ヘリはディスカスが一機とコブラが二機だった。いずれも陸自の機体だ。この問題はとりあえず自衛隊独力で解決しようということらしい。各機のガンナー席に一人ずつ乗せてきた整備士を順番に川原に着地して降ろす。三人の整備士は抱えてきた工具箱をディスカス1の横に広げて点検を始める。修理に必要な部品と道具を割り出そうとしているのだ。この山奥に車両は入ってこられないし、人員と機材を一緒に運べる輸送ヘリを呼ぶにも時間がかかる。というか輸送ヘリを呼ぶならディスカス1をスリングで吊り上げて運んでしまった方がよほど合理的だ。それが待てないので現地で直してしまおうという算段だった。

 栃木は天幕を砲身にかけたままにしてマーリファインをディスカスの横に立たせ、屋根役として作業をサポートする。

 その間他のマーリファインはキャンプに戻って現場からの連絡を待っていた。必要な機材がわかれば尾部に括りつけて輸送する。これもヘリでスリングできればいいのだが、あいにく攻撃ヘリにはその機能がないし、スリング用のパレットやワイヤーも準備がなかった。マーリファインならトラックの装備で何とかなる。

 三機とも荷締めベルトをかけて待っていたが、結局必要なのは減速機の出力シャフトと軸受け、テールローターのドライブシャフトだけだとわかった。ケースごとマーリファインの尾部に載せてベルトで固定、ドライブシャフトは二メートルほど後ろに突き出している。機体は松浦機、操縦も松浦に代わる。繊細な操縦なら松浦だ。賀西が指名、誰も文句を言わない。シャフトの先端に赤旗をつけ、後方が視認できるようにコクピットハッチの後ろに小型カメラを貼り付けてコクピットのコンソールまでUSBケーブルを伸ばす。ハッチは半閉まりになる。コンソールの端子は投影器にバイパスしてあるので小型カメラの映像を読み取れるかどうかはソーカー(砲手)のセンス次第だ。そして松浦ならそのあたりは全く心配ない。

 松浦は慎重に機体を立たせ、先導役の檜佐機(檜佐操縦)に続いて川筋を遡っていく。大回りになっても川筋を辿ることにしたのは森の中に分け入るとシャフトを機の幹にぶつける危険性が圧倒的に高くなるからだ。先導がいれば不安定な足場を事前に把握することができる。松浦機は腰の高さを一定に保って進んでいく。

 雨足は徐々に強まりつつあった。雨粒が大気を曇らせて視界は一キロほどまで狭まり、川の水は透明度を失い灰色にうねっている。三十分ほどかけて現場に到着した時、現場の川幅は二倍ほどまで膨らんでいた。

 ディスカスはすでにテールブームを折り曲げてドライブシャフトを取り外した状態だった。その場にいる人員総出の人力でマーリファインから荷物を降ろし、テールブームの空洞にドライブシャフトを差し込んでテールローターのギアボックスと接続。胴体側では減速機の出力側をばらして部品をつけかえ、潤滑油を補填して漏れ出した分をポリマーシートで拭きとる。

 テールブームを閉め、出力シャフトとドライブシャフトを接続。作業時間は約十五分。機外点検などプリスタートチェックに十分、栃木が機体を離したところでエンジンを始動、そこからプリフライトチェックに五分。テールローターもきちんと回っている。減速機の異常発熱、発煙もない。宇津見と五月女は機内からキャノピーを閉める。エンジンは甲高いタービンの音を響かせて回転を上げる。排気が吹き出し、煽られた雨粒が湯気に変わる。この時川幅はディスカスの機首の真下まで迫っていた。

 ローターの風圧が川のうねりを押し潰して細かな波紋を立たせる。

 ディスカス1は浮かんでいた。機体の前後を川の流れに合わせ、樹上高度まで上昇する。ガンナー席で五月女が栃木のマーリファインを見下ろす。栃木も機体のカメラを通して五月女を見上げている。互いの距離は次第に遠ざかり、やがて雨靄が両者を完全に別った。

 

 マーリファインのコクピットには人間二人が収まるようなスペースはない。一人が開放したハッチの縁に座れば乗れないこともないが、晴れていればの話だ。整備士三人は一輌だけ呼び寄せておいたピジョンホーラー――プラム2の車体に乗り込む。荷物があっても十分な広さだ。マーリファインより足は遅いが帰りは時間をかけても構わない。川筋を辿る必要もない。

 マーリファイン三機、ピジョンホーラー一輌は四十分ほどかけてキャンプに戻ってきた。私と漆原は牽引車のキャビンから出て台車の横で栃木を誘導してやる。雨粒が雨合羽にばたばたと跳ねる。栃木はやや荒っぽく機体を台車に下ろした。タイヤがずれるくらいだからかなり雑な方だ。カメラが濡れていてきちんと下が見えないのもあったかもしれない。カメラには一応風で雨粒を飛ばすブラスターがついているのだけど、それでも完全に雨粒を除去できるわけじゃないし、むしろブラスターのせいでガラスが変に曇ることがあるのだ。

 エンジンが切れたところで私は砲塔に登る。

「栃木、点検はいいから着替えてこい。キャビンで服あっためてるから。合羽持ってかなかったんだ。濡れてるだろ」

 栃木は睨むように私を見上げた。

「うん。頼む」彼女はそう言ってハッチから這い出した。ヘルメットを外している。そして私が思った以上にずぶ濡れだった。

 この時私はまだ事情を把握していなかったわけだが、栃木の様子が妙なことに気づいた。ああ、もしかして五月女とひと悶着あったんじゃないか。そう思った。不時着したのがディスカス1であり、五月女がその乗員の一人であり、真っ先に救助に向かったのが栃木のマーリファインであること、そこまでは知っていたからだ。

 関節にピンを挿し、センサーにカバーをかける。機体から降りると漆原が手を止めて待っていた。

「栃木、なんか変じゃないか」漆原が言った。

「私もそう思う」私はフードを直しながら言った。「五月女だ。なんかあったんだろ。確執だろ」

「カクシツ?」

「仲が悪いってことさ」

「ああ、もしかして昨日の話か」

「あれ、聞いてたの? 寝たフリなんかするのか漆原」

「いや、寝てたよ。寝てたけど、話してるから、おぼろげに、さ」

 いくら雨合羽を着ているにしても雨の中で立ち話を続けるのはバカバカしい。さっさと点検を済ませてネコみたいにぶるぶる水を払って両舷からキャビンに乗り込む。

 ――が、ドアを開けたところで手を止めてしまった。栃木がまだ服を着ていなかったからだ。下着だけでうずくまってぼーっと人差し指の先を噛んでいた。髪の先から水が滴る。シートの上に水溜まりができていた。とりあえず濡れた服を脱いだところで気持ちが切れてしまったのだろう。

 風が吹き込むのでさっさと乗り込んでドアを閉める。雨合羽を外して足元に押し込み、ダッシュボードに置いておいたタオルを広げて栃木の頭にかぶせる。それでも動こうとしないので仕方なくごしごし拭いてやる。助手席側では漆原が作業着のジャケットを広げていた。

「さっさと着替えろ。風邪ひくぞ」と漆原。

「うん」

「パンツも替えろよ」

「うん」

 服を着せている間に栃木の心ここにあらず状態はだんだん解除されてきて、靴下まだ履いたところで私と場所を入れ替わって運転席に座った。私は足元から雨合羽を引っ張り出して真ん中の席の下に移しておく。

 栃木はクラッチのニュートラルとパーキングブレーキを確認してからアクセルを踏み込んだ。それもちょっと吹かすというような感じではなくて、ベタ踏みで回転数が赤メーターで止まるまで踏んづけていた。真下でものすごい音を立ててエンジンが回り、腰が浮くかと思うくらいの震動が上ってきた。私と漆原は爆弾の上に座っているみたいにびくびくしながら黙っていた。

「こいつは三六〇馬力」爆音の中で栃木はたぶんそう呟いた。

 それからふと足を離した。スーパーチャージャーが息をついて途端に静寂が舞い戻る。栃木はなぜかニヤッと口元をほころばせた。

「あっちは一六〇〇馬力」と栃木。「しかも双発」

「そこかよ」と私。

 なんだか栃木はもう心配ないような気がしたので私は漆原の膝を跨いで外に出た。雨合羽を羽織る。案の定賀西が歩いてくるのが見えた。なんで牽引車のエンジンを吹かしたのか弁明しなくちゃいけない。

「今の音、一体どうしたのかな」と賀西。

「栃木の気晴らし。大丈夫、問題ない」

「本当に?」

「本当に」

「なるほど。それならいいや。いや、ほんとはよくないんだけどね、そういうのは。まあ、いいや」

 私は肩を竦めた。周りの部隊に説明するのは賀西の役割だ。損な役回りだと思ったけど、私のせいではない。「すみません」とも言えないし、「お気の毒に」と言うのも皮肉っぽくて嫌だった。

 私はその足でディスカス1のところまで歩いた。五月女はヘリ部隊の給油車の横に広げたテントの下でパジェロの荷台に座ってアイリーンと話している。初めて見る取り合わせだけど、どちらかというとアイリーンが社交的なのだろう。五月女が案外そつのない英語を話していた。内容としては、ピジョンホーラーでもミサイル次第で対空兵器としてかなりの脅威になりうるけど、それはピジョンホーラーの根本的な性格を変えるほどのものではない。だから一度ヘリの土俵に乗ってしまえば簡単に駆逐されてしまう、というような話だった。

「なあ、なんであいつあんなにおとなしい性格になっちゃったんだよ」五月女は私を見つけて訊いた。

「さあね。私は昔の栃木を知らないんだから、そんなのわかんないよ」

「昔はなあ、それはもう、性格の悪いPTA副会長みたいな性格だったからな」

「副会長?」

「一番イケズは会長で、でも陰惨なのは副の方さ」

「変なたとえだな」

「そうか?」

「でも今の性格が本来の栃木だろ。『本来の』というのもどう判断していいか難しいとこだけどな。今の方が自然体だよ。それが昔は違ってた、陰惨だったってなら、それは八つ当たりのためのモードだったんだよ。あいつもあいつの母親にいじめられてたんだって、知ってるだろ?」

「知ってるよ。でも――」

「そう。でもそれだから大目に見てやれってのはお門違いだな。単なるカタルシスのためにあいつがおまえに対して何かしたってなら、それがたとえ強いられたものだったとしても、その罪はあいつが負わなければならないものなんだ。それはあいつもわかってるよ」

 五月女は何か言いかけて、でも何も言わずに口を閉じて頷いた。

 二人が日本語で話すのでアイリーンはきょとんとしている。五月女と栃木のとても個人的な確執についての話だったのだと私は簡潔に説明してやった。

「でも私はそんな話をしに来たんじゃない」私は英語で言った。

「マーリファインがどうだったか聞きたいんだろう?」五月女も英語で言った。

「うん」

「端的に言って、ディスカスでも勝てる相手じゃないな。結果は知ってるんだろ。こっちは全滅で、ピジョンホーラーはともかく、マーリファインは全部健在だったんだ」

「兵器単体の性能が戦術と兵科の有利不利を覆すことはない」

「癪だけどな」

「それで」

「まず、そうだな、機動力が恐ろしいよ。突っ立っている間はいいけど、樹冠の下に隠れられると一発でどこにいるのか見当がつかなくなるから。あれは厄介だった。それから、もう一つは、狙いがよかった。動きながらでも危ない弾を撃ってくるし、何よりエリコンの左右の照準が必ずしも一点じゃないんだ。微妙にばらけていて、片方を避けるともう片方の照準に引き込まれるとか、こっちの慣性を読んで、これを避けたら次はこっちに行くしかないから、次はここを狙う、というような計算を平気でやってくる。これは二つ以上の射線を同時に連携して管制するFCSが必要だし、左右の砲架を分離して自由に動かす柔軟なハードウェアも必要だ。言ってみれば私たちが不時着に追い込まれたのはそれをなんとか避けようとして無理な機動を続けたからでもあるんだ」

「ふうん。なるほど、そいつは非の打ちどころのない兵器だ」

「いや、ただ、レーダーは弱みだな。単機で背後を取れるならヘリでも隠密で仕掛けられるってことだからな」

「発電量が足りないんだよ。戦車ベースの高射砲みたいにでかいエンジン積んでるわけじゃないからな。そんなに電気に回したら足腰立たなくなっちまう」

「妥当なとこだ」

「それより軽さを取ったんだ。ピジョンホーラーの森の中の機動力見れば、わかるだろ」

 私はアイリーンに目を向ける。

「ありがとう。よく理解できたよ」とアイリーン。我々が英語で喋っているからだ。「ところで、どうだろう、ディスカスは飛行停止になるのかな」

「そこまではやらないんじゃないかな」五月女が答える。「せいぜい急機動の禁止を通達ってところじゃない? 何しろ怪我人は出していないからさ。同じ不具合でも結果を見るからね、素人とお偉いさんは。メーカーで設計を直して、ひと月もしたら配備済みの機体にも交換用のパーツを送ってくるだろう。それで万事解決だ」

「アイリーンはどうだった。相手にしてみて、ディスカスはアパッチと違うか」私は訊いた。

「うん。自分ではまともに撃ち合ってないから、そのあとの展開を観戦して感じたことになるんだけど、アパッチと同等のパワーがあって、隠密性はニンジャ(OH‐1)並みって感じだね。静かだし、なかなか姿が見えない。いいヘリだよ。次はぜひ本職の姿を見せてもらいたいね。戦車相手にどれだけ圧倒できるのか」

 それを聞いて私の体は急にぶるっと震えた。ディスカスの天敵がマーリファインなら、マーリファインの天敵は戦車だった。

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心水体器:山林機動自走高射砲 前河涼介 @R-Maekawa

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