メーデー
煙幕が晴れる。
ノード側は相手のエンジン音、ローターノイズを頼りに追撃する。二手に分かれ、二機は谷線を進み、二機は尾根に登る。
「ディスカス1、ポイント・エコー方面から回り込む」
「アパッチ1、了解」
ディスカス1は谷線に沿って左手に進み、丁寧に尾根線を迂回してノード側の背後二キロにつけた。
赤外線レーザーで照準して残りのヘルファイアをまとめて発射する。ちょうど四発。
ディスカスのローターは対角のブレード同士の角度を微妙にずらすことでノイズを低減している。他の二機種に比べれば静粛性が高い。
「ミサイル、六時」尾根にいたマスカット2が気づいて警告。
回避の遅れたマスカット4が至近弾を食らう。回避の腕というより地形の問題、ちょうど動きづらいところにいたせいだ。センサー類全損、右機関砲破損。ほぼ戦闘不能の状態だった。インターフェースを電子系に頼るマーリファインは目視による直接照準手段を持たない。
マスカット3はディスカス1を追撃、マスカット2がその配置を代わる。
稜線に登ったマスカット1が最小限の露出でレーダーを起動してコブラとアパッチを捉える。マスカット1の短SAMがアパッチ1のコクピットを直撃、マスカット1と撃ち合うつもりで高度を上げ不用意に稜線を渡ったアパッチ2がプラム2のアムラームを受けて墜落、回り込もうとしたコブラ2が谷線で待ち伏せしていたマスカット2の直射を受けてダウン。
ここまでの展開を考えればあまりにあっけないカタストロフィだった。でもヘリコプターにとっては位置がはっきりしている不動の対空陣地と移動して居場所がわからなくなる陣地――場合によっては自分の足元まで忍び寄ってくる陣地とではまるで脅威度が違う。
残されたディスカス1は機首ターレットのFLIRでマスカット3をロック、テール側にバンクをとって後進しながら相手のベクトルが固まるところを狙って三十ミリを撃ち込む。コクピットから目視できる角度ではないがFLIRの映像がガンナー席のディスプレイに映っている。
対するマスカット3はディスカス1の射撃タイミングを計って加減速をかける。左右には動かない。木々の幹に進路を限定される森の中では方向による回避は難しいからだ。走りながら木々の切れ間から三十五ミリを撃ち上げる。
ディスカス1は左右に機体を振って狙いを逸らす。
両者とも一対一なら確実に敵弾を回避する性能を持っている。
ディスカス1は針路を尾根に向けてマスカット3を登りに誘導する。登坂なら足が落ちるし、奥行き方向が圧縮されるので前後動による回避が利かなくなる。
もちろんそれは栃木もわかっている。マスカット3はまともに追わず谷線へ迂回する。二機は輪を描くような機動に入ろうとする。まるでドッグファイトだ。
「埒が明かない」と五月女。
ディスカス1は後進のままバンク角を深くしてまるでヨーヨーのようにバク宙、機首がほぼ真下を向いたところで止めて樹上すれすれを前進、高度を削って得た加速で突っ込む。レーダーでマスカット3をロック、ターレットの射角に入ったところ、つまりほぼ直上から撃ち込む。
マスカット3は木々の陰からディスカス1の正面が見えたところで撃ち始める。ディスカスが最も小さく見える角度だ。なかなか当たらない。マスカット3は右機関砲損傷の判定。
ディスカス1は通り過ぎ、マスカット3が反転する前に背後方向に回り込む。
そこでふとディスカスの動きが鈍った。高度を上げ、ぐるぐる横回転を始める。排気口から白煙が吹き出す。
ログにはディスカス1の損傷なんて残っていない。実際だ。
エンジンパワーと旋回の荷重に引っ張られたテールローターのドライブシャフトがどこかで破断したのだった。白煙は負荷を失って過回転に陥った減速機の中で機械油が加熱したのが原因だ。メインローターのトルクを受けて機体は反対方向に回転しようとする。その力を受け止めていたテールローターがダウンすればもろにその捻りを食らうことになる。
「メーデーメーデー、ディスカス1、状況継続できない。不時着を行う」
パイロットはローターとエンジンのリンクを切ってオートローテーションに入る。この状態ならエンジンパワーによるトルクは生じない。回転は緩やかになる。ディスカスは惰性で回るローターが生み出すわずかな揚力でゆっくり降下する。不時着地を選ぶ。幸い下方の谷の真ん中に小川があって細い川原帯が続いている。水深も浅そうだ。
遠目には遅く見える降下も地面が近づけば自由落下のスピードと大差ない。タイヤが水面に浸かり、ダンパーが一杯まで沈み込む。突き立った石が胴体下部を打つ。機体が吸収しきれなかった衝撃がシートの座面を突き上げる。
「エマージェンシー、ディスカス1ダウン、実際、状況中止。いいか、全ユニット、演習中止だ」
ディスカス1のメーデーを聞いた演習判定ユニットが演習の中止を宣言する。
最も近くにいたマスカット3が不時着地点に駆けつける。木々の間をすり抜けて走ってくる。
栃木は機体をしゃがませて地面に降り、川原を歩いてディスカスに近づく。川はキャンプより上流だが場所によっては膝上の深さがある。人間のスケールならそこそこの深さだ。
この時五月女は胴体横のハッチを開いて減速機を点検していた。その上のエンジンカバーも開いて煙を逃がしている。二段重ねのエンジンがよく見える。
パイロットの宇津見は座席に残って無線の相手をしている。火災のおそれがないのは確認済みだった。
「大丈夫?」栃木は川に入り主脚の横に立ってコクピットを見上げる。
「少し首が痛い」宇津見。
「こっちは問題ない」五月女。「あれ、丸山じゃないか。お前が乗ってるとは思わなかったな」
五月女は栃木のことを丸山と呼んだ。それが栃木のもともとの名字らしい。
「機体、そのままでいいの? 岸まで引っ張る?」と栃木。
「頼む。ガワはともかく電装品が浸かるとまずい」宇津見が答える。
「了解」
栃木は膝で水を切って岸へ歩く。五月女も続く。
「私はガンナーじゃない。今日だけ」栃木がさっきの質問に答えた。
「本職は体調不良か?」と五月女。
「違うよ。今日は他の人がやりましょうって、全機」
「全機?」
「マーリファインはね」
「舐められたもんだな」
栃木は答えない。岸に上がってマーリファインの尾部側面から牽引ワイヤーを外して五月女に渡す。
「テールブームにポイントがないみたいだから、後ろ脚のどこかに回して。尾輪周り、どこかに通せるところくらいあるでしょ」と栃木。
五月女はワイヤーを一度置く。グローブを外して腕捲りする。川の中に戻って水の中に腕を突っ込み、ワイヤーを尾脚の支柱とシリンダーの間に通す。それからワイヤーの両端を持って岸に上がる。
その間に栃木はブーツと裾の水気を飛ばしてコクピットに入り、機体をディスカスのテールぎりぎりに近づけて再び着座させる。五月女はマーリファインの股間部のポイントにケーブルの端を引っかけ、手を上げて合図する。
マーリファインの赤い視線指示灯が正面に五月女を捉えている。そして短く点滅。モールスで"SAGARE"の符号。理解したのか察したのかわからないがとにかく五月女は横に距離を取って道を開ける。
折り返しているせいでワイヤーの長さに余裕がないのでマーリファインは直立することができない。エンジンが唸り機体が震動する。腰部を少し浮かせ、踵をついたまま爪先で踏ん張ってじりじりと後退する。
ディスカスは川の流れとほぼ平行に着地している。マーリファインが川岸方向へ動くとまず尾部がそっちに引っ張られ向きが九十度変わった。そこからまっすぐ後方へ引いていく。タイヤが深みに嵌らないように宇津見がコクピットから顔を出して川底の地形を確認する。主輪が川底の石を踏み越える度に機体ががくんと沈み込み動きが止まる。牽引ワイヤーがたわむ。そのあたりの力加減はさすがの栃木だ。牽引に慣れている。
ディスカスが後ろ向きに川岸に近づきワイヤーを通された尾脚が水面に現れる。横荷重を受けたせいでサスペンションのピストンが無残に歪んでいた。それでも部品一個の交換で済むなら電気系の全損よりよほどマシだろう。間もなく主輪も岸に上がってくる。栃木は少し余裕を見てテールローターが低木にぶつからないくらいのところまで引っ張った。川とディスカスの機首の間には十メートルほどの距離が生まれる。進んできた道筋に水滴の垂れた跡が残る。でもそれも間もなく見えなくなった。雨が降り始めていた。
五月女はワイヤーを外してまだ水の滴る胴体下面を覗き込む。腹を打った箇所がへこんで塗装が剥げている。ちょうど赤い日の丸の真ん中に拳が入りそうなくらいの窪みができていた。防弾板が貼ってあるので浸水には至っていない。
「降ってきたな」五月女は栃木に言った。「これだけ木が生えてるんだ。鉄砲水はないだろうけど」
「浸かるかな」栃木はワイヤーを尾部のホルダーに戻す。
「さあ」
「ヘリで整備士を連れてくるらしい」宇津見がヘルメットを外して操縦席から降りてくる。首に手をやってぐるりと回す。三十歳くらいの髪の短い青年だった。
「あ、あんまり動かしたらだめですよ」五月女が宇津見に言う。着地の衝撃で鞭打ちになっているかもしれない。多少違和感があってもほぐそうとするべきではなかった。
「ああ、そういえば」と宇津見。全く無意識だったようだ。
栃木はマーリファインの三十五ミリの砲口を地面ぎりぎりまで下げ、尾部のラックから外した天幕を砲塔両端のポイントにかけて広げる。下ろした方の角をダクトテープで砲身に貼り付けると即席の片持ち式テントになった。三人でその下に入って雨宿りする。雨宿りが必要なくらいの降り方になっていた。
「昨日、私に気づいて逃げただろ」五月女が栃木に言った。ブーツを逆さにして水を抜き、靴下を絞ってばさばさと乾かす。
栃木はむすっとして黙っている。牽引までの絡み方を見た感じ二人の間に何かしらわだかまりがあるようには思えなかった。でも違った。職務上の要請が繊細な問題を覆い隠していただけだった。やはり過去の話になった。
「気まずいのか。そうか。私は全然そんなことないぞ」
栃木は黙っている。
「気まずいってことは忘れたわけじゃないんだろ?」
「忘れてないよ」栃木は一言だけ吐き出した。
「昔のこと忘れて同じような生き方続けてたら殴り倒してやりたかったけどな。気まずいなら、別にいい。それがおまえの罰だろう。謝られても許す気はないし、喧嘩して決着をつけたいとも思わない」五月女は淡々と、ただはっきりした口調で言った。その目は自分の爪先に向けられていた。
「なんだよ、それ」
「牛乳かけられたり、パンツ隠されたり、やられた人間が物質的精神的損害を被るのは当然だろ。それが完全に一方的なものでないとしたら、加害者にも何かを負わせるのだとしたら、その埋め合わせは呵責だよ。後悔であり、罪の意識だ。記憶は消えない。呵責も消えない」
栃木は修行僧のように黙って座っている。
「おまえ、変わったな。昔も今も陰湿だけど、昔はもっと攻撃的だったよ」五月女は今度は栃木をまっすぐ見て言った。
おそらく栃木は堪えていた。言葉による攻撃はかつて彼女の母親が彼女を攻撃したのと同じやり口だった。過敏なところを抉られているはずだった。
栃木は激昂を口の中で押さえ込みながら五月女を突き倒して首元を押さえつける。仰向けに倒れた五月女は肺の奥からこみ上げるような咳をひとつだけ吐いた。
「やれよ。でも私の方が強いと思うよ。だって、何のために鍛えてきたと思ってるんだ?」五月女は右手で栃木の肘を掴んで押し戻す。栃木の掌が五月女の首元を離れる。
栃木は力を抜く。背中で息をしている。
「そうだよ。それが昔私が感じていたものだよ。権力と腕力の完全な優位を前にして何の反撃も許されなかったんだ」
栃木は立ち上がって天幕の外までずんずん歩いていった。彼女もまた履き物を乾かしていたので裸足だった。雨が髪や肩を濡らしていく。荒い息が煙に変わる。
勝手に帰ろうとしたのかもしれない。でもそこで宇津見と目が合った。関係ない人間を巻き込むわけにはいかない。宇津見は天幕の端に座って何でもないような顔で気配を消していた。女の喧嘩には手を出さない方がいいと察したのか、いざとなれば二人まとめて修正してやろうと思っていたのか、どちらかだろう。いずれにしても傍観しているだけで手出しはしなかった。
雨雲の中からヘリコプターの重いローター音が聞こえてくる。ディスカス1を川原に引き上げてから十分くらい経っていた。五月女は起き上がってブーツを履き、栃木も少し冷静を取り戻して天幕の下に戻る。
「こんな時、こんなところでする話じゃないって、わかってるよ。ただいつかは話さなくちゃならなかったんだ。そしてもう滅多なことで話すこともないだろう。でも忘れるな。それは解決じゃない。棚上げに過ぎないんだって」五月女は言った。
そのあと彼女が顔を上げるのを待って栃木は一度頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます