第9話




「良平君は、探偵に向いてるんじゃないかな」



 カフェオレを淹れてくれながら、探偵はそんなことを言った。バイトが終わったのは夜の八時だったが、探偵事務所に行くと、彼は当然のようにソファで本を読みながら僕を待っていた。僕は彼に、西野と会った話をした。頭がおかしいと思われるのが嫌だったので、妙な体験をした部分だけは伏せて。

「そんなことはないですよ」

「いや、良平君の洞察力には光るものがあるよ。僕の助手にしたいくらいだ」

 探偵は言いながら、缶クッキーをテーブルの上に出した。

「助手、ですか?」

「ああ。僕はこれでも、語学が得意でね。欧米ならどこでもやっていける。実際、仕事の現場は海外が多いんだ。君だってこのまま日本にいるのは、本当のところ嫌なんじゃないか?」

「そりゃまあ、居心地がいいとは言えませんが」

「今すぐに決める必要はない。ただ、僕は君への聞き込み調査が終わったら、すぐ日本から出るつもりだ。一応連絡先は渡すけれど、もしその気があるなら、できるだけ早く教えてくれると助かるな」

「はあ」

 この国から逃げ出せればどんなにいいだろう、と僕はため息をついた。閉塞的な日常から逃げ出したい気持ちはもちろんある。自分自身が何も悪いことはしていなくても、身内に問題があれば親族まとめておかしな目で見られるような、それが当然のこととしてまかり通るような、こんな狂った国になんて未練は全くなかった。けれど、他の国に行ってやっていける自信もまたなく、即答することはできなかった。

「僕のことより、リアのことを話すんじゃなかったでしたっけ」

「そうだね。何か、思い出したことはある?」

「リアが好きだった遊び、そういえば他にもあったんです。絵を描くのが好きでした。うまいかというと微妙でしたけど、リアの両親が用事で家にいない時にうちで一時的に預かることもあって、そういう時に絵を描かせてるとしばらく静かだったな、っていうのを覚えてます」

「なるほど。絵を描くのが好き、か」

 絞り出しクッキーを一枚つまみながら、探偵が聞いてくる。

「その絵は、今も持っていたりするのかな?」

「いや、捨ててしまって、一枚もないです。でも、植物とか、花の絵がやけに多かったなあって記憶があります」

「そうか。そういう意味ありげな情報、いかにも依頼主が喜びそうだ」

 暗い赤髪の探偵は、例によってにっこりとこちらに微笑んだ。

「詳しく話してくれて助かるよ」

 僕は答えず、窓辺を見た。そこにはやはり林檎があって、ニタニタと歯をむき出しにした笑顔でこちらを見ている。

「林檎」

「ん?」

「林檎、好きなんですか?」

 探偵は少し考えるようなそぶりをしてから、「好きというか、ただの習慣さ」と言ってカフェオレに口をつけた。

「海外をふらふらしてたとき、栄養補給として毎日食べてたから。安いし、暇つぶしに体も鍛えてたから。やっぱり健康管理は大事だよ」

「栄養補給だったら、普通、バナナとかなんじゃ……」

「はは、そうだね」

 でも林檎が合ってたんだ。僕には。

 冗談めかしてはいたが、そう言った探偵の目は心なしうつろだった。

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