第16話

 日差しが当たるとじんわりと汗がにじみ出てくる。気温が高くなり始めた六月の中旬、俺の通っている高校ではこの時期に体育祭が行われる。

 そして、俺も今体育祭に参加している。

 騒ぎ、喜び、悔しがる。これを青春と呼ぶのだろう。


「……暑い」


 天幕の下で椅子に座りながら体育祭の様子を見ている。

 何とも暑苦しい雰囲気と活気が包んでいて暑さが更に増すような気さえする。


「ほら、お兄ちゃん」


 横からスッと飲みかけのペットボトルを渡させた。


「……なんでお前がいるんだよ」


「何言ってるの、お兄ちゃんは?私だってこの学校の生徒だよ!」


 そこには紅葉が首にタオルを巻いて立っていた。

 確かに紅葉もこの学校の一年生だが、俺が今いる天幕は三年生用で本来紅葉がいなければいけない一年生用の天幕は一番奥の真反対のはずだ。


「お前の天幕は一番向こうだろ?何でいるんだよ」


「だって……ね?」


 そう言って紅葉はニヤけて俺の額にあるタオルに目を向けた。

 ……紅葉が何故この場に来たのか、その理由はわかっている。きっと俺が貧血と熱中症寸前で倒れかかったから、からかいに来たのだろう。

 それとこの状況も。


「ちょっと動かない」


 横に座る彼女は呆れた表情で動こうとした俺を静止させるため腕を掴んできた。そして彼女の反対側には宮下が意地の悪い笑みを浮かべて見てくる。

 何でこうなったんだと思い、ため息をついた。


「にしても、まさか紅葉ちゃんがコイツの妹だったなんてね」


「……義理の妹だけどな」


「「……え?」」


 先程までニヤけていた宮下と俺を介抱していた彼女の表情はその一言で驚きの色が満たした。そして二人とも紅葉と俺の顔を交互に見ながら確かにと納得するように頷いた。

 アハハと笑いながら紅葉はその反応に対して苦笑いを浮かべて困ったような表情をする。

 ま、確かに驚くだろうなと思わなくもない。

 しかし、近年離婚することが増えて母子家庭が多くなっている。それに総じてバツイチとの結婚という割合も増えつつある。だからと言うわけではないが、義理の兄妹もそう珍しくはないのではないだろうか?


「……なんか、聞いちゃいけなかったかな?」


 少し困ったような表情を浮かべている宮下が申し訳なさそうにこちらの様子を伺ってくる。別に聞かれたくないかと言われればそうではないし、そもそも自分から言ったりなんてしない。

 まぁ、でも実際にそんなこと言われたら他人の反応なんてこんなものだろう。


「そもそも俺が教えたことだし、聞かれちゃ困るなら言わないよ」


「私も別に隠していたわけでもないですし、構いませんよ?」


「そっか、それなら良かったわ!」


 ニカッと笑みを浮かべて宮下は安心したように頷いた。そこからはくだらない話題を宮下が話し出す。それに反応するように彼女がその話題に答えて、紅葉もその輪に入っていた。

 その時……横目で俺は彼女達を見ていた。

 もし、この輪に凛月がいれば俺は……幸せを感じていたのだろうか?彼女達の会話に入り、くだらない話題で笑っては、はしゃいで……そんなことで幸せを感じられていたのだろうか?


「……そんな事を今更考えたって仕方ないのにな」


「「何が?」」


 先程まで確かに紅葉と話していたはずの二人が両脇に座ってこちらを見つめていた。

 いつの間にと思って周りを見渡すと紅葉がいなくなっていた。


「紅葉ちゃんならさっきリレーがあるからって戻っていったよ?」


 宮下が指で戻っていく紅葉を指す。それに気づいた紅葉が笑顔でこちらに手を振り走って戻っていく。宮下と彼女は手を振り紅葉を見つめていた。


「お兄ちゃん、約束忘れないでね!」


 紅葉は大声でそう叫んで自分の天幕の方に走っていった。


「……良い、妹さんね」


 彼女は紅葉の後ろ姿を見ながら優しく微笑む。

 俺も本当はそう思っている。彼女の言ったように紅葉は出来過ぎているくらいに良い妹だ。

 俺なんかの妹じゃなければどれだけ良かったろうに……どれだけ幸せになれたろうに。


「ホント……そうなのにな」


 額に載せられたタオルをおろして目元を隠す。ひんやりしているタオルが熱くなった目元を徐々に冷やしていった。

 数十分俺はそうして休んでいると段々と体調が良くなっていった。


「あ!紅葉ちゃんだ」


 宮下がグラウンドの方を見てそう言った。

 今から一年のクラス対抗リレーが始まるようで、クラスごとに選ばれた代表の選手たち五人が赤、青、黄、緑、白のリストバンドを腕につけて出てきた。

 紅葉は、一組のため赤のリストバンドをつけて駆け足でグラウンドの方に出てきた。


「何番目に走るのかしら?」


 事前に渡されていた体育祭の計画表を開いて彼女は紅葉の走る順番を探し始めた。


「……アンカーだよ」


 彼女が探し終わる前に俺は答える。

 アンカーで走るから応援してくれという言葉と共に事前に俺は紅葉に教えられていたのだ。

 だから、紅葉は俺に会いに来たのだろう。紅葉がこっちに来ていた本当の理由はからかいに来たのではなく、俺が心配で来たのとこれを見てほしいと頼むためだったのだろう。

 だって、紅葉の天幕に戻っていくときの約束と言う言葉はこれを指していたのだから。


「以外……ね」


 何がだよ、と思いつつも俺はそれを言葉には出さなかった。

 自分でも覚えていたことを意外と思ってしまっているから彼女が言った一言に反応できなかった。


「……ちょっと前の方に行ってくる」


 椅子から立ち上がり、膝に落ちていたタオルを彼女に渡す。

 彼女はタオルを受け取り、俺の顔色をうかがい。

 そして大丈夫そうだと思ったのか、受け取ったタオルを椅子の背もたれのところにかけて立ち上がる。


「私も行くわ。紅葉さんを応援したいもの」


 良いわよねと、言うかのように彼女は笑みを浮かべた。

 それに対して、俺がとやかく言うことでもないので見やすい位置に歩みを進めた。


「ちょ、私も行くわよ!?」


 彼女と俺が歩き始めると呆然としていた宮下が後を追いかけてくる。

 彼女と宮下が他愛ない話をしながら見やすい位置を探す。

 このリレーは約二百メートルある校庭を一人、一周走り最後の五人目のアンカーが先にゴールしたクラスの勝ちだ。


「ここでいいか」


 ゴールストレートに入る前のカーブ、俺はその前に立ち止まった。

 彼女達も俺の横で立ち止まり、紅葉の方に手を降った。

 それに答えるかのように紅葉もまた、手を振り返して笑顔をこちらに向けてきた。


「……そういえば、紅葉さんってどれくらい早いのかしら?」


 疑問に思ったのか彼女はこちらを向いて質問してきた。

 しかし、俺が答える前に宮下がその疑問に対して答えていた。


「紅葉ちゃんは早いよ?多分この学校で一番に」


 宮下は断言した。

 何を根拠に言っているのかと、思ったが宮下は紅葉と同じ陸上部あったことを思い出した。

 そういえば中学の頃、俺はよく紅葉から宮下の事を聞いていた。

 すごい先輩がいるとか、憧れの先輩だとか、あの人以上に走ることに努力を注いでる人はいないとか紅葉は宮下をべた褒めしていた。

 俺も中学時代から宮下のことは知っている。同じクラスになることもあったし、話したことだってある。その時は確かに好感を持てる人物だった。周りを引っ張っていたし、誰にでも平等に接していた。

 当の本人は忘れているかもしれないけどな。

 だからこそ俺は高校に入ったときに驚いた。

 宮下が……周りを蹴落とし、馬鹿にする。何かを期待していないように誰とも仲良くしないようにしているようで……俺は自分と重ねてしまった。

 けど、違ったんだな。

 今のこいつを見てると…わかる。

 宮下が本当に求めていたものが、期待していたものが。


「何よ?さっきから私達をジロジロ見て」


「……いや、何でもないよ」

 

 首を傾げて、宮下は彼女と話し始めた。

 きっと宮下が求めていたものは彼女だったのだろう。

 中学時代何があったかは興味もない。

 けど、今は少し……宮下たちに興味がある。

 彼女もそうだが、俺は基本誰かといることを嫌っている。

 そんな俺が誰かといること自体がおかしな話だ。

 なら、何故俺は……彼女達といるのだろうか?


「あ!始まった」


 そんな疑問が浮かんできた瞬間にスターターピストルが鳴った。

 スタートダッシュで赤のリストバンドをつけた一組がトップに出た。

 一周目は一組が他のクラスにジリジリと差をつけてバトンを渡した。ニ周、三周と好調にトップを維持していた一組は四周目に入ろうとしていた。


「……何と言うか、これは」


 彼女は唖然とリレーを見ていた。

 彼女の言いたいことはわかる。

 なんせ、一組はほとんどが陸上部に所属している男女ばかりで負けるわけがないと思えてしまうほどに好調だった。

 しかし、四周目に入る瞬間にバトンを渡された選手が手を滑らせてバトンを落としてしまった。

 焦って拾おうとしたのか、一度掴んだはずのバトンをもう一度落としてしまった。

 その瞬間、差をつけられていた他のクラスがここぞとばかりにスピードを上げて追い抜いてきた。

 しかも、ここからの選手は皆陸上部のメンバーで一年の中ではそこそこ早い選手ばかりだった。


「やっば!あの四番手の子、完全に戦意喪失してるわ!」


 確かにバトンを拾ったあと走り出したが、その差を見て泣きそうな表情をしている。

 しかも、よりにも寄ってアンカーにバトンを渡す大事な役割だ。

 クラスの期待も背負ってる。これでビリになれば自分の責任になり、文句を言われてしまうだろう。

 ほとんど差が縮まらないまま、四番手の子はアンカーの紅葉へとバトンを繋いだ。

 その時、俺達観客には聞こえなかったが紅葉は四番手の子に何か行ってからバトンを受け取った。

 そこからは、紅葉の追い上げが凄かった。

 紅葉は快調に飛ばして、青のリストバンドをつけていた二組を軽々と抜いた。

 二番手と三番手の黄のリストバンドをつけた三組と緑のリストバンドをつけた四組がが争っている中に横から紅葉が最後のカーブを入る手前で抜き去った。


「凄いわね」


 呆気に取れる彼女を尻目にトップの白のリストバンドをつけた五組と紅葉がカーブに入った瞬間横一列に並んだ。

 しかし、そこからは紅葉も抜ききることが出来ずに最後のストレートに入る瞬間、こちらを一瞬チラリと見てきた。

 俺は特に声をかけずに紅葉を見守ったが、その瞬間から紅葉は笑顔を見せた。

 ストレートに入り、もうほんの数メートルの所で紅葉は一気に加速した。

 それには五組の男子もついて行けず置き去りにされてしまった。

 紅葉がゴールすると一斉に拍手が鳴り、一組の生徒たちが紅葉に駆け寄り笑顔を見せていた。


「いや〜流石、紅葉ちゃんだね。あの差をひっくり返すなんてさ」


 拍手をしながら宮下はそう呟いた。

 きっと今ここで拍手をしている人達は皆、宮下の呟いた言葉と同じようなことを思っているだろう。

 拍手が鳴り止む頃に放送が入り二年のクラス対抗リレーが始まった。

 俺達三人は三年のクラス対抗リレーに参加をしないため元の位置に戻り、終わるまで体育祭の様子を見ながら先程の話や他愛ない話をしていた。



「ドヤ!お兄ちゃん、トップ優勝とってやったよ!」


 体育祭の片付けも終了し、俺と紅葉は珍しく二人で下校していた。

 と言うのも、偶々俺が校門を出たときにその近くで紅葉が友達と話しを終えてバッタリと出会ってしまったためである。


「凄いよ、お前は」


 本当にそう思ったので口にしてみると紅葉が驚いた表情でこちらを見つめていた。 

 確かにいつもはあまり紅葉のことを褒めたりしないが、流石に今回の事は素直にすごいと思えてしまった。


「何だよ、悪かったな。本当にそう思ったから言っただけだよ」


「あ、いや……ちょっと意外だなと思っちゃたけど、ありがとう」


 驚いた表情から直ぐに笑顔に変わる。

 表情が忙しい奴だなと思いながら、ある事に疑問を思った。


「……あの時、四番手の子に何って言ってたんだよ」


「ん?ああ、あの時ね。勝つから大丈夫だよって言ったんだよ」


 カッコいいなと思ってしまった。

 あの状況から勝利宣言をしてそれを実現してしまう。

 とても普通の人間にはできない芸当であり、素直に凄いと思えてしまう。

 だから、クラスから好かれているし中心人物にもなっているのだろう。

 横目で紅葉を見ながら感心していると、紅葉がそれよりもと言って立ち止まった。


はありがとね!頑張れって言ってくれて」


「……なんの事だ?」


「何でもだよ!」


 そう言うと紅葉はまた歩き始める。

 ……紅葉の言う。あの時とは、リレーの際に一瞬紅葉がこちらを見てきた時だ。

 その時に俺は声をかけずいた。

 しかし一言、声には出さずに頑張れと口元は動いていた。

 それをきっと紅葉は気づいたのだろう。

 よくあの一瞬で気づいたなと思いながらその場に留まっていると紅葉が振り返る。


「早くしないと置いてくよ!」


 そう言うと紅葉はまた前を向いて歩き始める。

 その後ろ姿を見ていると何処か凛月と重なってしまった。

 いつも俺の中心で、前を歩いて俺の道を教えてくれる。

 今の紅葉のように、俺はいつも……に先を歩かれてしまう。

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昨日の君は今日の思い出になる。 フクロウ @DSJk213

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