市街地のピジョンホーラー

ピジョンホーラー

 アメリカ軍の肢闘にはピジョンホーラーという愛称がついているらしい。

 「ピジョンホール」というのは書類棚を鳩の巣箱に見立てた言葉で、書類の整理をする時なんかに動詞としても使うらしい。私はそれを聞いた時、ごっつい腕をしたロボットが次々に鳩を掴んで下駄箱にぶち込んでいく様子を思い浮かべた。下駄箱の一区画に収まった鳩たちは目を丸くしたまましばらくのあいだ置物みたいに固まったあと、そこが案外居心地のいい巣箱であることに気づいたみたいに何食わぬ様子で卵を産んで温め始める。もしかするとそのうち若鳥が巣立つことだってあるかもしれない。つまり私が想像したのは鳩の飼育マシーンだ。

 でも実際にピジョンホーラーが鳩を巣箱に押し込むわけじゃない。いや、もちろんそういう機能が用意されていないとも言い切れないわけだけど、どちらかというと建物の窓にタマをぶち込むのが本職、というか、設計のコンセプトらしい。つまり市街戦を想定した兵器なのだ。

 しかしピジョンホーラーが肢闘と呼べるのかどうかは怪しい。「肢闘」という言葉は肢闘を設計している九木崎や運用部隊が使っている通称に過ぎないし、アメリカ的にはシティ・ドミネーティング・ヴィークル、略してCDVというのがこういう車種の正式な分類のようだ。でも今のところCDVはピジョンホーラー一種だけなので、ピジョンホーラーが愛称、M‐ナントカが型式、CDVが正式名という感じになっている。この辺りは日本の肢闘と同様にまだあまりかちっとした枠組みが出来上がっていないようだ。

 ピジョンホーラーは市街地における歩兵や軽車両(トラックの荷台に機関銃を乗せたような、いわゆるテクニカル)との戦闘を想定して、十二・七ミリまでの銃や歩兵が携行する対戦車ロケット、HEAT弾などに対する防御を充実させている。つまりかなり広範囲にわたって装甲されているわけで、重さは三十トンを超える。マーリファインの三倍近い重さだ。

 非装甲の相手とやり合うことを想定しているわけだから、攻撃面でも装甲貫通力は不要という考えらしく、建物の壁を崩すための二十五ミリ機関砲が一番口径の大きな火器で、あとは十二・七ミリ機関銃とグレネードを基本装備にしている。センサー類も凝ったものはなくて、可視光カメラと赤外線カメラのみ。レーダー警報装置はついているがレーダーは装備していない。

 車体はいわば腰部と脚部からなっていて、巡航時は長座姿勢をしていて、脚の裏についた六対の車輪で走行する。ビルの上の階に逃げ込んだ歩兵の相手をする時に爪先で立ち上がって鳥脚の姿に変形する。これでだいたい四階くらいまでであれば水平射撃で対処できるというわけだ。

 砲塔は前後に長い円盤形で、左右にいわゆる腕――砲架を備えている。構成はマーリファインと同じだが、ピジョンホーラーの方がもっときちんとした砲架らしい姿をしている。そこには肘も手首も見当たらない。両方の砲架に十二・七ミリ機関銃とその弾倉があり、右腕は二十五ミリ砲、左腕はグレネード発射筒と弾倉を備えている。腕全体の前後長が短く、横から見ると銃口より砲塔前端の方が前にある。

 頭にあたる部分にはセンサー塔がついている。一応両目と言えるようなカメラの配置になっているが、全体として意匠に凝っている印象は受けない。

 それが今のところ把握しているピジョンホーラーの情報のだいたいだ。そういう説明を受けたのがその夜だった。つまり、スタックしたトリナナを救助したその夜だ。冬眠するダンゴムシの群れのように砲兵(特科)隊の車両が集まった野営地の隅っこで、中隊長の賀西が第一小隊と整備小隊、合わせて三十人くらいを集めて講義形式で話をした。パジェロの側面に天幕を張り出して、その周りの地面に私たちが座る。賀西はパジェロのドアのあたりに大きな白い紙をマグネットで貼って、そこにプロジェクターで画像を何枚か映しながら説明した。画像の隅にはアメリカ陸軍のロゴが入っていた。

 街の明かりも届かない夜の荒野で明かりを灯しているものだから、蛾やバッタが集まってきてスクリーンやプロジェクターにとまったり飛び跳ねたりしていた。私の周りでもカゲロウのような小さな虫が飛び回っていた。じっとしていると連中の止まり木になってしまうから、始終みんな首を振ったり手で払ったりしていた。栃木と漆原も私の前に並んで座っていたけど、漆原はともかく、栃木は上着の襟を引っ張って鼻まで埋め、手も袖の中に格納していた。彼女は虫も嫌いなんだよ。

 野営っていうのはこれが問題だ。三十人が収まるテントもないし、どうしても吹きさらしでブリーフィングをしなければならない。まったく、きちんと壁のついたテントで少人数の会議してる高官たちが羨ましいよな。

 心の中で愚痴を言っている間に次の作戦説明が始まった。

「なぜ僕がわざわざピジョンホーラーの説明なんかしたか、たぶんもうわかってるよね。僕らはピジョンホーラーの部隊と協同で演習を行う。市街戦を想定した演習だ」賀西が言った。

 最後の部分で何人かが「は?」と言った。漆原が言ったのは確かに聞こえた。残りのみんなも心の中では同じようなことを思ったんじゃないだろうか。マーリファインはあくまで対空車両だ。市街戦は想定していない。相手の歩兵にしてみれば、こちらの機関砲は恐いけど、装甲の薄いところを狙って行動不能に追い込むのはとても容易いことだろう。マーリファインはそれくらい弱点をむき出しにしている。

「うん。もちろん素のマーリファインで挑むわけじゃないよ」と賀西。指し棒を縮めてポケットに手を突っ込み、パジェロのリアフェンダーに寄りかかる。「いくらか装甲板をプラスして弱点と側背面の防御を固める。小口径銃も追加する。その改造は明日やる。たぶん一日がかりになるだろう。まあ、逆に言えば、一日程度で事足りるくらいしか手を入れないってことでもある」

 きゅうりみたいに大きなバッタが脚と羽をいっぱいに広げて飛び込んできて、栃木の肩にぶつかるようにしてとまった。栃木はびくっと首を縮めた。漆原も振り向いて何が起きたのか確認したあと、きゅっと顎を引いて私の方を見た。取ってやりなよ、というような視線だった。なにせそいつがとまったのはちょうど私の手が届くあたりだった。

 仕方ない。私はそのきゅうりバッタを掴んで、人のいない方、左の方に向かって投げつけた。

 そいつはまた羽を広げて勢いを殺しながらそのあたりの地面に不時着した。暗くてよくわからないけど、当面は戻ってくるつもりはないような感じだった。ほんとにきゅうりみたいに重かったな。

 周りの三十人は映画でも見るみたいに黙って話を聞いている。賀西は話を続けていた。スクリーンに地図が出ている。郊外の駅前を映したような地図だ。平原の真ん中に格子状の市街地があり、中心の四角い広場に近づくにしたがって建物が大きく、密になっている。

「演習は明後日、旧ニューハウィック市街で行う。街は無人、いわゆるゴーストタウン。全域を演習に利用できる。我々は第一小隊、アメリカのCDV小隊、ライフル小隊各一個と連携して市街地外縁から中心部に向かって進行、このエリアを確保する。対抗部隊はアメリカの歩兵中隊一個。……うん、そんなとこだ。詳細は当日伝える。以上。誰か、言いたいことがある人」

 私は打ち上げロケットみたいにまっすぐ左手を挙げた。

「はい、誰?」と賀西。彼から見ると隊員たちの顔は闇に紛れてしまってよくわからないらしい。

「第三班砲手としてはマーリファインの改造に反対です」

「ああ、柏木か」

 前にいた漆原と栃木がこちらを向いた。

「装甲を厚くするより運動性を活かして敵弾を回避する方がいいと思います」

「ふうん。するとマーリファインは回避性能が高いんだね?」賀西は私に訊き返した。ちょっと面倒そうな口調だった。

「車両に対しては射線と垂直な面で機動できる、つまり横にスライドできるのが有利です。ピジョンホーラーに対しては、重さが軽い分、立ち上がりの早さ、素早さで優るでしょう」

 賀西は私の方に耳を向けていた。目はこちらを向いていない。スクリーンの端にとまった小さな蛾に手を伸ばして、そいつの周りで手をぐるぐる回していた。手の影が見えているのかどうか確かめているみたいだった。

「じゃあ、ちょっと避けてみてほしいんだけど、そうだな……」と賀西は少しだけ手を止める。「じゃあ、こうしよう。君のマーリファインは市街地に入って、角を抜けたところで敵の二十ミリ機関砲銃座に出くわす。遭遇する。彼我距離は五十メートル。敵は射撃準備を整えている。狙いをつけている。十二・七ミリならまだ弾く可能性もあるかもしれない。でも二十ミリだ。コクピット以外は簡単に貫通してくるよ。さあ、君はどうやって被撃破を免れる?」

 私は少し考えた。角を抜けたところ、ということはたぶん交差点ではない。だから正面に突っ切ることはできないし、前に出ようとすれば敵に向かっていくしかない。それじゃあ弾を食らいに行くのと同じだ。

「今しがた出たばかりの角の陰に戻る」私は言った。

「残念。君のマーリファインは砲塔の鼻先に数発の命中弾を受ける。コンピュータの半分近くが損傷して動作不良に陥るかもしれない。進むべき方向に勢いがついているわけでもないからマーリファインでもそんなに早く動き出せないよ。それに、君が敵の存在に気付いたということは、すでに砲塔前方を敵の射界にかなり晒していたことになる。マーリファインの首は確かに前の方についているけど、一番前ではないからね」

「他に手がない」私はまた考えながら言った。

「なぜ被撃破は免れられないんだろう?」賀西が訊いた。

 彼は蛾の周りで手を回すのをやめて人差し指でシダの葉のような蛾の触覚に触れた。蛾は飛ぶのも億劫そうに少し後ずさりしただけだった。

「マーリファインが本来二三キロ以上の交戦距離を想定しているから、かな。しかも、航空機相手に」私は答える。

「うん。そう考えるのが妥当なんじゃないかな。当たるか当たらないか、当たればやられるし、当たらなければ無傷だ。そういうゼロか百かという戦場を想定しているから、当たり所という視点がない。でも対するピジョンホーラーならどうだろう。同じ状況だったら、別に回避なんかしなくても装甲で耐えるだろう。HESHでもなければ全く損傷しないかもしれない。相手の土俵で戦うってのはさ、そういうことだよ。ま、めんどくさいだろうけどさ、明日は我慢して手を動かしてくれよ」

「まあ、いいんじゃない?」と漆原が小声で私に言った。「必要なことなんだわ」

 私が黙っていると賀西は話を切った。

「他に、何か」と訊いて数秒だけ待つ。誰も手を挙げない。「ないようだから、解散」

 賀西はそう言ってプロジェクターのレンズを閉める。夜闇の中で三十人が立ち上がると、あらゆる虫がまっくろくろすけのようにわっと飛び立った。何の虫かわからないがとにかく耳元をたくさんの羽音が通り抜けていった。

 栃木が頭を抱えて「やだあ」と小さく叫びながら駆け出していく。足の下ろし方が変だ。地面にいた虫を踏んだのかもしれない。半長靴越しにわかるってことは結構でかい虫を踏んでるな。さっきのきゅうりバッタかもしれない。

「おーい、戻るぞ」漆原が栃木を呼んだ。かなり暗いのでちょっと離れただけで闇に紛れてしまう。白い手だけが暗がりの中にぼんやり浮かんで見えた。あまり離れると危ない。

 栃木が頭をばりばり掻きむしっているのでヘルメットを預かってやる。三人で牽引車に向かって歩く。

 見上げるといい星空が広がっていた。銀河の中心方向がはっきりわかる。私たちの上に宇宙があるのか、それとも宇宙の天井に私たちが張り付いているだけなのか、だんだんわからなくなってくるような景色だった。

「賀西さん、なんか冷たかったな」漆原が言った。私への慰めかもしれない。

「ほんとに改造作業が面倒なだけで反対してると思ったんじゃないかな。ちょっと考えれば市街戦には装甲が必要だってわかるわけで」私は答えた。

「マジで必要?」と漆原。

「うん。私らはさ、マーリファインは機動性だって観念があるから、そこを伸ばしてやりたいような気持になるんだよ。でもそういう戦場じゃないんだ。確かに、言われた通り。……だから、そうか、彼はさ、そもそもうちの部隊が市街戦をやんなきゃいけないこと自体にイラついてたのかもしれないな」

「アメリカの提案に?」

「それか、上の命令に。まあ、単に早く寝たかっただけかもしれないけどさ」

「ああ、それが一番しっくりくるんだよな。もう十時だもんな」

 牽引車の荷台には幌が張ってあって、その内側に小さな部屋が出来上がっている。機材や弾薬で床が狭くなっているけど、三人で横になれないほどじゃないし、ぎりぎり立ち上がれる高さがある。わざわざ天幕を設営するより荷台で眠る方がずっと合理的だ。

 私たちは後ろから荷台に這い上がって内側から幌の口をぴしゃりと閉め、ランタンをつけてタオルを濡らした。風呂に入れないので体の汚れは拭き取るしかない。あとはコロンだ。これは三人で相談して同じものを使っている。好みがあるものだから、誰か一人でもその匂いは苦手だというのを使っていると共同生活が成り立たない。

 新しいシャツに着替えてスウェットを穿き、折り畳みマットレスを床に広げる。栃木が奥、私と漆原が入り口側だ。それぞれ頭を中に向けて横になる。一日の疲れが重力に加わって体を下へ押し付けていた。

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