装甲マーリファイン

 翌朝、私たちの小隊と整備小隊を残して他のトラックや自走砲が野営地を出発した。五十輌以上の大所帯だ。竜巻のように砂埃が舞い上がり、あとには巨人の足跡のような荒野が残された。わずかな草の周りに集まった虫たちを狙ってたくさんの小鳥が低空を舞っていた。

 栃木の操縦でマーリファインを台車から下ろして地面に直接座らせる。作戦行動中にマーリファインを操るのは私の役目だけど、こういう機会なら他の二人に慣熟がてら動かしてもらっても全く支障はない。漆原も栃木もれっきとしたソーカー(肢闘の砲手のこと)だ。私の中隊、特に私の小隊には高い操縦技術を持った人間が揃っている。その中でもトップクラスに強いやつが砲手を務めている。

 晴れだ。朝露が蒸発した湿気で辺りは妙に蒸していた。私は天幕の角を二つ持って機体をよじ登り、上で待っていた栃木に角の片方を渡す。砲塔天板の吊り上げポイントにカラビナをかけて天幕を留める。反対側は漆原が牽引車の荷台とキャビン側面の梯子にかける。これでマーリファインと牽引車の間に四角い日陰ができた。いいピクニックができそうな日陰だった。そこに整備小隊のトラックがやってきて機材と資材を置いていく。無蓋トラックだったので金属材はすでにかなり熱くなっていた。軍手を嵌めて作業を始める。

 作業は主に溶接だった。指示書を見たところ、関節とエンジン回り、胴体側面に四角い装甲板を取り付けるのだけど、直接溶接するわけではなくて、アルミ材のレールを溶接してそこに装甲板を引っかけるようだった。装甲板はスチールあるいはセラミックなどの複合材でできているから、アルミ合金が主体の機体表面とはあまり相性が良くない。レールの方が取り外しの便もいい。

 素体のマーリファインだと操縦室周りのバイタルパートで三十ミリの徹甲弾を防ぐのが精いっぱいだが、装甲板は垂直入射の二十ミリ程度なら貫通しない。角度によっては四十ミリくらいまで弾けるだろう。それに、機体の外板から少し浮かせて取り付けることになるわけで、その隙間は対戦車ロケットによく使われる成形炸薬弾(HEAT)に対しても多少は有効な空間装甲として機能してくれるだろう。

 曲面なんか難しいところは整備小隊の上手いやつに任せるけど、だいたいは私たちが自力で進めた。私が溶接部分の塗装を剥がし、漆原がレールを支え、栃木が溶接した。電源を取るために牽引車のエンジンはずっとアイドルで回しっぱなしだった。あまりに回しっぱなしなので変に熱くなったりしていないか時々メーターを見に行ってやらないと心配だったな。大丈夫だったけどさ。むろん、マーリファインのエンジンを使うこともできないわけじゃない。だけど作業中に熱い排気がかかるし、そもそも燃費が悪い。

 踵側面、大腿部側面と後方、尾部背面と天面、砲塔側面、肩側面と天面、ターレット周り――。

 二時間くらいして左側のレール取り付けが終わったので一度天幕を外して機体の前後を入れ替えた。これは私が動かしたけど、単純な話で、その時機体の一番高いところに上っていたのが私だからだ。いちいちじゃんけんするのも、機体を上り下りするのも面倒臭いじゃないか。

 天幕をかけ直したあと、機体の表面が冷めるのを待ちながら一度休憩を入れた。漆原が飲み物を取りに小隊支援班のトラックまで歩いていく。私と栃木はその間に煙草に火をつけた。

 栃木って見かけも性格も子鹿ちゃんみたいな華奢な感じなんだけど、煙草は吸うんだな。結構吸う。別に子鹿ちゃんが喫煙しちゃいけないなんて道理はないわけだけど、まああまり似合ったもんじゃない。初めて知った人間は「へー、君、吸うんだ、ふーん」みたいなちょっと距離を置いた反応になる。私なんかはだいたい、やっぱりね、って思われるようなちょっとスレた風采なんだけど。片や漆原は吸わない。ほぼ断固として吸わない。健康志向だからだろう。それは見た目にも中身にもぴったりって感じがする。だから私と栃木はだいたい漆原がいない時に吸うし、寝る前には吸わない。

 漆原がブリックパックのコーヒーを持って戻ってくる。水筒の水より冷えていた。野外炊具とセットになった冷蔵庫があるんだけど、そこに入れて冷やしておいたやつだ。

「あらかた終わってる班もあるね」漆原はそう言って、重ねた装甲板の角、栃木の隣に座る。

「松浦のとこ?」私は訊き返した。私は地面に座って脚を伸ばしていた。

「ああ、たぶん」

 松浦の班はたいへん生真面目な男三人で回していて、そこだけ東大理三みたいな雰囲気が漂っている。同じ小隊だけど班ごとにそれなりの色があって、檜佐のとこはとてもほのぼのしてるし、私のとこはアウトローだ。

「急いだほうがいい?」と栃木。

「早く終わらせてもやることないじゃん。のんびりやろうぜ」と私。

「うん。それで、どうする、ブローニング。持ち上げればいい?」漆原が訊いた。機銃の取り付けの話だ。

「結構重いからな。あれ、架台だけで二十キロ以上あるだろ。クレーン使うんだと思ったけど」と私。「どうせ装甲上げるのもクレーン要るだろ」

「栃木はどっちがいい?」

「えー……」栃木は苦笑いして肩を竦めた。「二人で決めなよ」

 私がグーを突き出すと漆原も同じポーズを返した。じゃんけんして私が勝った。クレーンだ。

 そこそこ風も吹いていた。じゃりじゃりした砂塵が吹き込んでくる。時折天幕が煽られて青空が広がる。影もそれに合わせて揺らいでいる。地面の白、影の黒、空の青。世界はそれだけだった。

 トラックのエンジンも溶接の電源も止めているので静かだ。小鳥たちがやってきて、できるだけ人間から遠いところでじっと涼んでいた。青と黒に塗り分けた中くらいの見知らぬ鳥だった。たぶん日本にはいないやつだ。ともかく、今まで日陰に入ってこなかったのは物音にビビっていたからか。

 悪いね、私たちの仕事にはまだ続きがあるんだ。

 青黒の鳥が飛んでいく。再びアイドル音の中で溶接を進めた。

 途中で補給隊のトレーラーが回ってきて、私たちの洗濯物を集めるとその場で洗濯機を回して乾燥までやっていった。まるでガムをちょっとだけ噛んで吐き捨てるみたいな早わざだ。仕上がりだってガムみたいにくちゃくちゃだった。

 それが嫌だったので私たちはシャツの袖やズボンをナイロンのロープに通して天幕と同じようにマーリファインと牽引車の間に渡した。幸い正午近くになるとほとんど風がなくなって砂埃も収まっていた。たぶん周辺地域がまんべんなく太陽光で温められて気圧の揺らぎがなくなったのだろう。

 最後にブローニング(十二・七ミリ機銃)の懸架をやった。天幕を畳んで、洗濯物はエリコン(三十五ミリ機関砲)の砲身の間にかけ直す。砲塔を回して肩が尾部の上に来るような位置で止める。肩の外側についている丸い外板を外して肩関節の軸についているポートを露出させる。ブローニングの架台はそれに合わせて作ってあるのでぴったり嵌め込むことができる。

 栃木が牽引車を動かして、窓から顔を出しながらマーリファインの後ろに横付けする。漆原が外でクレーンを動かして腕の長さを決め、私が架台のスリングの金具にフックを通す。吊り上げのあと、私と栃木が横で見ながらだいたいの位置に合わせる。尾部に上って二人で微調節の指示を出しながら架台とポートを合わせてボルトを締める。続けてブローニングの機関部を吊り上げ、銃身と弾倉は人力で運び上げて取り付ける。弾倉は百発入りの小さなものだから一人でも持ち上げられる。たぶん二十キロないくらいだ。

 反対側も同じように作業して十二時半に改造自体は完了した。小隊には支援班という肢闘を持たないトラックだけの班が一つあって、そこの三人が中隊直轄で小隊の生活に必要な需品や機材を管理している。今日は改造作業だけだからのんびりしているはずだけど、その分食事作りに力を入れてくれたみたいで、昼食のチキンの照り焼き丼は結構おいしかった。私たちはそれを自分の牽引車のところまで持ってきて荷台に腰掛けて食べるわけだけど、漆原なんかおかわりをねだった末にタレをかけただけのご飯を丼に三分の一くらいもらって帰ってきたね。チキンは人数分しか用意してなかったんだ。当然だよな。

 食事の後にマーリファインを動かしてブローニングの弾道調整をやる。丘の斜面に赤いスプレーでバツ印が大きく二つ描かれている。一つは射点から五百メートル。もう一つは千メートル。私はマーリファインをスポットに座らせる。油圧を切って、エンジンはそのままアイドル。地面に赤線が引いてある手前だ。他の二人は徒歩で追ってきた。残念ながらマーリファインには砲手以外の人員を乗せるためのスペースがない。歩くと揺れるし背が高いからデサントも禁止されている。

 漆原は軸合わせの作業のために工具を腰に吊るして砲塔に登ってくる。私がハッチを開けたところに足を差し入れて一息。持ってきたカメラのコードを座席横のボードに差し込む。それから、ちょっとした高所作業なので安全帯を砲塔上のポイントにかける。

 私は射撃管制装置をテイクオーバー、同軸兵装の連動を解除して右側の十二・七ミリだけをアクティブに指定。三十五ミリ用の照準を五百メートルの印に合わせて測距。もちろん五百メートル。そういえばあの印を描くのも支援班の割り振りだった。まったく、いい仕事をするよな。

 夾叉を五百メートルに合わせる。つまりこれで右腕と左腕の照準線が五百メートル先で交わることになる。

 調整すべき銃が一挺だけなら弾が飛んでいくところに照準を合わせればいい。しかし完全にくっついた架台に据えられた二本の銃・砲同士の軸のずれは物理的に架台をいじらなければ直せない。今やろうとしているのはそういう作業だ。三十五ミリと十二・七ミリの砲身と銃身をほぼ完全に平行にしなければならない。

 まず右腕。私は五百メートルのバツ印に照準を合わせて仰俯角制御をロックする。作業中に突然動き出したら悲惨だ。漆原がハッチから足を抜いて天板の上を伝っていく。それから肩の上にのしかかって、三十五ミリ、十二・七ミリそれぞれの排莢孔を開けてスコープ付きの細長いカメラを差し入れる。カメラは砲口の向こうに広がる景色を砲の内側から写している。つまりその映像の中心がそれぞれの銃・砲の軸線に重なっている。

 私はカメラの映像を意識する。その映像の中心には黒い十字が浮かんでいる。カメラのレンズにプリントしてあるのだ。三十五ミリの方はその十字が五百のバツ印の中心にぴたりと一致していた。もともと三十五ミリに合わせて照準器を調整してあるわけだから、これは当然だ。

 でも十二・七ミリの方はいくらか上にずれていた。私は照準器についているゲージで見かけ上の距離を測って漆原に伝える。

「ズレ、五メーター上」

 漆原はラフに復唱してブローニングの架台についた垂直トリム用のビスを回す。たぶん回している。機体カメラの死角なので彼女の手元は私には確認できないけど、そういう作業だ。何回転で何パーミルという対応はビスの近くに書いてあったはずだ。五百メートルで五メートルだからちょうど十パーミルか。どうやら左右のズレはほとんどない。

 十二・七ミリのカメラを見ているとだんだん十字とバツ印が近づいてきた。

「オーケー、ストップ。ちょい右」と私。

 もう少し調整して完了。漆原は戻ってきてまたハッチに足を差し込む。少し休んでから左に移る。両方終えた時、彼女の手はオイルでいくらか黒くなっていた。軍手をしているとドライバーが回せないからだ。

「撃ってみよう」私は言った。

「栃木」と漆原が機体の下を見て呼ぶ。

 栃木は雨合羽を日よけ代わりにしてぶらぶらしていたが、呼びかけに応えて射撃スポットの横に置いてあるハンディサイレンに飛びついた。釣り竿のリールみたいにハンドルを回してやると、かなり大きな音が辺りに響き渡った。甲子園のプレイボールと同じ音だ。栃木は十秒ほど回してハンドルを止め、それから両手をぶるぶる振った。あの音量だ。振動で手が痺れたのだろう。

 サイレンを鳴らしたのは周りに実弾射撃を知らせるためだ。撃ち出すのは訓練弾で、発射後一キロほど飛翔すると弾体が遠心力で自壊して運動エネルギーを喪失するように作られているのだけど、近距離で命中すれば炸裂しない榴弾くらいの威力はある。十分危険だ。

 両側のブローニングをアクティブに。改めて測距、夾叉を五百メートルに合わせてバツ印を狙う。

 漆原が手で耳を覆う。

 射撃、

 着弾。

 反動はほとんどない。ダーン、とハッチの開口から余韻の長い射撃音が聞こえる。

 着弾の砂煙はバツ印の中心よりわずかに上。

 風の影響を見るために何度か撃ったけど、分布を見た感じ照準はきちんと合っている。右と左のずれもない。

 次に千メートルのバツ印を狙う。五百より着弾までのスパンが少しだけ長くなる。一発撃って着弾の砂煙が左右に二つ分かれる。夾叉は千メートルに合わせてあるけど、それは三十五ミリの話であって、三十五ミリの弾道と十二・七ミリの弾道が五百メートルで交差するのは操縦側では変えようがない。つまり右の十二・七ミリは五百メートルで右の三十五ミリの弾道と交差した後、照準の左側に着弾している。左はその逆だ。

 交戦距離を考えると十二・七ミリの使用機会が多いのは遠距離より近距離だろう。千より五百に合わせておく方がいい。

 また何度か撃つ。やはりずれは左右だけだ。弾道の垂れもほとんどない。このままでいいだろう。

 実弾射撃終わり。射撃管制を機体コンピュータに任せてセーフティを入れる。

 投影器のプラグを外して席を立つ。

「漆原、任せるよ」私はハッチの両側についたハンドルを握って自分の体を持ち上げながら言った。

「何? どっち?」と漆原はハッチから足を抜く。

「違う違う。ブローニングはもういいよ。戻ろう。機体の操縦を任せる」

「ああ、いいって。めんどくさい」

「いいから、いいから」

 私は照準調整用のカメラを受け取って漆原と入れ違いに機体を降りた。装甲用のレールのおかげで足がかりが増えてるのはありがたいけど、でもいつもの勘で行くと脛をぶつけそうだった。きちんと下を見て、砲塔、尾部、踵と伝って地面に降りた。

「あれ、柏木じゃん」下で待っていた栃木が言った。

「たまにはいいだろ?」

 アイドルでガタガタいっていたマーリファインのエンジン音が大きくなる。脚を伸ばして立ち上がる。溶接のために塗装を剥がした部分が太陽の反射できらきら光った。

 私はさっき栃木が回していたサイレンのところへ行って持ち上げてみた。結構重い。やっぱりマグロ釣り用のリールみたいだ。逆回しだとほとんど手応えがない。仕方ないのであまり音が出ない程度に正回転させてみた。中でとても重いものが回っているような感触があって、確かに腕に振動が来た。

「回したかっただけかよ」栃木が雨合羽を被り直しながら言った。

 私は彼女を見返して一度首を捻った。それだけだ。

 漆原が操縦するマーリファインを追って私たちの牽引車のところまで戻る。あとは機体の部分再塗装と装甲板の取り付けだけだったけど、それで一日が終わった。同じ野営地で二晩過ごすのは結構珍しいことだった。

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