第11話
あれから、幾日がたった。
宮下と彼女は決して仲が良くなったわけではない。けれど、話し合う仲にはなっていた。
「ねぇ、ここがわからないんだけど?」
そう言って、宮下は広げていたノートの一部を指差して教えてもらっていた。ため息混じりに彼女は、質問に答えていた。
部屋の時計をみると十八時をさして、夕暮れを告げるように外は赤く照らし始めている。
「……俺、もう帰っていい?」
黒い猫が描かれている絨毯、その上におかれている炬燵、タンスが2つ置いてあり、窓側にベッドがある。
見知らぬものばかりのこの部屋に来てから、かれこれ一時間と少したっている。
何故、ここにいるのか。その理由は簡単だ。数日前に渡され、今だ完成していない修学旅行のプランを書いて提出するはずのプリントだ。
「何を言ってるの?まだ、これが出来てないじゃない」
コレと言って彼女が指を指したプリントを見て『じゃあ、何でそのプリントではなく』、今日出された課題のプリントをしているのか。
と言いたいのだが、それを言うと更に面倒になるのは分かりきっていたため口をつぐんだ。
けれど、彼女も流石にその意図を察したのか、先程までしていたプリントをしまって俺と同じプリントを鞄から出した。
「えぇぇー」
面倒くさそうな声をあげて他人の家で駄々をこねる子供のように後ろに倒れ込む宮下を見て正直呆れてしまった。
「明日やれば良くない?まだ時間あるわけだし。」
他人の家でここまで自由に自分をさらけ出せる宮下を見て関心と共に、マナーはないのかとこめかみを抑えて呆れるを通り越して、哀れみさえ覚えてしまう。
まぁ、しかしだ。今までの宮下から考えれば至極当然だったのかもしれない。これまでの期間に前のお友達の家で遊ぶ機会もあっただろう。その時にしていた習慣というか、行動が身について今に至っているのかもしれない。
「……お前、流石にマナーを覚えろよ?初めて来といてそれはないだろ」
注意はして置かなければと思い、そう言ったのだが。返ってきた反応はあまりにも意外な反応だった。
「初めてじゃないけど?」
「は?」
間の抜けた声と、驚いた顔を見た宮下はニヤッと笑って小馬鹿にしてきた。
「初めてきてこんなことするわけ無いじゃん!そのくらいの常識私にもありますー!」
ベーと舌を出す。その仕草に若干の怒りを覚えた。
そこまで馬鹿にされる覚えはないと思っていた時に、彼女はクスクスと笑いながらこちらを温かい目で見守っている。
宮下と俺の言い合いが始まるかと思われた瞬間、ガチャと玄関から音がした。
「た、だいま!お母様が帰ったよぉー!」
綺麗な声と共に、彼女の部屋のドアが勢いよく開いた。入ってきた女性は、セミロングの黒髪で大人びて整った顔立ちと何処か幼さを残した笑顔で彼女に抱きついた。
嫌がる素振りを見せながら彼女は、女性を引き剥がし周りを見るようにと言ってこちらに指を指した。
「あら?ご、ゴメンナサイね。まさかこの子が家に友達を連れてきているな……んて?」
何故、疑問系なのだろうと思っていると女性はジーッとこちらの方を訝しむような目で見てきた。
けれど、直ぐにニカッと人当たりのいい笑顔を見せていらっしゃいと明るい声で言った。
「初めまして、私はこの子の母親よ!これからもよろしくねお二人さん!」
彼女の母親は俺の肩を叩くと親指以外を握り、ウィンクして宮下にも同じことを繰り返した。
宮下と俺は苦笑いを浮かべて、こちらこそと頭を下げた。
と、この時に一つの疑問が俺の中で生まれた。それは、宮下が彼女の家に来ていたと言っていたことに対してだ。
「…お前、この家に来たことあるのに親にあってなかったのか?」
「え、あ……。うん、だって」
宮下は口籠るように彼女の方に視線を送る。彼女もその視線に気づいたのか、首を横に振った。何かあるのはその行動でわかったが……まぁ、聞くのは野暮だと思いそれ以上の追求をやめた。
「まぁ、いいや。」
「……そんなことより!君の名前は?」
彼女の母親は、そう言って腕に胸を押し当て質問をしてくる。動揺しながらも彼女の方に顔を向けると不機嫌そうな表情をしていて、こちらを睨みつけるような目で見てくる。
いや、そんな目で見られても困るんだが……。それにお前の母親だろうが、どうにかしろ。
「……母さん、その男にあまり近づかないほうがいいわよ?菌がうつるから。」
おい待て、それどういう意味だよ?何で、不機嫌なのか分からんが俺に当たるなよ?そう言うのを八つ当たりっていうんだぞ?
「あらあら、そういう言い方は良くないわよ?彼氏を取られたからって!」
「ハ?」
彼女は、怒りを乗せた声音でその一言だけつぶやく。まるで、宮下の時のように冷たく、人殺しでもするんじゃないかと思えるぐらいの声だった。
けれど、彼女の母親はそれに一切動じず。更に腕を絡めて余計に体を密着してきた。
「怖い怖い。ねぇ?向こうで一緒にお話でもしない?」
「母さん、いい加減にして!!」
彼女は母親を腕から引き剥がして、荒げた声で母親を叱りつけている。
そんな姿を見て、俺も宮下も驚いている。彼女が荒げた声を出すのもそうだが、何より動揺している姿に何より驚いた。
「……以外。」
宮下はそう呟いて、口元を緩ませた。横目でそれを見た俺も何故だか、口元が緩んだ。
この温かい感情は何なのだろう?彼女達を見ていると湧き上がるこの感情は……きっと俺が昔捨てるしかなかった。
家族への愛情という、感情なのだろう。
「……あんたでも笑うことあるのね?」
宮下に言われて口元に手を当てると確かに笑っていた。どうしようもなく、笑っていた。
それと同時に涙が流れてきた。それを隠すように下を向く。
温かい感情が昔の自分を思い出させて、心の奥底に閉まってあったあの頃のことも思い出させた。
だから、どうしようもなく。流れてくる……この涙を止められなかった。
「ちょ、ちょっと?大丈夫!」
いきなり下を向いたことに心配でもしたのだろうか?宮下は、肩をゆすりながら声をかけてくる。
けれど、今は……今だけは顔を上げられなかった。泣いている姿を見られる事が恥ずかしかったわけじゃない。俺が泣きながら笑っている姿を見られるのが嫌なのだ。
「大…丈夫だから話しかけてくんな」
精一杯の声で発した声だったが、若干の涙声が混じり、宮下はそれに気付いてしまった。
「あんた、泣いてんの?」
一言そう呟くが、反応を返さないでいると何かを察したのか、それ以上の反応を見せなかった。
まだ、彼女と母親は何かを喋っている声が聞こえる。
けれど、この温かい感情は段々と薄れ始めて、その灯火が消えるまでそう長くなかった。消えたあとの焦燥感は消えないというの。何故、この温かい感情は消えていってしまうのだろうか?
あの時の妹のように………。
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