15 おしまいっ!



 ここからは後日談になる。


 週明けの月曜日に、音無さんは綾小路さんに真実を伝えた上で、誠心誠意、謝ったそうだ。綾小路さんからは「解りましたわ」という返事があっただけで、意外にもあっさりとした対応だった。これで彼女が音無さんの謝罪を受け入れたかどうかは分からなかったけど、とりあえず一つの事件が終わったように思えた。

 ――のだけれど。翌日、直下型地震並みのインパクトが学校を襲った。


 煌星が、アイドルとしてデビューすることが発表されたのだ。


 今まで事務所から口止めされてたんだけど、と前置きして語られた事情は以下の通り。

 彼は元々、自分の力で多くの人を笑顔にしたいという想いを抱いていたようだ。学校以外で自分が役に立てる舞台はないものか、そう考えた矢先に街でスカウトされたらしい。


 それが去年の出来事。以来、彼をセンターに据えた男性アイドルグループのプロジェクトが立ち上がり、年明けと共にデビューすることが決まったらしい。事件の当日に彼が学校を休んでいたのは、デビューイベントの打ち合わせがあったからだそうだ。


 これを受けて、校内は凄まじい混乱に見舞われた。煌星の所属するプロダクションでは、恋愛禁止が契約条件に含まれているそうだから、彼と交際できる可能性が一瞬にして砕け散ったのだ。


 こうして、煌星に好意を寄せていた女子生徒は一斉に失恋することとなった。

 あとは素直に諦めるか、あるいはファンの一人として応援を続けるかは、個人の考え方に委ねられることになる。

 というわけで、〈2年A組高級ブランド財布窃盗事件〉の顛末はこのような感じだ。ひとまずこれで一件落着。今後は穏やかな日々が戻ってくるに違いない。





 ところで、一つ言い忘れていたことがある。


 聡明な読者の皆さんはもうお気づきかもしれないが、綾小路さんがどんな才能の持ち主なのか紹介していなかった。

 確かに彼女は大企業の令嬢だけど、それは彼女自身の能力ではない。ただ裕福なだけでは、うちの学校に入学することはできないのだ。


 彼女の才能は、神がかり的な先見の明を持っていることだ。一時期、業績が低迷していた父親の会社を復活させたのも、実は彼女だと言われている。


 その天賦の才は経済界に留まらず、あらゆるジャンルに及んでいる。煌星を気にかけていたのも、彼が芸能界で飛躍する可能性を感じてのことだったのかもしれない。


 芸術の分野でもその才能を発揮した彼女は、また新しい計画を立ち上げた。その内容を聞かされた時、俺は綾小路さんの懐の深さに、いたく感銘を受けた。だからこうして、応援がてらに空港までやってきたわけだ。


「あなたの才能を見込んで、綾小路グループが全面バックアップすることに決めたんですのよ。心置きなく、行ってきなさい」

 国際線の旅客ターミナルで、綾小路さんが目の前の女子生徒に言った。

「う、うん……」

 あまりの迫力に気圧されたのか、繊細なピアニストは控えめに返事する。


 そう、音無さんだ。


 今は三月、間もなく新学期を迎える頃だけど、音無さんはクラスメイトと違う道を歩むことになった。

 というのは、海外へ音楽留学することが決まったからだ。事件から数日後、彼女に綾小路さんから打診があったらしい。何でも、音無さんの演奏を聞いて、将来の大成を予感したのだそうだ。


「私の眼鏡にかなったのですから、あなたは絶対に大丈夫ですわ」

「あ、ありがとう」

 気後れした顔で音無さんが言う。ただし表情に暗さは無い。年明けから垢抜けて見えるようになったのは、髪を茶色に染めてお洒落に気を遣うようになったからだろう。


「そんなこと言われたら、プレッシャーにしかならないだろ。どこまでやれるかは自分次第なんだから、あとは本人に任せてスポンサーは大人しくしときな」


 割り込んだのは鷲尾さんだ。彼女は長かった髪をショートカットにしていた。綾小路さんとの仲は相変わらずだけど、少し余裕が見えるようになってきたのは、最近になって同じ陸上部の男子と付き合い始めたからだろう。彼女が煌星の椅子に頬ずりする姿は、もう二度と見ることはない。


 煌星はというと、今日もファンとの握手会があるとかで、この場には不在。代わりに、音無さん宛のビデオレターが届けられていた。


 輝良人は海外遠征中。音無さんへのコメントもない。カナダで新しい技に取り組んでいる最中だと言っていたっけか。彼は彼で、自分の道を突き進んでいるようだ。


 同じクラスの生徒たちが、代わるがわるに音無さんへ応援と激励の言葉を送る。最後に俺の番が回ってきた。

「外園くん、以前はありがとう」

「……ああ、あの件ね」


 俺は苦笑した。事件のことは触れないようにしてきたのだけど、彼女のほうから言ってくるとは思わなかった。

「繭由ちゃんは?」

 俺の周りを見て、音無さんが聞いた。どうやら、俺と繭由はワンセットだと思われているらしい。


「ああ、あいつはね」

 繭由は未だに布団の中だ。彼女が出られる暖かさにはまだ達していないようで、クラスメイトの旅立ちを見送りに来ないところは筋金入りだ。


「そっか」

 こころなしか残念そうな彼女に、俺はちょっと待ってと声を掛け、ポケットからスマホを取り出した。画面を操作してから、音無さんに向けて見せる。


「やあ、奏恵ちゃん。話は聞いてるよー」

 テレビ電話の向こうから挨拶する繭由は、やっぱり布団にくるまっている。

「今日からいよいよだねー。あっちはまだ寒いだろうから、お布団から出るのも一苦労だねー」

 布団大好きな繭由らしい言葉だ。


「繭由ちゃんも、この間はありがとう」

「ありゃ? お礼言われるようなことしたかな」

 彼女は、自分の趣味に音無さんを付き合わせただけと考えているようだ。


「まあいいや。疲れた時は、ちゃんと寝るんだよー」

 とても見送りの言葉とは思えなかったけど、音無さんが笑っているので良しとしようか。


「さあ、そろそろ時間ですわ」

 スポンサーである綾小路さんが場を仕切る。音無さんも名残惜しさを絶ち切るように、みんなから一歩離れた。


「じゃあ、みんな今日はありがとう。行ってくるね」

 手を振り、歩き出す彼女。その背中が見えなくなるまで、俺たちは手を振り続けたのだった。





 その帰り。

「……みんな、変わってくんだな」

 少し時間があったから、公園に寄ってみた。ベンチに腰掛けて呟くと、テレビ電話の向こうで繭由が首を傾げた。


「どしたの?」

「いやさ。音無さんも、綾小路さんも、鷲尾さん、輝良人、煌星、あと他のみんなも。少しずつ変わっていってるんだなーって」


 数日前から、漠然とそんなことを考えるようになった。そろそろ俺も三年生、進路を真剣に考えなきゃならない。一般入試組は、ほぼ全員が大学への進学を考えている。一方〈特別枠〉組は、それぞれ自分の得意分野を伸ばす方向へ動いているようだ。


 その点、俺はどうなんだろう。何の為に進学するのかも解らないし、いっそ専業作家になろうかという一大決心も無い。何だか、みんなに置いていかれるような感じだ。


「まあねー。時は流れてるからねー」

 繭由が受け流す。推理以外のこととなれば、彼女は割とイージーだ。人の考えを頭から否定しないから、話してて心地よくはあるんだけど。


「私、思うんだけどさ。無理して変わろうとしなくてもいいんじゃない?」

「どういうこと?」


 繭由は俺の目を見て言う。

「変わるべきときには自然に行動しているだろうし、そうでなくても緩やかな変化は常にしているものだし」

 その言葉が、何故か抵抗なく胸に染み込んだ。


「……かも、な」

 周りが変わっていくから、自分も変わらなければ。きっと俺は、そんな焦りを感じていたんだろう。先走りそうな自分を、繭由がやんわりと引き留めてくれた。

「そうそう。果報は寝て待て、だよ」

 少し違う感じもするけど、気が紛れたからまあいいか。


「でさでさー、話変わるんだけど」

 今度は彼女の話を聞く番だ。

「『約束』はもういいの?」

「何の話だ?」

「謎が解けた暁には『布団の中身』を見せてあげるって約束したじゃん」

 にまーっと悪戯猫みたいな顔で笑う。


「あれ、冗談じゃなかったのか?」

「酷いなー。無償労働を強いるほど、私は鬼じゃないよ」

 でも、小悪魔なのは確かだ。

「言ったじゃん、文哉なら全部見られてもいいって」

「お前、マジだったのか!?」

「うん……文哉が嫌なら仕方ないけど」

 くっそ! 嫌なわけないだろうが!!

 俺は周りを見渡す。幸いにも(?)人通りは無い。


 ごくりっ、と喉が鳴った。

「……本気なんだな」

「うん……」

 繭由が恥ずかしそうに目を伏せる。頬がほんのり赤くなっていた。

「じゃあ……よろしく」

「わかったよ」


 繭由は自分の姿を映すようにしてスマホを置くと、正面に向き直った。鏡餅のように体を覆う羽毛布団を、合わせ目から少しずつ開いていく。


 するっ、と彼女の両肩があらわになった。キャミソールの紐らしきものは見えない。恥ずかしいのか、焦らしているのか、布団はゆっくりと肩から下へずらされていく。鎖骨が見え、白い胸板、そして――



 通話オフ。



 うわぁぁぁぁぁぁてめぇぇぇぇぇぇ見せるモン見せろやぁぁぁぁぁぁぁッ!

 人格が変わるレベルで叫びそうになった。間もなく着信、今度は通常の通話だ。ワンコールで通話ボタンをスワイプした。


「いやー、ゴメンゴメン。バッテリー切れちゃってさ」

「んなわけないだろ。今まさに電話してるじゃねーか!」

「充電器に繋いだんだよー」

 繭由はあっさり受け流す。


 期待した俺が馬鹿だった。そりゃ溜息も出るさ。

「あれ? 残念そうだね」

「当たり前だろ」

 つい、本音が出てしまった。すると電話の向こうで、繭由が声を弾ませる。


「まあ、そんなにガッカリしなさんな。帰ってきたら続きをやってあげるから」

「またそのパターンかよ」

 もう何回目だろう。

「次は違うかもよ? さあ、迷ってないで早く帰っておいで」


 ……ったく、何でそんなに嬉しそうなんだよ。帰りたくて仕方ないじゃないか。

「次こそ絶対だからな!」

 そう宣言して、俺は走り出す。


 繭由は、どんな顔で待ってるんだろうか。

 きっとこれからも、彼女は俺を振り回し、こちらは振り回される。二人の関係が変わることはないだろう。


 でもまあ、そんなホームズとワトソンのままでも悪くはないかな。

 何となく、そう思えた。



[了]

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

名探偵は布団から出られない 庵(いおり) @ioriorio

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ