06 姉御アスリート?
その日の放課後。
俺は校舎の構造を確認することにした。
校内見取図【参照URL→https://fuyukikaku.web.fc2.com/school.html】を参考にして、構造と間取りを把握するところから始めてみる。
校舎は上空から見ると、カタカナでいうロの形になっている。真ん中の空いている部分が中庭だ。
一階の昇降口は西向きで、そこから中に入ると、左右両端に階段がある。生徒はここを上がって、二階より上の教室へ行くのだ。
階段を上がらずに、昇降口正面の廊下を横断して、中庭に行くことも可能。その廊下を横切らずに左へ行けば職員室、右へ行けば保健室となっている。
この保健室の真上が2年A組の教室。教室は階段を上がってすぐのところにある。出入口は、階段から見て手前と向こう側の二か所。ここ以外から出入りしようと思うなら、あとはグラウンドに面した窓しかない……が、二階の窓から直接入れる生徒なんていないはずだ。
階段に近い方の出入口に背を向けたら、目の前には廊下がまっすぐ伸びていた。これが一年生の教室へと続く廊下だ。左手側が昇降口の吹き抜け、右手側には中庭の見える窓が並んでいる。
その窓は、今はクレセント錠で鍵を掛けてある。それを解錠して窓を開けると、冷たい空気が流れ込んできた。
窓から顔を出して、真下を見た。中庭の隅、方角でいえば南西角に人工池がある。これが、保健室の窓の外に見える池だ。上から見ると、円を四分の一に切り取った扇形だと分かる。この池があるから、保健室の窓からも、昇降口前の廊下の窓からも、中庭に出ることができない。池に落ちてずぶ濡れになるリスクを冒してまで、窓からジャンプする生徒はいないからだ。
繭由から指示のあった場所の配置を確認したところで、次はそれぞれの場所を細かく観察していく。
階段や2年A組の教室の周りには、財布を隠せそうな設置物や隙間が無い。
じゃあ、教室の中はどうだろう。階段に近いほうのドアを開けると、茜色に染まった教室が目の前に広がった。窓の向こうで沈みゆく夕日を見ていると、何となくノスタルジックなものを感じてしまう。
出入口から見て右が黒板、その前には教壇がある。これの内側が空洞になっていて、教師が冊子や資料を置くところがあるから、財布を隠す場所としては、ここが真っ先に思い浮かぶ。だけど残念ながら、財布は見つからなかった。
教壇の前に立つと、教室の一番後ろに並ぶ個人ロッカーが目に入るけれど、誰のロッカーからも財布は見つかっていない。
掃除道具入れは無い。うちの学校は、夜間に清掃業者が入るからだ。
あと考えられるのは、個人の机だろうか。財布は箱入りでラッピングされたものだったから、テープで机の裏側に箱ごと貼り付ける方法もある。
俺はしゃがんで、手近な机の裏側を見た。
そのとき、窓際の席に人影が見えた。その人は椅子の座面に頬をくっ付けて、床に膝をついている。両手をだらりと下げて動きは無く、言葉も発していない。
ぞわっ、と総毛立った。
これはもしかして、第二の事件なんじゃないか。そんな予感があった。
はち切れそうになる心臓を押し留め、ポケットのスマホに手を伸ばしながら、おそるおそる近づいていく。
繭由に付き合わされてきたから、死体を見ることに抵抗は無い。だけど、第一発見者になるのはこれが初めてだった。
覚悟を決めて、横向きになっている顔を覗き込む。
「
普段のきびきびした雰囲気は見る影もない。ジャージ姿の彼女は、椅子の座面に頭を載せて――
「はふ……」
瞳を潤ませ、語尾にハートマークでも付いてるんじゃないかと思うほど甘い吐息を漏らす彼女は、まさに変た……じゃなくて恋する乙女だった。
「大好きぃー!」
感極まったのか、鷲尾さんは椅子の座面に頬をギュンギュンこすりつける。普段の彼女からは想像もつかないぐらい、欲望に忠実な姿だ。見てはいけないものを見たような気がして、俺は後ずさる。だけどこんな時に限って、後ろの机にぶつかり、大きな音を立ててしまうのだった。
びっくうぅぅっっ!? という絵文字が見えるほど、鷲尾さんが敏感に反応した。彼女は音速の素早さで体を起こす。顔が夕日に負けないぐらい真っ赤だった。
「みみみみみみ見たのかっ! 今のッ!?」
「うん……何かゴメン」
何故か謝る俺だった。
「うわぁぁぁぁぁっ! やっぱそうかぁぁぁぁぁぁっ!!」
鷲尾さんは頭を抱えて悶絶する。そりゃそうだろう。普段の自分のイメージにそぐわない行為を見られて恥ずかしさ二倍増しだ。
居たたまれなくなって視線を落とすと、さっきまで鷲尾さんが頬ずりしていた椅子が見えた。
「この席は……」
「そーだよ、アタシも好きなんだよ。悪いか?」
近くの椅子に腰掛けて、鷲尾さんはそう言った。目を反らし、顔の赤みが治まっていないところからすると、まだ恥ずかしさを引きずっているようだ。
「悪かないよ。誰を好きになるかなんて自由だし」
返事は無い。でも、ふてくされた感じの表情は柔らかくなったみたいだ。
少しして、彼女が呟く。
「……あいつさ、アタシのこと『天使みたい』って言ったんだよ」
それが好きになるきっかけだったらしい。
鷲尾さんは棒高跳の選手だ。長くしなやかな棒の反動を使って、高々と大空へ羽ばたいていく。そんな姿を天使に喩えた煌星のセンスはなかなかに詩的だ。
「それをさ、あんな屈託のない笑顔で聞かされちゃ、好きにならないほうが無理な話だよ」
想像するだに難くない。その瞬間から、鷲尾さんは恋に落ちてしまったんだろう。
「今じゃもう、煌星のことを考えるだけで
正直に胸の内を明かす鷲尾さんは、少し苦しそうに、だけど幸せそうにも見える。
「競争率が高いのは解ってる。アタシみたいにガサツな女はお似合いじゃないことも知ってる。けど、だからって簡単に諦められるもんじゃないんだよ」
彼女は座ったまま片膝を抱えて、天井を仰いだ。
「不思議なもんだよなぁ。頭じゃ解ってるのに心が付いてこない。しかも対抗意識なんか燃やしちゃってさ、何やってるんだろうな」
彼女はフンと鼻を鳴らす。それが自嘲の態度らしかった。
「きっとアタシは、
「だから財布を盗んだ?」
「そうそう。思い通りにさせてたまるか……って、
違うらしい。犯人の自白シーンみたいな雰囲気になってたから、てっきりそうだと思ってしまった。
「じゃあさ、体育の授業を途中で抜けたのは何で?」
ここまで来るのに随分と遠回りしてしまったけど、ずばり尋ねてみた。
俺が輝良人から聞いた話は、以下の通りだ。
今日の体育の授業は長距離走だった。グラウンドを一周した後は学校の裏門から出て、校外のコースを走ることになっていた。校外のコースは決められていたんだけど、鷲尾さんは途中からコースを外れたんだそうだ。たまたま後ろを走っていた輝良人がそれを見ていて、彼は鷲尾さんがズルして楽なコースを選んだと思ったから、便乗して後をつけたという。
そうして付いていったら、他の生徒より早く学校の付近に着いた。ここで輝良人は、物陰に隠れて皆が来るのを待ち、校舎へ向かって走る彼女を見送ったらしい。あとは集団に紛れてゴール、まんまと『中抜け』して見せたわけだ。
「俺は後ろの方の集団だったから気付かなかったけど、鷲尾さんはどさくさに紛れて皆の中に戻ったんじゃないか?」
「う……」
彼女の表情が一変した。知られたらまずいことを知られてしまったという様子だ。
「途中で抜けて、何しに行ってたの?」
聞くと、鷲尾さんは顔を伏せた。隠し事があるんだろうか。
「言わなきゃダメか?」
自分の恋愛感情を隠さず話したのに、ここへ来て歯切れの悪い答え方をするのは妙だ。もしかしてこれ、真相に近づいてるのか?
「うん」
はっきり答えた。彼女が犯人なら、遠慮するわけにはいかない。
すると彼女は、心底言いにくそうに、
「……『あれ』が来ちまったんだよ」
とだけ。
「『あれ』って?」
何のことか本当に分からないから聞いただけなのに、鷲尾さんは何故か俯いてしまう。彼女は俺の顔を一瞥すると、こう吐き出した。
「『あの日』だったんだよ……!」
聞かされた瞬間に汗が吹き出した。答えにくいことをわざわざ言わせたことに、罪悪感がドッと押し寄せてきた。
「……うん、何かゴメン」
結局、謝る俺だった。
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