もなく自分と重なってしまったから。
「……ねぇ匙戸、貴方はどう?妹さんのことを忘れられた?失った時の感情を、その思い出を……忘れられた?」
「そんなの、忘れられるわけ……無いだろ」
最もこの世で俺を……自分を理解してくれていた人を亡くしたんだ!……失ったんだ、忘れられるわけない。
彼女の話した事を俺に当てはめるのなら俺は人間の心を持っていないのかもしれない。だって俺は妹のことを忘れられないのだから。
けど……俺からしてみれば何で大切だったものを忘れられるんだ!
明日に進むため?誰かがそれを望んでいるから?
そんなの、その現実から逃げるための言い訳じゃないか!
直面した現実から逃げたくて、立ち止まることが怖くて振り返ることが恐ろしくて同仕様もなくなった人間が、逃げるために造った口実じゃないか!
俺は逃げたくない。
これ以上妹から逃げられない。だって俺はあの時に妹から……逃げたのだから。
そう思い、歯を食いしばっている俺を見て彼女はフッと笑った。
「匙戸は……優しいね。普通は忘れて時々思い出して感傷に浸るだけなのに」
「お前は……どうなんだよ?」
「私?私はね……どうなんだろう?」
そう呟いて彼女は再び歩みを進め始める。それに続くように俺も足を進ませて彼女についていく。前を歩く彼女の後ろ姿は寂しそうに見えた。
「さっきの答えだけどさ?私はやっぱり匙戸とは違うと思う」
歩きながらこちらに振り返って彼女は先程の答えを話し始めた。
「お父さんのこともそうだけど……私は他にも忘れてきたものが色々ある。例えば……小さい頃に出会った兄妹のことだったり…ね」
そう言って彼女はまた歩みを止めた。
今度は……俺が最も思い出したくない場所、妹が死んだ病院の前で。
彼女が見つめる先にはとあるベンチがあった。そこは昔、
「……ねぇ、匙戸?いつか私にも話してね。妹のことを」
「…やっぱり聞いてたのか?あの時に」
けれど、その問いに対して彼女は答えてくれなかった。
その後は少し進んで彼女とは別れた。
別れ際に彼女は、また学校でと言って帰路についた。俺はその後ろ姿が消えるまでその場で彼女を見送った。
何故、最後まで俺は彼女の姿を見送ったのだろう?その疑問の答えがわからないまま俺の中でドロッとした気落ち悪いものと一緒になって残り続けていた。
その答えがわからないまま歩みを進めているといつの間にか家の前までついていた。
「……ただいま」
玄関のドアを開けて俺は小さい声でそう呟く。
家に入るとリビングの電気がついていて、中から笑い声が聞こえてきた。
廊下を通って足音を立てないように早足でリビングのドアの横を通る。ドアの横を通るとき一瞬リビングの中を見るとテレビの前のテーブルを囲む中年の男とその男より少し若そうな女性……そしてこちらに気づいてガン見している俺よりも年下の少女がいた。
急ぎ足で階段を登って俺は自分の部屋に入る。
鞄を置いて制服を脱ぎ、近くの衣紋掛けにそれをかけて部屋着に着替える。着替え終えると鞄の中からスマホを取り出して時計を見ると二十時を指していた。
「……」
別段門限はないが、少し遅くなってしまった。そう思いスマホをズボンのポケットに入れて部屋から出る。
ドアを開けるとそこには先程、こちらをリビングの中から凝視していた少女が立っていた。
「……何で帰ってきたときにただいまを言わないの?」
プクーっと頬を膨らませて怒っている表情をする少女の正体は……
「……言ったよ」
「どうせ、また小声で行ったんでしょ?相手に聞こえなきゃそれは言ってないのと一緒だよ……お兄ちゃん!」
義理の妹である。
「聞いてるの、お兄ちゃん!」
「聞いてるよ、紅葉」
説教をしてくる紅葉の横を通り、階段を降りる。それに続くように紅葉も降りてくるがその途中も小言をグチグチと呟いてくる。
リビングのドアを開けるまでそれは続いた。
「おお!匙戸、帰ってたのか?」
リビングに入るとソファに座っている中年の男が振り返ってそういった。そう、この男こそ俺の父親の
そしてその横に座っているのが2年前に再婚した義理の母親の
「あら、匙戸くんお帰りなさい」
「……今帰りました」
一礼して俺はリビングの横のキッチンに歩いていく。
「お兄ちゃんは何か食べたの。もし何も食べてないなら私が何か作るよ?」
一緒になってキッチンに入ってくる紅葉は冷蔵庫を開けながら聞いてくる。
「食べてないけど自分で作るからいい」
冷蔵庫を漁っている紅葉をどかして中から別に置いておいたビニール袋を取り出す。ビニール袋を開けるといくつかの食材が入っており適当に選んで作り始める。
先程どかした紅葉がこちらを睨みつけるように立っているのを無視しつつ俺はできた料理を皿に盛り付けてテーブルに運ぶ。
「おいおい!匙戸、もう少し紅葉を頼って上げろよ。妹何だからよ」
「……俺の妹は凛月だけだ」
「お前、その言い方はなんだ!」
怒鳴り声を上げて立ち上がる父親を無視してキッチン近くの足の長いテーブルの上にできた料理を置く。怒り心頭の父親は延々と罵声を上げてくるが……いつものことなので放って料理を食べ始める。
「お前聞いてるのか!?」
「まぁまぁ落ち着きましょ?ね!」
冬幸が怒鳴り声を上げる父親を宥めるように俺との間に入り込む。相向かいの椅子に紅葉は座り真剣な目でこちらを見つめてくる。
「お兄ちゃん!お兄ちゃんの妹は凛月さんだけかもしれないけど私のお兄ちゃんも匙戸お兄ちゃんだけなんだよ?」
「……勝手に言ってろ」
「じゃあそうする!」
紅葉はニカッと人当りのいい笑みを向かべる。
このときいつも思う。メゲない紅葉が時折……凛月に重なる。それがとても目障りで鬱陶しくてイライラしてくる。
だから余計にこの時の俺は紅葉を遠ざけようとしてしまっていた。
無言のまま料理を口に運び食べ終えるとキッチンに戻り使った皿やまな板、包丁などを洗ってもとの位置に戻す。片付け終えたあとは風呂に入り、早々に自室へと戻る。
途中、紅葉に『おやすみなさいは?』と言われて足止めをくらった。
「………」
静かな自分の部屋……この部屋だけが我が家と言える。正直ここから出たら我が家とは言えない。
もうあの頃とは何もかもが違う。戸惑いや焦り、相談できない苦痛……昔はこんなことなかったのに。
「母さん……凛月、俺はどうすればいい?」
ベットに横になりながらそう呟いて目を閉じる。暗闇の中、不安に押しつぶされそうになりつつも次第に眠気に誘われて俺はつられるように意識を手放した。
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