第8話

 あれから沈黙が続いた。

 彼女に問いをかけた後そのまま黙り混んでしまっている。

 それほどに難しい質問だっただろうか?他人には話したくない事はあるだろう。

 なら、話したくないとはっきり言えばいい。きっと彼女ならそうするばずだ。それにもう本は返している。

 なのに何も発しない。

 だから余計に気になる。彼女が黙り混んでしまうようなその理由が。


「………ねぇ、匙戸は大切なものを失ったことはある?」


 唐突に彼女はそう言葉にした。

 何故そんなことを言ったのか理解できないが、理由はきっとあるのだろう。


「私はある。とても大切なものを失った経験が。」


 そう言うと彼女は『場所を変えましょ?』と言って鞄を持ち歩き出した。

 俺もそれに続き彼女の後を追う。

 学校を出て十分位立っただろうか。彼女はある場所で足を止めた。


「ここにしましょう。」


 そう言って彼女は公園の入り口を通りブランコと滑り台の間にあるベンチに腰を下ろした。

 四月の後半になってもまだ風が吹けば冷たい風が頬を掠める。

 それでも彼女はここを選んだ、それにはきっと理由がある。

 それに俺もここには来たことがある。確か小さい頃だっただろうか。

 そんなことを考えていると彼女は先程の続きをポツポツと話し始めた。


「……私はね。小さい頃に父を亡くしたの。まぁほとんど覚えてないけどね。」


 寂しそうに彼女は笑った。


「けど、一つだけ覚えていることがあったの。それは……この本を父が私に残してくれたこと。」


 そう言うと彼女は先程、鞄にいれたあの辞典を取り出してこちらに渡してきた。


「それの最後のページを見て。」


 彼女に言われた通りにページの最後を見るとそこには大きく、ある言葉と写真が写っていた。


「……あなたを愛しています。赤い菊の花言葉よ。」


 何故そこに大きく書いたのかわからない、そしてこの花が何を指しているか?それも俺には理解が出来ない。

 けれど……何故だかとても優しく感じる。


「その花ね。父が私が生まれたときに買ってきてくれた花なんだって。バカだよね!娘に告白でもしようとしたのかな?」


 そう言って彼女は声に出して笑った。

 けれど、すぐにその笑いもなくなりまた落ち込んだように暗い表情になった。


「……私ね、父が死んだ日に泣かなかったんだ。まだ子供だったからかもしれないけど、それでも悲しかったんだよ?どうしようもないほどに。」


 そう言うと顔をあげて俺の方を見てニカッと笑って見せた。

 きっとこの時は明るく見せたかったのだろう。


「けどね、私もさすがにこの本を見つけてたときは泣いちゃったな。母にさっきの生まれた日に持ってきてくれたことも聞いた後だったし。」


 彼女はそう言うと立ち上がりスカートについた埃をはらうように叩いて背筋を伸ばした。


「けどさ、この時に私は決めたんだよね。」


 彼女は冷たく凍えきった表情で呟いた。


「もう、これ以上大切なものは作らないって。それならもう悲しむことも、苦しむことも……悲しませることもない。」


『まぁ、母は別だけどね!』と彼女は言った。


「だから、私は他人に冷たく当たってきたし、近づけようともしなかった。……これで話しは終わりだよ。」


この時彼女は一つだけ嘘をついた。仮に彼女の話が本当のことなら何故……


「俺には近づいてきたんだ。」


彼女が大切なものを作らないようにしているのだとしたら俺には何故近づいてきたのか。

そして何故俺だったのか。


「……匙戸だけが私を人として見てくれたから。」


そう彼女は笑った。

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