第2話


「もし具合が悪ければ、明日にするけど、大丈夫?」

「大丈夫です」

 この人が探偵だというのは、たぶん本当のことだろうな。

 マグカップのカフェオレに口をつけながら、そう思った。なぜなら今は時間的に、もう真夜中だ。普通、この時間に僕のような未成年者が路地裏にボロボロで倒れていたら、たとえ一旦介抱したとしても、通りがかりの善人ならすぐに「家に帰りなさい」と言ってくるに決まっている。それをしないのはつまり、僕のことについても、あらかた調査済みだということだ。不気味な林檎は気にはなるが、話しかけてくるわけでもないし、悪趣味なインテリアとでも思ってやり過ごすしかない。下手に色々喋って頭のおかしいやつと思われるのも、あとあと面倒臭い。探偵なんてどうせ、聞くだけ聞いたらさっさといなくなるに決まっているのだから。

「聞きたいことっていうのは、僕ののことでしょう?」

「ああ。わかっているのなら、話は早い」

 探偵はニッコリと、気さくな笑みを浮かべる。僕は視線を逸らし、カフェオレをまた一口飲んだ。切れた口の中に、少しだけしみる。


 僕のいとこは、もう一年以上も、行方不明のままだ。


 おまけにそのいとこの父母は、いとこが消えたその日に、自宅のキッチンで互いに刃物で刺しあったような形で死んでいるのが発見された。叔母さんも叔父さんも、僕の知る限りはとても穏やかな性格で、カッとなって人に刃物を向けるような、気性の荒い人ではなかったのに。

「でも、わざわざ僕の口から話を聞く必要も、なかったんじゃないですか。週刊誌や新聞の記者さんに、知ってることはすでに話してしまってますから」

「いやいや、さすがにそんな手抜き捜査はできないな。これでも一応、プロの探偵なもんでね。それに」

「それに、なんです?」

「僕が、というより、話したいんじゃないかなと思ってね」

 探偵はマグカップを持っていない方の手で、僕の方を指差した。

「鍛え始めてまだ一年かそこらの、ひ弱な筋肉。でも、全く鍛えていない肉とは確実に違いが見られる。ほんのわずかだが、意志を持って鍛えている跡が見てとれる。手は綺麗なもんだから、おそらく部活動で球技などのスポーツはやっていない。じゃあなぜ鍛えているのか? 答えは簡単だ」

 僕は窓の外を見た。小雨が降っている。

「君は罪悪感に苛まれているんだ。親戚を助けられなかったことに対して。自分にもっと力があったらあんな悲劇は起こらなかった、という思いが、心の奥底にある。違うかな?」

 それには明確に答えず、僕はこう言った。

「僕はいとこのことを、ずっと、ちょっと変わった子だと思ってたんです」

「らしいね。なんかの雑誌でも良平君は、そう答えていたね」

 それを聞いて、僕は静かに頷いた。

「あれは、フリーライターとか言ってたかな。もう取材を受けすぎて、どこの誰に何を話したか、覚えていませんよ」

「だろうね。ゴシップ雑誌の記者なんて、腐る程いるし。ショッキングな事件だって、あいつらにとっちゃ飯の種でしかない。人でなしだよ、全く」

「まあ、でも、嘘をついたことはないと思います。インタビューされたら、もう面倒だったので、全部本当のことを言ってますよ。いとこのことを、変人とか、ひょっとしたら知的障害なんじゃないかとか、思っていたのは本当です」

 探偵は痛ましげな目でこちらを見た。

「本当は未成年に、そこまで喋らせちゃダメなんだろうけどね……でも事件が事件だったからか、そういう細かい配慮を欠く輩もいっぱいいたのは知ってるよ。日本人は奥ゆかしいとか礼儀正しいとか言うけど、欲に目がくらむとみんな思いやりなんか平気で捨てるもんだ」

「はい。たくさん聞かれましたよ。『叔父と叔母が娘に異常な教育をしていたことを知っていましたか?』とかね。知るわけないじゃないですか。大の大人が二人で隠れてやっていたことを、たかが子供が知れると思います? それにいくら親戚といっても、僕の家といとこの家はかなり遠かった。まだ高校生だったし、いとことちゃんと顔を合わせるのなんて、せいぜい正月とお盆休みくらいだったんです」

「確かに週刊誌や新聞なんかじゃ、君の叔父さん叔母さんの家から、いろいろと虐待の物的証拠が見つかったってあったけど、あれは本当だったのかな」

「はい。僕も自分の目で見たわけじゃありませんが、警察の人の話だと、事件現場を調べている最中に、いとこへのひどいしつけの記録が見つかったそうです」

 警察に呼ばれ、不自然なほど綺麗で明るい部屋で、まるで世界の秘密を告げるかのようにそれを教えられた時のことを思い出し、気が沈んだ。

「証拠は気が遠くなるほどたくさん見つかったけど、それでも大部分は処分されてしまったあとだろうって、警察の人に聞きました。あんなことを小さな子供にするなんて、口に出すのもおぞましいですよ」

「こう言うのもなんだが、君がそこまで罪悪感を背負う必要もないんじゃないか」

 僕は探偵の言葉を、鼻で笑った。

「背負う必要はない? だってうちの母には、その人でなしと同じ血が流れてるんですよ? ということはもちろん、僕にもってことですよ。僕の両親は虐待を知っていたのに、揃って見て見ぬ振りをしていたのかもしれない。今じゃもう、自分の家じゃ眠れません」

「君を守るためだったのかもしれない」

「じゃあ探偵さんは、自分より小さな女の子の命や尊厳を犠牲にしてまで……そんなことをして守られて、嬉しいですか? 生きていることを、誇れます?」

 探偵はため息をついた。僕のそばまで歩いてくると、隣に座り、こう言った。

「だからって、あんな無茶な喧嘩をしても、どうしようもないと思うけどな」

 

 

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