心水体器:山林機動自走高射砲
前河涼介
プロローグ
肢闘の正しい使い方
砂埃が舞う。
「ねえ、なんか煙くない?」運転席の栃木が言った。
「煙い」助手席の漆原が返した。
「フィルター死んでるよ」と私。二人に挟まれた補助席に座っている。トラックのキャビンの中だ。
栃木はとても緊張した表情で前方を凝視しながらハンドルを握っている。彼女は緊張が顔に出やすいタイプなんだ。うちの小隊で一番神経質な人間かもしれない。一方の漆原はどちらかというと利発で図太いタイプだ。
フロントガラスはほとんど砂嵐の中にいるみたいに一面真っ茶色で、その中にうっすらと前を走る自走砲(九九式自走榴弾砲)の赤いテールランプが二つ浮かんで見える。そいつの履帯が巻き上げる砂煙でこんなことになっているわけだけど、かといって追い越すわけにもいかないし、だいたい轍を外れるのは危険だ。石や灌木にぶつかるかもしれない。そのあたりは先頭のジープが見てルートを選んでくれているはずだ。
左右にも車列が見える。まったくの不整地だが地面が平たいので並走できる。日本国内では無理な話だ。陣形を組むだけで手一杯だろう。ましてその陣形のまま何キロも走るなんて。
ワシントン州ヤキマ演習場。日米の砲兵同士の連携を確認するための訓練。状況は敵橋頭保、上陸拠点の急襲。まず敵の防空陣地に対し砲兵部隊のみで距離二十キロから砲撃を行い、効果確認ののち前進、空軍と連携して主目標の橋頭保を砲撃する想定。陸軍戦力は自衛隊と米軍から砲兵(特科)大隊が二個ずつ。それぞれ自走砲装備と牽引砲装備の部隊が一個ずつ。合わせて百二十門あまり。自衛隊はそれに高射特科大隊を分散して防空にあて、加えて山林特科大隊二十四門と麾下肢闘中隊十一機、観測ヘリ部隊を一小隊二機出している。装軌自走砲が前線に展開し、その後列に牽引砲が構える。給弾車はそれぞれの後方、防空を担う米軍のパトリオットの陣地は牽引砲よりもっと後方だ。展開に時間がかかり装甲も薄い方が後ろになる。山林機動砲兵(通称「トリナナ」。「トリ脚砲架FH70」の略らしい。)は牽引砲と同じレベルで横に広がって丘の斜面に構える。我々山林機動自走高射砲――通称「肢闘」は観測ヘリの援護のため装軌自走砲より前に出て対空警戒を行う。各車両がかなり距離をとって展開するので対空車両を除いても陣地の広さは一キロ四方を軽く超えることになる。その端と端でもきちんと連携が取れるのか。実際に撃ってみてどれくらいの集弾率になるのか、敵の攻撃機の接近にきちんと対処できるのか、どれくらい速く撤収できるのか、そういう目的の訓練だ。
栃木が手を伸ばしてラジオの音を少しばかり大きくした。
「これって予算のニュース?」
「みたいだね」私は言った。
しばらく三人とも黙る。ひしゃげた一斗缶みたいに乱暴な造りのスピーカーが流暢な英語を吐き出している。
「何て?」と栃木。「聞き取れないよ」
漆原は両手を広げる。
「公務員の依願退職、でいいのかな、それが千人超えだって。全土でね」私は言った。肩を竦める。大して英語が喋れるわけじゃないが耳はいい方だ。
「四か月も経って今年の予算がまだ通ってないって相当だよな」と漆原。
「去年法人税上げすぎて企業ががちがちに節税しちゃったわけで、だから徴収制度変えようってのは悪手だよね。おとなしく税率下げちゃえばいいのにね」と栃木。
「公約にしちゃったからそうはいかないんだよ」私。
「それならそうと民主党だってきちんと根回ししておけばいいのにな」と漆原。
「根回ししたというか、むしろ経済界に根回しされたから与党側にも反対派閥ができちゃってるんでしょ」と栃木。
軍隊だって公務員の集団だ。最近になって国内に外国軍の訓練を招待しているのはそうやって金を出してもらわないと自分たちだけでは動けない、訓練を始める元手がないからだって話を聞いたことがある。実際、ヤキマのスケジュールもかなりキツキツらしい。同盟国の予算がアメリカ軍を動かしているわけだ。その分あとでちゃんと返してもらえるといいんだけど。ともかく日米共同訓練をやっているのは砲兵部隊だけじゃないし、自衛隊がそれだけ大規模に部隊を送り込んでいる背景には今のニュースもたぶん絡んでいる。
司令部からの無線が入った。牽引砲大隊宛、散開の合図。漆原がラジオを下げる。じきに私たちも車列を離れる。
そしてトリナナ散開の合図。肢闘中隊も随伴する。栃木がハンドルを左に切る。同じように車列を離脱した中砲牽引車とトレーラーの集団に従って丘の背後を目指す。やっと周りの景色が見える。荒涼とした丘陵地帯だ。あまり急な傾斜は見当たらないが、ところどころ岩が露出して小さな崖が階段のように連なった地形になっているので装輪車や装軌車では登れない。だからトリナナの陣地としてこの辺りを選んだのだろう。トリナナの脚はそのための脚だ。
一面黒砂糖のような色をした地面のそこかしこに濃い緑色の灌木が抹茶味のホイップクリームのように茂っている。空は霞んだような空色で細長いまっすぐな雲が何筋も放射状に並んでいた。異国だ。車内の空気は相変わらず埃臭い。もしかしたらそれは砂ではなくこの土地の空気そのものの匂いなのかもしれない。そんな気がした。
各車百メートルほどの間隔をあけて停車。すぐに展開を始める。
私は牽引車のキャビンを降りてトレーラーのバンパーに足をかけ、上に載っているマーリファインの尾部に取り付く。足がかり伝いに砲塔に登り、操縦室に入る前に頭部のセンサーカバーを外して砂を払い、ハッチを開けてシートの下に投げ込む。両腕のストッパーも引き抜いて袋に入れる。乗り込んでイグニッション。スイッチは計器盤や多機能ディスプレイの左下。エンジンの回転が安定するまでにハッチを閉めて腰を落ち着け、ベルトを締め、ヘッドセットのプラグを受信機の操作盤に差し込む。
ヘッドレストの下から投影器(ブレイン・マシン・インターフェース)のプラグを引き出し、首の後ろにある窩の蓋を開けて差し込む。これで機体の操作に手先は必要ない。生身の手を動かすのと同じ、自分の体の一部として動かすことができる。
機体の視界を引き込む。一瞬視界が赤く染まるが、これは視線指示灯のせいだ。カメラの周りについた環形の照明で、こちらのコントロールを通すと偏光板がせり出すようになっている。外から見ると待機状態は円、起動状態は環形に見える。戦闘に入る時は邪魔になるから消灯する。それなら最初から消しておいてもいいじゃないかと思うかもしれない。でも肢闘には窓がないから動かしている人間が今どこを見ているのか周りにいる人間にはわからない。運用上は点灯しておいた方が安全なのだ。
漆原が機体の周りを走って関節のストッパーを引き抜き、爪先を押さえておくためのベロを閉じる。肢闘の運用要員は三人か四人。役割分担の肩書きとしては私・柏木がガンナー、漆原がローダー、栃木がドライバーということになる。
私は機体の爪先を地面に下ろして、機体全体をやや前傾させつつ立ち上がる。この時重心が後ろ過ぎると機体の足が台車の車軸に乗って後ろにひっくり返ったり脚が折れたりすることがある。
弾薬を確認。装填も問題なし。栃木と漆原の見送りを背に前線に向かう。無線の周波数を切り替えて中隊長の賀西の指揮下に入る。指定座標を目指す。走り始めて二分ほどで装軌自走砲の一団を追い越した。この機体・マーリファインは平地での直進はかなり速い。加速はともかく、整地なら武装状態でも時速二百キロに迫る。今回は地面は硬いから障害物に注意しておけばかなりいい線だ。
マーリファインはトリナナ陣地の防空を担う目的で開発された。鳥脚プラットフォームに対空戦車の砲塔を乗せたような機体構成だ。プラットフォームは細い舟形の車体、すなわち腰尾部を核に両舷に固定式の大腿部が張り出し、そこから両脚として一対の脛部、足部、爪先部とモジュールが連なっている。まっすぐ立ち上がって高さ八メートル弱。動力は砲塔が電動、脚部が油圧で、尾部後方に積んだ約三三〇馬力のディーゼルエンジンで油圧ポンプを駆動する。砲塔は前方がレーダーその他電子機器のスペース、後方が操縦室になっている。出入りは上部のスライドハッチのみ。砲塔前方に光学センサー類をまとめた頭部が三本のプランジャーで支えられている。装甲されているのは操縦室と腰部前面だけ。その部分であれば三十ミリ程度の砲弾は垂直入射でも食い止めるが、何にしても大口径砲は天敵だ。
自走砲の編成を確認しておく。右翼が自衛隊の九九式、左翼が米軍のM109のようだ。詳しい型式はわからないが、ぱっと見で色が違う。自衛隊が黒っぽい茶と緑、米軍が比較的明るい砂色、カーキ色だ。
同じように走っている肢闘が横に何機か見える。私を含めて一小隊の三機、二小隊の四機が出ているはずだ。
右手で一機が砂埃を引いて滑った。松浦機だ。
「松浦、左足破損した」と無線。
「石でも踏んだか」賀西が訊く。「一班回収。座標言え」
「目視できる」松浦班の牽引車が答える。
「損傷確認して、爪先交換で済むなら復帰」と賀西。
「了解」
「ああ、あと八分で無理なら退避優先だよ」賀西は素の口調で言った。「砲弾の破片が降らないとも限らない。火砲だけは実弾使うからね」
「了解」
配置につく。私が左翼の端だ。稜線から砲塔を出し、エンジンの回転をちょっと上げてレーダーを起動する。いくつか像が映る。でも全部民間の旅客機か貨物機だ。訓練用に設定した敵性IFF信号を返してくる航空機はない。マーリファインは戦闘機と同じように一基のレーダーアレイを探知と追尾で共用している。戦車ベースの対空砲より電力容量が小さいから二種類も載せられないのだ。だから数機で方角を分担してノードを形成する。ただ今回は後方に本職の自走高射砲が控えているから前方重視でいい。味方の航空優勢は陣地上空のみという設定だから、場合によっては敵機がこちら側に食い込んでくることになる。
「修理終わった。配置にに向かう」松浦が言った。
「よし、全機配置そのまま」と賀西。
後ろからヘリのバタバタした羽音が響いてくる。丘陵の谷間を縫うようにOH‐1が編隊で飛んでくる。うちの中隊が前方の安全を確認したので進出するわけだ。上空のカバーはパトリオットのレーダーの方が広いが、低空にはどうしても陰ができる。それを照らすのも我々の役割だ。わざわざ口で報告しなくてもデータリンクが機能している。私のレーダーで見たものは全部の味方が見ている。
レーダーに反応。二時方向。ごく低空に敵機。すぐに反応消失。丘の隙間から辛うじて一瞬だけ見えたようだ。
反応再び。機種判別、F‐16。距離十キロ。
OHの編隊は少し進路を変えて進出を続ける。まだ見つかっていないらしい。
我々も短距離対空ミサイル(の模擬弾。推進装置・炸薬・信管なし。シーカーのみ)を持っているが有効射程はせいぜい五キロだ。後方のパトリオットに任せる。とりあえず我々が見つけたターゲットの近くまで飛ばせばあとは弾頭のレーダーが自分で探すはずだ。
しかしミスの判定。
接近に備えて機関砲の照準を最大射程に合わせる。マーリファインの主兵装は砲塔両側、いわば両腕の三十五ミリ機関砲で、ベースはエリコンKD。腕と砲架は一応別のモジュールになっているけど、砲尾を肩口に固定しているのもあって分離する機会はほとんどない。それはつまり機体の「手」を使う機会もまたほとんどないということだ。せいぜいばらした弾倉をラックに戻す時くらいだろうけど、たぶん人力でやった方が早い。
F‐16が急上昇。十一時方向。二機いたのか。いや、一機で来るわけはないけど、場所がわからなかった。
レーダー警報。探知ではなく追尾だ。敵に狙われている。実戦なら対レーダーミサイルを撃ち込んでくるところだろう。
たぶん射程外だけど、とにかく急いで測距しながら牽制のために機関砲を二十発ほどバラ撒く。そのあとレーダーを切って稜線の陰に隠れる。
射撃はミスの判定。
そして私は撃破判定を食らう。
は? と思ったが相手の使用兵装を見ると爆弾だった。ミサイルより加害範囲が広いわけだ。だとしても私は敵機に対して遮蔽を取っていたのだから、爆弾が私の手前に落ちても奥に落ちても威力は軽減されるはずだ。爆風範囲の計算が甘いのかもしれない。
小隊の他のマーリファインがさっきのF‐16を機関砲で撃破。敵はたまたま私を狙っただけで他の対空砲には気づいていなかったのか?
上空にいた味方役のF‐16が一足遅く降りてきて周りの状況を確かめたあと、再び雲の上まで上昇していった。
そのうち砲撃ターゲットのマーカーが送られてくる。OHが配置についたらしい。二十キロ近く遠方だ。私は暇になってしまったし、操縦室にいてもやることがない。レーダーや砲架制御装置など火器管制系をシャットダウン。
ベルトを外す。ハッチを開いてヘッドレストに腰掛け、生身の上体を砲塔の上に出す。振り返る。M109の陣地では砂埃が収まりつつある。対砲レーダーが襖のようなアレイを立ち上げている。給弾車が自走砲の後ろで位置を決めている。生身の耳にそのエンジン音がとても遠くに聞こえた。肢闘のセンサーは戦場を小さく感じさせるものだ。
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