14 なんで?
「……犯人は、私なの」
ハンカチで目元を拭いながら、
「だろうね。さっきのトリックは
後で聞かされたことだけど、
ちなみに俺の思いついた『棒高跳トリック』は、繭由によって完膚なきまでに否定された。棒高跳の棒なんて大きなものを何処に隠すんだとか、しかるべき設備が無いのに十分な高さと距離を跳べるはずがないとか、ピンポイントで廊下の窓から入るとかどんだけアクロバティックなサーカスなんだとか……あ、あと『女の子の日』にそれだけ動けるわけないじゃん、あの辛さが解らないなんて女子のカラダに関して知識不足もいいところだね! とか。いやはや参った。
「いつから分かってたの?」
音無さんに聞かれて、繭由は答えた。
「最初から可能性の一つだと考えてたよ」
今にして思えば、彼女は最初から音無さんを疑っていた。
「『保健室にいたから犯行は無理だ』ってのがどうしても納得できなくてね」
その先入観を抱き続けていたから、俺は真相にたどり着けなかった。また、音無さんのキャラクターが狡猾な犯人と結びつかなかったというのも原因だろう。
「『誰に犯行が可能で、誰なら不可能か』ってフラットな考え方でものを見れば、割と見えてくる場合があるんだよ。君の場合は、保健室から脱出することさえできれば、犯行が可能だと私は考えたんだ」
その脱出方法とは、保健室の窓と昇降口前の廊下の窓に『橋』を架けること。
「保健室の窓と廊下の窓は、直角の位置関係なんだよね。で、それぞれの窓の端から角までの寸法を測ったら、どちらも130センチメートルだった。この場合、それぞれの窓の端と端を直線で結ぶと、数学でいうところの直角二等辺三角形になるんだよ」
確か、中学生の時に三平方の定理で勉強したはずだ。
「直角二等辺三角形の辺の比は、1:1:√2。同じ長さの辺が130センチだから、斜めの辺の長さは、これに√2を掛けた数値になる。√2の近似値は1.41421356以下略だから、仮に約1.4と考えて、130掛ける約1.4はイコール約182センチだね」
繭由は暗算する。電卓みたいな早さだ。【参照URL→https://fuyukikaku.web.fc2.com/trick.html】
「保健室の窓と廊下の窓に橋を架けるなら、若干の誤差と余裕を考えて、長さが2メートルぐらいのものがあればいい。その点、保健室には最適なものがあるよね」
音無さんが頷いた。彼女にも心当たりがあるようだ。
「担架だ。先週は大原先生が運ばれるのに使われたそうだね」
あの巨漢でさえ大丈夫なんだから、強度は充分。長さも一般的なものなら2メートルを超えるだろう。
「この担架を橋として使う為には、あらかじめ廊下側の窓を開けておかなきゃならない。保健室に入る前に自分で開けたか、服部先生に頼んで開けて貰ったか、はたまた偶然開いていたのか。私はどれでも構わないんだけど、実際に窓は開いてたわけでしょ?」
「うん」
音無さんが肯定する。繭由の想像力に、俺は舌を巻いた。
「で、橋と化した担架を渡って廊下に出たら、あとは教室までまっしぐらだ。その時か、戻る時に髪留めを池に落としたんだろうね」
プレゼントを盗んだのに、自分へのプレゼントを落とすとは、何とも皮肉な話だ。音無さんは、俺には誰かに盗まれたと話していたけど、あれはとっさについた嘘だったようだ。
「財布を盗んだはいいけど、隠し場所はどうしようか。私としては、保健室の保管庫が怪しいと思うな。あとは気分が悪くなったふりをして早退すれば、誰にも疑われず持ち帰ることができる」
トリックの解明が終われば、あとは消化試合みたいなものだ。繭由の熱意も少しずつ引き始めている。
「と、いうわけで。私の推理はここまでだよ。警察みたいに完璧な捜査結果ではないだろうけど、あくまで趣味だから細かいところは勘弁してね」
と言って、繭由はペロッと舌を出した。いたずらっ子みたいな笑顔のおまけ付きで。
「ううん、真中さんの言う通りだよ」
音無さんが首を横に振る。
「一つだけ。廊下側の窓が開いてたのは、本当に偶然だったの。あのとき窓が閉まってたら、こんなことにはならなかったかもしれない」
彼女は語り始めた。
「私もね、煌星くんが好きだったの」
きっかけは、ピアノの演奏を褒められたことだったそうだ。
「凄いねと言ってくれる人は沢山いたけど、私の演奏で歌いたいなんて言う人は初めてだった。あの時は同じ目線で音楽の楽しさを共有してくれた感じがして、嬉しかったなぁ」
彼女は目を閉じる。幸せな思い出だ。
「煌星くんって、誰にでも平等なの。振り撒く笑顔だとか、気配りとか。誰かを選ぶんじゃなくて『みんな』との時間を大事にする。初めはそれが素敵だなって思ってた」
煌星は誰彼構わず優しい。彼にとってオンリーワンは存在せず、どこまでもエブリワンが大切なのだ。
「でも段々、欲が出てきちゃて……」
音無さんの声が沈む。自分の中に、どす黒い感情が芽生えた時のことを思い出したんだろうか。
「煌星くんの気を引きたくて、自分で作った曲をプレゼントしようと思ったの」
「文哉が聴いた曲のことかな?」
「うん」
確かタイトルは〈思い出〉と聞いていた。
「実はタイトルを聞かれた時、恥ずかしくて誤魔化したの。本当のタイトルは〈想い人〉、誰のことかは分かるでしょ?」
「うんうん」
繭由は柔らかい笑みを浮かべて頷いた。
「私って、体も強くないし、性格もこんなだけど、ピアノだけは誇れるの。神様からの贈り物だと思ってるくらい。だから私が渡せる最高のプレゼントは、自分で作った曲しかないと思ってた。それで毎日練習したの、煌星くんに聴いて貰う為に」
そう語る音無さんの目には、涙が浮かんでいた。
「……なのに、綾小路さんがプレゼントを……これで彼の心を掴んで見せるって……。私、悔しくなっちゃって」
ぽたり、ぽたりと涙が床に落ちる。彼女にしてみれば、自分が時間をかけて準備してきたところへ、横槍を入れられた気分だったのだろう。音無さんもまた、想い人への独占欲に突き動かされていたのだ。
「保健室に行った後も、このままじゃ煌星くんを取られちゃうって……そんなことばかり考えてて……」
涙が頬を伝う。後から後から
「そしたら廊下の窓が開いてて……。その時に、綾小路さんの邪魔をしてやろうって気持ちになったの」
音無さんは鼻をすする。
「私、酷いよね……自分の邪魔をされたくないから……綾小路さんの邪魔をする……なんて」
震える声。小さな体が二つ折りになって啜り泣く。その姿は、自分の行いを心の底から悔やんでいるようだった。
「
誰もが『こうで在りたい自分』と『こうで在って欲しくない自分』を心に抱えている。人に害を為す自分は、後者の最たるものだ。それが自分の中に存在すると思い知った時、自分への嫌悪感が魔物のように襲ってくる。
繭由は首を横に振った。
「私も君と同じだよ。私だって、好きな人を奪われそうになったら、何をするか分からないもん」
音無さんをそっと抱き締め、母親が子にするように頭を撫でる。
「辛かったね。今まで悩んでたんでしょ?」
「……うん。私も髪留めを無くして、綾小路さんの気持ちがよく解った」
「プレゼントが無くなるってことは、それに込められた想いまで失うことと同じだもんね」
音無さんは嗚咽を漏らす。傷ついた
「だから財布を返したんだね?」
繊細なピアニストは頷くだけだった。
「それが出来ただけでも上々だよ。君は充分に反省した。さあ、そろそろ休もうか」
繭由が音無さんを羽毛布団で包み込む。それは聖母の慈悲のように柔らかく、暖かい。
「辛い時は休めばいい。無理して起きてなくてもいいんだ」
包み込まれた音無さんが、静かに目を閉じる。そんな彼女に、繭由は囁くのだった。
「お布団はね、いつでもどこでも誰にでも、果てしなく優しいんだよ」
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